幸福のスイッチ | Double Peace:)

Double Peace:)

DV家庭育ち/見た目はすごく元気(実は心の病気持ち)/スポーツ大好き/実生活では言えない本音/親の退院後の手助け/大好きな人と心から健康に笑顔で生きていくのが夢/初めての方はプロフィールとメッセージボードを読んでいただけたら嬉しいです:)/2023.10.22 blog start

非DV親が親戚たちと会うのを

見送ってから僕はコンビニで

支払いの用事を済ませて


本当は写真プリントも

してきたかったけどデジカメの

SDカードを忘れて行ってたから

それはできずに今日数時間

一人で家にいる時に食べるための

アイスだけ買って帰った。



帰ってから何気なくテレビの

番組表見てたらBSで

「幸福のスイッチ」という映画が

あることに気がついた。


僕は自室にはテレビはないし

家のテレビといえばリビングに

1台だけやから僕が好きな番組を

見られるわけやなくて


基本的にはテレビは見ない。



仕事の合間にたまたま

誰かがつけてたチャンネルを

何気なく見てたりはあるけど、


どんな時間に今何の番組を

放送してるとかも全然知らない。



今日は珍しくちょっと

自分が見たい番組を見られる

機会があるから映画でも見るかと

その「幸せのスイッチ」を

見ることにした。





もしかしたら話題になったり
有名な映画なのかもしれないけど
僕は初めて知った。


和歌山の個人経営の電機屋さん
イナデンが舞台の作品で
主人公はその稲田家の次女の怜。

東京でイラストレーターしてて
でもお父さんの入院を機に
地元の和歌山に1ヶ月くらい
帰ってイナデンを手伝うことになる。


でも、お父さんは儲けは無視で
自分が売った商品に関することは
その後も一生面倒を見るという
商売の仕方を貫いてて、

おそらく昭和の時代には
イナデンみたいな所も結構
あったんかなぁと思うような店。


新品を買わせるより修理する、
買った電化製品の移動でも
無償でやってくれる、

というお客さん目線で言えば
助かるとは思うけど

実際自分が稲田家やったら
生活が心配やな、
大丈夫かなと不安になってしまう。


お父さんはお客さんには
そこまで?と思うくらい気にかけて
丁寧に親身になるんやけど、

家族には平気で悪態をつく。

たぶんこれがあかんのよな(°_°)


一回買えばその後の保証は
きっちりするというのは
何でも無料でしてしまうと
サービスとして成り立たない
という現状はあったとしても

商売としては相手の立場に立った
素晴らしいやり方ではある。


怜も「(父親が)大事にしてるんは
電化製品とお客さんだけ」と言う
シーンがあったけど、

外でだけいい顔するんやなくて
家族に対しても悪態やなくて
最低限でも気配りや感謝を
言葉にすればまた違うんやないかな。


僕から見たら
「暴力的なことがないだけましやん」
とも思うけど、家族でも何でも
人間関係がうまく回るためには

ありがとうとごめんはやっぱり
ちゃんと伝えないとなーと思う。


だけど、怜が社会に出てからも
お父さんに反抗的な態度を
取れるのはきっと心の中では
お父さんを心底は嫌ってないし

どこかで自分を理解してくれる
という希望を持ち続けてるから
そうしてるんやろうなって。


僕は一切DV親に怜みたいに
反抗的な態度を取ったことはない。

それは何も不満がなかった
というわけではもちろんなくて
暴力的な行為をごく普通とか
正しいこととも思ってなくて

ただもうこの人に何を言っても
理解はしてもらえないという
諦めの気持ちが強すぎたから。


だから、お父さんと怜の関係性は
一見反発してるように見えても
まだまだ希望が持てる。


それに、お父さんがイナデンで
無理に新品をお客さんに売ったり
蛍光灯の交換や電化製品の移動に
お金を取ったりしない姿勢と

怜が東京でイラストレーターとして
働いてる中でもう割り切って
自分が描きたくない絵でも
仕事のためにお金のために描く
ということはできないところは

何となく繋がってるというか
知らず知らずのうちにお父さんの
生き方をいい意味で引いてるんかな
と感じた。


昔同じクラスにいてその後
芸術方面に進学した子がいたけど
「自分が描きたい絵と
世間から求められる絵、
生活のために描かないと
いけない絵っていうのは違う」
と言ってたのを怜を見て思い出した。


ただお金を稼ぎたいだけなら
もしかしたら部品交換で直っても
もう直らないことにしてお客さんに
新品を買ってもらうような流れに
毎回すれば儲けは多く出るやろう。

でも、それやと
蛍光灯を交換してお客さんに
「人生が明るくなった」なんて
言ってもらえることもないし

おばあちゃんが大きい音で
テレビを見てるから耳が
聞こえにくいんやと気づけることも
ないんやと思う。


そうやってお客さんにありがとうと
思ってもらえることはお金では
買えないことなんよなぁ。


お金がないと生活できないし
ライフラインが止まるような
生活ではそれこそ商売もできない。

服とか食べ物とか生活する上で
買わないといけない物は誰もが
確実にあるし、それは必須の物。


それでも、人生の中ですごく
心に残ることの一つは人が
「ありがとう」とか
「あなたがいてくれて良かった」
とか思って伝えてくれること
なのかなとも僕は思う。


ニコはこれまでも僕に対して
本当に折に触れて“ありがとう”を
伝えてくれる人で、これまでに
何回もニコの“ありがとう”を
僕は心に受け取ってる。


僕はたぶんニコ以上に普段の生活で
ありがとうという言葉をよく使う。

当然ながらそんな僕はニコには
もっともっと“ありがとう”を伝える。


ニコが僕がそんなふうに伝えた
“ありがとう”をどんなふうに
受け止めてくれてるかは分からない。

でも、僕はそうやってありがとうを
日頃から何度でも心から
伝えたい人がいてくれるのを
本当に幸せに思ってる。


そんな時に心が温かくなる気持ちは
どんなにお金があっても買えない。


さすがに電機屋やのに電気を
止められたことがあるような
イナデンはまずいにしても‥笑、

人生はお金を稼ぐだけでは
決して幸せにはなれない
(お金を稼げたらそれで幸せと
思える人はそれでいいけど、
僕は愛も信頼も心が温かくなる
気持ちも大事にして生きたい)

