rainmanになるちょっと前の話。13






どの町間の移動が一番過酷だったか?と聞かれたら、間違いなく俺は今回の「ゴルムド→ラサ間」の31時間に及ぶバス移動だと答えるだろう。大げさじゃなく、死ぬかと思うような移動だった。


俺とC君は、疲労と高山病でフラフラになりながらなんとかゲストハウスにチェックインし、その日はひたすら眠った。


次の日、後から来る3人のために泊まっているホテルの場所をメールした。
やっと彼らのことを考えられる余裕もできてきた。



ラサの街は、想像以上に美しかった。


ポタラ宮殿を遠くから見かけたときは鳥肌がたった。ポタラ宮殿は、中に入って観光できるらしい。「体調が戻ったら絶対いってやるぞ」と思った。


ラサでの生活は、高山病の症状もあってか、いつも浮ついた気分だった。憧れていた町にいるので気分が浮ついているというのもあったかもしれない。
空気が薄くて、走ればすぐに息は切れるし、酒を飲んでもすぐに酔っ払った。


なんとか標高に体が慣れてきて、高山病の症状も和らいできた頃、ついに残りの3人が到着した。


ホテルに入ってきた彼らを迎えたときは、少し涙がでそうになった。
彼らは案の定、疲労困憊の様子だったが、顔つきは自信にあふれていた。闇バス移動をやり遂げたという達成感が、そうさせたのだと思う。


その日の晩は勿論彼らが主役。闇バス移動の過酷な旅を、面白おかしく聞かせてくれた。


ホテルを移る際、壁をよじ登って抜け出したこと。
ホテルの壁を越えるとワンさんの用意した車が待っていて、乗り込んだ瞬間に、車の屋根に「TAXI」という看板をつけて出発したこと。
最初のチェックポストにバスが来るまで、粗末な山小屋で何時間も待機させられ、ばれないようにと外に用を足しに行くことも制限させられたこと。
チェックポストの先まで、荒野をひたすら重い荷物を持って全力疾走させられたこと。
2個目のチェックポスト以降は、公安が見に来たら「寝たふりをしろ」とワンさんにアドバイスされたこと(笑)。
移動時間は俺らを上回る35時間だったこと。
などなど。


無事に到着したからこそ言える武勇伝を、彼らは誇り気に話した。
俺も「くーー、そんな面白い体験を!」とちょっと悔しがりながら、彼らの話を楽しく聞いた。
とにかくこうやってまたラサで5人無事に揃ったのが嬉しかった。



一通り移動の話で盛りあっがた後、突然K君が「ところで、鳥葬見に行かない?」と言い出した。

鳥葬というのは、チベット仏教に古くから伝わる、人が死んだ後にする葬儀の一つで、ご遺体を鳥に食べさせて葬る儀式だ。


チベットでは酸素が薄いため火を燃やすということが困難であり、また土に埋めるにも、チベットの土は硬く荒れ果てていて死体を腐らせることも困難であるため、この方法での葬儀が一般的に行われていた。

今現在はどうなっているのか詳しくしらないけど、2000年当時は、「鳥葬ツアー」などと称して旅行者を寺に連れて行き、ある程度のお布施をすればその儀式が生で見ることができた。


「死体が鳥に食べられるのなんて見たくねーよ」と、嫌がるものは、当然のように俺ら5人の中には一人も居なかった。
それどころか、「そんなの見れるチャンスは滅多にない!行こう!どうやったらいけるんだ!」と、みんな盛り上がった。

不謹慎とか、そういうことのまえに、我々貧乏旅行者というものは好奇心の塊でできあがっているのだ。
そうじゃなきゃ、こんな過酷な旅を好き好んでやったりしない。この星の上で起きてることを何でも見てやろう!という気持ちでしかないのだ。


Nさんが「メールで知ったんですけど、麗江で会った旅人(♂)の一人が、今ラサに来ているらしいから、明日彼の泊まっているホテルに行って、鳥葬のことも詳しく聞いてみましょう。彼ならきっとなにか知ってるはずです」と言った。


俺らも麗江で一緒に遊んだことのある旅人だったので、「いいねー!じゃあ明日さっそくそのホテルに行きましょう!」ということになった。




次の日。



俺らはさっそく麗江で会った旅人が泊っているというホテルに5人でやってきた。


そのホテルはラサの中でも日本人に人気のあるホテルのようで、たくさん日本人旅行者が滞在していた。
中庭があって、その周りをコの字に建物が囲んでいる立派なゲストハウスだった。
俺はちょっと建物の中を散策してみようと上のほうまで登ってウロウロしていた。どの部屋からも中庭が見下ろせるし、屋上に行けば「ジョカン」というラサで有名なお寺も見えるし、人気があるのがわかる立地だった。


その時、Nさんが中庭から上を見上げて俺を呼んだ。


「大輔さーーん!ちょっと!」
俺はテラスから中庭を見下ろした。
Nさんは麗江で会ったその旅人と無事に再会を果したようだ。しかしよく見るとその旅人の横にもう一人女性がいる。民族衣装を着ているようで、俺はチベット人かなと思った。

俺「Nさん!どうしましたか?」
Nさん「大輔さん!キーボード見つかりましたーーーー!!」

(キーボード?)

俺「え?どういうことですか?!」
Nさん「バンドの新メンバーですよ!とりあえず中庭まで下りて来てくださーい!」


なんのことやらと思いながら下に下りた。


Nさんが、さきほど上から見えた民族衣装の女性を俺の前に連れてきた。「Oさんです!」
ニコっと笑って、そのOさんという女性は頭をさげた。近くで見たらどうやら日本人のようだ。

「え?どういうことですか?」と俺は、まだわけがわからなかった。

「いや、大輔さん中国移動の旅でよく言ってたじゃないですか!俺のギターだけだと音が薄いからピアノ弾ける人でもほしいって!彼(麗江で会った旅人)が、俺らがバンド組んだの知ってて、それで彼女を紹介してくれたんですよ!ピアノ弾ける人このホテルにいるよって!」
Nさんは、興奮してるのか、めちゃくちゃ満面の笑みだった。

「あ、そ、そうですか…。はじめまして大輔といいます…」と、俺はその彼女に挨拶をした。
ひさびさに日本人女性と話したということもあり変な緊張をしてしまった。Nさんの興奮も少しわかる気がした。



「あの…キーボード弾けるの?」
「うん。キーボードがあればね(笑)」
「あ!そうだよね。。普通キーボード持って旅してないよね(笑)」

そんな会話をした。


Oちゃんは、このホテルに滞在してる日本人の中でも一番の古株で、チベットのことにとても詳しかった。
またしっかりとチベット仏教を理解していて、チベット人の考え方や生き方を愛していて、それ故チベット民族の服装をしているのだった。
俺ら5人の誰よりも、旅に出ている期間が長く、もうすぐ1年を迎えると言っていた。
歳は俺よりも1つ下だったけど、長く旅をしているせいかとても落ち着いて見えた。


俺は改めて話をした。
「俺らは、これからネパールに入るんだけど、ポカラでライブをしようと思ってるんだ。もしよかったらその時一緒にやってくれない?」

Oちゃんは「どんな音楽?」と聞いてきた。
確かにそうだ。いきなりライブやろうって言われても困っちゃうよな。と思い、
「もし、今日これから時間あるなら、俺らのホテル来ない?そこで聞かせるよ」と言った。
Oちゃんは「うん、いいよ」と答えた。



