さくらももこの思い出 | 七色祐太の七色日日新聞

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怪奇、戦前文化、ジャズ。
今夜も楽しく現実逃避。
現代社会に疲れたあなた、どうぞ遊びにいらっしゃい。

 さくらももこ。

 

 私がそのあまりにも突然の死を知ったのは、出会い系で知り合った相手が近々アパートへ遊びに来ることが決まった日から日課にしている、仕事帰りの三十分のウォーキングの直後でした。バイク屋である私は、いつもその時間、静まり返った公園を歩きながら、タイヤのナットをちゃんと締めたか、接客の際の作り笑顔が相手に勘ぐられなかったかなど、その日の仕事を総復習するのですが、その日はブレーキのネジの締めつけに関して若干記憶が曖昧で、どうにも気持ち悪く感じていました。不安な気持ちで散歩を終え、車に戻ったその時。私は家族からのメールによって、さくらももこの死を知ったのです。そしてその瞬間、こんな大事件に比べれば、直管マフラーの改造ゼファーに乗ったチンピラがブレーキ不良で一人や二人死のうがどうでもいいことだという宇宙の真実に気づき、先ほどの不安など一瞬で消し飛んで、心はさくらももこに関する思いでいっぱいになってしまったのでした。彼女は、自らの死という大ニュースさえ利用して、私の心を元気づけようとしてくれたのです。

 

 

 私が彼女の文章に初めて出会ったのは、小学校低学年の頃です。当時私の家には母が買った『もものかんづめ』『さるのこしかけ』『たいのおかしら』の黄金エッセイ三部作が本棚にありました。それらをたまに母が読み聞かせてくれるのがとても面白く、自分でも直接読みたいのですが、まだ漢字が読めないため母に総ルビを振ってもらっていたものです。それまで私が読んでいたのは子供向けのお化け本が大半で、それらは戦前の、天に金箔が塗ってある五号活字の豪華本よりもさらに馬鹿でかい文字である上、カタカナにまでひらがなのルビを振るという、後のゆとり時代を予言するかのような至れり尽くせりのサービスがなされていました。そこから一般成人向けの「随筆」への入門は、かなりの努力が必要です。私がルビの助けを借りてまで読破したいと思った、つまり、人生で初めて本気でハマった大人向け文章は『もものかんづめ』だったのかもしれません。ちなみにその総ルビ化の試みは母の疲労によりわずか三ページほどで挫折し、あとには、序盤の猛烈な書き込みの嵐が開始後十ページほどでピタリと途絶える、大学近くの古本屋に寂しく並ぶ岩波文庫の青帯のような無残な姿の『もものかんづめ』が残りました。結局、その後しばらく、私は依然として母の朗読によってさくらももこのエッセイに親しんでいたのです。

 

 子供時代の私は、彼女のエッセイの何に引かれたのでしょうか。もちろん、随所に散りばめられたギャグの面白さ、テンポの良さもあるでしょう。しかし今思うと、私が一番衝撃を受けたのは、現実を力ずくでねじ曲げて強引に異化させる、彼女独特の世界加工法だったように思います。漫画作品と同じく、彼女のエッセイには少女時代や学生時代のくだらないエピソードが山ほど登場しますが、それらは単に事実をそのまま模写しただけのものではありません。例えば『もものかんづめ』収録の「メルヘン翁」という作品は、自らの祖父・友蔵の臨終から葬式までの様子を、ヤクでもキメたかと思われるほどに全編超ぶっ飛びのふざけまくりで記した超ブラックな内容で、老衰で死んだ一人の平凡な老人を、前代未聞の最強キャラへと加工することに成功しています。豚の生肉をサラダ油とミックスしてネギトロに大変身させる以上の発想と職人芸に裏打ちされた、彼女独自の錬金術がこれでもかと発揮された奇跡の大傑作と言えるでしょう。これが雑誌に掲載された当時、そのあまりに無遠慮でショッキングな内容から、「身内のことを、こんなふうに書くなんて、さくらももこってひどい。もう読みたくない」という手紙が編集部に数通届いたといいます。そうした反応に対し、さくらももこ自身は『もものかんづめ』のあとがきでこう述べています。

 

「私は自分の感想や事実に基づいた出来事をばからしくデフォルメする事はあるが美化して書く技術は持っていない。それを嫌う人がいても仕方ないし、好いてくれる人がいるのもありがたい事である。」

 

