龍神の結界の中、異国から来た神々がともに祀られる領域 - 日立市 御岩神社

 

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日立市の”御岩神社”、および常陸太田市の”春友彫刻の森”をめぐった。

御岩神社の創建年は不明だが、縄文時代の祭祀跡が発見されたり、 西暦721年に成立した常陸風土記に、この地に「天つ神鎮まる」と記述されているように、”御岩神社”として成立する以前からこのエリアは聖域だったのだ。

 

境内には神仏混淆がそのまま残されており、ちょっと奇異な感じがする。

江戸時代、水戸藩による寺社改革によって神仏混淆が否定され、領内の神社と寺は徹底的に分けられた。

その後、明治時代になって廃仏毀釈運動が起こり、神仏混淆はまさに息の根を止められた。

 

それにも関わらず、御岩神社には仏教の阿弥陀如来や大日如来が、「神々として」祀られている。

龍神の結界の中、異国から伝来した神々がいまなお祀られているのだ。

 

御岩神社の神仏混淆に対して、誰も手が出せなかったのだ。

もちろん、御岩神社が政治的な権力を持っていたことはない。そんな生臭い話ではなく、ただ「御岩神社の神仏混淆に、誰も手を出していない」という事実があるだけなのだ。

 

木洩れ陽の下、湧水は枯れることなく境内を流れている。境内のほぼ全域を苔が覆い、仏教式の古い墓標もまた苔に覆われている。

「ここには誰も手が出せなかった」ことが、まるで一つの謎であるかのように思えてくるのだ。