俺らは、どきどきしながらOちゃんを連れてホテルに戻った。


そして、中国での移動で練習してきた曲を演奏することになった。

練習はたくさんしてきたが、みんなで人前で演奏するのはこれが初めてだった。



俺がギターを弾き、Nさんが歌う。
C君とTが二人でブルースハープ。


K君はにやにやしながら隣で聞いていた。



たった一人の前で演奏するだけなのに、俺らはガチガチに緊張していてまったく練習どおりにはいかなかった。


なんとか1曲歌い終わって、はぁとため息をついた。


こんなんでライブをするなんてよく言えたものだ。




「こ、こんな感じなんだけど…」と、俺は照れ隠しもあり苦笑いしながらOちゃんを見た。




Oちゃんは真剣は顔をしていた。




そして、静かに笑ってこう言った。

「いい曲だね。私もバンドのメンバーにいれてくれますか」




続く。

/rainmanになるちょっと前の話。12





遂に、ゴルムド→ラサ間の闇バス社会を仕切る男、ワンさんに接触できた我々「チベット越え5人衆」。


Nさんと俺は、さっきワンさんから聞いた作戦を、ホテルの部屋で待っていた3人にすべて話した。

3人とも様々な反応をした。


そこで俺は、今の気持ちを率直にみんなに伝えてみた。
「正直、俺は一刻も早くラサに行きたい。なんかゴルムドの町は好きになれないんだよね。公安の見張りとか多いし…。確かにワンさんに頼めば安いけど、リスクもあるし、時間もかかりそうだ。俺は明日、正規の外国人値段でバスのチケット取って、先にラサに行こうと思う。」


俺の話を聞いてみんなは少しびっくりしたようだが、Nさんに「それもありだね」と言われた。
もともと俺らは一人旅の旅人の集まりだ。それぞれが自分で決めた道を進めばいい。誰もそれに口を出したりしない。


NさんとK君は、「せっかく運命的にワンさんに会ったので、この流れに乗ってみるよ」と言った。特にK君は頼もしいくらい張り切っていた。
C君は「俺は…なんだか気持ちがもうラサに行っちゃってるし、大輔さんと同じバスで明日ラサに向かいますよ」と言った。
Tは、しばらく「どうしようか…」と悩んでいたが、決心が付いたようで「俺は残ります。ワンさんの作戦でラサまで行く!」と言った。



こうして、ゴルムド→ラサ間は、俺とC君の「正規料金組」と、NさんとK君とTの「闇バス組」の2つに別れて移動することになった。



まぁ、料金が違うだけで通る道は一緒だし、到着する場所も一緒なので、ラサで待っていればすぐにまた5人揃うだろう。
「じゃあ先に行って待ってるよ!ゲストハウスが決まったらメールするからそこで落ち合おう!」
俺らは握手を交わして、それぞれの部屋に戻った。



次の日の朝、俺とC君は正規の値段を払い、無事に朝8時半に出発するバスのチケットを取った。


ワンさんの作戦に乗るほうが、面白い旅のエピソードが出来るかな?という思いもあったが、それ以上に俺は「ラサ」に向かいたかった。「ラサ」は、俺にとって今回の旅の「行きたい街ベスト1」だったのだ。ラサを目の前に、ゴルムドで後何日も過ごすなんて我慢できなかった。



バスには、中国人、チベット人、欧米人そして何人かの日本人が席いっぱいに詰め込まれた。
シートは狭く、背もたれもほんの少し動かせる程度だった。
これからラサまで約1200キロに及ぶヒマラヤ超えの移動が始まる。無事に辿り着くことを祈った。


最初のチェックポストに差し掛かった。
公安が何人かバスに乗り込んできて、リストを見ながら一人一人の顔を覗き込んでくる。
けっこうしっかりチェックされたので、俺は後からくる3人のことが少し心配になった。
こんな感じのチェックポストがラサに着くまで、数箇所あるのだ。ワンさんの部下が乗って通り過ぎるのはここ最初のチェックポストのみ。ばれたら強制的にゴルムドに返されてしまう。なんとかバレずに辿り着ければいいが。


しかし、次第に俺らは他人の心配などしていられないほど、自分の体調管理に頭がいっぱいになっていった。


バスはどんどん荒野を進み、いよいよヒマラヤ山脈の中に突入していった。
俺のG-SHOCKには標高計が付いていたのだが、その数字がどんどん上がって行く。
頭が少し重いなぁと思った頃、標高計を見たら「---MAX---」という表示が現れた。
このG-SHOCKは確か5000Mまでしか計れない。つまりバスは今標高5000M以上の場所を黒い煙を出して走っているというわけだ。



朝出発したのに、いつのまにか辺りは暗くなっていた。


そろそろ腹も減っている。しかし、こんなところに飯を食える場所なんてあるのだろうか。

そう思っていると、明かりが灯っている建物が窓から見えた。バスはその建物の前に停まった。

運転手が「30ミニッツ!」と言った。30分休憩だ。

建物は、粗末な小屋だったが、中から湯気が出ていた。
俺はとにかく暖かいものがほしくて、その小屋に駆け込んだ。

そこは食堂だったが、メニューを見て驚いた。まともな飯はカップラーメンくらいしか置いてないのだ。しかもすごい高い!
でも、文句を言っていられない。標高5000Mで飯にありつけるだけでも有難いと思った。
カップラーメンのお湯はぬるかった。酸素が薄いためお湯が沸く沸点も低いのだ。
しかし、ぬるいお湯でも有難かった。ほんと涙がでるくらい、体にスープが染み渡っていった。



その後もチェックポストを越えながら、バスは暗闇を走り続けた。



薄っすら空に色がついたころ、俺は体の異変に気付いていた。
なんだか熱があるようで体が重いし、頭が痛い。となりのC君もかなりつらそうだった。
俺らはゴルムドで買っておいた携帯酸素ボンベを出して吸った。
少し楽になったような気もしたが、あまり長い効果は得られなかった。
もしかしたら、これが「高山病」というやつかもしれない、と思った。
高山病になるかどうかは、運だと言われていたが、どうやら俺らは運がなかったようだ。



やっと朝日が昇って明るくなった頃、俺らの体はすでに「虫の息」といった感じだった。
もうかれこれ24時間、この狭い空間で動けないままじっとバスに揺られているのだ。


しかし明るくなった後の、窓から見える景色は凄まじかった。
標高5000Mがどんな景色なのか、何度も思い描いてきたけど、そのどれもに当てはまることの無い景色だった。無機質で草一本も生えてない、見たこともない荒野が広がっていた。朦朧とした頭で、俺はその景色を目に焼き付けていた。



