パンツの日(8/2)~パンツはいて(8/28)、女人…は…物を随える身 昭和の見せパンは魅せパン | ラケットちゃんのつぶやき

ラケットちゃんのつぶやき

ブルセラコスチュームで、あちらこちらに出かけてます。
最近は、主に富士山麓の山に登ったときの、雄大な富士山と、自身の写真をつけてます。
ブルセラアイドルの夢を見ながら、日常の現実に対するいろんな思いを綴ります。

 

 

 

私の女性アイドル考(1)

 

第一章


パンツ(パンツによく似たコスチューム)は、女性の色気・魅力です。 その効果は絶大。

アメブロ「パンツの日」(8/2)に書き始めて、やっとパンツはいて(8/28)投稿になりました。

アメブロに感謝を込めて、ブログスタンプも集めてます。

 

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冒頭の画像は私の宝物。
「お~、モーレツ!」のCMで衝撃的だった小川ローザ。
https://www.youtube.com/watch?reload=9&v=b5dgWaRsjI4
https://www.youtube.com/watch?v=YnjrMNE0fjQ
https://www.youtube.com/watch?v=9Xeyxs5pFYI
アニメ
https://www.youtube.com/watch?v=6bY57YnVES8

庶民が自家用車を持てず、運転する人もほとんど男だった時代に、女性がかっこよく運転、その風を受けてスカートが舞い上がる。
男尊女卑のちゃぶ台の周りに、及ぼす効果は絶大だったでしょう。
色気とともに、その時代の常識を覆す意外性や忍び寄る背徳性が、女性アイドルの魅力の一つとなってます。

この精巧に作られた4分の1フィギュアは、新世界に遊びに行ったとき、父が密かに虎の子をはたいて購入していた遺品。
当時、500円ぐらいだったと思う。
舞い上がったスカートの後姿を、男どもは誰もが期待するだろう。



背景にある彼女のシングル「小川ローザ/風が落とした涙」は、、私がネットで集めたもの。
https://www.youtube.com/watch?v=c55sNXKbZeA


子孫繁栄への本能があるため、男女は常に生殖のチャンスを求めている。
文化活動も芸能活動もすべて、この本能が源泉であるから、異性の目を引くために、
男はいかにして女のパンツ(パンツに値するもの)を見るか、
女はいかにして男にパンツ(パンツに値するもの)を見せるか、
常に、周囲の状況や変化に応じて、こみ上げる衝動に対して反応する。

女性アイドルにとっては、とにかく男達の目を引かなければならない。
アイドル本人にとっても、マネージャーやプロデューサーなど周りをささえ盛り上げる人たちにとっても、生活がかかっているから必死だろう。

家にある白黒14型TV(四つ足付き)から、アグネスチャン、石野真子、ピンクレディ、キャンディーズをよく見た。
(ちなみにわが家のTVが14型ブラウン管カラーになったのはわたしが10歳ぐらいになってから。今では、21型の液晶PCモニタですから、とっても恵まれた環境で、感謝です。)

思い返せば、
榊原郁恵、柏原芳恵、河合奈保子、その他の売れっ子アイドルたちの、未熟さとは裏腹の大人びた歌詞、大胆なポーズのグラビア。
週刊誌なんかで、グラビアアイドル顔負けの、結構大胆なグラビアを出してましたね。
このギャップ・意外性もまた、魅力の一つです。

いまでもTVに出てくる昭和アイドルたちもいて、なつかしい。
出てこなくなったアイドルもいるけど、その人は、引退時でのイメージが長く残っています。

清純派女性アイドルにとって、歌声やドラマは必須。
加えて、男性の目を引く条件として、
制服(セーラー服を含む)、ミニスカート、水着、ブルマ、レオタード、そして、パンチラ。

有名な昭和アイドルで、私の好きな人について、古い人から順に紹介しながら考えていきます。
最初、第一は、国民的なアイドルで、山口百恵さんです。
父の遺品の雑誌や写真集、ポスターは、歴史的遺物です。
セーラー服やブルマもあります。
後から私が集めたものもあります。



このなかに、制服(セーラー服を含む)、ミニスカート、水着、ブルマ、すべてあります。
以下の画像は、上記の書物から引用にて紹介です。



「あなたがのぞむなら わたし なにをされてもいいわ。いけないむすめだといわれてもいい。」 (青い果実/山口百恵)

