今日という日に隔週月曜更新の“DIARY”が回ってきたということは、そういう運命なのかなと思う。
3.11から今日で13年。
13年前……僕はまだランドセルを背負った小学生だった。
と言っても、卒業を2週間後に控えた小学6年生。『小学校に来るのも残り僅かだな。』と思いながらの日々を過ごす中で、3.11が起こった。
揺れたのはたしか2回。
教室でテスト返却の真っ只中だった。
1回目の揺れの後に校庭に避難した。
しばらくして安全が確認出来たと教室に戻ったら、まさかの2回目。
学校側は2回目の大きな地震で“異常”を感じ取り、授業を切り上げて全校生徒を帰らせる決断をした。
僕はというと、そこまで異常を感じ取ってはいなかった。
と言うのも校舎自体が新しいどころか、新校舎に移ってから1週間しか経ってなく、以前の地震との比較も出来ないし、耐震がしっかりされていたおかげでそこまで大きな揺れを感じなかったのだ。
家に帰ってTVの映像だったり、自分の部屋の本棚に並べていた本が床に散乱しているのを見て初めて事の重大さというか、とんでもないことが起こったことを察知した。
学校側の授業を切り上げて全校生徒を帰らせる決断は保護者の間では後に議論の対象になった。
迎えに来れる保護者には迎えに来てもらい、ある程度の時間が経ったら残っている生徒も一斉下校というシステムだったと記憶しているが、家に帰っても親がいないという状況は大いにあり得るし、家の鍵を持っていない且つ家に誰もいないという状況もあり得るわけで……そういった生徒を各地に分散させてしまうよりは学校に待機させた方が良かったのでは?という話が挙がった。
冷静に考えればその通りなんだけど、現場はパニックだっただろうし、今なら災害時の対応は色々とシミュレーションしてるだろうけど、当時は災害に対しての危機感はそこまでなかったと思う。。。
13年前のこと……曖昧な部分もあるけど覚えている限りのことを書いてみた。
……
まあ結局、準備しておくしかないんだよな、こっちに出来ることは。
自然のことなんて分からんし。
“Adiós”.