途中、エンジントラブルでバスを修理したり、チェックポストでしばらく待たされたり、なかなかスムーズにバスは進んでくれなかった。




すでに夕方に近くなっていた。

いったいいつになったらラサに辿り着くのだろうか。もう時計を見るのも嫌になっていた。




バスに乗って二度目の夕焼けが見え始めた頃、バスは山道を抜けたように思えた。酸素が濃くなってるのを感じるのだ。



そしてバスに乗って31時間後、しずかにバスが動きを止めた。


乗客が声を上げて喜んでいる。俺は運転手に「ラサ?」と聞いた。運転手は「ラサだ」と言った。
俺も声にならない声をあげてしまった。着いた。やっとラサに着いた。


俺とC君は、転がるようにバスの外に飛び出た。

そのままバックパックを枕に地面に寝転んだ。



C君「やっと着きましたね。長かったっす。」
俺「きつかった…。ここ…3700Mの標高なのに、めちゃくちゃ空気が濃く感じる…」




こうして俺は、憧れの地ラサに、やっとの思いで辿り着いた。



そしてこの後、ラサでまた、俺の旅が奇妙な運命に導かれて進んでいく。



続く。

rainmanになるちょっと前の話。11





「アイム ワン」と、確かにこの男は言った。


Nさんが「T、携帯番号書いてある紙持ってる?」と言った。
Tがすかさず「持ってます!」とその紙を出した。


ワンという苗字は中国にはたくさんいるし、変装屋のワンさんとは別人かもしれない。
しかし、もし彼の携帯番号がこの紙に書かれている番号と同じなら、俺らが捜し求めていたワンさんだ!


Nさんと俺で、ジェスチャーを交えながら説明して、なんとか彼の携帯番号を見せてもらった。
そしてTの持ってる紙の番号と照らし合わせてみた。


一致した!


この人、変装屋のワンさんだ!



俺らは、闇バス移動を諦めた直後に、捜し歩いていた人物、ワンさんと遭遇してしまったのだ!


さっそく「ラサに行きたいんだけど、いくらでやってくれる?」と俺が聞くと、それまで温厚に見えたワンさんの顔つきが一瞬で変わった。


そして真剣な顔をして「今、ここでその話をするのは危険だ」というような素振りを見せた。
「急いでラサに行きたいから何とかして欲しい」と小声で頼むと、「それでは今夜の11時に市場まで来い。5人で来ると目立つから2人だけで来るように。」と簡単な英語で指示してきた。
そしてそれだけ言うとワンさんは店を出て、どこかへ行ってしまった。


その時はまだ7時半ごろだったので、1度ホテルに戻ることにした。
そして一つの部屋に集まり、作戦を練った。


俺らは興奮していた。数日間探し回った男についに会えたのだ。
でも、その興奮もすぐに収まり、ほんとうに11時に市場まで行けばワンさんがいるのか?という話題になった。
しかし疑ってもしょうがない、俺らはそこに行くしか選択肢はなかった。


相談の結果、俺とNさんの2人が、待ち合わせ場所の市場に行くことになった。
そして残りの3人は、少し遠い場所で、見張りをしてもらう事にした。
ワンさんが来るという確実な保証はどこにもないし、もしかしたら危険な目にあうかも知れない。
旅では何がおこるかわからない…ということを俺らはこれまでの経験でわかっていた。



待ち合わせ時刻が近づいてきたので俺らは外に出た。まず俺とNさんが歩き、その少し後に残りの3人が俺らの後を追った。
市場はゴルムドの中心街より少し離れた所にあった。
昼間は結構な人で賑わっているのだけど、夜は怖いくらいシーン…と静まり返っていた。
しかも外灯のようなものがまったくないため、真っ暗だった。目が慣れてくるとやっとぼんやり周りが見える感じ。

俺とNさんは息を殺して、市場の真ん中まで歩いた。そしてライターで明かりを作り、じっとワンさんを待った。



指定時間の11時を10分ほど回って、すこし不安になってきた頃、遠くで人影が見えた。
暗くて誰かわからなかったので、俺らはその人影に近づいた。
そこにいたのは、やはり先ほどの男、ワンさんだった。なぜか自転車にまたがってこっちを見ていた。

俺らの顔を確認したワンさんは、首を横にふって「ついて来い」というような素振りをして自転車で進みだした。
俺らは黙ってついていった。


市場を出るとき、K君がそっと近づいてきた。俺はワンさんに気付かれないように小声で「無事に会えた。とりあえず3人は先にホテルに戻ってて。大丈夫だから」と伝えた。K君は「了解」と言って消えていった。


市場を出て、入り組んだ細い道をワンさんはどんどん進んでいった。旅行者だけなら絶対に歩こうと思わない裏道だ。
俺らは帰り道を忘れないように注意しながら歩いた。


ワンさんはあるイスラム料理屋に入っていった。現地の人が利用するローカルな食堂だった。
ここで気付いたのだけど、どうやらワンさんは、中国では珍しいイスラム教徒なのかもしれない。
Nさんが、「イスラムの帽子」を被っていたため、ワンさんは俺らに声をかけてくれたのかも!Nさんのヘンテコなセンスが役にたったのだ(笑)


ワンさんの後ろに付いて俺らもその店に入ると、店内に客が何人かいて、いっせいに俺ら2人を見た。

ワンさんは「こっちだ」と言って、店の中にある階段を登っていった。俺らもその階段を登る。なんだか変な緊張感があった。

2階には真っ赤なソファーと木で出来たテーブルが置いてあり、ワンさんの他にもう一人男がいた。
薄暗いその部屋で、俺らは2対2で向かい合うようにソファーに座った。


ワンさんは紙とペンを出してきた。そしておもむろに図と字を書き始めた。



それから1時間ほどかけて、俺らはワンさんの説明を聞くことになる。
少しの英単語と、中国語での筆談だったので理解するのに時間がかかってしまった。


まずワンさんが言うには、今の俺らが泊まっているホテルは警備が厳しいから、すぐに移れという事だった。
もう移るホテルは確保していると言われた。
そして日にちが少し先になるという事を言われた。
今回の作戦は公式バスに乗ってラサを目指すのだけど、中国人として乗るから値段は現地価格のままで行けるという方法だった。
ワンさんの部下5人が、バスの出発地点では俺らの席に乗っていて、最初のチェックポスト(公安が、不正な客がいないかバスの中を調べるポイント)を越えたところで、部下の5人が降りて、代わりに俺らがその席に乗り込む、という作戦らしい。
そのための準備で少し時間がかかるらしい。
その後、ワンさんに払う報酬なども聞いた。意外と安かったので驚いた。



俺は、「ひとまずホテルに戻って5人で相談し、改めてその作戦に参加するか返事をしに来ていいか?」とワンさんに聞いた。
「それは全然構わない。でもホテルはすぐに移ったほうがいい。」とワンさんは答えた。

俺とNさんは、ワンさん達と握手をして、その食堂を出た。



ずっと気を張っていたので、Nさんと二人になったらどっと疲れが出た。
Nさんが「なんだか映画みたいだね」と言って、俺らは笑った。



しかし俺はこのとき、いくつかこの作戦に対しての不安があった。


「確かに安くは行けるけど、けっこう大掛かりな作戦だし、ちょっとめんどくせー感じもするな…」
「早くラサに行きたいのに…準備にどれくらいかかるんだろう…」

そんなことを思った。


とにかくみんなで相談しよう。
俺とNさんは、足早に3人の待つホテルを目指した。



続く。




rainmanになるちょっと前の話。10



チベット自治区入り口の町ゴルムドに着いた、我々「チベット越え5人衆」。長い長い中国大陸の移動ですでに疲労困憊だった。
俺らは、政府で定められている外国人宿泊OKのホテルにチェックインした。


