あの行動のその後 | Double Peace:)

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DV家庭育ち/見た目はすごく元気(実は心の病気持ち)/スポーツ大好き/実生活では言えない本音/親の退院後の手助け/大好きな人と心から健康に笑顔で生きていくのが夢/初めての方はプロフィールとメッセージボードを読んでいただけたら嬉しいです:)/2023.10.22 blog start

機能不全家族で育った人は

どうしてもそういう特徴を

持ちやすいのか、それとも

僕の個人的な問題なのかは

分からないんやけど、


とにかく人を信用できない、

信頼できないというのが

子どもの頃から心にずっとある。



初めからここまで以上

親しくなる必要はないと思える

人たち(仕事関係とか)には


元々そんな深い関わりを

求めてるわけやないし

うわべさえうまいことやってれば

いいかなーと思うんやけど


趣味とかの個人的な知り合いと

ある程度以上親しくなっても

僕は相手を信じるのが苦手。



例えば、「ここだけの話やけど」

とか絶対にできないタイプ;



“ここだけ”のはずの話が

知らない間に自分が管理できない

どこか遠い所にまで広まってる

というのはよく聞く話やし、


そうやって広まって困ることは

初めから自分の口から外に

発さないように気をつけてる。



人から相談されたことや、

言わないでと念を押されなくても

これはもし広まったらまずいよな

と思うことも安易に言わない。



だから、いきなりそうなった

というわけではないんやけど、


春にニコのとある行動で

僕が傷ついたという

出来事があってから


本当はニコには関係ないことでも

ニコの仕事場の話であんまり

良くない話を少し見聞きしただけで


「ニコは関係ないよな‥?」

「ニコはそんなんするわけないし」

「でもな‥あのこともあったしな‥」


と前よりも心の中では

疑ってしまうことが増えた気がする。



その行動というのも

僕にとってはとても傷つくものでも

世間一般で考えたらすごく

問題があるとかでは全くなくて、


ただ僕のこれまでの人生の中で

それに関することがトラウマで

すごく苦しい記憶として

刻まれてるから心に打撃を受けた

というだけで(僕からしたら

決して“だけ”ではないんやけど)


だから僕がその後

おそらくそれまでなら

そういうものを見聞きしても

気にもしなかったことを


「ニコはそんなんしてへんよな」

「いくら何でもするわけないよ」


と必死で毎回心で打ち消すくらい

ニコを信じきれずに勝手に

苦しんでしまってるのは


このブログには書いても

実生活では誰にも言ってない。

(言えない)



僕は完璧主義を常に求められる

家庭環境で育って、

何をするにも親のジャッジを

すり抜けられること以外は

一切ダメという状態で

小さい頃から生き抜いてきた。


それが普通やなんて思わないし

遥かに自由な環境で育った人も

沢山いるのも分かってる。



ニコを見てて、わぁ自由やなー!

とはそんなに思ったことはないけど


少なくともぎゅうぎゅう詰めの

僕の育った環境に比べたら

自分の気持ちや考えも抵抗なく

親に言えたんやろうし、


これまでに何回か聞いてきた

親の話を組み合わせてみると

ニコの性格や個性をよく解ってて

普段は黙って見守ってるけど

いざという時には的確に

アドバイスしてくれるような


明るくて優しくて温かい

両親なんやなと僕は思ってる。



それでも、僕にとって何か

引っかかることを聞く度に


「あの行動をしたニコは

もしかしたら僕が知らない所では

色々奔放に生きてるんやないか?」

とか


「僕のことを考えてくれてる?

