死んでこの世を去るのは、眠りにつくのではなくて、長い夢から覚めるときなのだろう。
自ら命を絶った人が、私と同じ病気に苦しんでいたとか、自分の病気を恐れて医者に行かないままだったとかいうニュースを聞くと悲しい。
双極性障碍の自殺率はかなり高いのだ。その衝動性が私にもよく分かる。私にもそれがあるということも痛いほど分かる。
それでも
私は生かされている限り生きなければと思う。失意のうちにこの世を去った同病者の分も。
義務感ではなく、生きたいという夢や希望を持って、ただ1度の人生を大切に送ることが出来たら、どんなに素晴らしいだろうか。
今のわたしは、義務感のほうが強いかしら。うつで動けなくて、虚しくて寂しくて悲しいから。
でも、母より先に死ぬわけにはいかない。メロディーにゃんこより先に死ねない。
たとえ何も出来なかたり、外にも出られない日々が続いても、生きただけで、とりあえず良し!
無一物でも、無意味感がハンパなくても、無様でも、忘れ去られても、友達いなくても、
わたしの作者である神さまは
まだわたしがここにいることを
望んで
心臓を動かし
息をさせてくださっている
だから
生きているだけで
それがすべてだ。
「たとえ死の陰の谷を歩んでも
わたしは悪を恐れない。
あなたはそこにいてくださる。
あなたの杖と鞭が
わたしを安らがせてくださる。」
詩篇23より
夕方五時に
これを読んでくださっている貴方を思って祈りを捧げよう。
読んでくれて有難う。