K君の提案で、この町でしばらく高度順化しようということになる。ここからラサまでの道は険しく標高も相当あがる。最大で5200Mに登るらしい。そして辿り着くラサの街は3700M。富士山の頂上と同じくらいだ。
急にそういう環境に自分をおくと高山病になりやすいという。だから、やや標高の高いこのゴルムドで体を慣らすために3日くらい滞在しようというのだ。
K君はガイドを勤めるくらいの「山」のプロフェッショナルである。みんなK君のいうことを黙って聞いた。




ゴルムドからラサまでのバスの料金には、現地人価格と外国人価格がある。当時は、外国人価格が現地の人の価格より10倍近く高かった。


貧乏旅行者がこれに黙って納得するはずがない。


そこで中国人に変装して、現地の価格で行ってしまおう、という悪知恵が働く。そうすると、何でも商売にする中国人が「変装屋」という商売を始めるようになるのだ。


変装屋っていうのは、中国人の服や靴を用意すると共に、チケットの手配や移動の際の手助けなんかも受け持つ「闇バス移動の何でも屋」なのだ。


変装屋の噂は、東南アジアを旅しているときからよく聞いた。
町を歩いていると、突然変装屋さんから声をかけられて商談が始まるというのだ。



俺ら5人がその話に食いつかないはずがない(笑)



高度順化でしばらく滞在するし、手分けをして町を練り歩き変装屋と接触をもとう!という話になった。


その時Tが、すごい発言をした。


「俺、変装屋の携帯番号しってますよ!確か、ワンさんって人です」


みんなびっくり!なんで知ってんだよそんなこと!


「チベット帰りの旅人から聞いたんですよ。ほらこれ。」
と、見せたものが、携帯番号らしい数字が書かれた紙切れだった。
みんな大興奮(笑)すげーぞ19歳!


次の日早速電話をかけてみた。

そこで大変なことに気付く。


相手の言葉が中国語なのだ!

お手上げである。ワンさんかどうかもわからなかった。



しかし、それで諦めてしまうほど俺らはお行儀よくなかった。こうなったら当初の予定通り、町練り歩き作戦だ!となった。


俺は駅に行ってみる、俺は市場に…と、バランスよく別れ、定期的にホテルに戻ってきて報告をする。そんなことを日が暮れるまで繰り返した。


次の日も次の日もひたすら町を歩いた。しかし一向に変装屋らしき人物からの接触はなかった。


俺は早くラサに行きたかった。ついに我慢出来ずにみんなに提案した。
「明日一日歩いて変装屋と会えなかったら、次の日正規の外国人料金でバスのチケット予約しない?」

みんなもほとほと疲れていたようで、そうしようか、と言うことになった。



次の日、1日中歩き回ってみたが、やはり変装屋との接触はなかった。


よし!諦めよう!ということになり、「今日はゴルムド最後の夜だ。みんなで変わったところに飯を食いにいこう!出発を祝して乾杯だ」そう言って5人で外に出た。


Nさんが「ここにしましょう」と言って入ったのは「イスラム料理屋」だった。
たしかに中国でイスラム料理は変わっている。中国でイスラム教徒の割合なんてごくわずかなのだ。
Nさんはイスラムにはまっているのか、その時、よくイスラムの人がかぶっている白い卵の殻を半分に切ったような帽子をかぶっていた。どこでそんなの買ったのよ…(笑)Nさんのセンスはかなり変わっているのだ。



料理は美味しく、酒も進んだ。


早くラサに行きたいなぁと話す俺らの顔は、もう次の町に辿り着くときの顔だった。





と、その時、一人の男性が声をかけてきた。


何を言ってるのかイマイチわからなかったが、少しだけ英語もできるようだ。


男の口から「ラサ」という言葉が聞こえた。


俺らはドキッとして顔を見合わせた。


まさかこの人変装屋?!



Nさんが彼に名前を尋ねた。





彼は言った。「アイム ワン」




続く。

rainman解散までラスト3本、というわけで最後の富士ツアーでした。





入れるだけ入ってもらおうとソールド規制を解除したんですが、ほんとたくさんの方が来てくれまして、お店の判断で後半は入場制限もかかったそうです。ありがとう。


とりあえず吉原KICERSのライブ動員最高記録はいまのところ昨日のrainmanだそうです。やったー。


俺は前日に富士宮の実家に泊まり、当日は、友人のマッサージを受け、つるさんの墓参りで解散の報告をして、心身ともにすっきりと会場入りしました。


オープンしてまもなくしたころ、ホールでウロウロしてたら、いきなり俺の親父が目の前を横切ったのが見えてびっくり(笑)。
おかんと嫁と娘は、最後だから見に来ると言っていたので知ってたんですが、まさか親父まで来るとは。たぶん12年間でrainmanを見たのは昨日初めてだと思う。
しかも、サプライズということで、親父作の、作りたての手打ち蕎麦を40人前持って来てくれたのです。
全員に行き渡ることができませんでしたが、帰り際来てくれたみなさんに配りました。
「親父なりの親父の気持ち」です。お蕎麦、どうぞ召し上がってくださいね。


DJアルフのナイスセレクト!
グラスホッパーの渾身のライト芸術!
PA今ちゃんの安心の音響サポート!
仲間に支えられ、rainmanも伝えたい気持ちをライブで出し切れたと思ってます。


富士・富士宮のファンに支えられて、ここまでやってこれました。

みんなに会えて嬉しかったよ。ありがとう。


また、遠くから来てくれたまいふれん、ありがとう!感謝してます!



では、セットリストを載せておきます。
来れなかった方は、これ見て悔しがりましょう(笑)




rainman 2014/1/19
@吉原KICKERS 完全ワンマン


1部

01 手紙の唄
02 満月フリスビー
03 泪
04 夢を見るには
05 湖の町
06 迷わず彷徨う唄
07 WALK

2部

08 BACK PACK BLUES
09 PARTY
10 オーシャンゼリゼ
11 一休歌姫恋物語
12 ハッピーソング~晴耕雨読~
13 傘
14 シャララの鍵
15 命の朝
16 青いバス
17 引き潮
18 花束
19 白い三日月
(アンコール)
20 月光シェイク
21 秘密基地
(アンコール)
(メンバー紹介)
22 リセット
(アンコール)
23 続・終わらない風の終わらない唄
24 サヨナラしないよ






rainmanのライブは次の2本のみです。
ホームとして活動してきた都内で2本。
お世話になった方がたくさんいます。
ずっと追いかけてくれたファンのみなさま、最近会えていないファンのみなさま。
ライブで会えたら嬉しいです。感謝の気持ちをライブにぶつけたいと思っています。
よろしくどうぞ。



rainman解散までラスト2本
2014/02/16 (日) rainman
@渋谷 RUIDO K2
■OPEN/17:40 START/18:00
前売:¥2,500+1D / 当日:¥3,000+1D
rainman他
※rainmanの出番は最後です


rainman解散。LAST PARTY
2013/03/22 (土) rainman
@国立地球屋
◆LAST ONEMAN
■12年間せんきゅーまいふれん。
19:00open 19:30start
チャージ1000円
pic.twitter.com/A6kJl1uXHG





rainmanになるちょっと前の話《その9》



西安までの、また気の遠くなるような長い移動が始まった。


c君とTは、相変わらずブルースハープに夢中。今度はそれぞれが持っているので、二人で一緒に吹きながら音の重なりを遊んでいた。
K君はマイペースに絵を描いたり地図を見たりしている。


