12年間行きたかった廃村 〜山口・向畑集落の左近桜を求めて〜 | 七色祐太の七色日日新聞

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怪奇、戦前文化、ジャズ。
今夜も楽しく現実逃避。
現代社会に疲れたあなた、どうぞ遊びにいらっしゃい。

みなさんには、

いつの日か訪ねることを

ずっと夢見ている、

特別な場所がありますか。

 

私はこう聞くとき、

「争いのない世界」とか

「お父さんと一緒のお墓」とか、

そういうのを

期待しているのではありません。

あくまでも今現在、

グーグルアースで視認可能な

地理上の具体的地点について問うています。

 

私にはもう10年以上、

いつも心の片隅で気になり続ける

大切な場所がありました。

過去形で書いたのは、

長年憧れ続けたその桃源郷へ、

先日ついに足を踏み入れることが

できたからなのです。

 

夢はあきらめなければ必ず叶うもの。

 

だから、あなたも生きぬいて。

 

それではこれから、

みなさんには心への希望、

私自身にとっては

自己感傷にまみれた承認欲求の充足を

与えてくれるという

誰も損しない理由から、

この独我論者並みに極私的な訪問記を

あえてここに発表することに致しましょう。

 

 

〜すべては1本の

 ドキュメンタリーから〜

 

話ははるか昔、

今から12年も前のこと。

 

当時、私は無職でした。

今までの人生で無職だった時期が

異常に多い自分にとって、

それはもはや何度目の

無職期間だったかはっきりしませんが、

とにかくあの時

仕事をしてなかったことだけは

自信を持って言えます。

 

やることもなく

空や山を眺めては物思いに耽るという

ロマン派な毎日。

 

もはや死を待つだけかと

思われたそんなある日、

1本のテレビ番組が

ひっそり放送予告されているのが、

偶然目に入ったのです。

 

「ひとり 桜の里で 

 ~山口・向畑集落~」

(NHK「にっぽん紀行」2010年4月放送)

 

 

詳しいことは不明ながら、どうやら、

山奥で1人桜の木と暮らす老婆を取り上げた

30分ほどのドキュメンタリー番組らしい。

私は胸の奥に、

熱いものが流れるのを感じました。

なんだろう、この、

今の自分そのものを

鏡に写したような番組は。

 

早速録画予約をし、

放送開始をドキドキしながら待ちます。

 

今回、

当時の録画を焼いたDVDが

奇跡的に出てきましたので、

以下それを用いて、

内容を簡単に紹介してみましょう。

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

私に一生消えない影響を与えた番組

 

番組は、山奥の朽ち果てた村に佇む、

当時87歳の三國連太郎の姿からスタート。

もうこの時点で滅びの美は極限まで高まり、

ますます自らの

社会復帰を拒むかのような

素晴らしい空気に心は弾みます。

 

 

以下、物語は三國氏の

ナレーションによって進行。

 

このドキュメンタリーの舞台は、

平家の落人が開いたとの伝説が残る、

山口県岩国市の

向畑(むかいばた)集落。

かつて昭和20年代には

300人ほどが暮らしていたこの村も、

現在は89歳の女性が1人残るのみという

終焉寸前の状況。

 

 

 

しかし、その女性と共に、

ずっと村に踏みとどまる存在が

もう1つありました……。

 

 

 

村の奥まった場所に聳え立つ、

樹齢800年とも言われる

巨大な「左近桜」です。

平家の武将・廣實左近が植えたと伝わる、

気高く凛々しい一本桜。

 

番組は、冬から春にかけ、

誰もいなくなった村で

1人桜と暮らし続ける女性を主人公に、

毎日麓の町から彼女の家まで

通ってきては身の回りの世話をする息子さん、

雪の重みに耐えながら

新たな春をじっと待つ左近桜の三者を

最晩年の三國連太郎の語りで追うという、

枯淡の極地ともいうべき、

世界レベルの

老人ドキュメンタリーとなっています。

 

女性は夫に先立たれた後も山を下りるのを拒み、

数年前に新築された小さな家

(かつての村の中心から少し離れた場所にある)

