上か下かで言えば下の僕 | Double Peace:)

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DV家庭育ち/見た目はすごく元気(実は心の病気持ち)/スポーツ大好き/実生活では言えない本音/親の退院後の手助け/大好きな人と心から健康に笑顔で生きていくのが夢/初めての方はプロフィールとメッセージボードを読んでいただけたら嬉しいです:)/2023.10.22 blog start

元々応援してるチーム以外でも

個人的に注目してる選手の試合は

さすがに現地までは行けなくても

ネットで見たりも前はしてたけど、


今はそんな気力も

なくなってしまったなと感じる。



昔から応援してるチームでさえも

その試合時間に家にいても

ゆっくり試合中継を見られるような

状況やない場合も多々あるし


そりゃ現地に応援に行けたら

一番嬉しいけどそれが無理でも

その試合時間くらいは

家でも楽しんで試合見られたら

いいのになぁと思ってしまったり。



スポーツに限らず、好きなこと全般

最近は心にもやがかかったように

何かを楽しむのが難しくなってる。


心の病気になってからは

波こそあっても大体基本的に

そういう鬱屈とした感覚は

ずっとあるんやけど、


ここ数年は特にその感覚が

強くなって苦しく感じられる。



時間的、状況的になかなか

そういう楽しみを持てないという

日常をずっと過ごしてると

やっぱり心も落ち込みやすい。


それを見せないように表面的には

何とか明るく笑顔で過ごしてるけど

心の病気になる前は別にいちいち

無理してそう振る舞わなくても

僕はそういう人間やったはず。


(家ではいつも親の望む言動に

神経をすり減らして無理してたけど)



DV親は

“自分が楽しむのは当然の権利、

でも家族が楽しむのは

自分が特別に許してやってること”

という歪んだ考えの持ち主やし、


非DV親は

“人生の中で仕事や家事や

身内の人間関係は絶対的に

しないといけないことやけど、

それ以外は贅沢でわがまま”

という思いが常にある感じ。



「自分たちが若い頃に比べて

便利になった今の子たちは

全てにおいて恵まれすぎ」とか


「ラケの周りでいくら

趣味を楽しんでる人がいても

それは普通ではないからね?

我慢して暮らすのが普通」


というようなこともよく言われる。


(今の時代やからこそ大変なことも

面倒なことも複雑なことも

沢山あると僕は思うし、


趣味を楽しむために

普段の生活を頑張って

趣味で心や体を回復させるのは

何もおかしくないはずよなあ)




前にも僕が数時間だけ

自分の趣味で出かけてる時に

DV親が不機嫌に脅迫のメールを

送ってきて途中で帰る羽目に

なったことも何回もあったし、


DV親が荒れたら有無を言わさず

帰らないといけない、

予定を変えてもそれは当たり前

という当然の空気が常にあるから


仮にうまく出かけられたとしても

その予定を最後まで楽しめる

保証はどこにもないんやけど、


家にいても家事に追われながら

「もし今日〇〇(趣味関係の場)に

行けてたら今頃こうしてるかな」

「ほんまは行きたかったな‥」

「時間的には今から行っても

充分間に合うな」とかついつい

考えてはモヤモヤしてしまう;



それでも、非DV親の入院中に

DV親にひたすら暴言を吐かれたり


DV親は普段の生活の自分のことも

非DV親に任せっきりな部分も

沢山あるから普段と違う状況に

ストレスが溜まって暴れたりして

本当に大変やった時期を思い返すと


今は今でしんどいこともあれど

あの頃に比べたらまだいいと

思わないといけないとは

分かってるつもり。



ただ、やっぱり本音を言えば

心を休ませたり解放する機会が

とても少ないというか

限りなくないに近い中で、


今の生活をうまく回していくのは

本当に大変で心にも体にも

大きな負担がかかるのを感じる。



燃料がないのに毎日無理やり

相当な距離を走らされてる

ほんまは修理が必要な

ポンコツ車みたい。


こういうことを言える場所自体

実生活にはないもんな‥。


★★


この前、雨の日に出かけたDV親が

「帰りしんどいし迎えに来て」と

言ってきて色々と心の中では

思うこともありながらも


後々暴力的なことをされる方が

ややこしいから我慢して

迎えに行った話を書いたけど、


今日は雨が上がる予報やったのに


「思ったより荷物が重いから

迎えに来てほしいけどもし

来たくないなら来んでもええで?