歌い始めの歌詞は、私が物心ついた頃、よく耳に入った山口百恵の歌。
父のラジオから、よく聞こえてきた。
幼稚園の頃、この歌の意味が分かってからは、「なに」を「ナニ」、「いけない」を「イケない」におきかえて、みんなで歌っていた
まあ、親からは叱られなかったですね。



たとえば、流行歌に出てくる「むすばれて」ていうのは、肉体的には「イレられて」とか「挿入されて」ってことだろ。
クレヨンしんちゃんのセリフは完全にアウトだったけど、アイドルの歌はセーフでしたね。
想像は自由ですから、
クラスのみんなは同じようなこと考えて、息が合ってましたね。
今では「いけない」を「逝けない」も、ありですけど。



小学生にも人気でしたね。少年マガジンの表紙。 



あどけない口から歌われる、
「わたし なにをされてもいいわ」(青い果実)
「愛の痛みが・・・つきささる・・・脱ぎ捨てる、あなたが望めばなんでも捨てる」(禁じられた遊び)

今にして思えば、よくこんな大人顔負けセリフを歌わせていましたねえ。
過去にはあまり例がない。
これもプロデューサたちの戦略でしたねえ。

「あなたに女の子のいちばんたいせつなものをあげるわ
・・・だれでも一度だけ経験するのよ・・・」(ひと夏の経験)

この時代の人々にとっては極めつけの句ですね。

この意外性、背徳性が大きいほど、魅力も大きくなりますねえ。

ちなみに、この戦略は、その後の多くのアイドルに受け継がれていきます。
たとえば、デビュー初期の榊原郁恵、「いとしのロビンフッドさま」で、
歌詞の1番「青い青いリンゴが 赤く赤く色づいたのは あなたの矢がささったせいよ・・・」
2番の同じ部分からは「赤い赤いリンゴは 穴が穴があいたまんまで・・・リンゴから矢を抜いたまま」
って、ナニのことを言ってるんだ?

いいアイドルには、いい写真家がつきますねえ。
篠原紀信さんの写真集からも、引用紹介です。



百恵さんの水着は、最初幼く、だんだん大胆になっていきます。
この変遷がいいですね。
パンチラはなさそうでしたが、・・・・・ありました。
この投稿雑誌の貴重な一枚。歌ってたのはどんな曲だったのでしょう?


人気雑誌の付録についてた百恵さんのポスターです。
とってもかわいいです。


百恵さんは、少女から成熟した女性をへて、普通に恋愛を経て結婚へ。
成長していく魅力を、歌にTVにドラマに雑誌に、幅広く活動し、ソロの国民的アイドルへ。
結婚とともに引退し、その後は主婦。
昭和の模範的女性です。

平凡最終号?1987年12月号には、


「一枚のモノクロ写真が、
私の周辺でちょっとした騒ぎに なったことがありました。
ダブダブのシャツを着て、 ペタンと床に座っている写真。
下着が見えている、ということと、 

当時、私がまだ14・15才だったことが

 騒ぎの原因だったと思います。 

私はー、というと「平凡」に載った 

その一枚の写真がおとなへの階段を 

一歩登るための手懸りを くれたように感じていました。・・・

「平凡」のみなさま、 長い間、ほんとうにおつかれさまでした。
三浦百恵

歌手であるより人間でありたい あなたの前では女でいたい」
(平凡 元気にさようなら 1987年12月、P170・171より)


思えば、少女から大人、そして結婚までの、どこにでもいるありふれた、清楚な人間としての女性の魅力と、それとは全く対照的な、意外な飾りつけや誇張を受け入れながら、世間の底に沈んでいる欲望を満たしつつ、歌にドラマに映画に、存分に自身の魅力を発揮されたアイドルだったと思います。

とっても純粋清楚で新鮮なルックスの彼女が演じる妖艶な姿。
でも、厳しい芸能界。
人や周りには絶対に言うに言えないことや苦労もされたことでしょう。

次は、河合奈保子、ピンクレディ、キャンディーズあたりを紹介します。

さて、パンツ(パンツによく似たコスチューム)は、女性の色気・魅力を売り込むために利用された。 

その効果は絶大。
通称、見せパン(魅せパン)といわれた。

昭和の定番は主にブルマ、テニスやチアリーダーのアンダースコート、レオタードなどでした。
平成のような短パンスタイルもありでしたが、多くの男は期待外れでがっかりしていました。
まれにはパンスト+生パン、生足+生パンのアイドルもいて、玉石混交。

