You Are My Sunshine Forever ~日野皓正騒動と私~ | 七色祐太の七色日日新聞

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怪奇、戦前文化、ジャズ。
今夜も楽しく現実逃避。
現代社会に疲れたあなた、どうぞ遊びにいらっしゃい。

~言い出しかねて~

 

かつて日本中を熱狂させたジャズブームの

代表選手であった日野皓正氏が

一夜にして全国民に知られるほどの

有名人に返り咲いたことを知ったのは、

8月31日の昼休みに弁当を食っている時でした。

 

ジャズメンが全国ニュースで

取り上げられることなど皆無である昨今、

ツイッターにてやたらと

彼の名前を目にした私はてっきり、

「大坂昌彦ら若き志士たちが

 90年代に目論んだ『日本ジャズ維新』が

 四半世紀の時を経て

 ついに実現されたのだ」

と早とちりして御一新の喜びに感動し、

散切り頭で牛鍋を味わうべく

床屋とスーパーに駆け出そうと張り切ったのですが、

数秒後、

革命など全く

起きてないことに気づきました

それどころか、報道の実際を知った瞬間、

あっという間に

ムードはインディゴへと

転調してしまったのであります。

 

自身の代表曲である

『アローン・アローン・アンド・アローン』

そのままの状態で

世間に放り出された彼に対して、

ブルームーンを眺めつつ

二人でお茶を飲み

頬寄せ合って

午前1時のジャンプ

波濤虹を越え

星に願いを

チリビリビンしたい気持ちになりました。

 

つまり、

かなり動揺してしまいました。

 

中学からジャズを聴き始めた自分にとって、

少年時代は世界一の大スターであった人物が、

全く素のままで一般世間の前へ突然登場し、

その行動が猛烈なる批判を浴びているという事実に、

ひどく奇妙な気持ちになってしまったのです。

 

そして、その後

彼の記者会見まで行われ、

ますます報道が活発化した頃から、

自分にとっての

日野皓正とは一体なんであるのかを

頭に浮かぶままに

書きまとめてみようと思い始めました。

 

当初は「ジャズと暴力」という題目を考え、

20年代のシカゴで密造酒場での演奏中に

目の前でギャングが2人の男を射殺して

全身が返り血で真っ赤になったにもかかわらず

延々とラッパを吹き続けた

マグシー・スパニアの話あたりから

始めようかと思ったのですが、

自分がこの手の社会派的テーマに

ほとんど興味がないことに気づき、

それよりは

私個人の日野皓正に関する思いを

細かく偏執狂的に語っていったほうが

血の通ったいい文章になると思ったので、

以下、

そういう文章を書くことにします

 

~Careless Love~

 

私が日野皓正の音楽を最初に聴いたのは、

中学3年生の時でした。

それは彼のワルシャワでのライブ音源で、

自分が初めて耳にする

直球な内容のジャズでもありました。

中2の終わり頃から

ナベサダやMALTAは聴いていましたが、

それらはどれもストレートなジャズではなく、

フュージョンだったのです。

しかし、日野のアルバムを聴いてみると、

そうしたフュージョンアルバムと違って、

各人のソロが存在することに気づきました。

そこで自分は

「日野さんは優しいから

 みんなのソロの時間を作っているんだ」

と非常に感動したものです。

今では信じられないことですが、

それまでフュージョン系の演奏しか

聴いていなかった当時の私は、

 

「ジャズには各人のアドリブソロがある」

 

という超初歩的なことさえ知らず、

日野の演奏においてみんなのソロが回るのは

あくまでも

彼の平等の精神に基づく

人情によるものだと

解釈していたので、

ジャケットで微笑むヒゲ面の彼を眺めては、

「この人はナベサダなどとは

 ちょっとスケールが違うな」

と意味も分からず大物扱いをしていました。

 

そうした大人物が演奏する真のジャズの魅力に

すっかりはまってしまい、

本格的にジャズを聴き始めた私が、

他にも数多くのジャズメンの

アルバムに触れるうち、

「ジャズには普通ソロがある」

ことに気づいたのは、

それからしばらく経ってのことでした。

 

~The Entertainer~

 

高校生になった私はますますジャズにのめり込み、

日野のアルバムもどんどん棚に増えていきました。

すでにフュージョンなど物足りなくなっており、

日野に関してもオーソドックスなジャズに

回帰して以降の作品ばかり聴いていましたが、

その嚆矢である89年の『ブルーストラック』の

ジャケットで、

彼は黒服・黒ひげ・整髪料ベットリの短髪という

今にまで続く

暴力団員風イメージを見事確立し、

大衆ウケを狙ったポップなジャズから身を引いて、

いよいよ真のジャズめんとする

強い決意を表明しています。

そうした貫禄たっぷりの風格もあって、

いつしか日野は私の中で

ジャズ界を代表する

大スターと認識されるに至りました。

(北里典彦も大好きでしたが、

 温厚なキーちゃんはジャズ界の最奥部に

 鎮座する守護神といった趣で、

 過剰にパワフルな日野とはタイプが異なる)

