rainmanになるちょっと前の話。20





ホテルひまりオーナー、ラジューの粋な計らいでゲストハウス全体を占領できることになった我々THE JETLAG BAND!!!。


ホテルひまりは2階建ての屋上つき。玄関を入ると正面に中庭があり、その庭をコの字に囲むように宿舎が建っている。
1階は、ラジュー家族の部屋や食堂などが入っていて、ホテルの客はほとんど2階に滞在する形になる。屋上にも一つ部屋があった。
俺ら7人は各自好きな部屋に陣取った。



俺は前回ひまりに滞在していた時に泊っていた部屋を希望した。
一番広く、日当りのいい「角部屋」である。
みんなが集まることも多いと思うし、一応今回のバンド遊びの発起人でもあるので、みんな俺がそこに陣取ることを了承してくれた。



俺の部屋の左隣の小さな部屋はC君が入ることになった。
C君ルームは2階の一番左端の部屋にあたり、部屋の真下は、ホテルの出入り口でもある受付のある部屋にあたった。
自分の部屋より、俺の部屋にいるほうが長いのでは?と思うくらい、C君は俺の部屋にいた。
帰るのは眠るときくらいだった。


俺の部屋から右側は、庭を囲むように5つ部屋が並んでいる。
すぐ隣はキーボード担当の女の子Oちゃんの部屋になった。
女の子らしく、いつもきれいに使っていた。



その隣は、S君が陣取った。
S君は「この部屋、カフェにするわ」と突然言いだし、毎朝「仕入れ」と称して買い物に行き、お菓子や軽食類、水やお茶やジュース等をまとめ買いするようになる。


最初はみんな「S君いったい何を始めたんだ!?」と物珍しそうに見ていたのだが、後々この「カフェ」がとても便利で役に立つ場所だと痛感させられる。


「ちょっと水が切れちゃったけど外に買いに行くの面倒だなぁ」なんて時や、「小腹が減ったけど深夜だし食堂は閉まってるなぁ」なんて時は、S君カフェに寄れば大体の要望が叶うのだ。勿論料金はカフェマスターのS君に払うのだけど、外で買う値段と変わらない。まとめ買いするので少し安いくらいだ(笑)


このカフェは、日が経つにつれどんどんクオリティがあがり、「LAG TIMERS CAFE」という名前まで出来、看板やメニューなども作られた。
ときどき他のホテルに泊っている旅人なんかもカフェの客になっていた(笑)。


色んな旅人に会ったが、ゲストハウスの自分の部屋を「カフェ」に改造したやつは後にも先にもS君ただ一人だ。こういう柔軟で遊び心のあるやつが俺は好きだった。



S君の部屋の隣は、階段とシャワールームのスペースがありそこが建物のコーナーになっている。
各部屋にシャワーは付いているのだがドミトリー客(共同部屋)用のシャワーがここにあるのだ。


階段を超えて、次の部屋がNさんの部屋だ。
Nさんの部屋のドアには、いつのまにか「N整体研究所」とかかれた札が貼られてあった。
まったくどいつもこいつもホテルの部屋を勝手にいろんなものに改造したがる(笑)


ある日、「Nさん、整体研究所ってなんすか?」と俺が聞くと、「私は昔から『微動術』というマッサージを研究しているのです。是非、体がお疲れの時はご予約いれてください」と言われた。
「微動術??なんすかそれ??あの、いま予約していいっすか?(笑)」
「わかりました。では楽な服装でベッドに横になってください」


何が始まるのだろうと、どきどきしながらNさんの部屋のベッドに仰向けになっていたら、いきなりNさんは俺の両足首をつかみ、そして俺の体をとても細かく揺すってきた。


最初は戸惑ったが、しばらくして慣れてくるとこの細かな揺れが心地よいことに気付く。全身の力が抜けていき、頭がまっしろになった。リラックス効果絶大だ。
俺は気付いたら眠ってしまっていた。起きたらすでに窓の外は暗くなっていて、俺の体には毛布がかけられていた。「あ!すいません。いつのまにか寝てしまって…」と言うと、Nさんは「構いませんよ。お疲れになっているのでしょう。」と言いながら横でお茶を飲んだりしている。


うーむ。。恐るべし微動術!おそるべしNさん…。


「変な部屋ばっか…」とつぶやきながら、カフェを横切り俺は自分の部屋に戻ったのだった。



Nさんの部屋の左隣がTの部屋だ。

Tも、C君と同じようにほとんど俺の部屋にいた。
TもC君も、ブルースハープだけでは飽き足らず、ギターも教えてほしいと言い出し、俺は基本的な音の構成やコードの押さえ方なんかを彼らに教えた。
相変わらず二人とも上達は早かった。



