グアムのつづき 3回目
では、引き続きグアム観光です。
今回は、アサンビーチ。
ここは、太平洋戦争国立歴史公園。
綺麗な芝生と直線状に並ぶヤシの木。
そして美しい海。
地元の人達は週末にバーベキューや芝生で遊ぶのにもってこいの公園です。
そう、その名のとおり、太平洋戦争激戦区の1つなんですね。
では、解説です。
太平洋戦争国立歴史公園は、1944年7月21日、グアム奪還作戦における米海兵隊が上陸した地点(ガーン・ポイント)を整備したアサンの海岸沿いにある公園です。ここは日本軍との戦闘を展開した地として歴史に刻まれており、南側の上陸ポイントには、その時の様子を伝える案内板などもあります。
公園内には、アサンの歴史をまとめた説明パネルや記念碑、実際に使われていたものと同じ型の魚雷なども設置されています。また太平洋戦争博物館には、当時の激戦の遺品などが展示されています。
公園内の海岸線には、植樹されたヤシの木が一直線に並んでいて景観もよく、海原のサンゴ礁の彼方にはアメリカ軍が兵器や軍需品を配置した島、キャメル・ロック島の姿も見ることができます。
大平洋戦争国立歴史公園では白砂が眩しいアサンビーチに、青い空とどこまでも続く海、緑の芝生とヤシの木の並ぶ美しい風景も楽しむことができます。またサンセット・ポイントとしても有名な公園であったり、駐車スペースやグリーンエリアが広いので、週末にはバーベキューやジョギング、スポーツカイトを楽しむ人々などで賑わうこともあります。
そんなわけで、、
グアムには、こういった所があちこちにあるんですね。
是非、観光の際は“日本人”なら見に行って欲しいです。
他にもあります。次回へ続く…。
あと、すみませんm(u_u)m
勘違いで、頂いたコメントをいくつか消してしまいました。
失礼致しました。
グアムの続き
では、引き続きグアム観光です。
ここは、ハガニア大聖堂。
因みに私はキリスト教ではありませんが…。
青い空に白い教会。
いいですね~。
ウーツークーシーー!(美しい)
でも、騒いではいけません。
「ウオッ」と出そうな声を抑えてカメラに収める。
撮っていいのかな?と思ったのですが撮影はOKでした。
こちらは、そのスペイン広場にあるアルマセンのアーチ。
こちらはチョコレートハウス。
ここでチョコレートを作っていたわけではなく…、
来客にチョコレートドリンクでもてなした事から“チョコレートハウス”と呼ばれたそうです。
おまけ。
公園の職員と思われる。休憩の様子。
では、解説を。
スペイン広場は、グアムのハガニア地区の中心地にある広場です。この一帯は、グアムの行政の中心地で、グアム議会やグアム政府など数々の政府機関が集まっています。
スペイン広場
スペイン広場は、かつてスペインの総督邸があった場所で町の中心地でもあります。広場には総督邸は現存しませんが、テラスの一部やチョコレート・ハウス、アルマセンのアーチやキオスコなどの観光ポイントがあります。また周辺には、聖母マリア大聖堂、スキナー広場、サンアントニオ橋など観光的な見所が多いスポットでもあります。
このスペイン広場は、1736年から1898年にかけてスペイン総督邸のあった地。アーケードをくぐると、すぐ左手に総督邸跡の住居の一部があります。建物のほとんどは第二次大戦時に破壊されてしまいましたが、広場の南側一帯に残るテラスやサンゴでできたアーチ型の塀が当時を様子を彷彿させます。
総督邸跡の向かいの中庭に復元された貴婦人の社交場「チョコレート・ハウス」と呼ばれる円形の建物では、その昔、総督夫人が屋敷を訪れる客人をチョコレート・ドリンクでもてなしたことからこの名が付けられました。その他にも、アルマセン(武器庫)、キオスコ(簡易小屋)、武器庫への入口を飾った3連のアルマセンのアーチなどは、現在スペイン広場の観光スポットとして有名です。キオスコはスペイン語で東屋(あずまや)を意味します。
