本屋に入って本の背中を眺めて歩いた。ひとりの女がマルクス全集の前で立ち止まっていた。僕はヴァレリーを探していたが、知っているものしか見つからなかった。
他の本を立読みをしていると、女子大生が三人やってきた。
「朔太郎さんのも買わなくちゃ」。「うん、これはもう読んじゃったし・・・」。
「朔太郎さん」という呼び方が楽しかった。
結局僕は何も買わずに本屋を出た。駅前の広場にはたくさんの人がいた。その向こうには無数のネオンが輝いていた。(10/29)

三島由紀夫。「海と夕焼け」で彼は、こう解説している。
なぜ神風が吹かなかったかが、私自身の一生をつらぬくテーマになっている。
── 宗教も哲学も、同じようにそれを直視しているのだろう。(1/12)
カミュはキルケゴールやフッサールを指して「哲学的自殺」と言った。しかし、思想的な自殺だと思う。(11/12)

子どもの世界は大人の世界の縮図だという。
だが、子どもらは一晩ぐっすり眠ると、前の日のことなど忘れてしまう。
要するに彼らには、過ぎた事はすべて大して重要な事ではないのだ。重要な事はいま、これからの事なのだ。
それなら、縮図とも言えないだろう。
むしろ、縮図だったら、子どもらが大人になった頃には老人になってしまっているだろう。(10/29)


母の口癖は、「なんでも最後までやらないとね」だ。
母の兄の事を思い出す。母の兄が中学生だったころ、学校をさぼって友達と名取川で遊んでいたそうだ。
それを川の土手道を通りかかった、海軍の軍服を着た人が見ていた。
母の叔父のYだった。休日に仙台の母の実家に立ち寄っていたのだ。
母の兄はそれに気が付いて、あわてて土手を駆け上がって挨拶したそうだ。
叱られるのを覚悟したそうなのだが、こう言われたそうだ。
「お前、泳ぎが上手いのだな。何をやるのでも、一所懸命にやるのだぞ」。
── 子どもの頃から聞かされた母の口癖は、僕がどこに住んでいても、これからも僕についてくるのだろう。(11/14)

夜中、僕はいつもの道を歩いていた。あまり大きくないアパートの前を通りかかった。建物の前にはたくさんの植物が茂っていた。
アパートの方を見ると、窓々に光はあふれていた。日々の生活の中の希望や挫折、笑いや悲しみやそうして忘却、それらのすべてが窓の光になっているかのようだった。
── 僕はまた、いつもの感情におそわれた。
道の片隅の少し広くなっている場所に、三体の地蔵尊があった。(1/12)


彼は自分が生きていける世界を「創造」しなければならなかった。彼の、体系的な思考力の欠如はそれに大いに役立った。
彼がたとえば、月が二つある必要を身をもって感じたなら、彼の眼には月は二つ見えるようになるだろう。(11/20)

S。つまらない事ですぐにヒステリーを起こして、全てを壊してしまう。それまでにやっと作ったものも、きっかけがあれば、すぐに壊してしまう。
結局、なんでも壊したくて仕方がないのだ。本当に面倒な奴だ。彼の周りにはがれきの山しかない。(11/8)

 

 

 

 

 

 

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雨も遠ざかり、深夜の冷気をかすかな風が運ぶ。
昔は確かに親しかったはずの音律に触れている時、ふと、── 僕の恐怖も歓喜も存在しない部分が、音律に触れたのだ。
これなのか、── 冷たく澄んだ、しかし確かに「幸福」であるはずの、世界の姿。
──
思いが僕の肉体を、世界にどれほど近づけるのか。行き場のない熱は、ただ僕を焼きつぶすだけだ。
「異なる信仰」を持つ双子の恋人たちは、別の方向を向き、そちらに歩き出す。
(7/9)

雨。── ベールの彼方に、夏は雨に濡れている。(7/10)

古代人は「エーテル」を仮想した。仮想して、分けることができないものを、別のものに分けたのだ。だから物質は静止したものにされた。
物質はその本質が動態である以上、確認することは不可能だ。確認とは静止させることだからだ。
エネルギーは物質によってその存在が確認される。
つまり仮定されてあるものだ。── あるいは、物質は静止したものという信仰から逃れるために。
──
おそらく人の心的なエネルギーもまた、誰でも同様に、圧倒的な高まりの可能性を持つ。
だが、分けない限りにおいてだ。── 僕の貪欲が僕の力をそぐだろう。(6/22)

