レインボーの光にのせて~Ballet & Healing room in 志摩

レインボーの光にのせて~Ballet & Healing room in 志摩

魂の自分と
宇宙と
高次元の存在たちと
繋がることで
体と心の軸を強化し
本来の自分を輝かせて
人生を楽しんでいけますように☆彡

いつからなのか、弟が

休みの日とか仕事の合間に

父の散髪をするようになった

散髪といっても、父は坊主頭なので

わずかに伸びた髪を刈るくらいなのだが

眉毛も整えたりしてた


晴れた日に

陽の光を浴びての散髪は

とても気分が良いらしく

至福のひとときだった


わたしがビデオを撮りながら見ていると

「今日はようしゃべるなぁ〜」

と弟

わたしもおしゃべりしながら

楽しんでいた

病人とは思えない

日常の時間を感じていた


輸血をした後は

少し楽になるらしく

お天気のいい日に

子供たちに囲まれて、嬉しかったのだろう


このまま良くなってくれれば…

と願ったが

確実に数値は落ちていき

これも運命だと

どこかで覚悟を決めていた

父も含め、家族全員の思いの中に…

だからこそ

少しでも気持ちよく

良い思い出を作ろうとしていた


家族の思いが

ひとつになり

穏やかで静かなぬくもりに包まれていた



3月下旬、春の息吹を感じられるようになった頃

父の血液の数値は

いよいよ最低ラインを越えようとしていた


医師からはこれまでも入院治療を勧められていたが

父は断固として拒否して

通院治療を続けていた

今回もその意思を通して、通院治療となった


4月に入ってから

すぐに輸血をすることになり…

最初は、週1ぐらいだったのが

すぐに、週2となった

幸い、拒絶反応はなく

輸血した後は、少し楽になるらしい


輸血の日は

朝の診察の後、血液が届いてから準備をして

約4~5時間、ベッドに寝たきり状態

血小板と、白血球?赤血球?の2種類を

少し間をおいて輸血する

その少しの間に

ベッドのそばで、父、母、わたしの3人が

おにぎりをつまむランチタイム

ささやかなピクニック気分だった


最初の輸血の後

胸の骨から骨髄をとり、数値をチェックする時があり

父の年齢から、注射の針は細いのを準備していたが

父の骨が割りに丈夫だったため

普通の成人用の針に変えたということがあった

普段から運動をして健康には気を配ってたからなのか

骨は頑丈だったみたいだ

…なのに、数値が低いって…

と、複雑な気分になった




そうこうしているうちに

4月も終わろうとしていた






その年の大晦日は、いつも通り家族が集まり

賑やかな年末になった

父も嬉しそうだった


年が明け

父の血液検査の数値は、徐々に減り始め

ギリギリのラインに近づきつつあった

医師から言われた余命の期限が、頭をよぎる…


母は毎晩、父の背中をさすっていた

そのまま寝落ちすることもあったらしい

その時によく話をして

心の準備をしていたという

「お父さんの人生は幸せやったよな〜

好きなことやって、子供たちもそばにいて

みんな世話してくれて…

こんな幸せなことはないよ」

と、母はよく言ってたらしい

父も「そうやなぁ〜」と、頷いていたという


ある時、父が

「痛みもなくス〜と逝くにはどうしたらええんや」

と…

「すべての人、もの…人生に感謝することやと思う

一瞬一瞬を丁寧に、感謝しながら生きることが大事やと思うわ」

わたしはふと、そう答えていた

父は真剣な顔で聞いていた

少しでも、気持ちが穏やかになれればいいな

と、願いながらマッサージをしていた手に

思わず力が入った


数値のタイムリミットは、それから程なくしてきた