Tの部屋を超えた先にある部屋が、2階の一番右端の部屋にあたる。
大部屋になっていて、ベッドが4つほどあり、ドミトリーとして使われていた。
ここにK君が陣取ることになる。


ここはあまり日当りがよくないせいか、K君は、昼間はほとんど、屋上か、S君カフェにいた。
天気がいいと屋上からは大きく連なるヒマラヤの中の「アンナプルナ山脈」が見渡せた。
アンナプルナ山脈の中で一際目立つのが「マチャプチャレ」である。
マチャプチャレの頂上付近はフィッシュテールとも呼ばれ、まるで魚の尻尾のようにとんがっていてかっこいい。


俺は富士山の次に好きな山だった。



俺らは毎朝10時に食堂に集合し、バンドの練習をしようということにした。
食堂を練習スペースとしてラジューが提供してくれたのだ。
広くて、椅子やテーブルもたくさんあるし、音が響くので練習には最適な場所だった。

午前中精一杯練習をして、午後は各自自由に自分の旅の時間を過ごした。



ポカラの町で旅人が拠点とする場所は、「レイクサイド」と「ダムサイド」の二つに別れる。
レイクサイドは、欧米向けのレストランや土産物屋、ホテル等が多くたくさんの白人さんたちで賑わっていた。
ダムサイドは比較的田舎風景で、小さな食堂やリーズナブルなゲストハウスが多かった。日本人はダムサイドの方が性に合うらしく、多く滞在していた。


ホテルひまりも、ダムサイド側にあった。


ダムサイドもレイクサイドも、大きな湖「フェワ湖」で繋がっている。湖沿いを歩けば30分くらいで行き来できる距離だ。



俺はよく、午後はフェワ湖にボートを浮かべ、ゆらゆら揺れながら過ごした。
マチャプチャレに見下ろされながら、緩やかな午後の日差しで湖の水面がキラキラ光るを眺めるのが、たまらなく好きだった。




ある日、ラジューが俺を呼び止めた。
「だいちゃん、ちょっとレイクサイドまで一緒にいかない?紹介したい友達がいるんだ」
暇だったので俺はその誘いに乗った。ラジューのバイクの後ろに乗りレイクサイドまで向かった。

ラジューは「クラブ アムステルダム」という名のレストランに入っていった。いい名前だ。
レイクサイドの町のど真ん中にある、大きなレストランだった。
店はウッディーな感じで統一されて雰囲気があり、店の奥はテラスになっていて、その向こうにはフェワ湖も見えた。


ラジューはその店のオーナーだという男性を俺に紹介してくれた。ラジューとは幼馴染だという。
「だいちゃん、ライブやりたいって言ってたよね?この店どうかな?と思って」とラジューは言った。
え!ここ?こんな立派な店でやっていいの?!と俺は思った。
「今、オーナーと話したんだけど、ぜんぜん使ってもらって構わないって。アンプやスピーカーも一通りあるし、たまに地元バンドがライブやってるんだよ」とラジューは言う。
オーナーの男性はニコニコしながら頷いている。


俺らにこの店に相応しいほどの演奏ができるかなー?と少し不安もあったが、せっかくのラジューの好意だ。俺は「ありがとう!ぜひやらせてもらうよ!」と言った。


いつにする?というので、練習期間ももらいたかったし約2週間後の週末を押さえた。


というわけで、いきなりライブをする場所と時間が決まってしまった。
ラジューに相談すればなんとかなると思っていたが、まさかここまでスムーズにいくとは。
俺はオーナーと握手をして、店を出た。



ラジューのバイクに乗りホテルまで戻る間、徐々にライブが決まったという実感が沸いてきて緊張した。


その夜、メンバーに「日にちと場所が決まったよ!」と、報告した。


みんな喜んではしゃぐというよりは、「ついに具体的に動き出したか!」と、気合を入れてる感じだった。


次の日の朝練習からは、前日までとは比べ物にならないくらいみんなに集中力があったのは言うまでもない。


練習を終えて、みんなで色々とミーティングをしていると、ラジューが食堂に入ってきた。
そしてラジューは、俺らに思いがけない提案をしてきたのだ。




「みんな!今度の週末、練習がてら、うちの庭でライブやってみない?」





続く。