 

そんなある日、ついに私は

憧れの日野皓正を生で見る機会に恵まれます。

地方の山奥で暮らす身にはびっくり仰天でしたが、

なんと、日野がバンドを率いて

はるばる近所の画廊で行われるコンサートまで

演奏に来てくれたのです。

自分にとっては神にも等しい人物を眼前にして、

「この世にこんな

 かっこいい人がいるのか」

と背筋がゾッとしたのを覚えています。

アメリカ訛りが混じった独特のアクセントから

人差し指一本で

ひたいの汗をさっと拭うキザな仕草まで、

すべてが超一流のプロといった風格を感じさせました。

想像とは違ってかなり陽気な人物であり、

若き時代に身につけたタップダンスまで

披露してくれたのにはびっくりしましたし、

合間のMCで

ヒゲもじゃのベーシスト(金澤英明)を

紹介する際に披露した

「彼はね、うちのバンドの老師です。

 老死、年を取って死ぬこと。

 かーっ、寒い!!

 みなさん、早めのパブロンですよ」

という

感動的なまでに構造不明なギャグは

今でも強く記憶に残っています。

アメリカンジョークと

ジャパニーズオヤジギャグを

独自の感性でブレンドして

新たなる次元に到達した彼こそ、

音楽面だけでなく人間面においても

真に国境を越えた

世界的トランペッター

であると言えるでしょう。

 

また、私はこの画廊コンサートに翌年も出かけて

めでたく日野との再会を果たしましたが、

彼がバンドのドラマーに

「バカヤロー」と怒鳴って

演奏を中断させる光景を

生で見れたのは

今でも大切な思い出です。

当時の私はそれを見ても、

別に驚きませんでした。

彼のアルバムを毎日のように聴いていれば、

そういう気質の人だと容易に分かるからです。

75年の渡米直前さよならコンサートでの

常軌を逸した演奏などを聴くたび、

今まで人を殺してないのが

不思議なくらいだと思っていました。

 

「親父が音楽を

 教えてくれなかったら

 自分は相当なワルになっていただろう」

 

といった彼の発言をどこかで見たことがありますが、

本来極道になるはずだったエネルギーが

100パーセント音楽面に注ぎ込まれているわけですから、

筋を通さぬ演奏に対しては

小指の一本も詰めていただくのが

当然なんですね。

 

だから私は、今回の騒動を知った時も、

「ああ、あの人なら…」

とごく普通に納得してしまったわけです。

 

~Nature Boy~

 

2001年にNHKのBS2で放送された

「にっぽんのジャズ大全集」という90分番組は、

ありとあらゆる世代の

日本人ジャズメンをスタジオに大集合させ、

当時の日本ジャズ界の全体像を描こうと試みた

意欲的番組でしたが、

何より一番面白かったのは

司会進行役が

日野皓正であったということです。

彼は各バンドの演奏の合間に

女性アナウンサーとトークを繰り広げますが、

その中には若き日のジャズ体験、

自身の音楽観や思想などが大量に散りばめられており、

高校生の私も録画したビデオを

何度も興味深く見返したものでした。

(ちなみに私が親しい友人の前で披露する

「ジャズの新旧について語る日野皓正」というネタは

 この番組での彼を真似したものです)

 

その番組内での日野の名言の数々。

 

「僕の親父はトランペッターでタップダンサー、

 おじいさんも近衛兵のラッパ手、

 だから家系をザーッといくとさ、

 雅楽かなんかやってたんじゃないかなっていう

 はするの

 

「ルイ・アームストロングは僕にとって

 神様だし、おじいさん。

 影響されてるから、

 家系にね

 マイルス・デイヴィスは

 僕の親父だと思ってるし

 

「TOKUはね、

 僕のことお父さんって呼ぶんですよ。

 ダディ、ダディってね、

 メールなんか来るんですよ。

 だから

 オーケー、マイ・サン

 とかってね、打つんだけど」

 

もはや世界的スケールどころか

数世紀の時空さえ

縦横無尽に超越する神の視点で

生き生きと語り続ける彼を見ていると、

この人は超弩級のロマンチスト、

さらに言うと、

その強烈すぎるロマンチシズムが

生来の直球的気質と結びついて生まれた、

極めて特異なタイプの天然キャラだと

いうことに気づくのです。

 

彼を生で見たことがある人なら誰でも感じる、

「この人は自分たちとは何か違う」

という説明困難な感覚は、

その年齢や実績からくるよりも、案外、

こうした天然的性質に起因するところが

大きいのではないでしょうか。

 

