rainmanになるちょっと前の話。21
ホテルひまりのオーナー・ラジューの提案で、俺らはレイクサイドにあるライブレストラン「クラブ アムステルダム」でライブをする前に、「ホテルひまり」の中庭でまずライブをすることになった。
俺は最初「スピーカーとかアンプがないと無理だよ」と言ったのだが、ラジューは「大丈夫、なんとかするよ!」と、自信たっぷりなのだ。
ラジューにはお世話になっているし、せっかくの好意なのでやってみることにした。
いきなりレイクサイドのお店でライブをするより、ラジューの言うとおり一度練習がてらミニライブをやっておくのもいいかもな、と思ったのだ。
というわけで突然間近にライブが決ったのだが、実はこの時、俺らはある問題をかかえていた。
例のラサで買ったOちゃんのキーボードなんだが、またしても欠陥品だったのだ。
最初に買ったキーボードは、一つの鍵盤を押した状態だと他の鍵盤を押しても音が出ない…つまり和音が鳴らないという欠陥だったんだけど、次に買ったキーボードは、「ド」の位置の鍵盤を押すと「ミ」が出るのだ(笑)
「レ」は「ファ」になる。
つまり鍵盤の音が全体的に2音ずつずれていた。
本当に素人まるだしで恥ずかしいのだが、俺らは全員、しばらくそのことに気付かずに練習していたのだ。
「なんでこんなに音が合わないのだろう。気持ち悪いなぁ」と思ってはいたのだけど、俺のギターのチューニングが狂いやすいのが原因だとばかり思っていた。しかしギターをキーボードに合わせてチューニングすると、今度はブルースハープと音が合わない。まさか鍵盤そのものの音が狂っているなんて考えもしなかったので、原因がそれだとわかった時は目からウロコ状態だった。またしても中国クオリティにやられたようだ。
しかしOちゃんはめげなかった。原因がわかって良かった!と言って、すべての曲のキーを2音ずらして楽譜を書き直しはじめた。キーがEの曲なら、OちゃんだけはCで演奏するのだ。ややこしいけどしょうがない。ライブは間近にせまっているのだ。Oちゃんが頼もしく見えた。
練習、練習の日々の中、ホテルひまりに新しいメンバーが増えた。
いつものようにホテルの中庭で、ラジューの子供たちと日向ぼっこしていたら、BOSSが入り口から入ってきた。
中国・大理でお世話になった、あのいかついお兄さん「BOSS」である。
「うをーーー!来てくれたんすねーー!」
「なんか、おもしろいことになってるみたいだから遊びに来たよ」
固い再会の握手をした。
BOSSはK君の滞在しているドミトリーで生活するようになった。
K君は楽器をやらないので、BOSSという同居人ができて嬉しそうだった。
そしてもう一人メンバーが増えたのだが、この旅人に関しては少し説明をさせてもらいたい。
彼の名前は仮に「Zさん」ということにしておこう。(イニシャルが他の人とだぶるので)
Zさんと最初に出会ったのは、今俺がしている2000年「最後の旅」の約3年前。
俺はその時インドのバラナシという街にいた。
バラナシではビシュヌレストハウスというガンジス川沿いのホテルのドミトリー(共同部屋)にチェックインした。
1泊約50円のそのドミトリーは、長方形の部屋にベッドが10個くらい並んでおり、一つ一つのベッドの枕の先に小さな小窓が付いていて、その小窓からはガンジス川を見下ろせるというステキな環境だった。
そして、俺が割り当てられたベッドの隣に、たまたま滞在していたのが「Zさん」だったのだ。
俺はこの時、初インドで、入国して3週間目という状態だった。
そして、正直に言うとかなり「インドが嫌い」になっていた。
最初に飛行機で降り立った深夜のデリーでは暗闇から石を投げられ「ふぁっきんじゃっぷ!」と言われ、旅行代理店ではだまされ、商店ではおつりを毎回ごまかされ、腹は壊すわ、人は多すぎだわ…とにかくインドに惨敗中の情けない旅を続けていたのだ。
そんな時、Zさんの存在には大変助けられた。
Zさんのベッドは一目で「長期滞在しているな」とわかるほど「自分の部屋化」されており、実際そうだった。
チェックインしたばかりの俺に気さくに声をかけてくれ、「少し街を案内するよ」と散歩に誘ってくれた。
ガート(沐浴場)沿いの、彼が贔屓にしているというチャイ屋に行ったり、美味しいヨーグルト屋を教えてくれたりしながら、バラナシに着いたばかりの俺にとって非常に参考になる「この街で生活するコツ」をZさんは教えてくれた。
Zさんは現地の子供たちにも大人気で、すれ違う子供がみんな彼に挨拶していった。そんな風景を横目で見ながら、こんな風に軽やかにインドの街を歩けたらステキだなぁと俺は思った。
