rainmanになるちょっと前の話。13
どの町間の移動が一番過酷だったか?と聞かれたら、間違いなく俺は今回の「ゴルムド→ラサ間」の31時間に及ぶバス移動だと答えるだろう。大げさじゃなく、死ぬかと思うような移動だった。
俺とC君は、疲労と高山病でフラフラになりながらなんとかゲストハウスにチェックインし、その日はひたすら眠った。
次の日、後から来る3人のために泊まっているホテルの場所をメールした。
やっと彼らのことを考えられる余裕もできてきた。
ラサの街は、想像以上に美しかった。
ポタラ宮殿を遠くから見かけたときは鳥肌がたった。ポタラ宮殿は、中に入って観光できるらしい。「体調が戻ったら絶対いってやるぞ」と思った。
ラサでの生活は、高山病の症状もあってか、いつも浮ついた気分だった。憧れていた町にいるので気分が浮ついているというのもあったかもしれない。
空気が薄くて、走ればすぐに息は切れるし、酒を飲んでもすぐに酔っ払った。
なんとか標高に体が慣れてきて、高山病の症状も和らいできた頃、ついに残りの3人が到着した。
ホテルに入ってきた彼らを迎えたときは、少し涙がでそうになった。
彼らは案の定、疲労困憊の様子だったが、顔つきは自信にあふれていた。闇バス移動をやり遂げたという達成感が、そうさせたのだと思う。
その日の晩は勿論彼らが主役。闇バス移動の過酷な旅を、面白おかしく聞かせてくれた。
ホテルを移る際、壁をよじ登って抜け出したこと。
ホテルの壁を越えるとワンさんの用意した車が待っていて、乗り込んだ瞬間に、車の屋根に「TAXI」という看板をつけて出発したこと。
最初のチェックポストにバスが来るまで、粗末な山小屋で何時間も待機させられ、ばれないようにと外に用を足しに行くことも制限させられたこと。
チェックポストの先まで、荒野をひたすら重い荷物を持って全力疾走させられたこと。
2個目のチェックポスト以降は、公安が見に来たら「寝たふりをしろ」とワンさんにアドバイスされたこと(笑)。
移動時間は俺らを上回る35時間だったこと。
などなど。
無事に到着したからこそ言える武勇伝を、彼らは誇り気に話した。
俺も「くーー、そんな面白い体験を!」とちょっと悔しがりながら、彼らの話を楽しく聞いた。
とにかくこうやってまたラサで5人無事に揃ったのが嬉しかった。
一通り移動の話で盛りあっがた後、突然K君が「ところで、鳥葬見に行かない?」と言い出した。
鳥葬というのは、チベット仏教に古くから伝わる、人が死んだ後にする葬儀の一つで、ご遺体を鳥に食べさせて葬る儀式だ。
チベットでは酸素が薄いため火を燃やすということが困難であり、また土に埋めるにも、チベットの土は硬く荒れ果てていて死体を腐らせることも困難であるため、この方法での葬儀が一般的に行われていた。
今現在はどうなっているのか詳しくしらないけど、2000年当時は、「鳥葬ツアー」などと称して旅行者を寺に連れて行き、ある程度のお布施をすればその儀式が生で見ることができた。
「死体が鳥に食べられるのなんて見たくねーよ」と、嫌がるものは、当然のように俺ら5人の中には一人も居なかった。
それどころか、「そんなの見れるチャンスは滅多にない!行こう!どうやったらいけるんだ!」と、みんな盛り上がった。
不謹慎とか、そういうことのまえに、我々貧乏旅行者というものは好奇心の塊でできあがっているのだ。
そうじゃなきゃ、こんな過酷な旅を好き好んでやったりしない。この星の上で起きてることを何でも見てやろう!という気持ちでしかないのだ。
Nさんが「メールで知ったんですけど、麗江で会った旅人(♂)の一人が、今ラサに来ているらしいから、明日彼の泊まっているホテルに行って、鳥葬のことも詳しく聞いてみましょう。彼ならきっとなにか知ってるはずです」と言った。
俺らも麗江で一緒に遊んだことのある旅人だったので、「いいねー!じゃあ明日さっそくそのホテルに行きましょう!」ということになった。
次の日。
俺らはさっそく麗江で会った旅人が泊っているというホテルに5人でやってきた。
そのホテルはラサの中でも日本人に人気のあるホテルのようで、たくさん日本人旅行者が滞在していた。
中庭があって、その周りをコの字に建物が囲んでいる立派なゲストハウスだった。
俺はちょっと建物の中を散策してみようと上のほうまで登ってウロウロしていた。どの部屋からも中庭が見下ろせるし、屋上に行けば「ジョカン」というラサで有名なお寺も見えるし、人気があるのがわかる立地だった。
その時、Nさんが中庭から上を見上げて俺を呼んだ。
「大輔さーーん!ちょっと!」
俺はテラスから中庭を見下ろした。
Nさんは麗江で会ったその旅人と無事に再会を果したようだ。しかしよく見るとその旅人の横にもう一人女性がいる。民族衣装を着ているようで、俺はチベット人かなと思った。
俺「Nさん!どうしましたか?」
Nさん「大輔さん!キーボード見つかりましたーーーー!!」
(キーボード?)