自分の仲間を

「ファミリー」とか「ブラザー」と呼び、

美空ひばりを

「ひばりさん」ではなく

「美空さん」と普通に言えてしまう感覚、

そうしたものは長年の

アメリカ生活の結果だと言えるにしても、

還暦目前になって

艶かしいタンクトップ姿で

腕にペンキを塗りたくり

険しい表情で

歌舞伎風の決めポーズをとった写真を

自らのアルバムに

自信たっぷりで採用するというのは、

もはや一切の他者の意見を拒否する

彼独自の世界でしょう。

高校生だった私は、

その当時2000年前後の

彼のアルバムのライナーに

同種の危ない世界に誘われそうな写真が大量にあるのを

いつもドキドキしながら眺めていましたが、

土台にあるノリが一般人と完全に異なるというか、

「人間のふりをした異星人」

という感じなのです。

よくテレビで、自称宇宙人の方々が

宇宙語などを話していますが、

いくらそんな風に頑張っても全身から醸し出す空気が

単なる気のいい小市民だということを

一瞬で伝えてくれるのに比べ、

日野の場合は、

ちゃんと日本語を

話しているにもかかわらず、

根本的に話が通じないような気がします。

それは単に「アメリカ訛りの日本語」という

独自の形式の宇宙語を話すからではなく、

もっと根源的な、

全身から立ち上る雰囲気のようなものですが、

それが何か、

理解不能ながら

凄まじいまでの風格を感じさせ、

埋めがたい距離感と

犯しがたい威厳を

ひしひしとこちらに伝えてくるのです。

 

~その手はないよ~

 

そうしたあまりにも個性的な天然キャラとして

私の心に長年位置を占め続けていた日野皓正という人物が

突如として全国ニュースに登場した際の驚きは、

とてもここに書き尽くせるものではありません。

私は、世間が彼に対してどのような反応をするか、

恐る恐る見守っていました。

なぜなら、

もし社会が日野皓正という人間を全否定したならば、

それは、

長年彼という人間を愛し続けている

私自身の人生も全否定されるのと

同じようなものだからです。

私は日野騒動に関する

世間の動向を注意深く観察しつつ、

迫り来るファシズムの恐怖に

怯えていました。

 

しかし、騒動発生から若干の時間が過ぎたのち、

満を持して彼の記者会見が行われ、

彼自身の言葉に直接触れるに至って、

私はもはや、

世間の反応など

どうでもよくなったのです。

 

そこには、

かつて少年だった自分が

憧れた当時と全く変わらぬ、

かなり天然のおっさんが、

なんの湿っぽさもなく

自らの思いをストレートに

語る姿があったからです。

 

私はそれを見て

すごくホッとしたし、

すごく嬉しかった。

 

「ああ、本当にこの人の

 音楽を聴き続けて、

 この人を

 好きであり続けて良かったなあ」

 

と思いました。

 

 

創造主のそれにも匹敵する

宇宙的スケールの彼の心から見れば、

実際にビンタが届いたかどうかの

小賢しい映像分析など

の一兆分の一の

価値さえありません。

 

 

そんな彼が記者会見で発した

数多くの言葉の中でも、

私が一番感動したのは、

 

「(俺のビンタより)

 アントニオ猪木の方が全然痛いと思うよ」

 

の一言です。

 

私はこれを聞いたとき、

かつて田舎の片隅で200人を相手に

パブロン云々を繰り出したのと

全く同じレベルで

全国1億人に真っ向から立ち向かっていく

1人の人間の凄さというものを

腹の底から実感しました。

 

それは本当に、

自分の中にある

日野皓正のイメージそのままで、

目に涙が滲んで仕方なかったのです。

私の思う日野皓正という人の凄さ、

その魅力は、

あの一言に凝縮されていると言っていい。

誰も深くは気に留めない部分でしょうが、

私にとっては、

すごく大切なものを

無限に含んでいる言葉なのです。

 

 

今回の騒動では、

誰も日野皓正個人の

史上稀に見る濃厚なキャラクターに

注目することなく、

体罰の是非なる一般的テーマに話が進むという

予想通りの展開となりましたが、

私にとっては、

少年時代から付き合い続けた

1人の人間の魅力を再発見する、

大変貴重な出来事となりました。

あらためて、

棚に並んだ彼のアルバムを

聴き直していきたいと思います。

 

 

それにしても、

突如時の人となった渦中の中学生、

これほどまでに独特のフィーリングを持つ日野皓正と

すでに1年も深い関係を続けているとは……。

誰かれ構わず本心から物を言ってのける日野に

一目置かれているとは、

あの若さでタダ者ではありません。

 

日野自身もこう語っています。

 

「俺とあいつは

 父親と息子なわけ……」

 

 

これまた、

なんともグッとくる反面、

やっぱり日野さんって憎めないなあと

思ってしまった一言でした。

 

 

あんたの息子は

TOKUじゃなかったんかい。