アナーキー軽トラ百景 | 七色祐太の七色日日新聞

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怪奇、戦前文化、ジャズ。
今夜も楽しく現実逃避。
現代社会に疲れたあなた、どうぞ遊びにいらっしゃい。

こんばんは、

レインボー祐太の中の人です。

 

気がつけば日野皓正ビンタ騒動以来

数カ月ぶりの更新となるわけですが、

今回この文章を読み始めたみなさん、

ふと気づいたことがありませんか。

 

そう、数年ぶりに普通のブログに、

あの、時給950円で肉体労働をしつつも

2週間に1回の超人的ペースで書き継がれていた時代の

懐かしい寄席的空気に

戻っているではありませんか。

 

ここ最近、

もはやブログではない何物かに

進化していたこのページですが、

先ほど更新のためにまた何か長文作品でも

書き上げようと全力で頭をひねっても、

「オザケン、フザケンなよ」とか

死ぬしかないようなギャグしか

思い浮かばなかった自分の弱った知性では、

今回は頭脳労働ゼロで書ける便利ネタ、

つまり

心温まる田舎の思い出話で

茶を濁すしかないのであります。

おいおい

またかよと思うかもしれませんが、

私のようなイングランドの紳士は

年取ると田舎に

引かれてしまうものですので。

 

というわけで、

今回は全く唐突ながら、

先日の連休でわが田舎にやってきた

観光客たちの姿を

なんとなく思い浮かべているうちに、

マジカルバナナ100ターン分ほどの

連想が積み重なって

もはや1ミリも関係ない地点まで

辿り着いてしまったテーマ、

「田舎の軽トラよもやま話」

徒然なるままに語りましょう。

 

 

普段は老人と無職以外に

歩行者の姿が見当たらない

現在のわが実家の周辺にも、

連休が重なる春と秋の観光シーズンには、

「田舎の真心」なる幻の青い鳥を求めて

都会を逃れた大量の難民たちの車が

なだれ込んでくるのがお決まりです。

裏道を通れば

2分ですべてが終了する町にもかかわらず、

馬鹿正直に中央道路から攻め込んで

2時間以上も渋滞に巻き込まれている彼らの姿を

反対車線から笑顔で眺めるのは、

私の年2回の

貴重な楽しみといえるでしょう。

 

ところで、

その時期のわが田舎の道路では、

普段では到底考えられない現象が起こります。

全人口に対する

老人含有率が限りなく高いわが田舎では、

彼らの大部分が農作業や山仕事やJAや

よく分からない材木を運ぶ仕事

携わっている関係から

道で見かける全車両の三分の一以上が

軽トラであるという

超軽トラ化社会を早くも実現しているのですが、

なんと、

年2回の行楽シーズンの間だけは、

いつも嫌というほど目にする

泥にまみれた軽トラどもの姿が

中央道路から完全に消えてしまうのです。

いくら見回しても目に付くのは

清潔なファミリーカーやワゴン車のみ。

 

 

一体あの軽トラたちはどこへ!?

 

 

単に裏道走って

ショートカットしてる

だけなんですけどね。

 

 

それはさておき、

道路で軽トラを目にする確率が

異常に高い、わが田舎。

それは先ほども言ったように、

農業や山仕事に従事する

年寄りの数が非常に多いからです。

ごくまれに、農家でも何でもないのに、

婆さん・夫婦・子供3人

という大所帯であるにもかかわらず

自家用車が軽トラ1台しかない家もありますが、

これは特殊な例なので

あまり気にしないでください

農業や山仕事というのは

芸術家と同じく死ぬまで現役の、

定年のない職業です。

それらに携わる人々は毎日軽トラを乗り回して、

決してハンドルを離すことをやめません。

 

これらの事実から

必然的に導き出される結論、

それは……!!

 

 

ボケた老人が運転する

危険な鉄の塊が

そこら中に溢れていると

いうことですね。

 

 

つまらない帰納で

遊んでみました。

 

 

田舎の道路というのは

とても法治国家とは思えない

軽トラ風景が繰り広げられているもので、

対向車線を走ってくる軽トラが

知り合いだと気づくと

すぐさま手を挙げてその場に停車させ、

そのまま軽トラ2台で両車線を完全封鎖して

窓越しに世間話を始めたり、

どう見ても荷台に入りきらない、

車体の倍近くの長さを持つ巨大な丸太を

運転席の屋根に凭れかかせ、

そのまま前面部がはみ出しまくった

リーゼント状態で

過激に風を切りつつ疾走していたり、

荷台の後方に紐をつないで

時速10キロほどで徐行するという

超手抜きな方法で

犬を散歩させていたりします。

江戸幕府最後の将軍だった徳川慶喜が

引退後に趣味でよくサイクリングをした際、

かつての家来たちは自転車に乗った慶喜の周りを

いつも全力で走ってお伴していたそうですが、

忠義に死んだ

幕府の「犬」どもの貴い精神は

21世紀の片田舎の雑種たちに

見事受け継がれているわけです。

 

 

