弾丸イタリア旅行

もう帰ってきて2日目ですがまだまだ疲れを引きずり中です。笑い泣き笑い泣き笑い泣き



「大天使の山」という意味だという

モンテサンテアンジェロ


日にちは前後しますが

3日目にちょっと時間もらって

1人でお城に行ってきましたー

美しかったので紹介です。


外観はこんな感じ

お山のてっぺんにあります。

(外観撮りそびれて エクスペディアから拝借)


全体像はこんな感じ(中に模型がありました)

右側に塔があって 間は広場 左側に大きめの建物と塔

壁は全体的に色々あながって外に攻撃したりできます。



立地と歴史

(面倒な人は読み飛ばして!)

ちなみに場所は星をつけた場所

右側はアドリア海に面してます。

なので 

⭐️ローマが左右分裂した時は 海の向こうには東ローマ帝国 こっちは西ローマ帝国に挟まれ

⭐️その後は 右はビザンツ帝国左はヨーロッパ

⭐️さらにその後は周りがアラゴンになったり

この城や周りがシチリアとなったり シチリア王を自称するもナポリ王でしかなかったと言われる王様がいたり。それは本当にもう 本当に地理的にも

怒涛の場所争いの渦中に置かれるしかないお城でした。


お城の持ち主

あんな立地なので持ち主も

ローマの持ち物であったのが

500-700年代 ランゴバルト族(かつてきたから来た)

がイタリアの大半をランドバルト王国にしていた時はその一部

このランドバルト人が天使をみ この場所に聖堂を建てた

その後イタリアをカール1世が征服

(この時カール大帝もランゴバルト王国の王と名乗っているので本当に大きかったよう)

11-12Cごろやがてノルマン人のイタリア征服が始まりモンテサンタンジェロもノルマン人に支配される

(というかこのノルマン人のイタリア制服でのキーポイントもこのモンテサンタンジェロ すでにヨーロッパ等から多くの巡礼者が来てました 👼)

 ↓

1081年ー1103年東ローマ帝国からモンテ・サンタンジェロ伯に封じられたエンリーコ が支配

 ↓

13世紀にはシチリア王カルロ1世

 ↓

17世紀にはナポリ王国の治下となり、19世紀にイタリア王国に併合



いざ冒険!

あさイチ行ったので空いてました


さあ出発!

穴を抜けていきます。


おお 気持ちいいー

結構建物は壊れて無くなってますがそれもまたいい〜❤️❤️❤️


お城の裏側!(街と逆側)

山々ですねー。夜運転すると結構動物と事故ることが多いから気をつけてとガイドさんが言っていたそう!



なんか こういうあなからむこうがわみえるのっていいですよねー❤️



こっちの方がメインの建物(左側)


地下はかつて 牢獄として使われていたそう。


お城からは街が見下ろせます。白い町かわいいですが

これは以前 巡礼者が多くくるので

しょっちゅう消毒のために壁をそう塗り替えしていて

その時に使っていた殺菌の顔料が白いからなのだそう。




この辺の家の総歴史家系図 わかりやすい気がする。写真が多くて載せられないのですが 各家の旗と歴史も書かれてました。

結婚して家がくっつくたびに 旗もくっつけていき で 右上の色んなの合わさった家紋になってるんですよねー


左のこの母屋 すごく多くて中は綺麗です(もちろん看板とかは今のですが)

巡礼者の中に貴族がいたのでその貴族が宿泊した場所や 兵士の寝起きした場所も。


が 実はこの綺麗な公の場の裏には、、、



こんな隠れた道があって

外に直接行けるし いくつか部屋にもこっそり繋がっているそう。この大広間の綺麗さと この隠れた通路の差も感動的。

まあ あれだけ色んな国や人に支配したりされたりして戦争だらけなら こういうものも必須ですよね!


さらには

兵糧攻めも多かったそうで

水を溜めて置く部屋というのもありました。標高が800メートルもあるこの地 雪や氷を溜めておいたそうです。兵糧攻めされても水を確保できるように。



さて最後は和む写真❤️

なんかこの花と廃墟って組み合わせ好きですー

強者どもがって感じですね。


大聖地としての巡礼者達に大人気の顔と

色んな方向 色んな国々 民族から取りあわれた争いの 両方の歴史を感じるモンテサンタンジェロでした。


(ちなみに意外と日本語検索だと歴史なくて

このお城にあった歴史や説明写真とりま切りましたよー でももう枚数載せられないし長くなりすぎるから 自分で楽しんでます)



海も行ったので この旅行の話まだ続きます。(長い)

またタフすぎる家族との旅行に戻ります凝視