この恵まれた地球・豊かな社会に感謝! 地球の身になって考えると・・そして転職します! | ラケットちゃんのつぶやき

ラケットちゃんのつぶやき

ブルセラコスチュームで、あちらこちらに出かけてます。
最近は、主に富士山麓の山に登ったときの、雄大な富士山と、自身の写真をつけてます。
ブルセラアイドルの夢を見ながら、日常の現実に対するいろんな思いを綴ります。

 

 

このところの災害・事故・老化などで亡くなった人々のご冥福と、先祖代々の追善供養のために。
世界の平和と一切衆生の幸福のために。
合唱 南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経




第一章

私は転職を決めました。
以下は、そのきっかけの一つとなった日の日記です。



毎朝、出勤前、祈りをこめて勤行。

方便品、寿量品

題目

ご祈念

法華経の肝心・南無妙法蓮華経の御本尊に南無し報恩感謝申し上げます

末法の御本仏・日蓮大聖人に南無し報恩感謝申し上げます

(中略)

このところの災害・事故・老化などで亡くなった人々のご冥福と、先祖代々の追善供養のために。
世界の平和と一切衆生の幸福のために。
南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経

 

 

 

今、無事に出勤できること、ありがとう。
感謝。
徒歩20分、都電に乗らなくても、これが一番エコですね。
健康ジムに通わなくても、毎日汗をかいて代謝が活発になり、筋肉が再生されています。

もっともエネルギー効率の優れた移動方法は、原子力でもなくガソリンでもなく、人力=自分自身の筋肉なのです。
そしてその間20分もゆっくりものを考えることができます。

今日も美味しい昼食にありつけ、完食しました。ラッキー。
有り難いことです。
ちなみに、昼は病院食です。健康な人でも患者さんでも、平均摂取量50%前後。毎日残飯が段ボール5~6箱。これでは、閻魔大王(=大自然)から成敗されて当然でしょうねえ。

今日も、午前中は消化器外科外来、午後は胃がんの手術。
17時半までに全ての業務を終わらせなきゃあ。
働き方改革の真っ最中。
私だけではない。
ナースやクラークやパラメディカルの人たちにも、倫理道徳のためにアフターファイブの時間を侵襲してはならない。


 

朝8時、病棟回診。

朝9時~、ナースやクラークさんたちのマネージメントを受けながら、手際よく消化器外科外来や内視鏡をこなしていく。

 

12時になって、小児科外来から割り込み患者がきた。
2時間半待って、一旦Drに診てもらったけど、泣き止まないから診てくれとのこと。
どうしても先生(私)に診てほしいって。
いつものごとく、DQN患者かも・・・つぶやきがきこえてくる。

 

3歳の女児、母親は30歳、10か月の男児を胸にひもでおんぶしている(だっこではない)。
父親35歳、中小企業のサラリーマン、安っぽい空のベビーカーを押しながら疲れ果てている。
主訴は嘔吐。
そのほかに腹痛、下痢、喘鳴、不眠、胸痛、腰痛、背部痛、などなど・・・
これらが、この2~3か月間、夜間・日中かまわず出現する。

これらの一つが夜間ずっと続いていたり、しばらくたったら消えて、本人はケロッとしていることもあるという。
その都度、夜間や昼間に数か所、ドクターショッピングをして、異常なしといわれたという。
レントゲンや血液検査のデータ(CD-R)まで持ってきているが、診療情報提供書(紹介状)はない。
この、なかむつましい両親は、清楚。

便利で高価なモノをどちらも身に着けていない。
しかし、TVや新聞・インターネット等から多くの情報をあつめて、なにか重病の前兆ではないか?見逃されているのではないか?・・・と、ノイローゼ気味である。

まあ、嘔吐だから消化器外科でも適応か?・・・。

診ると、女児は、最初10秒ぐらいゲロゲロしていたが、それが終わって私を見てニコニコしている。

腹部の視聴打診等はnp (nothing perticular、異常所見なし)、胸部をはじめ全身もnp。
3歳にしては体が小さい?
しかし、虐待やネグレクトを疑う所見もない。

 