自分は上記の光景を

どれも眼前で見たことがありますが、

運転手は全てじじいでした。

こうした例が腐るほどあるため、

うちの田舎では

老人マークを貼った軽トラを前方に見つけると

高速道路並みに

車間距離を空けて運転するのが

暗黙の掟なのですが、たまに、

家族全員でその車両を乗り回しているためか、

1台の軽トラに

初心者マークと老人マークが

同時に貼ってあることがあり、

この場合はあまりに無政府主義的で恐ろしいので

合流待ちの車をあえて間に入れてやり、

万一の場合の

軽トラと自分とのクッション役を

期待するという

高等テクニックも使われます。

 

先ほど述べた例でもわかるように、

じいさん連中の軽トラには

とかくスケールの大きい豪傑的行動が目立ち、

周囲もそれを半ば黙認しているわけですが、

かつて大学時代に実家へ

一時帰省していたある日のこと……。

 

 

自分は上記のエピソードの数々を

はるかに凌駕する、

信じられない軽トラを

目にしたことがあったのです。

 

 

その日の昼下がり、

自分は交差点で信号待ちをする数台の車の

最後尾に停車していました。

するといきなりバックミラーに、

右後方からすーっと向かってくる

何物かの姿が写ったではありませんか。

驚いてそちらを向くと、

眼鏡をかけたよぼよぼのじじいの

運転する1台の軽トラが、

思いっきり反対車線を逆走しており、

そのまま、信号待ちをする我々を

華麗にごぼう抜きしていった後、

ごく自然に赤信号を無視して

スローで優雅な右折を行い、

はるか彼方へと

ゆっくり消えていったのです。

 

あまりにも突然の、

夢のような出来事でした。

 

しかし

どうにか気を取り直した自分はその直後、

先ほどのじじいについて

すぐさま思いを巡らせ始めました。

いくらあの田舎の軽トラが猛者揃いだと言っても、

あれほど大胆な運転には

それまで出会ったことがありません。

その道は片側が一車線しかないのですから、

万一青信号で右左折した車が

向こうから突入してきた場合は

一瞬で正面衝突してあの世行きなわけで、

まさに死をも恐れぬ暴挙といえましょう。

いくら道を急いでいようと

まともな神経で取れる行動ではありませんが、

そもそも彼には急いでいる様子など少しもなく、

何事もないかのように

平然と運転していたのです。

 

それならなぜ、

あんな無茶苦茶な追い越しを?

 

どうにも悩んでいた時、

ふと自分の頭に

ある考えが浮かびました。

 

あのじじいは単純に、

右側通行と左側通行を

間違えただけなのでは。

 

よく、年を取るとアクセルとブレーキを

踏み間違えることがあるように、

彼はそれと同じ感覚で、

右と左のどちらが正しいか

一瞬分からなくなったのではないか……。

 

 

当時はこのあたりまで考えたのですが、

それ以上に分析が発展することはなく、

あの軽トラの謎の行動については

そのまま有耶無耶になってしまったのです。

 

 

しかし

あれから10年ほど経った今。

この文章を書くにあたって

当時のことに

あらためて思いを巡らせた結果、

自分にはもっと深い理由が

分かるような気がします。

 

 

実はあのじじいは、

ああ見えてなかなかの野心家で、

若い頃は国を出て一旗揚げようと、

海を渡って

カリフォルニアのオレンジ農園あたりで

働いたことがあるのではないか。

 

しかし結局

海外雄飛の夢は無惨に破れ、

故郷の田舎に戻って

平凡な生活を送るしか

なかったのではなかろうか。

 

それっきり夢も希望も

何もかも捨てて、

ひたすらあの年まで

毎日を淡々と過ごしていたに違いない。

 

しかしいくら心の表面では

誤魔化していようとも、

彼はあの若い頃の熱い情熱を

完全に忘れ去ることは出来なかった。

 

そしてついにあの日。

 

いつものように昼下がりに

軽トラで出かけた彼が、

ふと空を見上げると……。

 

そこには、

雲一つない、

抜けるような青空が広がっていた。

数十年前に見た、

あのカリフォルニアの空と同じ、

どこまでも続くライトブルー。

 

この空は、

俺があの日見た空と同じだ。

まだ希望に

燃えていた頃の俺が見た、

あの空と。

 

ついに長年抑えていた

思いが爆発した。

 

あまりの懐かしさに耐えきれず、

彼の手は無意識のうちに

ハンドルを回していた。

 

そう、その時彼は、

あの若き日のことを思い出し、

思わず

右側車線を疾走して

アメリカの道路を

真似してみたのだ。

 

そしてそれは、

最終的に夢破れ、

年老いてつまらない片田舎で

一生を終えることが確定した彼の、

世間への最後の抵抗だった。

 

彼の心に迷いはなかった。

もしこの場で命を散らそうとも、

もはや一片の悔いもない。

 

無我の境地で

乾いたアスファルトの上を

逆走しながら、

1台の古ぼけた軽トラの窓から

吹き込む風の中に、

彼はあの日嗅いだのと同じ

オレンジの香りを

たしかに感じていた……。

 

 

当時の自分は、

こんなことにさえ

気づかないほど未熟でした。

 

 

1人の老人が

己の人生の全てを爆発させた一瞬に、

あのとき偶然

立ち会うことが出来た奇跡を思うたび、

思わず襟を正さずにはおれません。

 

 

かつてないほどの大胆さで

自分の度肝を抜いた、

あの時空を超えた

凄まじい軽トラ。

 

 

今でも自分は思います。

 

 

あれは

戦中派から戦後派への、

命を懸けた

メッセージだったのだと。