ちなみに、以下は、私が使っているアイドルグッズの中の、見せパンです。

ブルマ


アンダースコート(アンスコ)、フルバックタイプのショーツにフリルがついたもの、
フリルがついていないもの、ガードルタイプもあります。
どちらも、一般にクロッチ部分がパンツ(ショーツ)より幅広い。


平成スタイルのアンダースコート



セクシーな昭和スタイルの、平成スタイル(短パン)との決定的な違いは、解剖学上の躯幹と両足の境界がはっきりと区別されて分かること。
このことがなぜセクシーなのか。
言わずと知れたこと。
生物学的にいえば、万人が、躯幹と両足の間に最大の関心があるからである。

短パンは、ここがぼかされていて、セクシーさが劣る。

最近は、女性のショーツでも白の生パンは人気がなくなりましたねえ。
ださいからでしょうか。
男性のブリーフはマイノリティとなりました。
アイドルやチアリーダー、バックダンサーの、チラチラ見える(見せている)見せパンも、透けたりはみ出したりするものがないように、工夫されています。



You-Tubeで、よくアップされてますね。
このサイトで見つけて安心してリンクを張ってると、あるものは消えてたりして、記事がブサイクになることもありますけど。

小川ローザによく似たスタイルを見ました。

 

 

いとしのエリーズ「HOTEL PACIFIC」@湘南祭2012
https://www.youtube.com/watch?v=NgBX7aO0IAo
ただ、スカートの中は、平成スタイル。

楽しそうですね。
いまではすっかりなくなってしまいました。
振付ダンスで、翻るスカートに、大胆なキック。

昭和では、スクールメイツ等が有名でしたね。
NHKや民放で放送され、文化祭やパレードなんかでよく披露されてました。
ネットのない時代は、アイドルの雛たちが、注目を集めようと、ブレイクをめざしてがんばってましたねえ。

第28回NHK紅白歌合戦(1977年)でのオープニング、チアリーダーたちの華やかなダンス。
豪快なターンとキック。


「おなじみになりました紅組ラインダンス…」(森昌子、桜田淳子、岩崎宏美、太田裕美、キャンディーズ、南沙織、小柳ルミ子、高田みずえ、チェリッシュの松井悦子、他)、レオタードスタイルの紅組アイドルが、そろってハイキック。(あまりそろっていなかった)

 

レオタードコスチュームのポンポン隊


時のアイドル・岩崎宏美の背後を飾るバックダンサーの、大胆な衣装と振り付け。


この躍動美が、ステキです。

昭和50年代あたり、国営放送でも、いかにして女性の色気(パンツやパンツによく似たアイテム)を見せて躍動美を発揮するか、男を魅せるかに心を注いでいたかが分かります。
まして、一般書店で販売される人気の雑誌には、こんなショットが定番。

まさに、見せることを前提に「見せパン」を披露して、躍動美やセクシーさを競い合っていますね。
見せることで魅せる。

私も、ミニスカートルックで、アイドルとして出歩くときは、同様に気を使っています。更には、ムダ毛の処理調髪、素肌のケア、パンツが見えた(見せた)時、前面が女性のそれらしく見えるように、アンダースコートやパンツの中にサポーターを穿いたりして工夫してます。
アイドルは苦労がつきものです。

見せることを前提にセクシーさを競い合っていますね。
浅香唯ちゃんの純白キックやレモンエンジェルのハイキック(アイドル投稿大全3より)、
アンダースコートがかわいいですね。


一段高い特設ステージ、ミニスカートやミニワンピースなどで幼く見せたコスチュームで、
キック、ターン、ジャンプ、バク転なんかの大胆な振り付け、
そしての風のいたずら。
まして、一般書店で販売された、昭和の人気投稿誌には、こんなショットが定番。

 

 

第二章

 

アメブロがはじまった14年前、あなたは何をしてた?ニコニコ
乙女のトキメキ
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アイドルの修行をしていました。

