暑い一日の想像外のタイムワープ - 東海村 村松大神宮 虚空蔵尊、ひたちなか市 虎塚古墳
昼間だけでも晴れると、気温がどんどん上がってゆく。つい最近まで着ていた長袖の服なんか着た日には、干乾しになってしまう。
寒いのはわりに平気なのだが、暑いのには、やたらと弱い。
理由は、暑いからだ。いや、こんな理由など並べても、なににもならないのだが。
というぐらいに、今日は気温が上がった。そこで、海に近いということで東海村の村松大神宮と村松虚空蔵尊に行った。
舗装道路の長い直線の先には、ときおり逃げ水も見えた。
村松大神宮は「天照皇大神」、「天手力男命」、「萬幡豊秋津姫命」、三柱の神を祀る神社で、創建は西暦700年頃とされる。
大神宮への参道に沿うような位置に隣接して村松虚空蔵尊があり、こちらは弘法大師によって西暦807年に創建されたとされている。
つまり、創建にまつわる由緒はまったく異なっているのだが、同じこの地が選ばれたということが興味深い。
このエリアには、さらにもうひとつ隣接しているものがある。
東海村の原子力発電所だ。これらが同じエリアにあるということが、なにかあまりにも奇異なことのように思えるのだ。
村松大神宮から原子力発電所に沿い、広い砂地を経て海へと抜ける道がある。
道と言っても砂地なのだが、その周辺には規模の大きな松の防風林が広がっている。
しかし、かなりの数の松が、松枯れ病によって枯死している。
そこに新芽は芽吹き、さらに人の手によって植林が続けられている。まさに終わりなき戦いが、いまも続いているのだ。
海辺に出ると、流木など浜で集めたものを組み上げた不可解なオブジェが置かれている。もちろんだれが何のために作ったものなのか、わからない。
そんなエリアをめぐった後、ひたちなか市の虎塚古墳に行った。
虎塚古墳は古墳時代後期、7世紀の前半に作られたとされ、つまり村松大神宮よりさらに100年ほど前に作られたことになる。
前方後円墳の内部石室の壁面には、まったく意味が判らない文様が描かれており、近隣には横穴墳墓群もある。
もちろん、墳墓群も同様に古いものなのだが、壁面にはいまだに鑿跡が残っている。
そんな全体を見ていると、なにか、領域全体が想像の域をはるかに超えた存在のように思えてしまう。
既知と未知との交錯の中、未知の領域があまりにも大きいのだ。
暑さもあって、かどうかわからないが、自分で撮影しておきながら後でそれらの絵を見ていると、頭の中がくらくらしてしまう。
それらすべてをシャッフルしたい。個人的にはその方が、全体に対する心象を一貫させられるのだ。
蛇足ながら万葉集の成立は西暦759から780年頃であり、それ以前、7世紀前半から作られた歌が収載されている。
つまり時期的に虎塚古墳、村松大神宮、村松虚空蔵尊は万葉集の時代にほぼ重なっているのだ。