で一人暮らしをしています。

そしてその理由を

 

「古いじいさんが

 向畑を出るなよ言うたから、

 その言い置きを死んだじいさんが守って、

 それで今、1人になってもまだ……」

 

と語るのですが、

じいさんが多すぎて

どれがどれだか分からないという

漫☆画太郎作品のばばあ状態なので、

その都度「義父」「夫」等テロップが入ります。

つまり、先代からの言い置きを律儀に守って、

誰もいなくなった村に

今でも1人残り続けているのですね。

彼女によれば、左近桜は

「向畑の王様で、

 他の桜の木とは違う」

特別な存在で、

日々そんな左近桜と

お互い守り合いをしながら

暮らしているのです。

 

補聴器がケータイっぽくてカッコいい89歳

 

そんな彼女のもとに

毎日食事を作りに通う息子(60歳)は、

母親に山を下りて欲しいと言い出す気にもなれず、

そっと優しく見守っている状態。

 

番組の途中では、

今は廃墟となったかつての女性宅から

埃まみれの8ミリテープが発見され、

再生してみたところ

まだ活気があった頃の村で田んぼに苗を植える

40年前の女性の姿が登場するという

かなり興奮するイベントもありますが、

中年時代よりも89歳の今の方が

どう見ても肌ツヤがいいのは、

左近桜のパワーなのかもしれません。

 

 

どう見ても40年前より

若返っている女性(下が現在)

 

そして話はクライマックスへ。

厳しい冬を乗り越えて

見事満開を迎えた左近桜の前で、

親子2人だけの花見をすることに。

杖ついて左近桜へ向かう途中、

坂道で息を切らせる女性が

ふと顔を上げて発する

「あっ、

 腰掛け持ってきたんけ!!

 よかった……」

の一言は、

ある意味番組全体で

一番リアルな

場面かもしれません。

 

 

 

並んで長椅子に腰掛け、

左近桜の勇姿を眺める2人。

 

そして息子がポツリと語りかける

「来年も来れたらええがね……」

の言葉に女性が笑い返して、

明るくも切ない、

滅びと紙一重の美を

しんみりと感じさせつつ

物語は静かに幕を閉じるのでした。

 

 

これを見た瞬間から、

「向畑の左近桜」は

私の心に生涯消えない位置を

占めることになったのです。

 

 

〜いつも心に廃村を〜

 

私はそれ以来、

何か辛いことがあった時など、

このつまらない現実とかけ離れた

青い鳥の象徴のような場所として

向畑の左近桜がぼんやり頭に浮かぶようになり、

いつか自分もあの場所に行ってみたいと

思うようになりました。

 

しかし、ネットなどで

具体的な場所を調べることはしませんでした。

何か、詳しく知った瞬間に、

自分の頭の中にある美しい世界が

壊れてしまうような気がしたのです。

そんな付かず離れずの日々を送るうち、

いつしか向畑の廃村と左近桜は私の中で、

仙人が住むという伝説を持つ

中国の蓬萊山の

域にまで神格化され、

ついには

「いつか自分は

 あの村で死ぬのだろう」

わけの分からない確信まで

抱くに至るという、

黄色い救急車

一歩手前の状態になりました。

 

 

これはさすがに、

そろそろケリをつけねばならんのではないか。

 

 

数年前に帝都から

備後国へ都落ちした自分にとって、

幸いにも向畑は

車で行ける距離となっています。

そして何より、

これほどコロナと無縁な場所が

他にあるでしょうか。

 

そうだ 向畑、行こう。

 

今年の4月上旬、ついに私は、

12年も首を長くして待ったせいで

ろくろっ首の倍の

じゅうにろっ首にまで肥大した

重い重い頭をずるずると引きずり、

長年心の奥で

神聖不可侵な絶対的位置を占める

理想世界の実像を

この目で確かめる決心をしたのでした。

 

 

〜蓬萊山は、はるか険しく〜

 

そこで具体的なプランを立て始めたのですが、

番組では雪の重みで山道に倒れた木を

息子が軽トラのウインチで30分かけて取り除き、

停電でこたつが消えた女性宅へ

大慌てでレスキューに向かう場面などがあり、

素人が思いつきで行けるような

場所なのかが分かりません

 

