1月23日 忘れられない日 | あみちゃんのホジキンリンパ腫寛解後のブログ

あみちゃんのホジキンリンパ腫寛解後のブログ

2013年秋、 古典型ホジキンリンパ腫 混合細胞型ステージⅣから緩解後、多少後遺症は残るものの無治療で現在まで再発もなく経過、これから続く同じ病気の人に少しでも元気を与えられればと発信しています。

今日は全国的に大寒波襲来で注意するように天気予報などで喚起されています。

みなさんも悪性リンパ腫になったきっかけ、発症の過程は本当に様々だと思います。

私も皆様同じという事ではなかったと思います。

忘れもしない2013年1月23日 123と続いた日なので覚えています。

この日は水曜日だったのでいつものように出勤して普通に仕事していましたが夕方から何だかだるいので帰宅時間まで我慢していましたが立っていられない状態でした。

電車1本で帰ってこれるのでなんとか帰宅して熱を測ったら38.5度 ここ十数年経験した事のない発熱でした。

20時頃妻の勤める内科の医師に時間外だったけど(徒歩3分)診察をお願いして診ていただきました初見の診断は「インフルエンザ」という事で「タミフル」を5日分処方して休むようにと。

でもインフルエンザ検査はしっかり陽性と出たけど???

普通のインフルエンザだと2日位で熱は下がって体は楽になるけど5日飲み切っても発熱は38度から39度で全く下がる様子はなし、毎日妻が医師に様子を話して医師もおかしい普通のインフルエンザとは違うと、ところが6日目急に熱は平熱になり一件落着かと思いましたが・・・・・

発熱前の1月19日に国民健康保険の健康診断を受けていました、その時の検査結果で肝機能が要注意だったので専門医で検査するようにとの注意書きが、今までになかった初めての結果に驚きながらも何かの間違いだろうと、その後2月5日に職場近くの病院に血液検査を含む再検査で結果は来週来るようにと・・・

その後何事もなかったかのように普通に生活していましたが2月9日夕方からじわじわと体調に変化がだるくなって発熱しながら帰宅、まだこの時は37、5度医師の見てもらうほどでもないので我慢して就寝、深夜39度発熱、3時頃寝汗でビショビショ下着・パジャマ全交換して朝起きる時はほぼ平熱、昨晩の熱はなんだったのだろうと思いながら仕事、お昼過ぎまでは何事もないように普通でしたがまた夕方から発熱、夜中高熱、寝汗、朝は平熱、翌日は午前はふつうに仕事。

こんな日が4日続き5目からは終日何もなかったかのように普通に生活、それと同時に肝機能検査の結果を聞きに病院に、血液検査結果「どこも異常なし、全て許容範囲内」発熱も話しましたが不明でした。

2月12日最後の発熱後、16日土曜日に栃木県の大学病院に知り合いの医師がいるので高熱があったので診察お願いして新幹線で朝早く行き8時半には病院着、午後2時頃まで大学病院でできる検査全てしていただきました、血液検査、X線検査、CT検査などなどでその日の検査は特に異常はないと、当日結果の出ない検査は後日知らせるとの事で帰宅。

その後11日後にまた同じように昼過ぎまでは平熱、夕方から発熱、夜間39度の高熱、寝汗、朝平熱の繰り返し、さすがに何か異変があるとの事で妻の勤める医師に相談、大きな病院を紹介していただき早速「不明熱」病名こんなのあるのかな?「検査入院」 

検査入院して下さいとのことで入院中は毎日検査のオンパレード、人間ドック以上の検査でした、でも夜間は発熱、寝汗などあったので医師たちもあらゆる病気の可能性告げられましたが検査結果がわかるにつれて全て該当なし。

それ同時に栃木県の大学病院の医師から診断書をいただきそこには「縦隔のリンパ節が8ミリくらいの腫れがある」ほかは異常は見られないとの診断で病名分らず。

この時の血液検査は「フェリチン」と「可溶性IL-2R(sIL-2R)8000超」だけはめちゃくちゃ高い異常値でしたがほかは基準値。

10日検査入院でしたが確定診断至らず、さらに別な病院に転院、検査入院するようにと

この時点で体重減6キロ。

今思えば典型的な悪性リンパ腫の「B症状」でもエイズなどでもこのような症状が出るのでまだ病名確定できなかったです。

これが私の悪夢の「悪性リンパ腫」の始まりでした。