俺はNさんと一緒に唄を歌う時間を過ごした。

決して上手くはないんだけど(笑)、Nさんの歌には心があった。
屋台などで突然アカペラで歌いだす度胸と、なぜか耳を傾けたくなる声。仙人みたいな風貌。。俺はそれらに魅かれた。
「手紙の唄」などを一番と二番で俺と歌い分けたり、サビは一緒に歌い、俺がハモったりすると、けっこういい感じになった。
Nさんはどうやら歌うのが好きだった。いい顔をして歌うのだ。
俺がハモルとすぐにそっちにつられてしまうけど、そこを二人で笑いながら修復していくのが楽しかった。

「Nさん、チベットに着いたら、なにかリズムとれるような太鼓買いませんか?それを叩きながら、俺とツインボーカルしましょう」と言うと、
「いやー、難しいけど楽しいわー、歌うの」と笑った。

列車が移動するにつれ、俺が作ったほとんどの曲を一緒に唄えるようになっていた。
何度も言うが、とにかく時間だけはたっぷりあるのだ。


俺とNさんは、C君とTコンビのところにいって、今度は一曲通して、ブルースハープが吹く場所、Nさんと俺が唄う部分の確認、サビと間奏の長さ、などを合わせて演奏してみた。
かっこつけて言うと、いわゆる曲のアレンジである。

全員素人なので、ぜんぜんへたくそなんだけど(笑)、とにかく自分たちで音を出して唄うのが楽しくてしょうがなかった。



そして列車は約丸一日かけて西安に到着した。
移動中の楽しみを見つけたので暇は感じずにすんでいたけど、やはり長時間の移動で体はクタクタだった。宿で泥のように眠る。

西安でも一泊だけして、また列車に飛び乗り、今度は蘭州という都市を目指す。
そして蘭州でも一泊して、またすぐに列車で移動した。

どこまでいってもどこまでいっても、中国が続いた。



この頃になると俺は少しずつ、中国の裏の顔が目につき始めていた。
デパートなどはキラキラして輝かしいし、文化遺産なんかはほんとに歴史を感じて素晴らしいんだけど、一歩路地裏に入ればゴミだらけになる。
中国にはゴミをゴミ箱に捨てるっていう文化がないのだろうかと考えてしまうほど、列車でもバスでも、乗客はゴミになった紙くずをすぐ通路に捨てる。
降りる頃には通路はゴミでいっぱいになっているのだ。それに唾などもすぐに「ぺっ」とそこらじゅうに吐き捨てる。
一言でいうと中国は「汚い」のである。
あと、サービスという概念があまりないようで、宿のスタッフや駅の切符売りは極力働くことを避ける。列車の予約のため窓口に延々と並んで、次で俺の番という時でも、12時にお昼休憩だとすればきっちり窓口を閉めてしまうのだ。俺の後ろには誰もならんでないのに。。。
あとこれは文化の違いでしょうがないのかもしれないけど、公共のトイレだと、個室がない場合が多い。一応性別はわかれているけど、「大」をするときも丸見えなのだ。一本の水路があって、そこをみんな同じ方向にまたぎ、しゃがんで用を足す。
最初はかなり戸惑ったが、慣れとは凄いもので、自分のウ○コを見られることに抵抗はなくなっていた。しかし他人のを見てしまうのだけはいつまでも慣れなかった。。。そのための攻略方法を見つけた。同じ方向にしゃがむ水路の一番先頭で用を足すことである。前は壁しか見えないからだ。。汚い話ですんません。。。



そんな中国を進み、俺ら五人はついに、チベット自治区入り口の町、ゴルムドまでたどり着いた。



今はゴルムドからラサまで鉄道が走っているけど、2000年のこの頃はまだその鉄道を造っている時で、旅行者の移動手段はバスのみだった。
ここからバスで約30時間ゆられ、標高5000メートルを超えるときもあるといわれるヒマラヤの山道を超えれば、ついに憧れの地「ラサ」がある。


神の住むという山に囲まれた街。どんな場所なんだろう。俺の心は高鳴っていた。



続く。

rainmanになるちょっと前の話。8





麗江にて即席で結成された俺ら「チベット越え5人衆」は、列車でまず、四川省の省都、大都市「成都」を目指した。


麗江から成都まで線路の長さで約1200キロ。軽く本州の長さくらいある。
勿論新幹線なんてないので、各都市に停まりながらゆっくり進むのだ。



それこそ、時間だけはいっぱいあった。


最初はみんな各自読書や絵などを描いて過ごしていたが、それもやはり段々飽きてくる。
俺は、C君とTを誘い、客席を離れて、列車の連結部分の近くに来た。
ここなら多少大きな音を出しても迷惑はかからなそうだ。


俺はポケットから例のブルースハープを出して、麗江に居るときに作ったばかりの「BACK PACK BLUESという曲のイントロのメロディ」を吹いた。
「これからの旅は長い。暇だし、よかったらこのメロディ吹けるように覚えてよ。」
多少強引なバンドメンバー勧誘だったが、C君もTも本当に暇をもてあましていたので、「どの穴吹くんですか?」と、けっこう食いついてきた(笑)


一通り吹く場所吸う場所を教えて、「じゃあ出来るようになったら呼んで。俺、席にいるから」と言って、二人を置いて席に戻った。



歳も近いし、名前も同じだし、C君とTはお互いを良い様に意識しあっていて、俺にはとてもいいコンビに見えた。



しばらくしてC君がやってきて「一回聞いてもらえますか?」と言う。
俺は「練習場」まで向かい、演奏を聞いた。



びっくりするくらい上手かった!



「おいおい、すげーなー。よく短時間でこんな吹けるようになるねー」

いやーなかなか難しいっすよ!とC君が笑っていると、今度はTが「ちょっと俺にもやらせて!」と言ってブルースハープを持って練習場に引きこもった。


そのうちTもマスターしたらしく俺を呼びに来た。
演奏を聴いてみると、荒々しいけどしっかりした音で吹けていた。


C君はどちらかというと優しくて繊細な音色。Tは力強くて思い切りのある音。


俺は「二人ともいいねー!ツインブルースハープで一緒にバンドやろうよ!二人が一緒に音出したら結構面白い音になると思う!」と言った。
二人は「いやー、バンドとかライブとかは無理っすよー」と言いながらも、「他にもなんか曲あるんですか?」と俺に聞いてきた。
ちょっぴり音を出す楽しさを気付きはじめてるようだ。


俺は「PARTY」や「あの店今頃」、「夢を見るには」等のこの旅で作った課題曲(笑)を二人に渡し、そして二人はそれを次々とマスターしていった。



その間も勿論、列車は延々と、ガタンゴトンと走り続けている。



一眠りして起きた頃、Tが悲しそうな顔でブルースハープを持って俺のところに来た。「どうしたの?」と聞いたら、どうやら強く吹きすぎて音の出なくなってしまった穴があるらしい。「借りたハープ壊しちゃってすんません」と言うので、「気にしないでいいよ。ブルースハープっていうのは消耗品だから。最初はみんな壊すんだよ。このハープも壊れるまで吹いてもらって本望だと思うよ」と言った。