ここでようやく、

実際訪れた人の記録などないものかと

ネットで調べ始めたのですが、

意外にも、

春にあの桜を見に行く人は

ポツポツ存在するらしいのですね。

左近桜自体が

天然記念物に指定されていることに加え、

あのテレビ放送の影響も

いくらかはあるのかもしれません。

ただやはり、

桜までの道は

非常に分かりにくいらしく、

 

「散々迷った末に地元の人に聞いたら

関係者の方に連絡してくれて、

その人から教えてもらったルートで云々……」

 

等といった記述も見られます。

 

これはいけません。

 

私はあの大切な場所に、

絶対1人で行かねばならない。

 

それが出来ぬなら、

アーモンドの香水で

甘く香り付けした毒瓶をあおって

笑顔で死のう。

 

で、さらに調べると、

世に好事家は尽きないもので、

町の中の大きな道から廃村へ至るまでの全行程を

車載カメラで録画した映像が

YouTubeに転がっていました。

かつてドラレコが

これほど平和な用途に

使われたことがあったでしょうか。

 

村へ行くには途中から

細い細い山道を走らねばならないらしく

(息子が木をどけてたあの道)、

これが非常に危険とのこと。

映像から確認できたのは、次の3点。

 

1、そもそも車で

   行くべき場所ではない。

2、軽自動車でも

   ギリギリの道幅で、

   片側が断崖絶壁のゾーンあり。

3、携帯電波が入らず

   途中で外部との連絡一切不可。

 

つまり、ホントに

蓬莱山そのものだったのですね。

 

一番の問題は、

片側が崖のような悪路にもかかわらず

離合箇所が数百メートルおきにしかないこと。

つまり、

対向車が来たら破滅です。

しかもそんな道を5キロほど、

時間にして15分近くも進まなければなりません。

 

この事実は私の心を

非常にナーバスにさせました。

 

山道の入口から村までは

徒歩で1時間ほどらしいので

歩くことも考えましたが、

一帯はモロに

熊の出没地域となっている上、

映像を見る限り、

あの道を1人で1時間も歩くのは怖くて難しい。

しかも着いた先は廃村なのです。

 

となると、

死を覚悟して車で向かうしかないのか?

 

やはり10年越しの秘境は、

そう甘くなかった。

 

先ほどまで

アーモンドの香水がどうこう言っていたくせに、

私は打って変わって死の恐怖に怯え始めました。

出発前夜になってもまだ

対向車と熊の二者択一に悩み、

どっちに転ぼうが

今日でこの寝床ともお別れかと、

涙で枕を濡らしたものです。

 

 

〜運命の日〜

 

さあ、ついに運命の朝が来ました。

昨夜の問題は何も解決していません。

とりあえず現地の様子を見て善処するという

日本人的発想でごまかすことにして、

家から片道3時間半の行程を出発します。

 

村まではグーグルマップの案内で向かうのですが、

山道より奥はグーグルも恐れをなして

道自体が存在しないことに

なっているらしく、

予習映像に頼るしかありません。

加えて村の周辺は現在ダム工事が進んで

あちこちの道路が封鎖されており、

実際出かけた人々の報告に目を通しておかねば、

山道へ辿り着くことすら不可能です。

数十年生まれるのが早かったら

左近桜を見れずに死ぬところでした。

 

途中の道のりは、とにかく長い。

広島市内を越え、宮島を越え……。

山口県に入ったあたりから

ずっと後をついてくる黒塗りのベンツがいたため、

「もしこいつも一緒に行けば

 村には黒船来航レベルの衝撃だな」

とか

つまらないことを考えながら

ハンドルを握ります。

 

そうこうするうち、

待ち望んだ聖域は近づいてきました。

いかにも景色が

蓬莱山っぽくなってきています。

 

決戦の時は近い。

ここらで腹ごしらえでもしておこうと

適当な店を探していたところ、

いつの間にやら人家は消え、

水墨画を思わせる

終わりのない山脈が始まったかと思いきや、

なんと、

事前予習した付近まで

もう着いてしまったでは

ありませんか。

 

