ボーイズラブ怪談 唐傘小僧 | 七色祐太の七色日日新聞

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怪奇、戦前文化、ジャズ。
今夜も楽しく現実逃避。
現代社会に疲れたあなた、どうぞ遊びにいらっしゃい。

ほがらかな春の昼下がり。ある中学校の教室で。

「おいケンタ」

「なんだいナオキくん」

「お前、もう、生えてるか」

「……? なんのことだい。何が生えるんだい」

「お前は本当に真面目だよな。実は俺さ、昨日風呂場で気づいたんだけど、産毛がうっすら生えてんだよ」

「産毛が生えた? どこへ?」

「にぶいなあ、言わなくても分かるだろ」

「分からないよ。どこへ生えたんだよ」

「チンチンだよ」

ケンタはその瞬間、まるで自分のまわりの風景すべてが瞬間凍結されたかのような、凄まじい衝撃を受けました。

「な、なんだよ、それ……」

「お前まさか、中一にもなって知らないの? 大きくなると男はみんなチンコに毛が生えるんだぜ」

「なんだってええええ!!!」

ケンタがあまりに大きな声を上げたので、教室のみんなが一斉に二人の方へ顔を向け、何事かとひそひそ話を始めました。

「馬鹿、大声出すなよ。何話してんのかと思われるだろ」

「そ、そんな、おかしいよ。きみは単なる病気だろ、だから毛が生えたんだ……」

「おかしいのはそっちだよ。こんなこと知らないの、クラスでもお前だけだぜ」

「噓だ、また僕をだまそうとして!!」

「お前もそのうち生えてくるんだよ」

「うるさい、しょ、証拠を見せろ!!」

我を失ったケンタはそう言うなり、いきなりナオキに向かって飛びかかり、そのズボンに手をかけ無理矢理ずり下ろそうと頑張り始めたではありませんか。

「う、うわああ、てめえ何すんだ!!」

「見せろ!! チンコ見せろよ!!」

その光景に、教室のみんなも大騒ぎです。

「うわあ、ケンタがホモになった」

「この変態オカマ野郎」

すぐさままわりの男子が集まって、ケンタをナオキから引き離すと、そのまま全員で殴る蹴るの集団リンチ。ついには息も絶え絶えになったケンタの顔へ

「気持ちわりい。てめえみたいなホモ野郎、二度と口利かねえからな」

ナオキは思いっきり唾を吐きかけました。

 

 その日、ケンタは、ベトナムでこの世の地獄を目の当たりにした帰還兵の如く、精神も肉体も徹底的に破壊し尽くされたボロ雑巾のような状態で、拾った木の枝を杖にしながらようやく家まで辿り着くと、優しいパパとママに哀れな姿を見せないよう、仮病を使って食事も取らずに二階へと上がり、そのまま自分の部屋に鍵をかけて閉じこもりました。そして、取る物もとりあえず真っ先に手を伸ばしたのは、勉強机の片隅に置いてある保健体育の教科書です。今まで一度も目を通したことなどなかったその本を、おそるおそる読み進めてみると……。あった!! 思春期を迎えた男子のペニスの周りには性毛が生えてくる、という記述がはっきりと。

「な、なんてこった、ナオキくんが言ったことは本当だったんだ……」

しかしどうにも、具体的なイメージが湧いてきません。教科書という物の性質上、子供だましのイラスト以外に、実情に即したリアルで生々しい写真の類が掲載されていないからです。優しい両親の心遣いによってスマホもパソコンもお子様向けの健全設定を施されているケンタには、未知の領域を実際にビジュアルで目にする手段は何一つとしてありません。しかし、「ペニス」とか「性毛」とか、数々のアカデミックな用語を駆使した説明を読んだことにより、さっきまでは単なる都市伝説並みの眉唾物としか思えなかった話が、真実の内容であることは確信できました。そして、それと同時にケンタは、昼間の自分がナオキに対して乱暴な行動を取ったことを、心から申し訳なかったと感じてきたのです。

「ナオキくんはわざわざ僕に世界の真理を教えてくれようとしたのに、僕はあんなにひどいことをしてしまった……。よし、明日は彼に謝ろう、そして、落ち着いた、誠実な態度で接しよう」

そう決意を新たにすると、ケンタは妙にすがすがしい気持ちになって、ベッドの中でいつしか気持ちよく眠りに落ちていきました。

 