「依存」。何というゲームなのだ。僕という言葉の怠惰 ── 肉体の静止。
この時なのだ、舟に乗ったまま「老い」への滝が前に見えてしまうのは。(9/3)

彼。いつでも、なにも持たぬまま愛した彼は、恐怖の前、彼の現実の世界を追放する。
城壁は一瞬にして築き上げられ、「爛熟」はその中で燃え上がる。
「世界」を前に目を閉ざし、爛熟は止まることなく燃え続け、彼の行為と怠惰と慰撫とを完成する。
── だがもちろん、燃え尽きる日までという限定付きで。(7/8)

今は懐しい音律に触れる時、ふたたび僕はかつて知ったなつかしい土地へと導き出される。
あの街。── 知られ始めた様々な街路、家々。木々のざわめきと香。── だがまだその先には未知。
それらの風景の中へと、なつかしい音律は僕を誘う。── 過去からの澄んだ呼び声が僕に触れてくるこの瞬間。(7/9)

詭弁の彼方に追いやられてしまった思考の解放。
── いったい僕はどれほどの麻薬を、自らの中に作り出していったのか。分かりきった幻想を。(9/16)

夜風。行為がその熱を失っていく時間。
世界はふたたび沈黙し、それに触れる僕はさらに冷えてゆく。
零度の休息。音律か、音律。
── 陶酔を拭えば、世界はいつでも僕にその沈黙を示す。(7/20)

平均律が織りなす、僕の渇望。(9/16)







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雨の中に故郷の家々。僕は家々を見つめ、家々を語る。遠く広がる、静かで優しい生活。
そこに、共有されている思い。── どこからか風の音。どこからか波のざわめき。(7/7)

ギリシャ神話の「ニケ」── 軍神。
彼女は頭と腕を持たない。彼女はただ心臓の白熱と飛翔だけを示す。
情熱というものの昇華された姿がニケだ。
── 頭は知を象徴し、腕は知の具体化を象徴する。
しかし彼女にはその翼だけがある。だから軍神なのだ。(9/21)

太陽の周囲を地球が回っているのだと、いまの人が信じていることと、太陽はアポロンが天を走る姿だと信じていた過去の人々との間に、どれほどの差があるのだろう。
なにを信じているかはそれぞれでも、結局、「同じような調子」で信じている。
──
天文学者にとって、地球が太陽の周囲を回っていることは大前提にあるものだが、研究に没頭しているときは、それは頭の中から消えているだろう。── つまり、信じてもいなければ、疑ってもいないのだ。(6/22)

ルシフェル。美の最頂点にあるもの。
だからこそ、あらゆる拠り所であることを予感させ、あらゆる依存の可能性を予感させ、予感だけで終わらせる。── 無数の頭骨の群れの上に。(6/22)

無限の忘却。最愛のものから目をそらし、別のものを求め始めれば、見失ったものをそれでも胸に抱き、── 詭弁の登場が人を破滅へと導いてゆく。
いつでも、最愛のものが最大の恐怖をもたらす。
── ありとあらゆる場合において、いつでも、戻るべき場所は、逃れ出すより他のなかった最愛のものだけなのだ。(7/16)

福島のあぶくま洞に行った。「聊斎志異」に、奇怪な化け物の像が無数に彫り込まれた洞窟の奥で死んでいた男の話があったが、鍾乳洞のことなのだろう。
──
境界を決めることにより、「奇怪な化け物」なのか「洞窟の壁」なのかが明らかになるのなら、境界を取り払えば、そこにもまた多くのものが見えるのだろう。
(8/20)

恋人。「彼女は僕と同じことを知っていて、僕たちは同じものを見て、同じことを感じる」。
共有だけが、対にある恋人たちの恋愛を保証する。
── 同じものを陰と陽とが共有し、恋人たちはそこで見つめあう。(9/28)

もう十一月なのか。開け放った窓に冷気は流れ込み、かつても知っていた夜の香は、ふたたび僕を包み込む。
もう何年も前・・・。(11/3)

四年も前の、今頃のノートを読み返してみると、未知へと向かわざるを得なかったその視線が見出した「輪郭」があるのを感じる。
すでに封をしていたのだが、未知を前にしている輝きが感じられるのだ。(9/28)