俺「え?どういうことですか?!」
Nさん「バンドの新メンバーですよ!とりあえず中庭まで下りて来てくださーい!」
なんのことやらと思いながら下に下りた。
Nさんが、さきほど上から見えた民族衣装の女性を俺の前に連れてきた。「Oさんです!」
ニコっと笑って、そのOさんという女性は頭をさげた。近くで見たらどうやら日本人のようだ。
「え?どういうことですか?」と俺は、まだわけがわからなかった。
「いや、大輔さん中国移動の旅でよく言ってたじゃないですか!俺のギターだけだと音が薄いからピアノ弾ける人でもほしいって!彼(麗江で会った旅人)が、俺らがバンド組んだの知ってて、それで彼女を紹介してくれたんですよ!ピアノ弾ける人このホテルにいるよって!」
Nさんは、興奮してるのか、めちゃくちゃ満面の笑みだった。
「あ、そ、そうですか…。はじめまして大輔といいます…」と、俺はその彼女に挨拶をした。
ひさびさに日本人女性と話したということもあり変な緊張をしてしまった。Nさんの興奮も少しわかる気がした。
「あの…キーボード弾けるの?」
「うん。キーボードがあればね(笑)」
「あ!そうだよね。。普通キーボード持って旅してないよね(笑)」
そんな会話をした。
Oちゃんは、このホテルに滞在してる日本人の中でも一番の古株で、チベットのことにとても詳しかった。
またしっかりとチベット仏教を理解していて、チベット人の考え方や生き方を愛していて、それ故チベット民族の服装をしているのだった。
俺ら5人の誰よりも、旅に出ている期間が長く、もうすぐ1年を迎えると言っていた。
歳は俺よりも1つ下だったけど、長く旅をしているせいかとても落ち着いて見えた。
俺は改めて話をした。
「俺らは、これからネパールに入るんだけど、ポカラでライブをしようと思ってるんだ。もしよかったらその時一緒にやってくれない?」
Oちゃんは「どんな音楽?」と聞いてきた。
確かにそうだ。いきなりライブやろうって言われても困っちゃうよな。と思い、
「もし、今日これから時間あるなら、俺らのホテル来ない?そこで聞かせるよ」と言った。
Oちゃんは「うん、いいよ」と答えた。
俺らは、どきどきしながらOちゃんを連れてホテルに戻った。
そして、中国での移動で練習してきた曲を演奏することになった。
練習はたくさんしてきたが、みんなで人前で演奏するのはこれが初めてだった。
俺がギターを弾き、Nさんが歌う。
C君とTが二人でブルースハープ。
K君はにやにやしながら隣で聞いていた。
たった一人の前で演奏するだけなのに、俺らはガチガチに緊張していてまったく練習どおりにはいかなかった。
なんとか1曲歌い終わって、はぁとため息をついた。
こんなんでライブをするなんてよく言えたものだ。
「こ、こんな感じなんだけど…」と、俺は照れ隠しもあり苦笑いしながらOちゃんを見た。
Oちゃんは真剣は顔をしていた。
そして、静かに笑ってこう言った。
「いい曲だね。私もバンドのメンバーにいれてくれますか」
続く。









