SOLIGOR TELE-AUTO 1:3.5 f=200mm

 

 

 

 

 

ソリゴールの200mm望遠レンズだ。ミランダカメラのレンズを手掛けたことで知られるソリゴールは社名ではなく、比較的漠然としたレンズブランド名だった。

 

当時、数多かった中小レンズメーカーは、各社独自のブランド名で輸出販売するよりも、統一したブランド名で販売した方が得策と考えたようで、いまとなってはどこのメーカーが作ったのか不明のレンズなども「SOLIGOR」名でOEM供給されたのだ。

 

なかなかうまい販売戦略だったと思う。

もちろん、品質上問題があるレンズまで「SOLIGOR」を名乗らせると、ブランドへの評価に悪影響が出るだろう。審査承認する部門はあったと思うのだが。

 

蛇足ながら、これは国家レベルでの輸出管理においても同じことが言えた。

「安かろう悪かろう」の製品を輸出許可してしまうと、Made in Japan 全体への信用にかかわってくる。そのため低品質品には輸出許可がおりなかったのだ。

こうして Made in Japan 製品は世界を席捲してゆき、「SOLIGOR」もまた、その一翼を担うことになったのだ。

 

このレンズには「AUTO」表記が入っている。これはピントを合わせるときはレンズの絞りは開放状態で、シャッターを切ったとき、カメラが自動で所定の絞り値まで絞り込むことを意味し、1950年代の終わりごろには実用化が始まっていた。

 

これは一眼レフカメラの革新の歴史に名を連ねる技術であり、「自動絞り対応」はレンズメーカーとしてもセールスポイントになった。

しかし1970年頃からAUTO表記は消えてゆく。自動絞りが当たり前になったからだ。

 

このレンズは情報がほとんど皆無で、発売年も不明だ。

金属ローレットであり、200mmレンズでありながら三脚座が付いているなど、作りは非常にしっかりしている。

発売年はおそらく1960年代の半ばあたりかと思われる。

 

 

ずいぶんひさしぶりに青空になった。青空になったらなったで、外出したくなる。

こういう日は海に行こう。いや、もちろん、海水浴場ではない。そんな所でカメラを持ってウロウロしていたら、職務質問は間違いなしだ。

 

子どもの頃、砂浜で遊んでいたら、カメラを持った見知らぬおじさんに、「あ、キミタチ、波がある所で遊んでくれないか?写真を撮りたいんだよ」などと言われたことがある。

 

で、おじさんの言うとおりに波がある所で遊んでいると、さらに「あ~、キミはもう少し手前にいてくれる?、そっちのキミはもう少し右」とか指図され、しかもおじさんは通報もされなかったのだから、良い時代もあったものだ。

 

 

で、久しぶりに、五浦に行くことにした。

明治画壇の岡倉天心ゆかりの地だ。いまも残される天心の居宅を、そうしてそこに集まった明治画壇メンバーの熱情の中をめぐろう。

 

当時の彼らの足取りを見ると、信じられないほどにパワフルだ。止まることなく湧き出る圧倒的なエネルギーを感じるのだ。

それも、彼らが毎日見ていた海から、もたらされたものなのだろうか。

 

そんな彼らの姿は、次の記事リンクで少しばかり触れている。

明治の画壇が見つめた海 - 北茨城市 五浦

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Walter's Walk (1993 Remaster)