ピクニックには早すぎる。

 

さっきから、

古い上に上手くもない

引用ばかりですいませんが、

とにかく心の準備が

全くできていなかった自分は、

一旦町まで逃げ帰って

スーパーの駐車場で菓子パンを食べます。

 

これでもう思い残すことはない。

私は覚悟を決め、

左近桜を目指して出発しました。

 

先ほど引き返した地点へ舞い戻り、

そこからさらに奥へ進むと、

ついに何度もイメージトレーニングした

あの恐ろしい山道が、

眼前に姿を現したのです。

 

 

〜山道での遭遇者〜

 

10年以上待ち望んだ

記念すべき日であるにもかかわらず、

この日は暗い曇り空でした。

そして時折、小雨が降っていました。

 

私はこれにより、

山道を車で通過することを

すでに決定していました。

徒歩など論外です。

 

やはり日本人的

先延ばしに頼って正解でした。

 

さあ、いよいよ15分間の

恐怖のドライブの始まりだ。

 

序盤は切り倒した丸太の置き場や

広場らしきものがちらほらあり、

意外と普通に走れます。

しかしその安心も束の間、

片側が落差数十メートルの

断崖絶壁となった

噂の地点へ到達し、ギリギリの道幅を

手押し車の老人以下の

徐行で切り抜けます。

これほど緊張したのは

仮免のクランク以来でしょう。

随所随所にある離合箇所の確認も行わねばならず、

まさしく一瞬も気が抜けません。

 

数多の難所を交えつつ、こんな感じの山道が続く

 

このハードなマラソンも

中間地点を迎えた頃、

向畑マニアには感涙物のイベントがあります。

何と、番組で見たままの、

あの新築された女性の家が

突如出現するのですね。

あれほど地味なドキュメンタリーにもかかわらず、

ヘリコプターで

山上から空撮するという

破格の予算の力によって

全体像を確認できた家。

 

しかし、

一本道のど真ん中に車で立ち往生という

こんな目立つ状況で

堂々と一般家屋の写真を撮るのも気が引け、

感動は「モノより思い出」だけにとどめて

さらに先を目指します。

 

あの家があるということは、

もう村も近い。

あと一歩で

私の心のふるさと向畑だ。

 

そんな期待に胸も躍った、

その瞬間……!!

 

なんと、

対向車が来たでは

ありませんか。

 

 

あの物好きなYouTuberたちでさえ

1人も遭遇していなかった対向車と

まさかのご対面とは、

天皇陛下もびっくりです。

 

奇跡的に離合可能な場所の近くでしたので、

バックして相手を待ちます。

平日の真昼間に

この秘境を訪ねる人間が他にもいようとは。

あわよくばラインの交換など

できるかもしれません。

とりあえず桜の咲き具合など尋ねてみようと

すれ違いざま窓を開けると、

向こうも窓を下ろして……。

 

立派な白髪頭の男性の

無表情が現れました。

助手席にはもう1人

若干若い男性の姿も見えますが、

どちらにせよ、

明らかに地元の方です。

 

一瞬で最上級の

不審者へと昇格した自分。

 

しかし前述のように、

左近桜を見に来る私のような素人は

ポツポツおります。

開口一番聞かれたのは

「桜ですか?」

 

「そうです」

「もう散ってるんじゃないですかね。

 今日は奥の方まで行ってないけど。

 木は見れますよ」

 

「奥の方」なる通の言い回し、

贅肉を削ぎ落とした情報、

まさに玄人の物言いです。

 

「じゃあ、せっかくなんで、

 木を見てきます」

 

私のこの言葉を聞いた男性は、

なぜかこちらの顔をじーっと眺め、

ここで、想像だにしなかった、

あまりに意外な一言を発したのです。

 

「向畑に

 おられた方ですか?」

 

 

意味が分かりません。

 

私はあまりのことに面食らいながらも、

 

「いえ、広島から来たんです」

 

すると向こうは、

仏像でもまだ変化があろうと

思われるほどの

極限までの無表情で

私を数秒間凝視した後、

 