 この言葉からも分かるように、彼女の描く作品は、エッセイにしろ漫画にしろ、些細な原体験を自らのセンスと感性で陽性のベクトルに再構成し、一流のエンターテイメントへと昇華させたものです。前述の「メルヘン翁」を例に取ると、彼女自身、自らの祖父・友蔵に対してなんの思い入れもなかったことをはっきり認めているにもかかわらず、文中では、たしかに嫌われ者ながらも歴史上滅多にお目にかかれないレベルのいじられキャラに仕立てられており、漫画作品での彼に至っては全く別人格の好々爺へと変貌させられています。この、味気ない現実世界を独自の感覚で加工して、強引に虹色の別世界を作り上げてしまうやり方の鮮やかさが、子供時代の自分を最も魅了した点だろうと思うのです。

 

 なぜなら、自分も子供時代、毎日がとてもつまらなかったからです。山奥の限界集落にて、保育所から小学校まで十年近くも顔ぶれが変わらない数人の同級生と毎日同じ教室で偽りの笑顔を交わし合い、少しでも他人の悪口を言えば帰りのホームルームで吊るし上げにあうような、ナチス顔負けの監視と密告と裏切りの連続。私の人生において、あれほど派閥抗争に明け暮れた日々はありません。朝起きて学校の一日が始まると思うだけで気が重く、どうにかして仮病を使って休むことをいつも考えていました。

 でも、さくらももこのエッセイに触れて、こんな嫌でたまらない毎日でも、自分の頭次第で強引にねじ曲げて、爆笑の舞台に変形できる可能性に気づいたのです。そのときから私は、ひそかに近所のじいさん・ばあさんたちを観察し、そのちょっとした言動に注目してはそれを面白おかしく膨らませ、金ピカのゴージャス衣装をまとった名物キャラとしてプロデュースすることに熱中する、私的マネージャー業に手を染めるようになりました。アピカの学習ノートを使ってイラストと解説入りの村の老人図鑑を作成し、どこそこのじいさんが原付を運転中に突然奇声をあげたとか、野良仕事をしているモンペのばあさんをふと見ると半ケツだったとかいう、村内の出来事を極限まで下品に書き散らした東スポ顔負けの手書きゴシップ新聞をお絵かき帳で製作しては、一人でこっそり眺めて息ができないほど笑い転げていました。はたから見ると、こっちの方がはるかに暗くて悲惨かもしれません。しかし、私はそのおかげで、日々の精神状態がかなり楽になったのは確かだし、こうした趣味は大人になってからも闇鍋でゴトゴトと煮込まれ続け、あれから二十年ほどの時が流れた昨年末、子供時代の村の思い出をまとめた『限界集落人物伝』という本を出すことで見事一つの実を結んだのです。私自身にとってとても大切な存在であるその本は、子供時代の自分がさくらももこから教えられた発想なくしては、決して誕生しなかったことでしょう。

 

 先ほども少し触れましたが、彼女のエッセイを読んでいると、多くの場合、素材になっている出来事自体は、大して珍しいものではないことに気づきます。通販でインチキまがいの睡眠学習マクラを買ってしまった話、テレビに出ている有名人が近くのデパートでサイン会を開いた話、子供の頃に飼っていた不愛想な猫の話……。誰でも体験した覚えがあるようなことばかりではないでしょうか。それらを一流の漫談に仕立て上げた彼女の腕はまさしくゴッドハンドというにふさわしいものですが、その腕前は、元ネタが暗い出来事であればあるほどいっそう冴え渡ります。素材に負の要素が強いほど、それを正の方向に変換するには爆発的なパワーが必要なので、完成品から立ち昇る迫力が異常なものになるのですね。私は、彼女が中年期を迎えてからの身近な出来事に関するエッセイや、世界旅行記なども読みましたが、そういうものは不思議と、あまり面白くないのです。やはり、若い時分の陰気な記憶を沼の底から引きずり出し、ゴテゴテの極彩色に仕立て直したものがいい。しかし、ここが大事ですが、彼女の場合、強烈で濃厚な化学調味料の力も容赦なく用いて巨大で派手な夢の城を築き上げたとはいえ、その土台にあるのはやはり、天然だしなのです。だから、どんなにふざけた文章でも、読後に不快な気分にならず、胃もたれせず、飽きがこない。いつまでも読み進めたくなる、いい意味での中毒性がある。健康食品売り場での一年間の意味のないバイト体験を綴った「健康食品三昧」、誰からも嫌われる近所のばあさんの思い出を哀感交えつつ語った「小杉のばばあ」、自らの過失によるグッピー大量殺戮を隠し通そうとしてさらなる深みにはまる「グッピーの惨劇」などの傑作は、今後も永久に光を放ち続けることでしょう。

 

