本屋に入って本の背中を眺めて歩いた。ひとりの女がマルクス全集の前で立ち止まっていた。僕はヴァレリーを探していたが、知っているものしか見つからなかった。
他の本を立読みをしていると、女子大生が三人やってきた。
「朔太郎さんのも買わなくちゃ」。「うん、これはもう読んじゃったし・・・」。
「朔太郎さん」という呼び方が楽しかった。
結局僕は何も買わずに本屋を出た。駅前の広場にはたくさんの人がいた。その向こうには無数のネオンが輝いていた。(10/29)
三島由紀夫。「海と夕焼け」で彼は、こう解説している。
なぜ神風が吹かなかったかが、私自身の一生をつらぬくテーマになっている。
── 宗教も哲学も、同じようにそれを直視しているのだろう。(1/12)カミュはキルケゴールやフッサールを指して「哲学的自殺」と言った。しかし、思想的な自殺だと思う。(11/12)
子どもの世界は大人の世界の縮図だという。
だが、子どもらは一晩ぐっすり眠ると、前の日のことなど忘れてしまう。
要するに彼らには、過ぎた事はすべて大して重要な事ではないのだ。重要な事はいま、これからの事なのだ。
それなら、縮図とも言えないだろう。
むしろ、縮図だったら、子どもらが大人になった頃には老人になってしまっているだろう。(10/29)
母の口癖は、「なんでも最後までやらないとね」だ。
母の兄の事を思い出す。母の兄が中学生だったころ、学校をさぼって友達と名取川で遊んでいたそうだ。
それを川の土手道を通りかかった、海軍の軍服を着た人が見ていた。
母の叔父のYだった。休日に仙台の母の実家に立ち寄っていたのだ。
母の兄はそれに気が付いて、あわてて土手を駆け上がって挨拶したそうだ。
叱られるのを覚悟したそうなのだが、こう言われたそうだ。
「お前、泳ぎが上手いのだな。何をやるのでも、一所懸命にやるのだぞ」。
── 子どもの頃から聞かされた母の口癖は、僕がどこに住んでいても、これからも僕についてくるのだろう。(11/14)
夜中、僕はいつもの道を歩いていた。あまり大きくないアパートの前を通りかかった。建物の前にはたくさんの植物が茂っていた。
アパートの方を見ると、窓々に光はあふれていた。日々の生活の中の希望や挫折、笑いや悲しみやそうして忘却、それらのすべてが窓の光になっているかのようだった。
── 僕はまた、いつもの感情におそわれた。
道の片隅の少し広くなっている場所に、三体の地蔵尊があった。(1/12)
彼は自分が生きていける世界を「創造」しなければならなかった。彼の、体系的な思考力の欠如はそれに大いに役立った。
彼がたとえば、月が二つある必要を身をもって感じたなら、彼の眼には月は二つ見えるようになるだろう。(11/20)
S。つまらない事ですぐにヒステリーを起こして、全てを壊してしまう。それまでにやっと作ったものも、きっかけがあれば、すぐに壊してしまう。
結局、なんでも壊したくて仕方がないのだ。本当に面倒な奴だ。彼の周りにはがれきの山しかない。(11/8)