「まあ、気をつけて」

 

ゆっくり走り去って行ったのでした。

 

 

狐につままれたような気持ちとは

このことです。

今のはこの世の

出来事だったのでしょうか。

 

パニック障害の発作を思わせる

宙に浮いた離人感を久々に味わいながら、

「向畑におられた方ですか」

の意味をひたすら考えます。

村はすでに90年代後半の時点で、

例の女性と夫を含めて

人口3人だったといいます。

私はいくつに見られたのでしょうか。

そして明らかに土地の人間なのに、

私を向畑ファミリーだと勘違いする

あなたは誰だ。

こちらこそ、

あの質問をあなたに返したい。

 

山ほどの謎が頭を駆け巡る中、

私はだんだん、なんとなく、

ああそうか、

ずっとここへ来る

運命だった自分は

確かに向畑の人間なのかもな

と思い始め、

先ほどの男性は

そんな選ばれし自分の前に化けて出た

向畑の氏神だったに違いないという、

実に合理的な結論に至りました。

 

帰宅後あらためてDVDを見直すと、

頭に白髪を戴いていたとはいえ、

あの男性の顔は

若干息子さんに

似ていたような気もしますが、

もはや永久に答えが出ることはありません。

 

 

到着前で、すでにこれほどの神秘体験。

一体、村の中では

どれほどの驚きが待っているのか。

期待と幾分の恐怖が入り混じり、

さらに先へと車を走らせた私の前に、

突如開けた空間が現れました。

 

これはもしや。

 

はっとして車を停めた

私の目の前に……!!

 

 

 

 

 

ああ、何ということか。

 

夢にまで見た

あの巨大な左近桜の実物が、

無言で聳え立っているでは

ありませんか。

 

運命の出会いから12年、

ついに自分は、

この場所に来れたのでした。

 

 

 

 

 

〜12年の時を超えて〜

 

左近桜の前に

自分の足で立った時は、

本当に信じられない気がしました。

すでに花は散っていたし、

空は曇って薄暗い。

しかし、花が咲いているか、

天気がいいかどうかなど

自分にはどうでもいいのです。

私は、

12年間思い続けたこの場所に、

ただ来たかっただけなのです。

 

12年とは、どれほどの長さなのだろう。

あの頃の自分は、どんな人間だったか。

 

来る日も来る日も仕事せず、

毎日1人で読書とホラー映画を楽しむ

孤独な日々……。

 

無職だった点以外、

今と何も

変わってないことに驚きました。

もっと、

「今では私がおじいさん」の

キャンディCM的感傷など

味わいたかったのですが。

 

私自身の変化などどうでもよく、

気になるのは村の方だというのが、

すべての読者に

共通する思いでしょう。

 

解説役を務めた三國連太郎さえ

とっくに土に帰った今、

あそこに映し出されていた村の風景は、

どうなっているのでしょうか。

 

私は車に乗り込むと、

左近桜から少し離れた

村の中心部へと移動しました。

 

 

〜廃村を歩く〜

 

村の中心部というのは、

左近桜を見に行った様子を

YouTubeにアップしている人たちが

必ずと言っていいほど訪れている場所で、

長い坂道を下りた先にある、

朽ち果てた数軒の建物が寄り集まる

廃村の銀座通りです。

 

 

銀座通りの全景と中心の広場

 

この一帯のメインは

1972年に廃校になった小学校で、

校舎がそのまま残っており、

中には卒業生が描いた自画像や

山口県出身の総理大臣の一覧表などが

当時のままに貼ってあるため、

「止まった時を

 感じられるロマン溢れるスポット」等と

無理矢理な紹介をされたりしています。

 

 

 

崩壊寸前の廃校舎と内部

 

中心部から少し離れた場所には

墓地や江戸時代の石仏等もある

 

 

しかし、

私は桜の木からこの中心部に至るまで

廃村全体を眺めてみて、

想像していたよりは、

古い感じの物が

少ないなと感じました。

もっとも、村の中心から

さらに2キロほど奥へ分け入ると

例の廃校よりも

さらに古い時代の校舎があった

一画が存在するらしく、

そこには由緒も分からぬ戦前の石造物等が

いくつもあるらしいのですが、

もはや道も分からなくなって

いるそうです。

 