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家々を過ぎ、── この身の熱とともに、確かに空は明らかに見え始めては来るのだが、何なのか、まだその輪郭を明らかにしないものは。
── 日々の仕事もさらに忙しくなっている。
僕はエンジニアとして生きていく。今、輪郭を明らかにしていないものは、数式と運動とが待つ、この道の果てに見えるだろう。(2/24)

もう一年が経つのか。音律からも遠ざかっているのだろう、今僕の心は、どのような映像を愛しているのだろうか。
告別か。── 過ぎた暖かな季節。(3/4)

春か。風の強い日が多くなった。時おりは冷え込み雨も降る、この季節の辺境の場所。
「あらたな形を、形にしていく」表現というもの。
それは何かを求めるためのものではなく、洗いきるためのものなのだ。
── 風景の向こう側を黒く塗り、そうして僕はどこを向くのか。(3/11)

新聞から。── 線。彼らが残したもの。魚と思われる幼稚な絵模様を岩に彫りつけてあるだけで、そもそも絵と呼ぶには程遠い。
歴史家は、タスマニア人は絵が描けず、神話も語り伝えもなかったと記している。
ただ、その線や円が、硬い岩の表面に異常に深く掘ってあるのが特徴的だ。
削った石を使って、何日も、何ヶ月も岩に刻み続けたのだろう。
── 十九世紀の後半、タスマニア原住民は絶滅した。(4/3)

今日は何時に帰ってきたのか。
── 夜の底の都市。休息の中へ沈んでゆく家々。── 夕食の香。
日々、そうして生活。(3/17)

茫漠の中の「言語」が、明確にされることを求めている。
行為の表出する輪郭がそれだ。常に形にし続けることだけが、つまり、人に与えられたものなのだ。
── 植民地を指す船は数知れず難破し、そうして見つけ出されて行った大陸に、今は何が住むのか。
── だが、無限に連なる告別の、その先に兵士たちは立つ。(3/26)

交差点を曲がると、ビルの影から残照が目に入ってきた。春風。(3/25)

止まることのない運動体が具体的な形にしたものは、彫像として置き去られ、── 具体的な形になったものはそれなら、止まることのない運動体の恐怖を明らかにする。
── そこからの逃避の最後の形態は、おそらく「この身の感覚への依存」だ。
ふたたび快楽はその混沌によって人の魂を支配し、思考は停止し、── その身を過ぎる風の音に、奥にある魂はいつも震え上がる。
── そうして時間は使い潰されてゆく。(4/2)

自分の存在を確信していたければ、自分は彫像でなければならない。
だが、僕はどんな庭園に似合うのか。── いつでも、他ならぬその庭園に、最大の、しかも見えない嫌悪は潜むだろう。(4/16)




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休息なき、休息の時間。
ゆるやかな下り坂を、疲れた男たちはゆっくりと辿り、── そこにもまた、風は吹き続けるのだが。
男たちは目を閉じ、その槍は虚空を指し、── 濁った熱を抱きながら、ゆるやかな下り坂を、夜の彼方へと歩いてゆく。(9/26)

雨。遠くから聞こえる、人の悲哀の声。
だが僕は ── ただ止まることのないここにあるだけなのか。すでに壁の存在も忘れ、互いに見交わすこともない熱とリズムとの疾走とともに。(9/27)

裂けてゆくこの腕。そうして赤という色彩。立ち去る者たちを見ながら、しかしここで僕は、僕自身の弁護士にはなるまい。
── 悲惨の一切は、いつか見た朝日の中を走る列車の動輪のその閃光の中に、消し去ってゆくことだ。(9/21)

道具という文字は、人が歩む「道」に「具」わるものを指す。
太刀も、言葉も、すべて道に具わるものなら、つまり求道者が持つものなら道具と呼ぶべきものなのだ。── 手放してはならないものだ。(9/16)

日々、常に事柄はいきなりやってくる。
「事件」。だがその姿はいつでも明らかだ。見え隠れするものがあるのなら、それは事件の側にあるのではない。
僕の作り出す壁が、血に染まりながら、現実のできごとをさえぎろうとする。
見え隠れしている事件はそこにある。(9/23)

「表現」とは、自分を熱するためのものなのか。
少なくとも僕にとっては違う。僕を零度にするためのものだ。
── 溶岩を押しとどめようとするダムは、やがては轟音とともに決壊し、── 僕はいつでも、さらにその後に展開するものを見たがっているのだ。(9/25)