と感じるその後の行動も

僕の勝手な思い過ごしで実は

そこまで誠実ではないんかも?」

とか


本来ならニコに全く関係なくても

同じ仕事場の誰かの話や

全然状況が違う似た職種の人の

話でも心穏やかではなくなる。



もちろん、僕も含めて誰もが

人間は完璧ではないし、


もしかしたらニコだって

その行動を後悔してるかもしれない。


そこまで深くは考えてなくても

「あぁ、自分のこの行動で

ラケくんは傷ついたんやなぁ」

というのを知って

そういうふうに思う人もいる

とは分かってくれたと思う。



僕にとっては本当に悲しかったけど

それが他の人にとっても

そうかどうかは分からないから、


僕もニコ本人には

その行動で傷ついたと伝えたけど

それ以外の誰かに話すことで

僕が実際に思ってるのとは違うふうに

回り回ってニコに届くのは嫌やから

その話は本人にしか話してない。



もしニコが僕にそれを聞いて

「はぁ?そんなことで傷つく?

意味分からん、めんどくさいな」

と思ったとしても、それは

それぞれの考えの違いで

仕方ないのかもしれないし、


僕はこれまでずっと自分をどんなに

傷つけられても「僕さえ我慢すれば

済むことなんや」で生きてきたから


“自分がこういう理由で傷ついた”

というのを相手に伝えたのも

たぶん初めてのはず。



今回のその僕の行動が

正しいか正しくないかは分からない。


でも、ニコには僕がそういう人

というのを知ってほしかったし、

少しでも理解してほしかったから

なのかなあとも考えたり、


まずはそう行動できた自分を

一つ成長できたと感じたし

まずは褒めたいとも少し思った。



それを伝えてからのニコを見てて

もしかしたら僕がこれ以上

傷つかないようにしてくれてるのか

と感じる行動もあるんやけど、


そうやと本人が言い切ってない以上

僕の想像でしかないから

思い上がった糠喜びには

ならないようにしようと感じたり


でももし多少でも僕のことを思って

そうしてくれてるなら

人はたとえ同じ経験をしてなくても

思いやれば解り合えるんかなとも

心に希望を持ったりもする。



確かにニコのその行動で

僕がとても傷ついたのは事実でも


じゃあそれ以外のニコの言動も

全て疑わしいとか偏った目で

見るのは良くないなとそこは僕も

反省しないといけないけど、


これまでの僕なら誰かの行動で

どんなに悲しい気持ちになっても

“僕が我慢すれば済むこと”の

一択やったことを思うと


春にあった出来事そのものは

すごく心に苦しみを感じたけど

成長させてもらえる機会でも

あった‥と考えるようにしてる。


ちょっと無理やりやけど。苦笑



人と関わるということは

それだけでもエネルギーが

要ることで、それが自分にとって

特別な存在やったりすると


他の人やとどうでもいいという

意味ではなくて、やっぱり特に

あれこれ悩んだり迷ったりも

してしまうんよなあ。



まず心の土台が

“家族でも誰でも人は信用するな”

でできてる僕やから余計にかな;


それでもいつの日か

僕がこの人は大丈夫やと思える

人のことだけでも信じられるように

なったらいいなと思う。



DV親が昨日ニコの話題の時に

「でも性格はええと思うで」と

言ってて、たまにはええこと

言うてくれるんやん!と思った。

(「でも」は余計やけど)


誰かを褒めることなんて

DV親はほとんどないから。



ニコはどっちかと言うと

いじられがちな人な気がするけど

DV親みたいな好き勝手生きてる人も

ニコの人柄は分かるんやなと思うと


僕も本当にニコを大好きなら

信じる気持ちを持ちたいなって。


★★


今日から7月。


1日ずつを丁寧に生きてるつもりでも

もう今年も下半期なんやと思うと

制限や制約が多い毎日でも

できる限り後悔なく生きないとなと

本当に思わされる。



僕なりに誠実に一生懸命

生きてるからどうか

笑顔の夏になりますように!!





好物やけどなかなか食べる機会が
ないとうもろこし(^_^;)

あと、夏になると毎年思うけど
海やプールに行きたい!!

昔はちょくちょく通ってた

スポーツ施設にプールもあったり

市民プールにも行ってたけど、


もう長いこと泳ぐ機会なんて

ほんまないんやもんなー‥。



地域的に全然意識しない人も

多いと思うんやけど

今日はびわ湖の日で、


水の連想から余計に

泳ぎたくなってしまった。笑