こんにちは
本日のタイトルはAKB48の曲からお借りしました🌸
この曲がリリースされたのが2009年とかなので本当に10年経つんですね。当時のメンバーもみんな大人になって、結婚して…
わたしも大人になったなーと思います。ちなみに当時中学生くらいのわたしの推しは篠田麻里子様です。
本日で東日本大震災からちょうど10年ということでこのタイトルにしてみました。
以下は当時のことを書いていますので気分を害される方は(特に過激な表現があるわけではありませんが)ご注意ください。
あれから10年の月日が経ちます。
当時は中学生でした。わたしの実家は関東なのですが、海沿いにあり、当時も津波注意報が発令されました。
当時ちょうどインフルエンザにかかっていまして、高熱の意識が朦朧とする中で母と妹と知り合いの家に避難したことを覚えています。
めちゃくちゃ怖かった。
知り合いの家は海から少し離れていたのでもう安心かと思いきや、その家に行ったのは間違いだったと気づきました。
その家の実家が岩手県の釜石でした。
それ以上は書きません。
わたしの父は仕事で(職業名は伏せますが)、4日後に宮城県の気仙沼市に派遣されました。
普段あまり口数が多いほうではない父ですが、一週間後に帰ってきた時には夜通し母に話し続けていたことを後から聞きました。
母は黙って全部聞いたそうです。わたしも妹も当時まだ中学生と小学生だったのでその話は聞いたことがありませんが、今の自分でも聞いていられるかはわかりません。
わたしはそんな父を心から尊敬しています。
あのときのわたしは自分のことしか考えていなくて、
どこか、他人事のように感じていた。
でも、こんなにいろんな人が頑張っている姿を見て、段々自分の無力さが感じられました。
だから、自分にはなにができるかを考えました。
当然関東から東北は遠いし、当時中学生だったわたしがひとりでできることなんて限られています。
自分の無力さを感じながら何もできず高校生になりました。
高校に入って、自分一人じゃなんもできないけど、学校や他の人の力を借りればなにかできることがあるかもしれないと思った。
わたしは生徒会に入って、いつかは現地ボランティアに行くと決めました。
結局、いろいろあって3年生で生徒会長になり、希望者を集めて父が4日後に派遣されたところと同じ気仙沼市にボランティアに行くことができました。
まだ2、3年くらいしか経っていなかったと思います。テレビではわからないことも自分の目で見て、そこで何が起きたのか実感しました。
それから大学に入ってもこういった活動を続けていきたいと思い、大学でもボランティアサークルに所属しました。
そこでの活動はまたいつか書けたらいいなと思っています。
そういえば、最近野蒜でちょっとしたニュースがありましたね。
記事の写真を見たらわたしが訪れたときとは別の町のようにすっかりきれいになっていました。
わたしが最初に行った時の野蒜駅の衝撃は今も忘れません。
わたしは人の喜ぶ姿が好きです。
ボランティアというといろんな考えがあって、わたしはどんな考え方も否定はしません。
今まで活動してきた中で、自分が正しいと思ってたことも他人からしたら正しいとは限らないし、ボランティアってなんだろうって考え始めたら自分でもよくわからなくなります。
わたしの今までの活動もただの自己満足にすぎないかもしれません。
10年ほど前、自分が誰かに何かを与えられるように始めた活動でしたが、逆に自分が得たもののほうが多かったように思います。
たくさんのひとに出会い、たくさんのことを教わり、たくさんの笑顔をもらいました。
なにも知らなかった未熟なわたしを誰もが迎えてくれました。
東北は本当に温かいところです。
今では第二の故郷のようにさえ感じられます。
わたしはそんなひとたちになにかできたのでしょうか。
学部の4年間はずっとそんなことを考えながら過ごしていました。
結局、答えという答えは見つからなかったけど、自分なりにたくさん考えたことがあるので、また機会があればお話したいです。
今日は長くなりそうなのでこの辺にしておきます。
試験が終わって状況が落ち着いていたら絶対にまた東北行きます。
東北、大好きです。
写真は女川町に訪れたときに隣の浦宿駅から撮ったものです。