rainmanになるちょっと前の話。4
メコン川を大きなスローボートに乗ってゆっくり1泊2日かけて下っていくと、ルアンパバンという町に着いた。
この町は、町全体が世界遺産に登録されていて、とても雰囲気のいい町だった。
オレンジ色の鮮やかな服をまとった僧侶達が、朝靄の中を行列をなして歩いているのを見ると心が晴れていくような透明な気持ちになった。
俺はこの町から、ラオス中国国境までバスで北上して急いで中国を抜けようと考えていた。
しかしインターネットカフェに寄ったら、ある一通のメールが届いていて、少し展開が変わってくる。
旅人のインターネット利用は1995年ごろから少しずつ普及していって、2000年のこの頃は誰でも一人1つフリーアドレスを持って旅するような状況になっていた。この頃にはアジアの町のほとんどに必ずと言っていいほどインターネットカフェがあり、通信速度は決して速くはないけど、メールのやり取りをするのには十分だった。インターネットが普及する前の旅は、郵便局留めで手紙をもらって取りにいくか、高い国際電話くらいしか、流れ者の放浪者と連絡をとる方法はなかった。郵便局で手紙を受け取る瞬間の感動なんかを体感すると、その頃も情緒があっていいなとは思うけど、やはりリアルタイムで情報交換できるEメールは旅人にとって相当心強かった。
メールの送り主は、ベトナムで出会い仲良くなったS君だった。
彼も今ラオスにいるという。
彼が今滞在してるのはヴァンビエンという村で、そこが「めちゃくちゃ最高だからちょっと遊びに来い!」という言うのである。
ヴァンビエンはルアンパバンから半日ほどバスで南下したところにあるラオス中央部の村だった。
急いで北上しようとしてる俺は少し迷った。一度南下すると遠回りになるからだ。
S君はメールの最後にこう書いてあった。「ヴァンビエンを見なきゃラオスは語れんよ」
俺は、「よし。そんなに言うなら、ちょっと遠足にでもいきますか!」と思い、「わかった、じゃあ明日のバスを予約して向かうよ」と返事をした。
どうせ一人旅なんていうものは、急いだところで思い通りに事が進まないということを今までの経験上わかっていたし、S君とも再会したかった。
S君はヴァンビエンで最高のおもてなしをしてくれた。
バスから降りると、すでに発着所で待っていてくれて、「おー、大ちゃん良く来たね!部屋は取ってあるから!」とゲストハウスまで案内してくれた。
20世紀のヴァンビエンは、昔の、少しずつ旅行者が集まりだした頃のカオサンに似ていた。
これからどんどん変わっていくんだろうな…って感じる町の雰囲気、静かに動き出そうとする活気が、その田舎町にはあった。
ヨーロッパやイスラエルのヒッピーが多く、みんな自由に楽しんでいた。
俺はS君と毎日いろんなところに散歩に行ったりして、のんびり過ごした。確かに、ヴァンビエンを見なきゃラオスは語れんかもな。と思っていた。
そんな日々を「ヴァンビエン村(※雨々「えびとかげ」収録)」という曲にして、二人で唄っていると、ふとあることが頭をよぎった。
「ネパールでライブがしたいなー」
ぞくっと鳥肌がたった。
俺はすぐに、まくし立てるようにS君に提案した。
「今、ふと思ったんだけど、俺がいままで旅先で会ってきた旅人に声をかけて、ネパールに集合してもらって、そこで俺がいままで作った唄なんかを歌えるようなライブが出来たら楽しいなと思うんだけど、S君どう?」
S君はあっさり答えた。「ええよー」
俺は過去に何度かネパールを訪れていて、ポカラという町に仲のいいネパール人の友達がいた。
彼は「ホテルひまり」というゲストハウスのオーナーで、日本語も達者なので、ちょくちょく連絡をとっていたのだ。
俺は、そのオーナーに頼めばライブするにあたっての手助けをしてくれるのでは?と考えていた。
いきなり沸いて出たこの発想。冷静に考えるとまったく現実的ではないのだけど、なぜか漠然と、その風景が頭でイメージできた。
決して、音楽活動を再開しようと思ったわけではない。ただ、最初のギターを買ったときの「暇つぶし」の延長で、面白いことがしたかったのだ。「最後の旅」、遊びたいだけ遊んでやろう。
俺らは、その後何をしたかというと、早速そのネパールの友人に連絡を取るためネットカフェへ走った!なんてことはまったくなく、部屋でのんびり、まずバンド名を考えた(笑)
そして「THE JETLAG BAND!!!」という名前に決めた。
JETLAGというのは「時差ぼけ」って意味。なんとなく旅人っぽいからこれにしよう。と、大して深い意味は考えずにバンド名が決まった。
そして、俺がヴァンビエンを出る日がやってきた。
バスを待ちながら、二人で並んでタバコをすった。
S君はこのあとミャンマーやバングラディッシュ、インドなどを回る予定だと言っていた。
俺は北上してチベット越えた後ネパールに下りるよ!と言った。
じゃあネパールで再会しよう!と、俺らは固い握手をして別れた。
この時の別れをテーマに「青いバス」という曲を作った。
メンバーはまだ二人しかいないけど、バンド名が決まった。それだけでなにかワクワクした。
ヴァンビエンからルアンパバンに戻るまでの、バスの窓から見える景色が、来たときよりも違って見えた。
続く。



