Zさんとはバラナシで別れた後も、すぐにネパールのポカラで再会した。俺はその旅で初めて「ホテルひまり」に滞在したのだが、Zさんがわざわざ「ひまり」まで訪ねてきてくれたのだ。一緒にひまりで生活し、トレッキングに行ったり、ダムに遊びに行ったり、俺らは親友と呼べるほど仲がよくなっていた。
日本に帰国してる間も、Zさんとはたまに会ったりしていた。
Zさんは北九州に住んでいたのでなかなか頻繁には会えなかったが、彼が東京に遊びに来てるときなど、俺に連絡をくれたのだ。
そして今回の旅で、俺が日本を出国するにあたり船で下関から出ることになったので、「それなら北九州にいるZさんのところにも寄らせてもらおう!」と、出発前に連絡をしていたのだ。
しかしZさんの答えは意外なものだった。
「だいちゃん、実は俺もちょうどその頃から旅に出るんよ。だから日本では会えないけど、ベトナムか中国か、旅の間に再会しようや」と言うのだ。
「そうなんだ!それは偶然だね!じゃあ旅先で会おう!」と答えた。
そして、今回の旅の間、俺はEメールを通してZさんに連絡し、何度か接触をはかったのだけど、なかなかタイミングが合わずに会えずじまいだったのだ。
Zさんと俺はそんな関係だ。
話を本編に戻そう。
ある日、ホテルひまりの屋上で俺は洗濯物を干していた。
屋上つきのホテルは、洗濯物が広々と干せるという利点があるので好きだ。旅人にとって洗濯は大仕事なのだ。なるべくならカラッとした天気のいい日に一気にやっつけてしまいたい。その日も天気がよかった。
ホテルひまりの隣には、手を伸ばせば触れるくらいの近さでもう一つ3階建ての大きなゲストハウスが隣接されていた。
ひまりは2階建てなので、屋上に上ると、隣のホテルの三階部分が見える感じだ。
そこも日本人に人気のあるホテルのようで、いつも慌しく人が出入りしていた。
トランクスを干していると、突然隣のホテルの窓がガラっと空いた。
窓を開けた人物と目が合った。
Zさんだった(笑)。
「うをおお、Zさんじゃん!!!びっくりしたよ!!!ネパールにいるなら連絡してよー!」
「いやいや大ちゃん久しぶり。なんかライブやるとかメールで書いてあったから来たんだけど、ひまり部屋埋まってるっていうからさー」
「なに言ってんの!言ってくれれば部屋くらい空けるよー!移ってきなよー!」
「あ!そう?じゃあそっち行くわ」
と、Zさんは言い、なんとその部屋の窓から体を乗り出し、そのままジャンプしてひまりの屋上までやってきた。(どんなチェックインやねん!)
こうしてZさんとやっと再会を果たし、俺はとても心強い仲間を得たのだ。
そうこうしている内に、ひまりガーデンでのライブの2日前となった。
キーボードもキーを変えて楽譜を書き直し、全体的にもなんとか聞かせられるかな?という感じだったが、まだまだ不安は消えなかった。
そんな時、また一人、ひまりに旅人がやってきた。
Mさんだった。
Mさんを覚えているだろうか。
チベット・ラサで鳥葬に行く前にOちゃんらと一緒に呑み、パスポートを無くし占い師に相談して見つけたというエピソードを持つ大アニキMさんだ。
Mさんはあの後ネパールを超え、インドまで下りたのだが、俺らのライブがやはり気になり戻ってきたという。
一度通り過ぎた国に戻るのはなかなか出来ることではない。俺らは宴を開き、再会を喜んだ。
その時、Nさんが「こうなったら一緒にライブやっちゃいましょうよ!」と言った。
Oちゃんもそれに乗り、「Mさん一緒にやろうー!!」と言い出した。
ライブ直前になってメンバーになれと言われてもMさんにとっては迷惑な話だ(笑)。
Mさんは勿論「誘ってくれて嬉しいけど丁重にお断りします。」と言った。まぁそうだろう。
ところがみんな引き下がらない。
きっと、ライブ直前で本当に自分達でライブなど出来るのか?という不安故、最年長の落ち着きのあるMさんを仲間にして、自分たちも落ち着きを取り戻したかったのだろう。
俺は、みんなの気持ちも察してMさんに話しかけた。「シェイカーとかならリズムに合わせて振ってもらえればいいし、座ってくれてるだけでもいいので、Mさんやってくれませんか」
Mさんもさすがに根負けしたようで、「そうですか。では力になれるかわかりませんが参加させてもらいます」と言ってくれた。
無理に誘って申し訳ないという気持ちが強かったが、Mさんも男気のある人で「引き受けた以上は楽しむ!」と言った感じで練習に参加してくれ、俺はほっとした。
こうして「菩提樹の実のビッグシェイカー奏者」として、MさんがTHE JETLAG BAND!!!のメンバーとなった。
そしてついに、満を持して「ホテルひまりガーデンライブ」当日を迎えたのだ。
続く