・・・ためしに少し検査してみよう・・・
私は、その子をお姫様抱っこして、
「ママに抱っこしてもらったことある?」
「・・・」首を横に向ける
「パパに抱っこしてもらったことある?」
「・・・」首を横に何回も振る
「抱っこしてもらったらうれしい?」
「うん」ニコニコ顔。
「〇〇園は、たのしい?」
「・・・」首を横に向ける

私は、この子を抱っこしたままゆらゆら一回り、
両手で「たか~いたか~い!」をしてあげました。、
次に一旦ベッドに下ろした後、肩車をしてあげました。
終始、この子は喜んでました。
もちろん、嘔吐など、発生しません。

「今度はパパの首に乗ってみますか?」

「うん」

「お父さん、乗せてあげてください。」

お父さんの首に乗って、この子は大喜び。
両親も、不安が消えたのか、満足げ。


これで診断がつきました。
こんなに物理的外力を加えても楽しくしているのは器質的疾患ではありえない。

更に話を聞くと、
無理して東京に住んでいるものの、父親は仕事や接待、母親は家事と第2子の世話で手一杯、そういえば、1年待ってようやく保育所にあずかってもらってからという。

「お父さんお母さん、これから30分ずつ合計1時間、この子と男の子を交代で胸に抱っこして、院内をぶらぶらして楽しく過ごしてください。この子がもういいといった時点でOKです。
その間は症状はきっとおきないでしょう。
そしたら、院内食堂で、昼食を食べてください。
決しておいしいものはありませんが、美味しく召し上がれることでしょう。
その間に、会計が終わっているかもしれません。
なにかあれば、会計時に申し付けてください。」


病気や症状の原因について、まとめてあげた。
「健康な人でも、嘔気・嘔吐は、臭いにおいや、エロ・グロを見るだけでも発生します。
喧嘩を見たら胸が痛くなります。嫌なことが周りに繰り返されたりして喘鳴が起こります。
全身どこにでも痛みや拒否反応・防衛反応(下痢・咳・たん・喘鳴など)は起こります。
多くは、自分の満たされないことへの渇望や、思い通りにならない対象に対する攻撃として、よくある身体表現ですね。これらは子どもに限らず、言語表現・コミュニケーションが未熟な大人でも頻繁に見られることで、多くは病気と勘違いされてます。」・・・
「まあ、40~50年前までには、あり得ないことだったでしょう。」

喜んで診察室を出ていった家族3人。

基本的なスキンシップさえあれば、無駄な労力・時間・医療費(東京都をはじめ、ほとんどの自治体で補助があって本人負担は無料だから、すなわちすべて他の人の払った税金と保険料)をドブに捨てるようなことにはならなかったでしょうに。
精神的負担も大きいのに。

まあ、そんな社会であるが、これが現実である。
しかしながら、こういった患者さんを排除していると、本当に救命しなければならない患者さんを救えなくなってしまう。
例を挙げればきりがない。有料化が検討されている救急車もその一つだ。
救急車が、少数ではあるが本当に必要不可欠な患者さんを搬送できている背景には、救急医療が本来不要な軽症の患者(搬送数の約半分にも及ぶというデータもある)をも、多くは断らずに搬送しているからである。税金の無駄遣いと指摘されても仕方がないだろうけれど。


いうなれば、こういったことも、平和国家・民主主義の「コスト」といえる。
こういった「コスト」のために血税が投入されている。
よその国ではめったにあり得ないこと。
我が国・日本は、なんといういい国・恵まれた社会なんだろう。




その後、1~2時間待ちの患者3人、診察を終えて、オペ室へ気が急ぐ。

そしたら、もう一人も診てくださいって・・・
5歳の男児の受信依頼。
もう12時45分。
午後1時には手術が始まる。
既に患者は手術室に入ったと連絡が入った。

(・・・ひとり、臨時で受ければ、もう一人ってか・・・。なめてんじゃあないよ・・・)
「私は専門外の門外漢です。さっさと翌日の小児科外来へ案内・誘導してください。」

ところがそういうと、議員と院長先生のひもつきだった。
(・・・それがどうした?・・・)
どうしてもみてくれという
「手術が夕方5時までに終わったら、特別に診てあげましょう。」

ピッチが鳴って、どうしても手術前に診てくれと別のスタッフから連絡がはいった。

「私はクビになってもいい。これで私の気分が悪くなって嘔吐して、手術が中止になってもいいのか。次の手術は自家麻酔(麻酔科医不足のため自科で麻酔も担当する、つまり専門の麻酔科医が担当しない手術)だってこと、院長もご存じだろう。
それに、説明をしないからっていうだけで