舞台。劇。── ふと立ち止まる彼は、すみの方にある壊れ賭けた小道具を見、そうして台本を読み始める。
その瞬間、時間は静止し、風が彼を呼び戻すまで、「彼」は死に続ける。
──
舞台。客席の亡霊を前に、彼は踊る。
そうして、舞踏の合間に、くり返し差し挟まれる静止と風景との確認。── それを客席の亡霊と分かち合う。(9/21)

貪欲。── それは、「事件」だけで構成されているこの世界、この時間というものから、視界をふさぐためのものだ。
── 僕は、この世界の捏造を求めてきたのだろうか。(9/16)

バッハもモーツァルトも表情を半分だけ見せ、残りの半分、あるいは誰にも見ることのできない半分に、「神」は確かにいたのだ。(9/27)




Introitus requiem - Kyrie - Mozart Requiem Karl Böhm 1971
 



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雨。毎日、毎日、雨。風景を洗い、暑気を洗い、なにもかもを洗い、雨の中、なにも動かない。
みな静かにうつむいている。── 雨。毎日、毎日、雨。(8/13)

貧しい人々の祈る姿に、カミュは不思議なほど深く共感していた。(9/17)

久しぶりの海。涼しい夏の日の、曇り空の下の海。
灰色の海。風の強い日の海。(8/22)

夢。僕は町にいた。幾人かの級友たちとそこで出会っていた。
「あれ?この店、誰もいないけど、どうなったんだ?」僕が言った。
「つぶれたんだ」。
「きたない店だったからな、しかたないな」。
「保健所から何度も注意されていたようなんだ」。
薄暗い店内で僕らは話していた。
──
いつか僕は、別のきれいな店の中に入っていた。
中にいたのは僕の知り合いばかりで、昔の僕の恋人が、笑いながら僕に話しかけてきた。(9/18)

通り過ぎてゆく橋。── 暗い川の向こうの方に、点々と家々の灯。(11/3)

涼しい風の吹き抜ける夜中。僕が眺めているのは星なのだろうか。僕が聞いているのは、草木のざわめきなのだろうか。
── だが眠りにはならない状態なのだ。「柵作り」は、まだ残っているのだから。
(11/11)

美しい風景を愛する女性とともに見る喜び。
風景は風景に過ぎない。── それを共有することが喜びなのだ。(8/19)

人は、自身の存在の危機があまりにも大きくて自殺するのではない。さらにその先を思って自殺するのだ。(9/17)

9月9日から12日まで妹が泊まりに来た。
「あの犬ね、歳をとり過ぎて歩けなくなっちゃったんだって。そしたらね、いつの間にかどこかに行っちゃったんだって」。
「歩けないのに?」
「うん」。
── その犬と仲が良かった犬は、何年か前に交通事故で死んでいた。道路の横に埋められて、土饅頭はそのまま残っていた。(9/12)

道元やサルトルは言っていた。「全体が救われなければ、自分という個は救われない」。(9/18)

熱があるから薬を飲んで、熱が下がったとしても、押さえ込んでいるだけで、本当に熱が下がっているわけではない。
── 誰かを愛している「つもり」になることに熱心な男。── 教条から自分の欲望を抑制している宗教家は、本当に救われているのだろうか?(9/12)




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ある男。幻想の登場。
とある宝石が欲しくて仕方がない。だが彼は、その宝石がなんであるかを知らない。── なにしろ手に入れていないのだから、知るはずもない。
だから欲しがっているのだ。(9/27)

自由の持つ「行き場の無さ」と、無限の空間。(9/26)

かつては周囲に水分を、熱を与えていたその土地は、干上がるやいなや、周囲からなにもかもを吸い上げていった。(9/26)

小旅行の夢。ある場所に昔の友人が二人いた。
彼らとはそう長い親交はなかったが、短期間ではあっても妙に親しかった。
僕は彼らと、昔の通りの調子で話した。
──
僕はそこに長時間いられなかった。すぐにそこを立ち去らなければならなかった。
秋だった。その付近は、僕が良く歩いた場所だった。川に沿った道だった。
僕がそこから立ち去る所で、夢は途絶えた。(9/26)

晩夏、それとももう秋なのだろうか。
なにもかもが元の場所に落ち着いていく。元の、あるがままの場所に。(9/20)

久しぶりに読み返したアンダスン。
「卵」。意志などではどうにもならない世界。「養鶏所」にしても、「父」にしても。
「卵」の勝利とアンダスンは言う。出生という事実は否定できないのだ。
──
芥川の「年末の一日」を思い出す。それに、ランボーの詩の一節も。
「僕たちは彼女がくれるものを喜んでいればいい。でなけりゃ馬鹿を見るだけだ」。(9/26)

