リンパ腫治療 退院後 早1年? まだ1年? | あみちゃんのホジキンリンパ腫寛解後のブログ

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2013年秋、 古典型ホジキンリンパ腫 混合細胞型ステージⅣから緩解後、多少後遺症は残るものの無治療で現在まで再発もなく経過、これから続く同じ病気の人に少しでも元気を与えられればと発信しています。

台風の影響はないので良かったと思いきやデング熱が拡散していますね、最近の私も蚊にさされた所が今までは別に気にするまでもなかったけど今年は何時迄も痒くて赤くなります、デング熱ウイルスを持った蚊に刺されたらどうなるか心配です、宝くじの当選確率よりは低いですが。

昨年春からリンパ腫の治療が始まり1クール毎に入院、退院の繰り返し、各クール毎にいろんな事がありました、本来ならば通院で抗がん剤化学療法のはず、初回は念のため入院して点滴しましょう。

入院した当日は簡単な検査、翌日お昼頃点滴開始3時間位で夕方点滴終わり、その後妻もお見舞いに来て明日は通院治療の部屋を見学しましょうと主治医からのお話。

その夜自分でも妻の帰ったのも夕食を食べたのもはっきり覚えていなかったが消灯前に意識不明になってベットから落ちて嘔吐、当直のまだ新米の看護師さんに発見されその後、救急治療室へ。

大きな病院だったので適切な処置?  意識が戻ったのは4日後、その間家族はもとより兄弟達駆けつけてたらしいが全く覚えがない、ICU病室の入り口だったのでスタッフさんや患者、家族の出入りでうるさい、一番奥の静かな部屋に移動して体中モニターの心電図、脳波計等器具や点滴チューブ、導尿のチューブが付いていた、生検で全身麻酔した後より多かったが回復とともに身体に付いたのは外されて行った。

最後は点滴の血管確保のみになったが今度は食事が出来ない、見ただけでリバース(何もでない)即配膳台にお持ち帰り、数日繰り返して徐々になれたが匂いがダメ、テーブルにおいてお椀のふたを開けただけでまたリバース、更に数日後口の中に入れるもリバース、本当に何も食べられなかった。

集中治療室から今度はクリールームに移動、一般病棟と無菌病棟の中間位の病室かなり広くて4床が2部屋、差額部屋代は無し、朝7時から夜7時まで専属の掃除のおばちゃんがいてシーツ交換は週2回ちょっとでも汚すと即交換、お部屋の掃除は1日3回、シャワーとトイレは誰か使ったら即掃除、食事の前のテーブルもアルコールで毎回消毒、病室も時々追ん出されて機械で徹底的に掃除。

お見舞いや看護師、医師、その他スタッフも一寸入ってくるだけでもマスクにビニールエプロンで通気が悪いので暑かったみたい。

食事は病人一般食をラップして更に滅菌、ほとんど食物の原色は無し、美味しくない、栄養士さんに散々文句言ったけど美味しくならなかった、持ち込み食で何とかしたが同室の患者美味しそうに食べて完食いるのが不思議でならなかった。

食事の格闘しながら毎回入院初日に首にCV確保で最初の4日24時間連続で今度は違う抗がん剤を入れ最後の日に3時間違う薬を入れて終わりだったがその他に吐き気止め等を点滴、数日すると全輸血と成分輸血、グランの注射、飲み薬、目薬等々、おしっこも点滴で余分な抗がん剤排出のため1日6リットル今まで考えられない量が夜も寝てられない、但し大きい方は食べてないので出ない便秘かと思って浣腸しても出ない結局何もないので出ない。

入院中いろんな副作用と戦いながら白血球レベルが測定不能から最低レベルまで回復したら一時退院7日から2週間で再治療。

で 4クール終わったのが昨年の9月10日退院、半年以上の入院生活これで後は回復するのみと思いきやそうはさせてくれなかった、そんなに甘くなかった!!

後日談はまた後日アップ

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