ラケが決めてくれたらええわ。


(=どうするかはラケに任せるけど

もし来なかった場合不機嫌に

暴力的なことされる覚悟は

あるんやろうな?)」


と言われたから非DV親とも

話し合ってやむなく行くことに。



不機嫌→暴力的な行為→脅迫という

一連の武器をDV親は持ってて

日常を思い通りにするために

その手段を徹底的に使い倒す。


本当に卑怯な人やと思う。



非DV親に

「自分は迎えに来いと言われても

一人では行かれへんからどうしても

ラケに頼むしかない。

頼むしかない方も辛いんやで?」

と言われてそれも確かに

そうやろうなと思うんやけど、


非DV親が病気になるまで

本当はDV親が自分でするべきことを

機嫌とかに関係なくあまりにも

普段から何でもしてあげてたのが


DV親にとってはずっと

当たり前になってるように思えて、


だから非DV親が病気を経験して

状況が変わってからも


何でも思い通りになって当たり前

本来自分がするべきことも

家族に頼って任せて当たり前


になってしまってる気がする。



暴力的なことが怖いから

というなら解るんやけど、


非DV親の昔の話を聞いてる限り

暴力的なことをされる前から

何でもしてあげすぎたというか


一回その例を作ってしまったら

「あの時こうしたんやから今回も

そうしてくれないと納得しない」

という特性が強いDV親にとっては


その例以外は絶対に嫌、

というこだわりが強く出るから


非DV親が病後それまでよりは

できることに制約ができてからは


その分も全て僕がカバーせざるを

えない状況になってしまってる。



それでも非DV親からも


「自分ができたら何でもするのに

できひんから全部ラケがせざるを

えなくなって悪いなと思うけど、


〇〇(DV親)のためにしてあげられる

というのも幸せなんやで?」


となぜか不機嫌に

説教みたいなことをされてしまう;



DV親は、外で関わる人で

特に自分を良く見せたい人

(といえばほぼ若い異性)には

無理してでもいい人っぽく

振る舞うけど、その歪みを

家族に容赦なく撒き散らす。



非DV親は基本的には穏やかで

静かでトラブルとは無縁の性格。


特に親とかきょうだいとか

身近で年上の人にはかなり従順で

意見を言うこともなく自動的に

何でも相手の言うことを

受け入れがちやから会社とかでも

ものすごく無難に過ごしてきた

タイプなんやろうなあと思う。



非DV親は大きな問題のない

一見幸せな家庭に育ってるけど

親には絶対意見できない環境でも

あったみたいやから


僕に対しても“親は絶対”

“自分の意見は聞き入れられて当然”

と思ってる節がある。



僕は、DV親からも非DV親からも

下というか、思い通りになる人やと

思われてるんやろうなと感じる。



僕は四捨五入したらこれまでに

20回引っ越しててそれはそれは

その町ごとによく見ないと分からない

人間関係の流れがあった。


学校や幼稚園でボスみたいに

君臨してても人を威圧してるだけで

人としては見習えないなと思う子も

沢山いたし、この人たちとは

最低限以外関わらない方がいい

という空気も何となく察知してた。


逆に、クラスで目立たなくても

この子はすごく尊敬できるとか

この子は本当に素晴らしいなと

感じる子たちも何人もいた。



そりゃこんだけ転園転校したら

そういう人間模様も学習するやろ!

と自分でも思うけど、


大人になって改めて家族関係、

親戚関係、会社など仕事関係の

人間関係を見た時に


人間関係の基本ってあの当時に

学んだことと大して変わらへんやん

とすごく実感してしまう。



きっとちょっと見ただけでは

分からない上下関係、主従関係。


その世界の中では当たり前のように

見えることが必ずしも正しくて

健全やなんて分からない。



転校ばっかりの生活は本当に

安心して息もつけない

大変な子ども時代やったけど、


身内から知り合いまで人を

中身までよく見つめる術は

間違いなくそんな生活の中で

身についたものなんやろうな‥。



僕はめんどくさいほど

小さい時から中身が大人すぎて

子どもの頃を思いきり楽しむことは

できなかったけど、当時の苦労が


今冷静に周りを分析する能力に

結びついてるのかもしれない。


そういう周りの微妙な関係性に

気づいたところでどうしようもない

部分も沢山あるのが悔しいけど。



家のことでこれは明らかに

おかしいなと思うことがあっても

DV親の凶暴性を知ってるだけに

じゃあ僕も衝動的に逃げる

というわけにはいかないし、


考えれば考えるほど

表面上は逃げるギリギリまでは

普通に何事もなく接しといて

もう色んな面での準備ができてから

一気に実行する選択肢が最良


というか安全面を考えたら

それしかないという答えになる。


★★


最近の僕が、すき間時間にコツコツ

自室でやってた作業に使ってた

無印の折りたたみの定規が


ニコが前に住んでた町で買った

思い出の物やから使う度に

その頃のことを思い返してる。





家の用事でその県に行ってても
駅ビルにいる時とかに
「ニコもこの町におるんよなぁ」
ってそれだけで幸せになれたり
心があったかくなったり。

今はあの頃に比べてすごく
近くなったけど、その時に感じた
気持ちはこれからも忘れずに
いたいなとよく思う。


今日は午後からの予定が
なくなったから少しだけゆっくり
心を休めていようかな‥。