だから、あくまでわれわれ素人が

見られる一帯でということですが、

左近桜の天然記念物指定が

1984年であることも関係してか、

石碑や立て札なども

割合新しめのものが多いのです。

そして、20年ほど前まで人が住んでいたので、

こんな秘境にもかかわらず、

村までの道はちゃんと舗装されています。

それらに加え、

ふと向こうの森の奥を見ると

木に新しいハシゴが立てかけてあったり、

廃校舎の中に積まれた古タイヤや、

建物の近くに置かれたテントの支柱らしき物などが、

おそらく先ほどの

白髪頭の氏神様をはじめとして、

現在でも関係者の出入りが

ちょくちょくあることを

感じさせるのです。

このように、

人里離れた究極的に寂しい場所とはいえ、

お化けや幽霊が出そうなタイプの

雰囲気とは違うのですね。

 

むしろ怖いのは野生動物。

中心部から900メートルほど歩いた奥には

「カツラの木」という第2の名所も

あるらしいのですが、

私が途中まで歩きながらも結局引き返したのは、

森の熊さんに

出会いたくないがためでした。

 

 

また、左近桜の横には、

村の開祖と伝えられる廣實左近を祀った

廣實神社があり、

そこからさらに上に登った先が、

おそらく番組で親子並んで

花見をしていた場所なのですが、

道の奥から

明らかに何かの生命体が

足踏みしている音がしたため、

怖くて登ることができなかったのも残念です。

 

 

 

このように、この村は全体的に、

幻想的というより、

もっと現実的で生々しい感じの

荒涼感に覆われているのですね。

それは平安や鎌倉時代の遺跡のように、

すべてが終わった

ロマンチックな夢の場所ではありません。

時間は完全に止まっているものの、

死んではいないのです。

私はこの村を歩きながら、

極限まで死にかけていながら

まだ確実に呼吸はしている生き物の、

まさしく最期の一瞬に

立ち合っているような

妙に重くて切羽詰まった感覚に

なったものでした。

 

 

この10年ほどで村は恐ろしく荒れている

(上・2010年の番組放送当時、下・2022年)

 

 

私は番組の中で

あの古い8ミリテープが見つかった

女性の旧宅を見たかったのですが、

中心部を見渡してもそれらしき家がありません。

だから、実は村には他にもいくつかの

人家地帯があるのかなと勝手に思い、

心残りながらも

それ以上の探索は諦めて家路につきました。

 

そして帰宅後、

あらためて番組を見直したところ……。

なんと、自分はあの時、

ちゃんとその家を見ていたのです。

小学校のすぐ前にあった、

半分が完全に崩壊して

野晒しになっていた赤瓦の建物。

あれがそうだったのでした。

 

 

上・番組放送当時の女性の旧宅

下・現在は半分以上が崩壊して見る影もない

 

私はこれに気づいた時、

かなりショックでした。

12年間という時間は、

やはり長かったのです。

行こう行こうと思いながらも

先延ばしにしていた日々のどこかに、

あの家が命を終えた瞬間があったのだ。

まだどうにか

手が届くうちに行けて、

本当によかった。

 

あの女性がその後

どうなったのかは分かりません。

ご存命なら100歳を越えていますが、

相棒だった桜の木に見守られつつ、

山里で静かに

一生を終えられたのでしょうか。

 

 

これから数十年の後、

私がもし生きていたら、

老いた体でこの村を

訪ねてみるのが楽しみです。

その時には、

今回よりもはるかに長い時の流れを

心の底から嚙みしめることになるでしょう。

 

もはや小学校も、

今は辛うじて面影を残す家々も

全てが無くなっているでしょうが、

あの左近桜だけは、

今と同じ姿であそこに

立ち続けているでしょう。

 

そしてその脇から、

あの白髪の男性が、

あの日と全く変わらぬ無表情で、

私にこう語りかけてくるような

気がします。

 

「あんた、

 やっぱり向畑の人だったね……」