広場の一帯は、スペイン支配下時代の建築物など史跡が多く、グアムの歴史に触れる貴重なスポットでもあります。またスペイン人が石工と製鉄に優れていたことが広場の建造物を見ると伺うことができます。
スペイン総督邸とチョコレート・ハウス もっと詳しく
スペイン人よって1736~1744年に建てられた総督邸は、第二次大戦時に破壊されるまでは、スペイン、アメリカ、日本軍によって長い先月を経て使用されてきました。噴水のある庭園、総督邸へ続く野外テラスに踊り場、そしてお茶を嗜む「チョコレート・ハウス」など、その他、多くの建造物もあったとされています。1855年には2階建てに増築され、より多目的な利用がされていました。
総督邸の中庭に復元された貴婦人の社交場「チョコレート・ハウス」の壁に取り付けられた2つの紋章には、スペインの国旗をかたどった城と獅子が刻まれています。この紋章は第二次大戦後に破壊された総督邸から出てきたものが取り付けられたという。また屋根の瓦は、スペイン統治時代に使用されていた瓦で復元されています。
何となく…
妻はパートの仕事へ。
天気もいいし、外へ出ようかな。
で、もって、ブログという奴をするつもりではなかったけど、何となくやってみようと…。
分からない事だらけです(^▽^;)
前に貼った牛の画像、
これも、何となくあれこれとやっていると、「ああ、こうやるのかぁ」なんて適当にしてました。
で、その牛なんですが、
今年の頭、2月に海外逃亡…、いや、この不景気の中ありがたいことに会社は
社員旅行に連れて行ってくれました。
場所は「グアム」
観光客の多いタモン地区に宿泊。多くの日本人観光客は、このタモン地区だけで過ごして日本に帰るようですが、
ひねくれ者(?)の自分は、レンタカーで他の社員連れて島をほぼ1周してきたんです。
その牛は、ウマタック湾にあるソレダット砦という所に繋がれていました。
意味は分からないけど。
長いけど、ちょっと解説。
ウマタック地区 人口約800人
ウマタック地区にスペイン人の村落ができたのは1668年と云われ、1680年頃には都としての機能を果たすようになりました。ここはフィリピンとメキシコを結ぶ貿易の中継地として発展を続けていきました。
ウマタック村は1521年に島が初めて発見されたポイントで、グアムで最初に首都を構えた地区です。ウマタックには穏やかな海と緑豊かな手つかずの草原やジャングルが広がっており、グアム最高峰のラムラム山や、セラ湾展望台、セッティ展望台から見る景色は古代グアムの姿を彷彿させてくれます。また、ウマタック村にはスペイン時代の史跡も多く残っています。
ソレダッド砦について
ソレダッド砦はグアム南部ウマタック村にある50m四方の白い石組みの塀に囲まれた砦です。このソレダッド砦は、ウマタック湾を一望できるように建てられており、ここから眺めるウマタック集落や、穏やかな入江の眺めは素晴らしく、夕日の美しさはグアム1.2を争うといわれています。
景色の美しい公園としても人気があるソレダッド砦は、小さな入り江を見下ろす小高い岬の先端にあります。砦にはスペイン統治時代の砲台や弾薬庫の跡などがあり、観光ポイントとして有名です。この砦は1802年に築かれたあと、米西戦争で米国領となって一度、荒廃となります。その後、修復復元された大砲には、スペイン海軍の紋章の金属板が打ち込んであり、昔はウマタック湾の入り口を守っていました。
ソレダッド砦は交易港として発展していたウマタック村や交易船を海賊から守るため築かれ活躍していました。ウマタック湾は1521年に探検家マゼランが上陸したポイントで、この湾はスペイン統治時代、南米のサンディエゴからフィリピンに至る太平洋上で唯一の中継地として多くの交易船が行き交い、ウマタック村は交易港としてグアムで最も栄えた町に繁栄していきました。
なわけで、
暫らく、グアムネタで書いてみようかな?