ハープが壊れてしまったので練習は終了。


まぁしょうがないかと思っていたら、再びC君とTがやってきて、「次の街『成都』に着いたら、新しいブルースハープ買うことにしました!」と言う。
俺は嬉しくなって、「いいねー。いまんとこ中国で楽器屋見たことないけど成都なら都会だし、きっと売ってるよ!」と言った。


列車に乗ってから約20時間後、列車がやっと「成都」に到着。長い移動だった。長すぎる。。。広すぎるぜ中国。。



5人いるとさすがに宿探しも楽だった。
荷物を置いて3人が各方向に宿を探しに行き、残りの2人が荷物番。
この方法で一番いい条件の宿を、身軽に短時間で見つけられた。


成都は都会だった。ビルも高いし、デパートもでかくてキラキラしてた。デパートの受付嬢のお姉さんに笑いかけられただけでやたらテンションがあがって一緒に写真撮ったりした(笑)

C君とTは早速デパートを走り回り楽器屋を探していた。
そしてやはりすぐに楽器屋は見つかった。
しかもブルースハープもちゃんと置いてあった。俺は「楽器屋はあるとしても、ブルースハープまで置いてるかなぁ…」と少し心配していたのだ。
ブルースハープはキーによって持ち替えて演奏するため、やる曲によっていくつかハープを用意しなければいけない。
俺は主に使うキーを二人に伝え、二人は相談しながら買っていた。


このときの25歳の俺にとって、19歳20歳のTとC君が、弟のように思えてかわいくてしかたなかった。



成都では、みんなで市場に行って、冬着も買った。
東南アジアを旅していると蒸し暑い国ばかりなので、みんな防寒対策用の服を持っていなかった。

これからは中国を北上していく。どんどん寒くなるのだ。
荷物がかさばってしまうけど、セーターの一つも無ければとても寒さに耐えられない。
バカでかいマーケットで、俺らは財布と相談しながら靴下や暖かい衣類を手に入れた。



そして次の日、今度は西安という町までのチケットを買い、再び列車に乗った。
成都から西安までのまたしても長い長い移動が始まった。


C君とTも、再び、買ったばかりの新しいブルースハープで課題曲に取り組んでる様子だった。


俺は、この移動で、今度はNさんに声をかけた。
「Nさん、俺の唄を旅先々で歌っているということですが、一度俺のギターに合わせて唄ってくれませんか?」


俺はギターを取り出し、Nさんに唄ってもらった。




下手だった(笑)。



続く



rainmanになるちょっと前の話。7



麗江(リージャン)は美しい街だった。旧市街は世界遺産にも登録されているだけあって、歩くだけで心が癒された。
水と緑の多い街で、水路には趣のある石の橋がいくつもかかり、石畳の敷かれた小道の両脇には土産物屋や料理店が並んだ。俺は一発でこの街を気に入ってしまった。



C君が「○○って宿が、評判いいみたいっすよ」と言うので、「じゃあそこに行ってみよう」ということになった。
旅をしていると色んな旅人が色んな情報をくれるので、ガイドブックを見るよりはるかに確実な宿情報が手に入る。


無事にその宿を見つけ、宿の門をくぐると、日当たりのいい中庭があった。
そこに猫と遊んでいる一人の男性がいた。


Nさんだった(笑)。


再会の握手。


Nさんは、俺の隣にいたC君を見て「お!大輔さんと会えたんですね。」と言った。
C君は「へへ。会っちゃいました。」と笑った。
「Nさんが俺のプレゼントした唄を本当に歌ってくれてるおかげで、いい出会いになりましたよ。ありがとう。」と俺も笑った。



さっそくNさんに、チベットを5人組で抜けたいと提案したら、「そういうことなら同行いたしましょう。」と言ってくれた。
一人旅の人たちはみんなほんとに話が早い。

これで5人のうち3人は揃った。


俺は、あと2人のうち1人は、カンボジアで会った19歳の若者「T」を誘おうと思っていた。
たしか彼もチベットに行くと言っていたから、そろそろ中国に入っているかもしれない。
俺はネットカフェに行きTにメールしてみた。Tからの返事は「もう少し麗江に着くまで時間がかかりそうですが、待っていてもらえるなら一緒に行きましょう」という答えだった。
宿に戻り、そのことをNさんとC君に相談したら「この街が気に入っているし、もうすこし滞在するつもりなので構いませんよ。その彼を待ちましょう」と言ってくれた。


残りの1人は、そのうち決まるだろう。この宿には他に日本人旅行者も多いし、ここに滞在しながらゆっくり探そう。そう思った。


この宿に滞在している旅行者は、20代から30代の若者で、一人旅だったり、女の子二人旅だったり、大学生だったり会社員だったり…様々だったが、みんな気さくでいい奴らだった。というか、旅してるやつで嫌な奴はほとんどいない。日常を離れて好きな場所に自分の足で立ってる奴にストレスなんてあるはずないのだ。


新参者の俺らともすぐに打ち解けてくれ、一緒にマージャンしにいったり(中国の牌で一度してみたかったのだ)、大人数で中華を喰いにいったりした(中華料理は大皿で出てくるので、一人で食べに行ってた時は一種類食べるのがやっとだったけど皆でいけば色々頼めるのだ!)。


あと、ここではrainmanのライブでは欠かせない曲「一休歌姫恋物語」のエビソードが出来た町だ。(※一休歌姫恋物語については、それだけでわりと長い物語なので以前書いた記事を貼っておきます。これすごい物語よ→ http://ameblo.jp/rainman2007/entry-10611262052.html  )




俺はC君と1つの部屋をシェアしてたんだけど、ある日部屋で酒を飲んでいるときに、俺は日本から持ってきたブルースハープを彼に見せた。
実は東京のある友人から「お守り代わりに…」と、旅立つ前に預かったブルースハープが、バックパックの底に眠っていたのだ。
そのブルースハープがここに来て陽の目を浴びるとは!!という思いだった。
俺は「これは10個の穴しか空いてない小さな楽器なんだけど、この10個の穴から無限に広がるメロディーが産まれるんだぜ。」と少し吹いて見せた。俺は、そこまでブルースハープが上手く吹けるというわけじゃないけど、高校生の頃からたまに吹いていたのだ。
そして今度はC君に持ってもらい、「俺がギターを弾くから適当に吹いたり吸ったりしてごらん。どこを吹いてもキーが同じならそれなりに音楽になるんだよ」と言って、ギターを弾いた。
C君は最初戸惑っていたけど、一緒に音を出しているうちに少しずつブルースハープの面白さに気付いていったようだった。



何日か経った日の午後。いつものように中庭でギターを弾いて歌っていると、サングラスにバンダナ、そして革ジャンに革靴、という珍しいいでたちの日本人男性がチェックインしてきた。なかなか見ないタイプの旅行者だなぁと思いながら俺は彼を横目で見ていた。