訴訟にもなりそうな世の中なのだ。」




 

さらに、クラークを通じて食いついてくるため、
「・・・安倍総理大臣に、告訴でもしたまえ。・・・」

クラークにそう告げて、食堂へ急ぎました。
ところが食堂は満席で順番待ちの行列。







まあ、こんなことは日常茶飯事。

 

ついに、私は転職を決めました。

 

無理やりまわされてくるので仕方がないが、精神科でもないのに、こういった異常所見なしの患者を診るたびに、医療費の無駄遣いに加担させられている思いになる。

それが怒りとなり、税金を払っている国民にも申し訳なく、常に医師としての良心の呵責に絶えない。
このための医療資源の浪費も膨大である。

この際、いっそのこと贖罪の意味も込めて・・

 

 

 

 

これ以外にも、多くのきっかけがありますけど・・・。

俗衆増上慢も加担しているか?

 

私を本当に必要として待ってる人は他に多くいる。

必ずいる。

その人のためにこそ、力を尽くさなければならない。

そして、その一人が、すでにオペ室で待機している。


腹ペコなんてどこへやら。
本能的にオペ室へ足が動く。
当然に様々な危険を伴っている。





オペ室に入ると、すでに患者が入っていて、モニターその他がつけられ、バイタルも安定、スタンバイの状態であった。

「○○さん、今日は待ちに待った手術です。
最初に硬膜外カテーテルを挿入します。
これは、昨日説明したとおり、手術での麻酔と術後の疼痛緩和に使うものです。麻酔薬などが少なくて済みます。」

右側臥位にて、第11・12胸椎間より硬膜外カテーテルを挿入。
その後、仰臥位になっていただき、

「これから、すぐに眠たくなります。
目が覚めたら、手術は終わっています。」

オペ台の患者さんは遺言のようにささやいた。
「先生、手術中に万一のことがあったら、麻酔を覚まさないでくださいね。
私、そのまま天国に行きたいから。」
「分かりました。そのときは、私もあとから必ず行ってオペの詳細を報告いたしますから、先に天国に行って待っていてください。」

確かに、全身麻酔の体感時間は一瞬である。
寝ているうちにすべてが終わる。
万一、トラブったら、そして助からないんだったら、下手にICUで目覚めてしまうよりもそのまま寝たままの方が楽に違いないし、それを分かっているからこその話。
ただ、積極的安楽死は、我が国では許されない。

そんな事情も分かってか、こんなジョークを言える人。
固い絆があればこその会話。

その後、数々の難所はあったが、第3群リンパ腺郭清+胃全摘膵脾合併切除(絶対的根治術)を完遂できた。
出血量300ml、輸血なし、

麻酔覚醒も早かった。
気管チューブを抜管したら、まだ酩酊状態だけどすぐに、
「先生、有難うございました・・・」
「手術はうまくいきましたよ。」


疲れたけど、
言いようのない達成感。
医者冥利につきるねえ。


その後医局で一服してたら、午後5時ごろ、先ほどの女の子と両親は、喜んで会計を終えて帰っていったという報告が入った。
そして、数日たって、この両親から、お礼のメールが届いた。
まあ、こういうのも、専門外なのですけど、医者の冥利につきますねえ。

 


仕事がうまくいって、ありがとう。

今日も様々な困難をのりこえて、

いい患者さんがいたから、いい医療ができた。

いいスタッフに恵まれてたから、いい仕事ができる。

ありがとう。

ありがとう。

ほんとにありがとう。









第二章

ところで、いつまで暑い日が続くのか。

大雨で甚大な災害、記録的猛暑日の連続、そしてまた台風がやってきて、

また今日も猛暑である。

大自然は私たちに数々の脅威を示す。
なぜ?

なぜなのか?

