以前書いた 5歳でママパパ両方亡くなってしまった娘の親友Vちゃん。泣くうさぎ泣くうさぎ泣くうさぎ



昨日娘が

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「今Vちゃんだけは 学校にぬいぐるみを持ってきていいことになったの」

という。(基本的には持ってくの禁止)

訳を聞くと、、、



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「ママが死んじゃって ロンリー に感じたり 悲しくなっちゃう時があるから」



泣くうさぎ泣くうさぎ泣くうさぎ泣くうさぎ泣くうさぎ泣くうさぎ泣くうさぎ泣くうさぎ


そんなんもう

いくらでも持っていかせてあげて!!!とおもう。


あえば いつも笑顔で 元気に話す彼女


でも 時々娘と2人の時に

お母さんが末期癌になってからは お母さんが死ぬのが怖いと漏らす時があったという彼女。

娘には たくさん話を聞いてあげな 優しくしてあげなと言っている。でもきっと うまく言葉にできないような 悲しみが心の中にあるのだと思う。


娘のボーイフレンドのお兄ちゃんは8歳だけど 長い休みの終わり近くとか なんとなく雰囲気が違うことがある。本人も自分でもなんでかわからないけど、なんだか落ち着かないのだというし お母さんもやっぱり緊張しているのだろうけどうまく言語化はできないだと思うという。(彼女も教育者なのでそういう言葉にならなさをよくわかっている。)人って 意外と大きくなっても、うまく言葉にならない感情ってあるんだと思う。


(確かこんな話してたのはこのファーム行った時。こういうことも こういう気持ちいいところで話せるからいい)




そしてちょっと違うけど

皆さんどれくらい家族に気持ちを伝えています?

国際結婚だとこれも難しいと思う 今日この頃。

私はあんまり不満言いまくるのとかは好きでないし

でも日本人なら 大変でも頑張ってるとか 言わなくても大変そうとか相手のことを思ったり推し量るのも優しさなところがあると思う。(もちろん差はある)

一方で、「言わないことは 存在しないこと」というイタリア人!! 言わなければ本当に何も困り事や 大変なことはないのだと誤解されてしまう。


(そうだよね 世界って広いもんね!)


日本でも 学生時代はスポーツをして その戦略についてディスカッションしたし 病院に勤めてからは治療方針に関していつも会議 というわけで、ディスカッションを別に感情的な戦いではなくしてきた私。日本での生活では、一般の世界では それはあまりしてはいけないと ちょっと窮屈に感じることもあった。

日本だと結構 「え そんなことストレートに言っちゃったの」と言われることも多かった私 そんな私でも この前提(相手を思い遣ろう 推し量るのも優しさ)というものがない上でのコミュニケーションはまだまだ 戸惑うことがある。


大人になってもまだまだ

気持ちを 相手にわかるように伝えるのは難しい。

色んな意味で。


1を聞いて10を知るのをよしとする国と

100を言って10くらいわかってもらえればいいという感じの国と、、、😂😂😂


文化もいろいろです。

日々勉強!




カフェで出てきた

溢れてるジンジャーブレッドラテ❤️

この溢れようも イギリス流。