アメブロさんに感謝です。


ところで、こんな魅力的なアイドルを目指した私の
修業時代の画像集です。
枕営業は、当然に、ありません。

鎌倉アルプスにて、ブルマ。


葛西臨海公園にて


「東京湾納涼船」を楽しんだ日、竹芝桟橋にて、
セーラー服・ミニスカートに、ガードルタイプのアンダースコートで、ピース。



ある人が何回も往復していたけど、
かまわずハイキック。
なんとか決まりました。


ブルマスタイル。桜の花を見ながら。


流行のコギャルスタイルで、新宿公園デビュー。
風が強かった日の、アンダースコート。
成人雑誌のあからさまなローアングルのショットはイヤらしいけど、
こういった自然のいたずらは、いい感じですね。
まあ、それを期待していましたけど。


バニーのコスプレです。


片瀬ビーチで、水着・ビキニ
いかにも、昭和。





第三章

日蓮大聖人が、女性の社会的あり方の例として述べられている文が、兄弟抄にある。
 (ちなみにここは来月の創価学会青年教学1級試験の範囲になっている)

「女人となる事は物に随つて物を随える身なり」(日蓮大聖人御書全集P1089) 
女性となる身は、ものに随うことによって、そのものを随える身です(私風現代語訳)

これからは女性の時代、21世紀は女性の世紀、等といわれる。
男女共同参画社会が当たり前として目標とされている。
男尊女卑の時代では、女は三界に家なし、女は、生れた家では父に従い、嫁いだら夫に従い、老いては子に従え(三従)といわれ、今では女性差別の非難を浴びる考え方である。

女人成仏を説かれた日蓮大聖人の法華経では、その時代の女性としての価値や役割を、最高の境涯を得ている姿(成仏の姿)としてあらわされている。
つまりは、このご金言の中にある「随う物」は、現代でいえば社会一般、社会的組織やルール・それに所属する人間ということになろう。

「女性となる身は、ものに随うことによって、そのものを随える身」
考えれば考えるほど、「女性」という命についての性質を、これほど的を得ている表現は他にないだろう。
 

「男性の頑強さ」に対して「女性のしなやかさ」。
男は固い筋肉で狩りや耕す、女はしなやかな筋肉で生殖・出産を遂げる。
男は強い剣を持ち、か弱くしなやかな女・子供を護ってきた。
人類発生当初からの、肉体的精神的要素といえる。
この性質を十分生かして役割分担した集団が繁栄し生き延びてきたと言える。


 

女性の肉体の「しなやかさ」は、生殖と出産を比較すれば十分理解できるだろう。
細い男性を狭くきつく受け入れた時と、それよりも何十倍もの子供を、広く柔らかくしなやかに押し出した時。
そして、子供の心を成長に応じてすべて受け入れ包み込む愛情。
多くの男の固い肉体・頑固な根性では、とてもまねできない。
これこそ、「物に随つて物を随える」ことである。

まあ、男でもしなやかな骨盤を持っていて、パートナーの頭部をすっぽり中へ受け入れる人もいる。
性染色体の半分は共通だから、男であっても生き残りをかけた要請があれば発揮できることでもあり、女でも同様であるが。LGBTの人たちもこの役割を担っていると思う。

社会的には古代から男が殿様、父が家長であった。
今は、国民主権、つまりは個人ひとりひとりがそれぞれ殿様(自分の体や所有物等という領土に主権を認められて)となっている時代。
その集合体が社会、国家である。少なくとも表向きは、そうである。
人類発生20万年に対し、日本は国民主権となってからいまだたった100年も経ていない。
建前や理想を声高々に振りかざしても、実態はそう簡単には変化しない。

時代が変化しても、生命としての生殖を含む役割と使命は変わらない法則であるから、この法則を上手に尊重し活用し補い合えるかが、集団としての繁栄を左右する。
女性差別撤廃・男女共同参画社会を上手に実現するためには、まず生物学的特徴をそれぞれが受け入れ尊重し協力しあうことが大前提であろう。



 

「物に随つて物を随える」とは
社会に身を任せながら随っていくことによって、社会自体を自分に随えながら変革していくということ。
女性の肉体的・精神的・社会的役割を象徴的に示すのみならず、社会変革における男性の役割も、特に民主主義国家で男女平等を建前とするある日本社会においては、こういった手段が絶大な効果を及ぼすことがほとんどといえるだろう。
つまりは、男性にも、「しなやかさ」が求められているということだ。
満足に至らない経済的社会的「頑強さ」の代償として。

