かつて神々が戦ったとされる湿原に、大水の跡は残る - 栃木県 奥日光、戦場ヶ原、小田代ヶ原

 

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AF Nikkor 75-300mm 1:4.5-5.6 S (NIKON)

 

 

奥日光に行った。奥日光は一年ぶりだが、去年行っていなかった場所を選んだ。具体的には戦場ヶ原、小田代ヶ原、それに東照宮の裏手奥にある滝尾神社だ。

 

去年は尾瀬ヶ原湿原と切込湖および刈込湖をメインに置いたので、このあたりはゆっくり歩いていなかったのだ。

この記事では戦場ヶ原と小田代ヶ原をご紹介したい。

 

昔々、男体山の神と赤城山の神がここで戦ったというのが”戦場ヶ原”という地名の由来なのだそうだが、そもそもそれに疑問を持っていた。

勝道上人によって中禅寺が開山されたのが西暦784年であり、戦場ヶ原の発見はさらにその後だったろう。それなら神話が成立したのも、それ以降だろう。

 

神々の戦いというのは、古代の豪族の戦いが神話化されていたりするものだが、戦場ヶ原が豪族同士の戦いの場であったなど、考えにくい。

個人的には”戦場ヶ原”は広いから、”千畳ヶ原”あたりが本来の名前だろうと思うのだ。

しかし”戦場ヶ原”の方がカッコ良い。そこで村の知恵者が「神の戦いの物語」を作ったのだろうと思うのだ。

 

と考えていたのだが、去年、その考えが変わった。

それは戦場ヶ原から奥山に入った切込湖と刈込湖の存在だ。荒々しい火山岩に囲まれた二つの神秘的な湖は、流入する川も流出する川もなく、水位も常に同じだ。

 

どこか、巨神兵に守られた神族の王子と王女といった感じがするのだ。

この二つの湖を合わせて考えるなら、戦場ヶ原が神々の戦場であったという欧州神話的なドラマも成り立つような気がするのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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