 次の朝、ケンタが教室に入って、自分の席の前まで来るとどうでしょう。椅子の上は地獄の針山かと見間違うような画鋲の海となっており、机の上には、誰かが近所の本屋から万引きしてきた「薔薇族」が一番きわどいグラビアページを開いた状態でどかんと置かれているではありませんか。しかし、この程度の仕打ちは予想していたことなので何ともありません。ケンタは動じることなく画鋲と「薔薇族」を手際よく始末して、自分の席に鞄を置くと、クラスメイト全員の刺すような視線を浴びる中、教室の隅で仲間とともにガムを嚙みつつニヤニヤ笑いでこちらを見ているナオキのもとへと、一直線に歩いていきました。そして開口一番、

「ナオキくん、昨日はごめんよ。僕が悪かった、きみの言うことは全部本当だったんだね」

ナオキは何も言わずにクチャクチャと口を動かしながら、ケンタを見ています。

「僕のやり方に問題があったのを認めるよ。いきなりきみのズボンを脱がそうとするなんて」

「へえ、今さら謝ろうっていうの?」

「そうだ、本当に悪かった。過去は水に流してほしい。僕はもう昨日までの僕とは違う。今日は、生まれ変わった僕から、あらためて、単刀直入に言わせてもらうよ」

そしてケンタはナオキの瞳をじっと見据えて、堂々と言いました。

「きみのペニスの周りの性毛を、僕にしっかり見せてほしいんだ」

 

 その日の夕方、前日以上の凄まじいリンチで二目と見られぬ化け物のような顔になったケンタは、絶望の中で涙に頰を濡らしながら帰り道を歩いていました。

「くそう、僕が何をしたって言うんだよう。ちゃんと丁寧に頼んだじゃないか。僕はただ単に、まだ未知の、毛が生えたチンチンを見てみたいだけなのに」

とめどなく溢れ出る涙に調子を合わせるかのように、先ほどからいきなり降り始めた雨は、ますます勢いを増してきます。

「ああ、今日は傘なんか持って出なかったしなあ。ちくしょう!! もう、何もかも最悪だあああ!!」

やけくそになったケンタが大声で叫んだその時です。

「ねえねえ、そこのきみ」

背後から、子供のような甲高い声が聞こえました。まずい、今の自分の叫び声、同じ学校の子にでも聞かれちゃったかも。ギクリとしたケンタがおそるおそる振り向くと……!! なんと、そこにいたのは、茶色の唐傘ボディに巨大な一つ目とペロリと垂れ下がる長い舌を持ち、その下には下駄を履いた一本足がすらりと伸びた、唐傘小僧ではありませんか。