彼は部屋に荷物を置いた後、中庭に出てきた。
そして椅子に座りながら、なぜかずっと黙って俺を見ている。
サングラスなので表情がわからなかったけど、睨まれてるような気もした。
「どこかで会ったっけなぁ。見覚えが無いなぁ。なんか俺…気に触るようなことしたかなぁ」と思っていると、突然その彼は立ち上がって俺の前まで歩いてきた。


俺「な、なんでしょうか…」
彼「ダイスケって君やろ?」
俺「え!?? あ、そうですが、なぜ俺の名を…」
彼「◎◎さん知ってるやろ?あの人から頼まれたんだ。これを君に渡してほしいって」といって包み袋を俺に差し出した。

◎◎っていうのはBOSSの苗字だった!
そうか、この人は大理でBOSSに会って、あの時俺が受け取り損ねた土産をわざわざ届けてくれたのだ。

俺「どうもありがとう!まさかその為にここへ?」
彼「うん。麗江中のホテル探し回ったんだよ。さっきここの宿泊客名簿に君の名前を見つけたからチェックインしたんだ。ギターを持ってるって◎◎さんが言ってたから、もしかしたら君の事かなぁと思って見てたんだ」
なるほど、どおりでじっと見られてたわけだ。


しかし、渡し損ねた土産を人に託すBOSSも律儀だが、それを町中探し回って届けてくれるこの人も律儀だなぁ。


彼の名はK君と言った。俺と同じ歳だった。
フィリピンのマニラにまず降り立ち、それからマレー半島北上して中国雲南省に入ったらしい。服装と同じく珍しい旅の経路である(笑)。
絵と山が好きで、この後は絵でも描きながらヒマラヤを本格的にトレッキングするつもりだと言う。
サングラスを外すと意外とかわいい目をしていた(笑)。強面の外見とは裏腹に、話すと真面目で優しい関西人だった。
BOSSの繋いでくれた縁ということもあり、俺らはすぐに仲良くなった。


俺はK君に、チベット入りの5人メンバーをあと一人探してるんだけど…と誘った。
K君は「俺もちょうど探してたとこやねん」と言った。
よし!5人目決定。



そうこうしているうちに、やっと「T」が麗江入りして、この宿にやってきた!
「いやー、急がせて悪かったなT。おつかれさん!じゃあ早速、旅のメンバーを紹介します」と言って、俺はNさん・C君・K君を紹介した。

今思えば、19歳の彼にとって、新しい街に着いた途端、いきなりこんな変な日本人を何人も紹介されて「このメンバーで旅するから!」と言われ、テンション合わせるの大変だったろうな…と思う(笑)。


Tが到着して二日後、早速俺ら5人はチベット・ラサに向かうため麗江を出た。宿の仲間がバス停まで見送りに来てくれたりした。優しいなぁ。


まずはチベット自治区の入り口の町ゴルムドまでの長い旅が始まる。


この5人での移動が、THE JETLAG BAND!!!にとって大きな起点となっていくのだ。



続く。




rainmanになるちょっと前の話。6


ラオス国境の町ボーテンに着き、イミグレーションを超え、無事に中国国境の町モーハンに入った。
色んな国境を渡ってきたけど、この国境はその中でも一番と言っていいほどノンビリしていて、静かな田舎町だった。荷物チェックも無く手続きも2分ほどであっさり済んだ。


俺にとって、この旅2度目の中国だ。


船で青島(チンタオ)に入った頃のことが、えらく昔に感じていた。あの時は孤独と戦いながらゆっくり中国を南下していた。そして逃げるようにベトナムに入ったのだ。でも俺は、その後ギターを手に入れ、たくさんの出会いと別れを繰り返した。
あの頃よりもきっと、少しだけタフになってるはずだ。
「今回は負けねーぞ、中国」と心でつぶやきながら国境を越えた。



C君という同行者がいるだけで、移動が断然身軽になった。
一人旅の移動で一番面倒なのは荷物の管理だ。
一人だと、トイレに行くにも全部の荷物を持って移動しなければいけない。そしてトイレから戻ってくると誰かに今まで座っていた座席を奪われたりしてしまうのである。
二人なら「ちょっと見ててくれ」と荷物を置いていけるのだ。こういう小さなことが、とても嬉しい。



大都会、雲南省の省都・昆明を経由して、俺らは大理石で有名な町「大理」に辿り着いた。

少し前にNさんからメールがあり、雲南省を旅しているという情報が入っていた。きっと大理にも寄っているだろう。もしかしたら会えるかもしれない。


バスを降りて、C君と二人で町を歩いていると、茶屋の前で一人の日本人男性が休んでいた。
その人は天然のドレッドヘアで少しイカツイお兄さんという感じだった。そういう感じの人、俺は大好きなのである(笑)
俺はその人に話しかけた。「すみません、Nさんって方知ってますか?胴衣みたいなの着ていて髭の長い仙人みたいな人なんですけど…」
その説明がわかりやすかったのか、そのお兄さんは「あ、その人なら知ってるよ。たしかもう麗江のほうに移動したと思う」と教えてくれた。「あ、そうなんですか!」どうやら少しタイミングが合わなかったようだ。


お兄さんは「俺、道で他人にものを尋ねられたの初めてだよー」と笑った。その笑顔がなんとも言えなく良くて、俺はそのお兄さんと友達になろうと決めた。
しばらく話を聞くと、その兄さんはチベットのラサから真東に移動して雲南省に抜ける闇ルートをヒッチハイクで抜けてきたという。旅人間では、最も過酷なルートだと言われているそのコースをコンプリートしてきた猛者だったのだ。
俺はここぞとばかりに、そのお兄さんからチベットの情報を沢山入手した。
チベットは5人集めて一緒に移動するのがいいらしい。ランドクルーザーを借りての移動が多くなるらしく、運転手以外は最大5人まで乗れるため、割り勘にするとその人数が一番安くなるのだ。
俺は正規のバスルートでもある「ゴルムド→ラサ」で行こうと思ってる、と言ったら「そうだね。ヒッチハイクは大変だしリスクも多いから、バスのほうがいいよ」とアドバイスしてくれた。



俺とC君は、少し大理に滞在してみることにした。
旅行者も多いし、ちょうどいい田舎ぐあいで生活しやすそうだったからだ。
旅人の間では、大理の話はちょくちょく出ていた。中国の中では比較的外国人旅行者の多い町で、ヒッピーさんたちにも人気だった。
その昔「ダーリーズ」というヒッピーの集団もあったらしく、以前の旅では「元そのメンバー」とか言う人と会ったこともあった。



大理に着いたその日の晩、茶屋で会ったお兄さんに誘われて俺らは「BIRD BAR」という店に遊びに行った。
奥まった場所にポツンとそのバーはあった。店内は薄暗くて、とてつもなくレトロだった。地元の悪そうな中国人の若者がビリヤードしたりして遊んでいた。
俺「よく来るんですか?ここ」
兄さん「まぁ、夜は大体来るね。静かだから」
俺らはそこでゆっくりと自己紹介を交え話をした。
兄さんはロンドンにしばらく住んでいたらしく英語も達者だった。それに旅で必要な知識を、良いことも悪いことも(笑)いろいろと知っていた。気がつけば俺はそのお兄さんに「BOSS」というあだ名をつけていた。
俺はBOSSにも、ネパールでライブをやりたいと思ってるって話をした。
BOSSは、「俺はこれからラオスに降りるけど、その後は決めてない。またなにかあればメールしてよ」と言った。



