漫画がドラマ化されたことで
自殺者が出ましたね。
一つの重大事件の背後には
無数の事件が隠れているもので
一即多
ショックを受けた原作者が
予告もなく長期の連載を中断してしまったドラマもあるそうです。
文末で比較
考えてみれば
自殺してしまうのも
本業ができなくなってしまうのも
PTSD反応ですね。
ネガとしては
盗作されたと妄想して
思い込みはオソロシイ…
死刑囚になりかけている人も出ました。
そのよい☯わるいという
二元論を超えた立場がジブリで
インスピレーションのコンプレックス(複合体)が許されるのは
原理を外していないからでしょう。
原理というものは外せなくて
むしろ1つでなければならないわけです。
原作に忠実な漫画と
全く違うようにみえて原作を深めたアニメ
― ジブリはいつも原作と宗教哲学のガイドブックでもある。
二種類あってよい
まず
影や偽りの自己の表現から
夢や白昼夢における投影が多い。
『十牛図』に気づき
なくてはならない大事なものを失って探しにゆき
― 真理
手がかりも自分も殺害されかかり
(徹底した自己否定)
自己変容する。
『カラマーゾフの兄弟』が入っているなと思っているうちに
東洋では
父親殺しじゃなくて母親殺し
やたらと鳥が出てくるところから
一羽(ひとり⁉)だけ@一即多 なのが右のアオサギ
左の眞人のパンクな頭の自傷行為のあとが
悪意の象徴という意味が難問だった。
『白鳥の湖』のモチーフもみつかりましたよ。
ドストエフスキーも
カラマーゾフを2年後に書き始めている。
殺害された父親のES的デタラメさなんかも
あるまじき王家での乱暴狼藉として
― みんな呑みすぎて家庭教師が居眠りするところから始まる(^^♪
インスピレーションを受けていると思いました。
DV父に母親を殺害された直後から
継母に殺害されそうになり
白鳥にされてしまったオデット姫は
実の娘を殺害されたおじいさんの涙でできた湖にいて
王子と出会い
父亡きあとの母親が勧める結婚はしたくないので
― 自我とESの安直ないつわりの結合
鬱になり湖に彷徨った。
― 眞人が夢をみたり十牛図の真人が自然のなかに入るようなもの
王子が悪を見破れば
ひとりの踊り手が白鳥と☯黒鳥を踊る。
オデットとオディール
純粋自我と邪魔する悪魔の娘
― 第三の目で見性できるはずだが…
『ブラックスワン』では
その葛藤でこころを病む様子がテーマとなった。
イワンも観た悪魔
フツーにみればわかるけれども
悪の魅了する力はパワフルに純粋なものを引きずり落とす。
魔法が解けるというお話
― 最後は人牛倶忘で聖なる結婚という原作
―― どうも死んでしまう悲劇と考えられているようだけど
インコやペリカンの烏合の衆ではない。
侍女たち(作品ではおばあちゃんたち)
半鳥人
鳥の表現はとても難しく
― 長年修行僧のように心身酷使した人しか踊れない。
着る人踊る人を窮極に選ぶ
たいていはバカ殿になる。
見た目は違うけど
根本的には似ていると思うのです。