ねえ、あの光ってるの、あれ、逃げ水でしょう。(9/22)

ピカソのデフォルメは、なにをデフォルメしているのだろう。デフォルメしなければ伝わらないものを伝えようとしているのだろうか。
つまり、誰もが日常的に知っているはずの、しかし忘れているようなものを。
(9/22)

少年時。夜光塗料に目を見張らせていた頃のことだ。
友人たちはその日、海に遊びに行くと言っていた。そのとき僕は行かなかったのだが、皆が行ってから、急に行きたくなった。
一人で行った海辺に友人らの姿はなかった。
少年にとって、一人でいる海とは、なんと支えきれないほどの重たい思いを与えるものなのだろう。
── いつでも圧倒的に巨大なものの中で、僕は身近な様々なものに目を見張らせていたのだ。(9/23)

単純な事柄をことさらに難しく表現する人がいる。
そんな人の作品を読んでいると、その作品全体もまた、単純な事を言っているのだと感じる。(9/23)



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知と愛の共通点。それは肯定だ。「あるがまま」の肯定だ。
だからこそ知は虚構を切っていく。
「あるがまま」への希求から価値観の破壊を始め、ついに自身を破壊してしまう、この奇妙さ!(12/28)

18歳のとき、日記をつけていて、その日記が下手なアフォリズム集になってしまったのを発見した僕は、こう書いて日記を書くのをやめてしまった。
── いままでの自身に対する認識とは、こののっぺらぼうの顔に、自分で何かを書き込むだけの作業だった。(12/28)

土管でできたトンネル。僕の家に近くにそんなものがあった。
土手の斜面の下の方から、それはおよそ20mばかりにわたって続いていた。腹ばいになってやっとくぐれるほどの直径だった。
排水のために使われるトンネルだったが、それが使われるのは、余程の大雨のときでしかなく、普段は下に砂ぼこりのたまった、そうして、土手の上とつながっているだけの無用の長物にすぎなかった。
──
僕は土手の上で友人と賭けをした。このトンネルをくぐって、下まで行けるかという賭けだ。
僕はそのトンネルに、這いながら入って行った。そうして窮屈なトンネルの中をけんめいに進んだ。
中ほどを過ぎたころ、その窮屈さの中で僕は急に恐怖を感じた。
トンネルが崩れてくる心配もなかったし、水がいきなり流れてくる心配もなかった。それでも僕は、窮屈な中でそんなことに恐怖を感じていたのだ。
──
通り抜けると僕はホッとした。
土の上には雑草が茂っていた。その先には田んぼが広がっていた。(1/19)

新聞の投稿記事:三木草人:私は今の若者に、一つだけ言いたいことがある。
それは良い意味での野性味、アドヴェンチャーを試みる者が少ないということだ。
─ 中略 ── 真っすぐに生きてきた同士として、一日も早く美酒が飲めることを期待している。(1/16)

道元。「この無智のとき三菩提みな、疑怪となる。尽諸法みな疑怪なり」。(1/8)

あるラジオ番組での会話。
「え、○×賞というのは、音楽界では一つの権威です。え、あの、権威というものは得てして嫌らしいものですが、え、これは、その歌手の実力に、そうです、その実力に対して権威を与えるものなのです」。
受け手の女も、「そうです、実力に与えられるものなんですよね」と言っていた。
── 賞も権威も、実力に与えられるものではない、結果に与えられるものだ。
権威主義を教条的に否定しなければならないから、支離滅裂になる。(12/29)

「小説なんて、おれにはひとつもわからないよ、一人でいる部屋の中で淫売宿のことなんか、どろどろと考えていてな」。
「意識の流れってやつか、どろどろとした。おれも興味がないよ」。(1/15)

ある国家。王と国民とは、互いに必要な存在だった。だが王は、別の男に王位を取られ、追放された。
男と国民は互いに溶け合わなかった。
古い王は言った。「私は今怒っている。あの男が国民を支配していることにではなく、国民があの男に支配されていることに」。(12/28)



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ある布教者と、優しい男。
「ではあなたは、この世に信じるべきものを見い出せないため、神を信じるのですね」。
「そうです。神だけが真実です」。
「では少なくとも、あなたの人類愛は偽物だ」。
「どういうことです?」。
「あなたは人間を信じていないのだから」。(1/9)