 

でもそんなこと、天の気分なので、わからない。
いわば、地球の事情。
私たちはここに住まわせてもらっているわけだから、本来はありがたく思わなければならないもの。

阪神大震災に遭遇・被災して、恐ろしい目にあった私は、首都直下型地震に備え、自分の体、とくに足を鍛えているけど、
そもそも地震だって、自然災害だって、そこに居合わさなければ、被ることもないし、関係することもない。
台風が海の上で波を荒立たせても、泳ぐ魚は、鳥に食べられることがなくなるから、喜んでいるに違いない。
まったく地球の事情。地球の勝手。

かえって、地球の身になってみたら、地球は、人類の野放図な占拠の在り方に対して、穏やかに思っていないに違いない。
だから、天災地変がおきるのかも。

考えてみればそう、天災地変は、そこをたまたま選んで住んでいたから直面するもの。
誰も住んでいないところに地震や嵐が起こったって・・・

だから、すべては自分自身の選択し行動した結果。
つまりは、宿業の繁栄。
善い業を積んでいた人は、危機的な自然の変化にも最良の選択をできるもの。

 

大自然の摂理・仏法からみれば、
普段から悪い業を積み続けている人は、ありきたりの自然環境の変化についても、好ましくない選択をし続ける。(乱開発、地域紛争、環境汚染、生活習慣病、その他)

今の日本、雨風をしのげず、食べるものもないという人は稀にしかいない。

いま、住まわせてもらっているまわりの、すべての恵み・・・
太陽、空気、水、食べ物、
社会環境、地面、治安、地域、社会制度などの助け合い、・・・
ひとつひとつ、全てが、ありがたいもの。

感謝。
感謝。
本当に感謝。

 



 

 

これができなくて、現状が当然・当たり前と思っていると、この豊かな環境にいながら、豊かさを実感できず、目先の不満ばかりに、終始毎日目を奪われ苛まれていくことになるだろう。

私は、幼少時代から、貧乏で、10円のお金がなくて、パンの耳を食べ、狭い安普請のアパートに家族で暮らした。

結婚しても衣食住に苦労したから、いまの自然環境・社会制度がとても恵まれていると思う。

だから、何か月分でもタダ働き状態であっても、恩返しができると感謝してきた。

 

一円のカネ、一滴の水、一粒の米の無いことに泣いたことがないと、それがあるという「豊かさ」を実感できない。

それが当たり前・それで当然と思い込んだままである。

周りを見ると、
殆ど全ての不平不満は、他の大勢の人が持っているにもかかわらず、自分には与えられていないことから発している。

富や景気を飽くことなく追い求め、現状を満足・評価することを知らない。
これが、豊かであるにもかかわらず、幸福度が低い我が国の現状である。



病気で手術を受けた患者がもれなく感じる、健康であることの有り難さ。

私たちは、失わなければありがた味がわからないことが多すぎる。


国家予算をみると約三分の一以上が借金だという。

私たち国民は、身の丈に応じた暮らしに比べて50%以上も背伸びをしながら暮らしていることになろう。
これで当然・当たり前と、多くの人が勘違いしている状態だろうか。

貧困の論議も相対的。

医療や教育現場の荒廃、人権や社会体制の在り方に関する論議の内容など、世論のほとんどをみれば、このことを示唆している。

足が丈夫にも関わらず、みんな自家用車に乗って近くに買い物に出かける。

金や友人に困っているかどうかは問わず、小学生が高価なスマホを操作している社会。

家族とテーブルに向き合っている時間も、みんな、会話よりもスマホ。

その一台一台のスマホにも、
ワクチンがなくて失われる命、多くの学校にいけない子供たち、飢餓や紛争で多数の命が失われている現状、世界の貧困・窮状・惨状が、瞬時に届くはずであるが、・・・。




そして、こうして地球は食いつぶされつづけていくのではないか。


地球も、危機感をつのらせているのではないか。


たとえば、自分の体のなかで、野放図に増殖する生物が寄生しているのが分かったら、けっして穏やかではないだろうし、排除しようと行動するのは当然の成り行きだろう。

私たち人間が、がんや肺炎や生活習慣病になったときは、「治療」という行動で対処し、病原体を排除する。


人類による地球温暖化は前世紀から加速されているという。

こうした天の気分による地面や空気の変化は、地球が取り得る行動も、地球自身が「治療」に取り組んでいるのかもしれない。

天変地変は地球の生理的な療養ということになろうか。


こうして考えてみると、いま、住まわせてもらっているまわりの、すべての恵み・・・
太陽、空気、水、食べ物、
社会環境、地面、治安、地域、社会制度などの助け合い、・・・
ひとつひとつ、全てが、ありがたいもの。

