描き出されてゆくものとそれを守るもの - 高萩市 高戸海岸周辺、日立市 田尻
暑い日は海岸ルートだ、ということで、高萩市の海岸通りをめぐった。
で、やはり暑かった。
海辺の断崖の森の中に、「万葉の道」と呼ばれる小径がある。
万葉集の時代、この地を和歌にして詠む人がいたのだ。歌人にとっての言の葉は、おそらく潮騒や海鳴り、木々のざわめきに、よほど近いものだっただろう。
岸壁は波浪の浸食によって、不思議な彫像群となっている。
なにがあればこうなるのだろうと、見ていて不思議になるものも多い。断崖のある海岸は、さながら異界人が作り上げた、巨大彫像群の展示エリアなのだ。
砂浜には砂鉄が多い。引き潮の時には砂鉄の流れを描いた黒い文様があちこちに現れる。そんな文様を見ていると、どこか別の世界にワープしたような気がしてくる。
もちろん、同じ文様が出現することは二度とない。訪れるたびに展示作品は更新されてゆくのだ。
万葉の道からそう遠くない場所に、「畳工芸美術館」という施設がある。
ここは畳職人を育成するための職業訓練学校なのだが、毎年、卒業生が作品を残してゆく。それを展示しているのが畳工芸美術館なのだ。
展示品が傑作ぞろいだ。一般家庭の畳は大量生産されているものが多いだろうと思うのだが、ここで職人として育成された人は、神社やお寺、和風料亭など、大量生産品を使わない所からのニーズに応えてゆく。腕の良い職人へのニーズは、いまも高いのだ。
それにしても、高萩市の北に隣接する北茨城市の五浦と言い、海という異界は多くのものを生み出させてくれる何かを持っているのだろうか。
さまざまな場所で、そこで作り上げられたものに触れることができることが楽しい。
そこでは人が作ったものも、そうでないものも、すべてが当たり前のように展示されている。そうして、それらにカメラを向けることができるのだ。
世界のどこに行っても、形になったものが必ずある。それをどう受け止めるか、どう接するかなのだと思ってしまう。
このエリアの近隣にある神社の名前が不思議だ。「かんしゃ(琯沚)神社」というのだ。
断崖を削り抜いた場所に建てられた神社なのだが、名前の由来がわからない。
帰路には日立市の種殿(じゅうどの)神社にも立ち寄った。
こちらも名前が全国でも唯一のものなのだ。あるいは植物の種子を神格化しているのだろうか、それはわからない。
いや、不思議は多ければ多いほど良い。それだけは確かだろう。