 現実を異化させるには膨大なパワーと想像力が必要ですが、彼女は生まれつき夢見がちな性格であったらしく、思春期には「夢みる恋の日記帳」という間抜け少女丸出しの、カラーイラスト付きの詩集を手作りし、二年半も書き続けていたそうです。その大半はのちに破って処分したそうですが、一冊だけ「よりぬき帳」のようなものを作って実家の机の奥に隠しておいたとのこと。実は私も、かつて似たようなことをやっており、ノートと鉛筆を利用して手書きのエロ物語を作り、ある程度の数が揃ったところで傑作のみを抽出し、文章を全て筆写した上で新たな描き下ろしイラストまで添えた「傑作集」として、この世の誰にも知られず暗い自室で地下出版していました。さくらももこは後にそのよりぬき帳が実家の親に見つかって非常に恥ずかしい思いをしたそうですが、私の傑作集は、数年前にこっそりある後輩に見せた際「これは自分が今までの人生で見た全ての物の中で一番危ないから、絶対人に見せないほうがいい。もし何かの時に家宅捜索されたら、無理やり有罪にされるだろう」とのコメントをもらいました。そしてそのまま、永久にカビと湿気にまみれた闇の世界に存在し続けております。私と後輩がこの世から消えたとき、あの本に関する記憶は全宇宙から抹消され、それがあったという事実は人類の歴史上から完全に姿を消し、永遠のブラックホールに吸い込まれ……。天然だしの要素が薄くなってきました、胃もたれする話はこれでやめましょう。

 

 私は別に、さくらももこの文章自体を細かく分析したり、文体を研究したことは一度もありません。私が彼女から教えられたのは、そんなことよりはるかに大きな、この味気ない現実で死なずに生きていくためのサバイバル法。世界は自分の心次第で思い通りに色塗りできるということ。これは、噓も百回つけば真実になるということではありません。忘れてしまいたいような出来事が起きた時、それが実際あったという事実は動かなくても、その印象や意味に関する限り、自分の頭でどうにでも塗り替えられるということです。私はこれを知っていたことで、今までの人生、どれほど救われてきたことか。物流会社のパート時代に若い正社員から物陰にこっそり呼ばれ「言いにくいんですけど、ワキの臭いがひどいので、これあげるから使ってください」と制汗スプレーを手渡されたこと、専門学校時代に数百人の前で『ゾンビ映画大事典』の素晴らしさをカチカチに緊張しまくって語り、気圧の変化がはっきり耳に感じられるほど教室全体を無音の真空状態にさせたこと。どれも深刻に考え始めると自殺しかねない暗黒の出来事ですが、こうして文章にしてみると、一気に愛すべき桃色の記憶のように思えてくるではありませんか。

 そう、私が彼女から学んだ、一番大切なこと。それは、書くことの力なのかもしれません。一見悲惨な出来事でも、今のように言葉で記すことで、見違えるほど印象が変わって明るく薔薇色に見えてくることがある。濁った灰色の記憶が、噓のようにさらさらと浄化され、澄んでいく。世界って、紙の上でいったん丸裸にして、自分の好きな服に着せ替えてやることで、面白いくらい印象が変わっていくんですね。コーディネートのセンスは人それぞれでしょうが、より良いセンスを磨くには、とにかくこの世のありとあらゆる出来事をどんどん素っ裸にして、山ほどの着せ替えをこなすこと。それなら書いて、書いて、書きまくってやろうじゃないか。

 

 私はさくらももこに対して、漫画家としてではなく、ほとんど文筆家としての印象しか持っていませんが、それは、彼女の文章が、「ほれ、私のやり方を見てごらん」と言わんばかりに、この世界に対する最上のコーディネート術というものを、身をもって示してくれたからです。そして、そんなすごいやり方があることを知った私が、そのおかげで今日まで死なずに生きてくることができたからです。人生の早い時期に、最良の意味での空想少女と出会えたことは本当に幸せでした。

 

 

 ここまで、さくらももこへの思いを、大量の自分史と絡めつつ語ってきたわけですが、もちろんこの文章だって、多くのデフォルメを含んでいます。彼女のことを、少し大げさに美しく書きすぎた部分もあったかもしれません。だとするとそれは、さくらももこが自分にとって、いつまでも大きく大切な存在であってほしいという密かな思いが、無意識のうちに、彼女へちょっぴり豪華すぎるドレスを着せてしまったのでしょうね。盆栽や縄のれんや飲尿健康法を愛したあなたは、「あたしゃこんな服なんて……」と半笑いの顔に縦線を入れることでしょうが、高い雲の上から、私にできる精一杯の恩返しを笑って眺めてくださいませ。

 

 

私に書くことの楽しさを教えてくれた人、

さようなら。