感謝すべきものなんだ。

 

そして、地球環境を最も大切にすべきなのではないか。

環境破壊・温暖化につながることを各自が控えていかなければならないのではないだろうか。

天災地変は、地球からの重大な警告のひとつなのだろう。

 

こういったことができなくて、やりたいことをやって当たり前と思っていると、終始毎日、目先の不平不満ばかりに目を奪われていくことになるだろう。
この豊かな環境にいながら、豊かさを実感できないまま、人生が終わる。





そもそも、夥しく存在する生物の中で、文化的生物である人間として生まれてきたことのみをもって、有り難いことではないか。



人身はうけがたし爪の上の土・・・

人間として生を受けるのはめったにない稀なこと、その確率は、大地の土に比べたら爪上に乗る砂粒くらいである。


がむしゃらに働いていて、うつ病になっていたときは、深く考えることはほとんどなかった。

けど、人並みに休憩するようになったら、こういった当たり前のことに感謝できている。


こうして記事をアップできて、お読みになってくださる皆さんがいて、

ありがとう。

 

今日もいい仕事ができて、ありがとう。

大自然よ、地球よ、ありがとう。

感謝。
感謝。
ほんとに感謝。


大自然のため、地球のために、できることを積み重ねていこう。

それは、小欲知足、報恩感謝、くわえて、使命完遂・広宣流布





第三章

仏教の参考文献
以下、文献は黄色の文字私風現代語訳を緑の文字で、つけました。

立正安国論の冒頭部分である。(日蓮大聖人御書全集P17~)
科学技術が進歩した現代でも、人々の有様、苦悩の量は、この時代と変わらないようだ。

旅客来りて嘆いて曰く 近年より近日に至るまで天変地夭・飢饉疫癘・遍く天下に満ち広く地上に迸る牛馬巷に斃れ 骸骨路に充てり死を招くの 輩既に大半に超え 悲まざるの族敢て一人も無し、 然る間・・・

若くは万民百姓を哀んで国主・国宰の徳政を行う、然りと雖も唯肝胆を摧くのみにして弥飢疫に逼られ 乞客目に溢れ死人眼に満てり、臥せる屍を観と為し並べる尸を橋と作す、観れば夫れ二離璧を合せ五緯珠を連ぬ 三宝も世に在し百王未だ窮まらざるに此の世早く衰え其の法何ぞ廃れたる是れ何なる禍に依り是れ何なる誤に由るや

旅人がやって来て嘆きながら言う。
ここ数年から今日まで、天災地変が天下の至るところで起こり、飢饉や伝染病が地上に席捲している。牛や馬が町や村の小道で行き倒れ、骸骨が大きな道路に満ちている。亡くなった人はもはや半数を超えるというありさまで、悲しまない者は実に誰一人としていない。なのにその間・・・
国民・労働者を哀れんで、一国の主や地方官がいわゆる善政を行ったりしている。しかし、ただ憂慮を深くするだけであって、ますます飢饉や伝染病に責められ、物乞いをする人はいたるところで目につき、死人を見ないことがない。遺体が積み重なって見物台になっていて、遺骸が並べると大きな橋になる。よく考えてみると、日も月も壁のように欠けることなく輝き、五つの惑星も珠のように美しく輝いている。また仏法僧の三宝もこの世に厳然とあり、八万大菩薩の守護が終わる百代目の天皇にまで至っていないのに、今の世の中は早々と衰退し、仏の教えはどうして廃れたのか。これはどのようなとがめにより、これはどのような誤りに由来するのか。(私風現代語訳)



この答えの部分は、以前の記事にも紹介いたしました。

既に捨離し已りなば 其の国当に種種の災禍有つて 国位を喪失すべし、 一切の人衆皆善心無く唯繋縛殺害瞋諍のみ有つて 互に相讒諂し枉げて辜無きに及ばん、 疫病流行し彗星数ば出で 両日並び現じ薄蝕恒無く 黒白の二虹不祥の相を表わし 星流れ地動き井の内に声を発し 暴雨・悪風・時節に依らず常に飢饉に遭つて苗実成らず、 多く他方の怨賊有つて国内を侵掠し人民諸の苦悩を受け土地所楽の処有ること無けん・・・