それから大理に滞在中は毎晩BOSSとBIRD BARで話をして過ごした。



数日後、そろそろ先に進まないと…と思い、俺らは麗江行きのバスのチケットを取った。Nさんがまだ麗江に滞在してるかもしれない。


BOSSに「今日、麗江に向かいますよ」と伝えたら、「渡したいお土産があるから、バスが出る前に俺の部屋によってよ」と言われた。
約束通り、俺は夕方出発するバスの時間の少し前にBOSS部屋に寄ったんだけど、タイミングが悪かったのかBOSSの姿は見えなかった。
別れの挨拶が出来ずに残念だったけど、しょうがないのでそのままバス停に向かった。またきっとBOSSとは会える気がした。



麗江までの移動中、山に沈む夕日をバスの窓から見ながら「BACK PACK BLUES」という曲を作った。



俺とC君は、BOSSからのアドバイス通り、5人のメンバーをそろえてからチベットに乗り込もうと話していた。
次の町麗江でもしNさんに会えたら、チベット移動メンバーに入ってもらおう。2人とも共通の友達なので話は早いはずだ。
あと2人はどうしようか。面白いやつがいるといいね。そんな会話をしながら麗江を目指した。



2度目の中国。まずまずのスタートだ。



しかし、俺らはこの後、中国旅行の本当の厳しさを痛いほど知る羽目になる。



続く。



rainmanになるちょっと前の話。《その5》



ふとした思い付きで、「ネパールでこの旅の間に作った曲たちを披露するライブをやってみたい」という目標が出来た俺は、ネパールに辿り着くまで、少しでもバンドのメンバーが増えればいいなと思い、バンコクで買ったギターのケース(麻の布を使用した手作り)に、マジックで「楽団員募集世界一蹴旅行」と書いた。※前回の記事の写真参照


「世界一周」だと叶わないかもしれないけど、「世界一蹴」なら嘘じゃないな、と思った。


ヴァンビエンからルアンパバンに戻り、そのまま中国国境を目指すために乗り合いバスでラオスを北上していた俺は、途中で通りかかる「ウドムサイ」という町で休憩を取ることにした。
なにもない普通の田舎町だったが、なにもないのがラオスのいいところ。


この町で一晩宿を取り、移動はまた明日にしようと思った。


俺は有名な観光名所がある町で動き回るより、名もない町で、現地の人がいつもと同じように暮らしているのを眺めながらゆっくり過ごすのが、なんとも言えなく好きだった。その点ラオスはいい。どこに行っても、これと言って何もない(笑)
東南アジアで一番好きな国は?と聞かれたら迷わず「ラオス」と答えるだろう。



ウドムサイに到着し、バス停近くの適当なゲストハウスにチェックインした後、腹が減っていたので外に飯を食いに行くことにした。
良さそうな食堂がないかと町をウロウロしていると、木でできた小さな橋に差し掛かった。


その橋を渡っていると、突然後ろから、「あの!ダイスケさんですよね?」と声をかけられた。
いきなり自分の名前を言われたので、ビクっとした。


「ラオスのウドムサイ」こんな超マイナーな場所で俺の知り合いなんているはずないだろ?!そう思いながら、ゆっくり振り返ると、一人の日本人の若者が大きなバックパックを背負って立っていた。勿論、見覚えのある顔じゃない。


彼は再び「ダイスケさん…ですよね?違います?」と言った。
俺「あ、はい…。そうですけど。。あなた…どちらさん?」(やべー、どこかで会った人だっけ…)
彼「あー!やっぱりそうだ!Nさんって知ってますよね?」
俺「え?!Nさん!?おー、よく知ってるよ!あ、君はNさんの友達!?」
彼「はい。以前、バンコクの屋台で日本人何人かと飯を食っていたら、その中の一人がとつぜん歌を歌いだして…。俺が『いい歌ですね、誰の歌ですか?』って聞いたら、その人が『ダイスケさんという人の歌です。君も東南アジアを旅していたらいつか会えるかもしれない…。ギター持って旅をしているから、もしどこかで見かけるようなことがあったら声をかけなさい。きっといい出会いになるから』って言ってくれたんです。それがNさんで…。」

それを聞いて俺は吹きだしてしまった。Nさんが俺の歌を、バンコクの屋台で、みんなの前で歌っているのを想像したからだ。
あの人、ベトナムで曲をプレゼントしたときに「この曲を歌って旅を続けます」って言ってたけど、ほんとに歌ってたんだ!(笑)


そう思ったら、この、声をかけてくれた若者に急に親近感が沸いてきて、「おーー!そうなんだ!!Nさんの友達なら俺の友達だ。よし!一緒に飯を食いに行こう!」と誘っていた。



どうやら話を聞くと、俺とその若者は同じ乗り合いバスで、ここウドムサイに着いたらしい。
移動中、俺がギターを持っているのに気付き、「この人はNさんの言っていた人かもしれない」と、ウドムサイに着いたら声をかけようとしていたのだが、到着時まごまごしているうちに俺を見失ってしまい、途方にくれていたところ、俺が目の前を通りかかった。という話だった。
どおりでまだバックパックを背負ったままなわけだ。
俺は、「じゃあ同じゲストハウスに泊まるか?」と誘って、彼を引き連れて宿に戻った。


いやしかし、Nさんが俺の歌を歌っているところに居合わせて、俺の名前を知り、そのあと本当に俺と出会ってしまうっていうのはすごい確率だ。これだから旅は面白い。


俺は、彼のことを「Cくん」と呼ぶことにした。この時まだ20歳。
今回の話はすべてイニシャルで書いているので説明が難しいのだけど、カンボジアのプノンペンで会ったT(19歳)と、C君は同じ名前だったため、俺が「区別するのに紛らわしい」という理由で、二人の名前を半分にわけて、後ろ半分を取って「C君」にしてみた。
俺の都合で、勝手にあだ名を付けられてしまったC君なのだが、割りとその通称を気に入ってくれた様子で、その後自己紹介するときなど、自ら「どうも、Cです」って言ってたな。



気付く人は気付いたと思うが、彼は後にブルースハープ奏者としてrainmanの正式メンバーになる「C→君」です。(※アルバム一枚目と二枚目は彼の演奏)


しかしまだこの時は、ブルースハープなんて触ったこともないのであった。


偶然なのか必然なのか、不思議な巡り会わせで、ウドムサイの橋の上で出会った俺とC君。
俺らが仲良くなるのにそう時間はかからなかった。
Nさんのことを話題にしながら、その日は酒をいっぱい飲んだ。


次の日、俺は「これからチベットに向かう。その後、ネパールに抜けて、ネパールでライブをするんだ。C君も一緒にライブしてみない?」と、早速メンバー募集活動を行っていた。
C君は「いやー、楽器はできないっすけど、でも、面白そうなんで同行しますよ」と言ってくれた。
「そうかい。まぁいいや!せっかくの出会いだし、一緒に中国抜けてチベット目指そうよ。」
そんなわけで俺とC君との二人旅が始まったのである。


この後、二人で中国雲南省に入り、さらに俺の旅は大きなウネリに飲み込まれていく。




続く。