というのはこの映画を見て
改めて実感したことでもあった。


普段全然テレビを見る機会もなく
映画に限らず何かをゆっくり
味わう時間もなかなかないけど、

今日みたいなことは
たまにでも必要やなとも思った。


あと、これは映画のテーマからは
めっちゃ外れるんやけど

怜が和歌山に帰ってきたら
普通に関西弁(和歌山弁)で喋るのに
東京の人と電話で話す時は
標準語で話しててその使い分けが

僕も転校生活が長かったから
ほんま分かるわ!!と思った。笑


関西人はどこに住んでも
関西弁を通すと思われがちやけど
他の子はどうか分からんにしても

僕は転校して住んだ先々の方言を
全部覚えてその方言を話したり

目上の人や慣れてない人には
発音まで標準語をマスターしたり

なじみの町から来た転校生と
同じクラスにいた時には
その子と話す時だけなじみの町の
方言で喋ったり区別してたなって。


映画の舞台の和歌山の
雰囲気も素敵やなって心に残った。

和歌山、親戚の仕事関係で
手伝いに行ったなー‥。苦笑


普段は映画はあんまり見ないけど
もし機会があればまた
色々見て心豊かに生きたい。

見るか迷ったけど、見て良かった◎


見る前に買ってきてたアイスも




おいしかった(*´༥`*)

空気の暑さももう夏やなぁ。

★★

DV親が自分でするべきことを

これまで結構非DV親が

あくまでも善意でしてあげてて


それをたまたま非DV親が

時間に余裕がなかった時に

してあげてなかったらDV親が


「何や!

何でちゃんとやってへんねん!

怠慢や」

と文句を言ってて


僕からしたらもう

何でそこで文句が出るのか


いつもしてもらってるのが

有り難いことのはずやのに


してくれてなかったら

「怠慢」という言葉が出るのか


全く理解できないなと思った。



でも、全てにおいてこれなんよね。


自分がするべきことは

誰かがしてくれて当然やなくて

自分がするのが当たり前。


それをたまたま何かの時に

非DV親がついでにしてあげたら

してもらうことが当然になって

してなかったら文句や悪口。


何と醜い言動‥( ゚д゚)


★★


非DV親が親戚と会って帰ってきて

ひたすら親戚の話をしてくるのを

DV親が帰ってくるまで

家事しながらずっと聞いてた。



僕が(本当は言いたくなかったけど

やむなく言わざるをえなくて)

かつて心の病気のことを

親戚にも少しだけ伝えた時に


「ラケなんか親戚の恥や!」

と言ってきた親戚も今日

非DV親と会ってたから、


もしかしたら僕のことも

悪口言うてたんかなと思うけど


僕からは何も聞かないし

非DV親が話してくるのを

相槌打ちながら聞いてるだけ。



その僕を恥やと言った親戚の

孫も精神的な不調に何年も

苦しんできて、今はもう大体

前と同じ生活をしてるんやけど


その孫のことは

「精神的な不調にも負けずに

〇〇ちゃん(孫)は頑張って

また普通の生活ができて

本当に沢山努力した!

あの子は親戚内のスターや」

と言ってたらしい‥。



僕はその子が小さい時に

一回だけ会ったけど、


その子にとってごく身近に

まあまあ強烈な人たちが

何人もいるからその子も色々

大変やったやろうなと


それは心底ねぎらいたいと思う。



家庭内や親戚内ってほんま

色々あるのは僕も身にしみてる。



でも、その子は心の病気に

なっても親戚内のスターで

僕は恥とはすごい差やなって;



DV親側の親戚はもう全く

今は関わりがないから

僕がこのブログで書いてる

“親戚”というのは全部

非DV親側の親戚なんやけど、


非DV親の周りを見てたら

非DV親はそこまできついことや

人を完全に否定する言い方は

しないよなーとは感じるかな。



非DV親は完璧主義やから

もう絶対に体の負担に

ならないように僕も毎日

かなり気を遣って生活してるのに


親戚のことになると非DV親も

なぜか張り切って無理するし

親戚も一部の人たちは非DV親の

病気のことも知ってても

あんまりそこまで気を遣わないし


そういうのも僕にとっては

うーーーーーーん‥と思うけど。。



僕が家族として、非DV親の

病後の療養を一番に考えて

生活するのが不満とか

不服とかそういう話ではなく


非DV親が全てにおいて

完璧を求める人やから

その完璧からほんの少しでも

外れてしまうかなと思うことは


初めからできないし

我慢して当然の日常を送ってる。



そんな中で非DV親本人が

親戚のことになると自ら

「ええよ!大丈夫!」と

必要以上に無理をしてその後

何やかんや言われてしまうと


普段の僕の頑張りは何?

という気持ちになるというか‥。


言葉での表現は難しいけど

何かモヤモヤしてしまう(;´・ω・)