捨て去った後では、その国には種々の災害があって国王は地位を失うだろう。民衆は誰一人として善を貫く心が無く、ただ拘束・搾取・殺害・対立紛争ばかりがあって、互いに自分勝手な主張をして、悪事をしない人に罪をかぶせるだろう。
伝染病が流行し、不吉な彗星が何度も見られ、二つの太陽が並んで現れ、日食・月食がみだりに起こり、黒い虹や白い虹が不吉な前兆として出現し、星が流れ地が動き、井戸の中から音がし、季節はずれの暴雨・悪風が発生し、常に飢饉になって作物は実らず、外部の敵対者に侵略され、国民は様々な苦悩を受け、その土地には望ましい場所がなくなるだろう。・・・(私風現代語訳) 

 

 

 

今此の文に就いて具さに事の情を案ずるに 百鬼早く乱れ万民多く亡ぶ 先難是れ明かなり後災何ぞ疑わん・若し残る所の難悪法の科に依つて並び起り競い来らば其の時何んが為んや、
帝王は国家を基として天下を治め 人臣は田園を領して世上を保つ、
而るに他方の賊来つて其の国を侵逼し 自界叛逆して其の地を掠領せば 豈驚かざらんや豈騒がざらんや、 国を失い家を滅せば何れの所にか世を遁れん
汝須く一身の安堵を思わば 先ず四表の静謐を祷らん者か、


今、この文に即して詳しく事態の本質を考えてみると、百鬼はすでに乱れ、万民は多く亡くなっている。
先に起こる災難は、明らかにすでに起こっている。
後に起こる災難をどうして疑うことができるだろうか。
もし残りの災難が、悪法を用いた罪によって一斉に起こり先を争って到来するなら、その時はどうすればよいのだろうか。
 帝王は国家を基盤として全国を治め、臣下の者は田園を領有して世の中の安穏を保つものである。
しかし外敵がやって来てその国を侵略し、内乱・反逆が起こってその地を支配下に置くなら、どうして驚かないことがあろうか。どうして騒然としないことがあろうか。
 国家が滅亡してしまったら、世を逃れるといっても、どこにいることができるだろう。
自分の安心を考えるなら、あなたはまず社会全体の静穏を祈ることが必要ではないのか。

 

 

 

広く衆経を披きたるに専ら謗法を重んず、
悲いかな皆正法の門を出でて深く邪法の獄に入る、
愚なるかな各悪教の綱に懸つて鎮に謗教の網に纒る、
此の朦霧の迷彼の盛焔の底に沈む 豈愁えざらんや豈苦まざらんや、
汝早く信仰の寸心を改めて 速に実乗の一善に帰せよ、
然れば則ち三界は皆仏国なり 仏国其れ衰んや
十方は悉く宝土なり 宝土何ぞ壊れんや、
国に衰微無く土に破壊無んば 身は是れ安全・心は是れ禅定ならん、
此の詞此の言 信ず可く崇む可し。


 多くの経を幅広く参照すると、謗法が何よりも重大な根源となっている。
なんと悲しいことだろうか。皆、正法の門を出て邪法の牢獄に深く入っているとは。
なんと愚かなことだろうか。めいめいが悪教の綱に懸かったまま、謗法の網に纏わりつかれることは。
朦朧ととりまく霧に迷い、燃え盛る炎の地獄に沈む。
どうして憂えないでいられるか、どうして苦しまずにいられるか。
 早速、あなたはわずかながらの信仰の心を改めて、速やかに成仏の道である唯一の正しい法に帰依しなさい。
そうすれば、あなたの現実の世界すべては皆、仏の国となる。
仏国がどうして衰えることがあろうか。
あなたの四方八方はことごとく宝土である。宝土がどうして壊れることがあろうか。
国が衰えることがなく地面が壊れることがないから、身は安全であり、心を振り回されることはないだろう。
この言葉。この言葉をよくよく信じ敬わなければならない。(私風現代語訳)