さらに言えば、国民主権の時代は、個人ひとりひとりがそれぞれ個人の中にあっては大統領であり同時にファーストレディであるので、男性の屈強さと女性のしなやかさを両方併せ持ち、それぞれを両立させて、自分自身という国で、男女差別撤廃・男女共同参画性格を実現せねばなるまい。
性格としてだけでなく、行動として。

そうでなければ個人という国はつぶれる。

個人の行動におけるこの実現が、社会においても、それぞれの理想・建前を実現する必要条件である。

 

女性アイドルも、流行を生み、社会を、良くも悪くも変えてきたし、今後も変えていく。
山口百恵さんも、「しなやかに歌って」ましたねえ。
結婚前の収入などはつりあわなかったかもしれないでしょうけど、引退後はTVに出てこられることはほとんどなく、旦那様とともに、しっかりと家庭で使命を果たされていることでしょう。
伝説のアイドルといえます。



子育てを終えた私も、その足あとを「しなやかに」残したい。




第四章
(歴史的文献)

今二人の人人は隠士と烈士とのごとし一もかけなば成ずべからず
譬えば鳥の二つの羽人の両眼の如し、
又二人の御前達は此の人人の檀那ぞかし
女人となる事は物に随つて物を随える身なり
夫たのしくば妻もさかふべし
夫盗人ならば妻も盗人なる
是れ偏に今生計りの事にはあらず
世世・生生に影と身と華と果と根と葉との如くにておはするぞかし、
木にすむ虫は木をはむ・
水にある魚は水をくらふ・
芝かるれば蘭なく
松さかうれば柏よろこぶ、
草木すら是くの如し、
比翼と申す鳥は身は一つにて頭二つあり二つの口より入る物・一身を養ふ、
ひほくと申す魚は一目づつある故に一生が間はなるる事なし、
夫と妻とは是くの如し
此の法門のゆへには 設ひ夫に害せらるるとも悔ゆる事なかれ、
一同して夫の心をいさめば竜女が跡をつぎ
末代悪世の女人の成仏の手本と成り給うべし、
此くの如くおはさば設ひいかなる事ありとも
日蓮が二聖・二天・十羅刹・釈迦・多宝に申して順次生に仏になし・たてまつるべし、
心の師とは・なるとも心を師とせざれとは六波羅蜜経の文なり。

(兄弟抄、日蓮大聖人御書全集P1089~)


 今、宗仲、宗長の兄弟は隠士・烈士二人のようなものです。
どちらか一人でも欠けたなら、仏道を成し遂げることはできない。
譬えば、鳥の二つの羽、人の両眼のようなものです。
また二人の夫人たちは、兄弟の二人にとっては檀那です。


女性となる身は、ものに随うことによって、そのものを随える身です。
夫が楽しめば、妻も栄え、また、夫が盗人ならば、妻も盗人となるのです。
これはひとえに、今生だけのことではない。
世世・生生に、身と影、花と果実、根と葉のように伴いあうのです。

木に住む虫は木を食べる。
水中に住む魚は水をのむ。
芝が枯れれば蘭が泣き、
松が栄えれば柏は悦ぶ。
草木でさえも、互いに随え寄り添っています。
比翼という鳥は、一つの身体に、頭が二つあり、
二つの口から別々に入った食物が、同じ一つの体を養う。
比目という魚は、二つの目に雄と雌が片目づつあるゆえに、雄雌が一生の間離れることはない。
夫と妻も、このようなものです。

この法門(南無妙法蓮華経)のためには、たとえ夫から殺されても後悔してはいけません。
女性たちが協力して夫の心を諌めるならば、竜女の跡を継ぎ、女人成仏の手本となることでしょう。
このように信心強盛ならば、たとえどんなことがあっても、
日蓮が二聖・二天・十羅刹女・釈迦・多宝に言って、あなたが未来順次に生まれるたびに、必ず成仏させてあげましょう。
「自分の心をうまくコントロールする師にはなっても、その愚かな心を、従うべき師としてはいけない」とは六波羅密経の文です。

(兄弟抄、日蓮大聖人御書全集P1089~、私風現代語訳)