カミュ。「無垢な人とは、説明しない人のことだ」。
── 説明しなければならないものを持つ必要がない人のことだろう。(1/8)

少年時代、僕は学校の帰り道、冒険と称して一度も歩いたことのない道を歩いたものだ。
僕は学校で教わり、道路からも教わったのかもしれない。経験というものを。
(1/10)

「不条理の世界」にあって、人の存在は相対的なものだ。反抗する対象がなければ「個人」は存在できない。
── だが、何がなんでも人は存在する。(1/10)

「聞いて下さい、私はすべてを失ってしまった。私は何にすがりつけばよいのでしょうか」。
「すべてを失ってしまったなら、最初と同じになっただけじゃないか」。(1/2)

落陽。淡い黄金色の光の中に、黒く沈む家々、木々。(1/8)

「宝石は美しいが、冷たくてね」。
「では、それのできあがる過程を考えてみたまえ」。(1/10)

断片。彼は一人の少年のシャツをつかみ、体を揺さぶった。その少年のシャツのボタンが二つ引きちぎれて床に落ちた。
彼は少年のシャツを見た。彼の頭に少年の母親の悲しげな顔が思い浮かんだ。
彼は落ちているボタンを拾って少年に渡し、そうして言った。
「もういいよ、行けよ」。
── 寄る辺のない狂気。
何が子どもの頃の僕をつなぎとめていたのだろうか・・・。(1/10)

共同幻想論で「**主義に対する反**主義は不毛ではないか」と言った吉本が、「情況」の中の「機能的論理の限界」で、「反**主義」を延々と書いている。その厚顔無恥ぶり!(1/10)

心情的に。反抗は女性的であり、革命は男性的だ。(1/8)

カミュ。「不幸がやってくるのは、人目にはずっと後のことだ。だが彼は、それがその日であることを知っていた」。(1/9)




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漂泊の魂。僕は少年時代、この言葉に言い知れぬ思いを抱いていた。
何と説明したらいいのだろう。未知だけが目の前にあるということなのだろうか。
── 未知でも道でもいい。僕は依存という言葉の意味も知らなかった。(2/2)

森鴎外。「かのように」
「かのようにがなければ、学問もなければ、芸術もない。宗教もない」。(2/2)

深夜。部屋の中は冷え込んでいる。零度だ、時計の音も凍てついている。
軽い耳鳴りが響いている。
── 僕は北国の凍てついたような風景写真や絵画を見るのが好きだ、しかしこの寒さは ── 違うのだろう。(1/30)

夕暮れ時の雑踏。人々の間を歩いていくときの、あの高揚した気持ち。
── この肉体を保て!(2/1)

スッタニパータの「小さな章」における、「バラモンにふさわしいこと」。
── 蟻の穴はダムをも壊す。(2/1)

「くれる人を愛する」という生き方と、「もらったものを愛する」という生き方。
「くれる人を愛する」人が、くれる人を憎めば、もらえるものは何もなくなるだろう。「もらったものを愛する」人はそれが壊れても、くれる人がいる限り、またもらえるだろう。くれる人が無限に豊かなら。
── 僕は、ある種の宗教にそれを感じることがある。しかしそれは戦争を起こす宗教だ。(2/2)

カミュ。「午後になると、太陽がいっぱい、僕の部屋に差し込んでくる。蒼い霞んだ空、村から上ってくる子供たちの歓声、庭の水盤の歌声・・・そして今こそ、アルジェの時間が僕のところに帰ってくる。二十年も前・・・」。(2/1)

寺院にこもる僧侶たちが世捨て人である限り、彼らは何を救済するのだろうか。
(2/2)

一条さゆり。僕が女性を感じるのは、彼女のような人だ。(2/2)

日本の文化人の中に、最近、宗教に入信する人が増えているという。── それはそれでいいのだが、あのものものしい理由付けだけは、聞いていて俗悪だ。
(2/2)

「僕はかならず彼女を幸福にします」。
「私も、彼の意志に沿って、幸福であるかのように努力します」。
── 誠実さとアイロニー。(2/2)

彼女。「私ね、自分は**主義だなんて言っている人は、あまり好きじゃないの」。(2/2)

かつて露呈していなかったものが、時間の経過とともに露呈するということ。
── それは露呈する前からあったものなのであり、そこに何か恐ろしい暗示があると思う。(2/1)




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