客の曰く、
今生後生誰か慎まざらん誰か和わざらん
此の経文を披いて
具に仏語を承るに誹謗の科至つて重く毀法の罪誠に深し
我一仏を信じて諸仏を抛ち三部経を仰いで諸経を閣きしは、
是れ私曲の思に非ず 則ち先達の詞に随いしなり、
十方の諸人も亦復是くの如くなるべし、
今の世には性心を労し来生には阿鼻に堕せんこと文明かに 理詳かなり疑う可からず、
弥よ貴公の慈誨を仰ぎ 益愚客の癡心を開けり、
速に対治を回して早く泰平を致し先ず生前を安じて更に没後を扶けん、
唯我が信ずるのみに非ず又他の誤りをも誡めんのみ。


 旅人はいう。
 今世も来世も、誰が身を慎まないだろうか、誰が心穏やかだろうか。
 あなたの示されたこれらの経文を学んで仏の言葉を十分了解すると、誹謗はきわめて罪が重く、法を謗る罪は誠に深い。
私は阿弥陀仏だけを信じて諸仏を抛ち、浄土の三部経を仰いで諸経を閣いたのは、自分の意志ではなく先達の言葉に随っただけである。
全国の人々もまた同様であろう。
今世には仏性の心を消耗させ、来世には無間地獄に堕ちてしまうことが、これらの経文で明らかであって、もはや疑うことはできない。
 あなたの慈悲の教誨を仰ぎ、私の愚かな心をますます開くことにしよう。
速やかに謗法を滅する取り組みを始め、早急に平和社会を実現し、まず生前を安穏なものとして、さらには死後のために善根を積むようにしよう。
ただ私だけが信じるだけでなく、他の人々の誤りをも制止していこう。(私風現代語訳)





 

 

 

もうひとつ。
恵まれたモノのありがたさを説かれた部分です。

白米一俵御書(日蓮大聖人御書全集P1596~)

白米一俵・けいもひとたわら・こふのりひとかご・御つかいを・もつてわざわざをくられて候

 

白米一俵・毛芋一俵・河海苔一籠、わざわざ使いを立てて送っていただいた。

人にも二つの財あり・
一には衣・二には食なり・
経に云く「有情は食に依つて住す」と云云文の心は生ある者は衣と食とによつて世にすむと申す心なり、
魚は水にすむ水を宝とす・木は地の上にをいて候・地を財とす、
人は食によつて生あり食を財とす、
いのちと申す物は一切の財の中に第一の財なり、
遍満三千界無有直身命ととかれて三千大千世界にみてて候財もいのちには・かへぬ事に候なり、
されば・いのちはともしびのごとし・
食はあぶらのごとし、
あぶらつくれば・ともしびきへぬ・
食なければ・いのちたへぬ、


 人間には二つの財がある。一には衣服、二には食物である。
経文にも「有情は食に依って住す」と説かれている。
その意味は、生命ある者は食べ物を食べ衣服を着てこの世に住んで生きていくというのことである。
魚は水のなかで生きていくゆえに水を宝とする。木は地の上に生えるゆえに地を財とする。

人間は食物によって生きるゆえに食物を財とするのである。
 生命というものは一切の財の中で第一の財である
「三千界に遍満する全てのモノも、身命と同じ価値のものは存在しない」と説かれている。

大宇宙全てを埋め尽くす財宝であっても、生命に代えることはできない。
それゆえ生命は灯火のごとく、食物は油のようなものである。
油が尽きれば灯火は消える。

食物がなければ生命は絶えてしまうのである。(私風現代語訳)


爾前の経の心は、心より万法を生ず、譬へば心は大地のごとし・草木は万法のごとしと申す、
法華経はしからず・心すなはち大地・大地則草木なり、
爾前の経経の心は心のすむは月のごとし・心のきよきは花のごとし、
法華経はしからず・月こそ心よ・花こそ心よと申す法門なり。


 法華経が説かれる以前の経の意は「万法は心から生ずる。譬えば心は大地のようであり、草木は万法のようである」ということである。
法華経はそうではない。「心がすなわち大地であり、大地がすなわち草木であるということである。
法華経が説かれる以前の経々の意は「心が澄むのは月のごとく、心が清いのは花のごとし」ということである。
法華経はそうではなく「月がそのまま心、花がそのまま心である」という法門なのである。(私風現代語訳)






此れをもつてしろしめせ、
白米は白米にはあらずすなはち命なり


このことから分かること、知ってください。それは、
あなたが御供養された白米は単なる白米ではなくて、

あなたの命そのものなのである。(私風現代語訳)