「う、うわああ、化け物だあああ!!」

逃げようとすぐさまダッシュするケンタ。しかし唐傘小僧はヒュルヒュルと舌を伸ばしてケンタの首に巻き付けると、自分の前へ強引に引きずり戻しました。

「なんで逃げるんだい。ずぶ濡れで歩いているから、かわいそうで声を掛けてやったんじゃないか」

「ええっ、そうなの!? てっきり、食べられてしまうかと思ったよ」

「俺はそんな野蛮なことはしないよ」

唐傘小僧は苦笑いを浮かべました。

「俺はね、雨の日に傘を持たずに濡れて歩いている子を見ると、自分が傘の代わりになって助けてやるという、心の優しいお化けなんだ」

「そうなのか。僕はまた、お化けはみんな恐ろしい奴ばかりかと……」

「それはきみの勘違いだよ。まあ、分かってくれたならもういいさ。ところできみ」

唐傘小僧は、大きな一つ目でケンタをじっと見つめて言いました。

「何でまた、そんなに、顔が腫れてるんだい? 誰かに殴られたのかい?」

「い、いや、これは別に……」

ケンタが必死に誤魔化そうと言葉を濁していると、唐傘小僧が言いました。

「学校でみんなから袋だたきにされたんだろう」

「ええ!?」

「隠さなくてもいい。俺は全部知ってるんだ。きみがそこまで殴られるに至った、その理由までもね」

ギクリとするケンタ。あまりの恥ずかしさに、思わず全身がわなわなと震えだします。そんなケンタを見つめつつ、唐傘小僧はポツリと言いました。

「きみ、実はな……」

「えっ?」

「俺だって生えてるんだぜ」

ケンタは思わず言葉を失いました。唐傘小僧は静かに語り始めます。

「俺は名前が小僧だし、こんな幼い声と見た目だから精神的にもガキだと勘違いされることが多いけど、実はこれまで、うんざりするほど長い時間を生きてきたんだ。だからきみの気持ちも、ちゃんと分かっているよ。きみぐらいの年齢の時期には、誰しもそういうことが気になるものさ。まるでシベリアの空の下、来る日も来る日も、朝から晩まで、石を切り石を切り、穴を掘り穴を掘り、そして掘ったその穴を、また意味もなく埋めていくだけのような、出口の見えない、長い長い灰色の日々が、悶々として過ぎてゆく。きみは今その状態の真っ直中にいるわけだ。しかし、その暗い冬の時期をじっと耐え忍び、見事乗り越えることができたとき、空は明るく晴れ渡り、きみは世にも素晴らしい黄金色の瞬間を笑顔で迎えることができるのさ。分かるかな」

「分からないよ」

「だろうね。まだ難しすぎるだろうな。要するに俺が言いたいのは」

唐傘小僧は言いました。

「きみが望むなら、俺の傘の内側を見せてやるということさ」

「なんだって!?」

「簡単だよ。きみはこれから傘の代わりに俺を差して家まで帰ればいい。そしたら雨にも濡れないし、気になる部分も下から見れて疑問も解決する。一石二鳥だと思うがね」

ケンタはそう言われて、唐傘小僧の足元にそっと目をやりました。すね毛一つないツルリとしたその足が、妙に艶かしく思えてきます。そしてだんだん目線をなめるように上へ上へと走らせていくと、自分の知りたい秘密の部分があらわになるまさにその直前で、あの唐傘の裾が邪魔をして、肝心なところは何一つ分からないのです。たしかにこいつを差して帰れば、傘の内側に潜り込むことができ、知りたい部分は全て丸見え。しかし、本当にこいつを信用していいものか……。悩んでいると、唐傘小僧が嘲るような表情を浮かべて言いました。

「きみは本当に意気地なしだな。こんなに絶好のチャンスが目の前に存在しているのに、まだ躊躇している。そんなに秘密の扉を開けるのが怖いかね」

「い、いや、そうじゃないけど」

「一生そういう後ろ向きな人生を歩むつもりかい。自分の欲望にまで噓をついてどうするんだ。きみなんかに俺の立派なモノを見せるわけにはいかないな」

唐傘小僧はそう言うとくるりと後ろを向き、一本足でぴょんぴょんと向こうへ去っていくではありませんか。

「あっ、待ってくれ!!」

しかし唐傘小僧はケンタの声など少しも聞こえないかのように、猛スピードで向こうへ跳ねていきます。その後ろ姿を全力で追いかけるケンタ。

「くそ、僕はなんて情けない人間なんだ。見たいなら素直にそう頼めばよかったじゃないか。本当は、あの傘の内側が気になってしょうがないってのに」

唐傘小僧の足は予想以上に速く、ケンタは息を切らせつつ必死で追いかけていましたが、路地の突当りを曲がってみると、相手の姿はもうどこにも見当たりません。

「ちくしょう、逃げられちゃったかな……」

慌てて周囲を見回すケンタ。すると、少し向こうにバス停が見えました。突然の雨とあってバスを待つ人の数はかなり多く、停留所は人の群れでごった返していますが、よく見ると、その中にまじって、さきほどの唐傘小僧がこっそり姿を隠しているではありませんか。

「いた!! あんなところに逃げ込んで、僕の目をだますつもりなんだ」

向こうは、見つかったことにまだ気づいていない様子です。ケンタは足音を忍ばせつつバス停まで向かい、そのまま何気ない顔をして唐傘小僧の真後ろまで来ると、そこに位置を占めました。唐傘小僧の背が低いせいか、周囲の人々は、自分たちの中にこっそり化け物が一匹まじっていることに全く気づいていないようです。ここにきて、ケンタは迷いました。このまま唐傘小僧に話しかけると、みんなが化け物の存在に気づいて、この場は大騒ぎになるでしょう。かといって、何もせずにバスが来るのをゆっくり待っていたら、そのうち、後ろに立つ自分に気づいた唐傘小僧が再び逃げだして、先ほどの鬼ごっこが再開されるのは目に見えています。

 悩んでいたその時、ケンタの頭にハッと、ある考えがひらめきました。僕は別に、こいつと友達になりたいわけじゃない。こいつの傘の内側が気になるだけだ。それならば……。そして、おもむろに自分のズボンの右ポケットに指先を突っ込み、中からこっそり取り出したのは、一台のスマートフォンです。こうすればいいんだ、これなら向こうに気づかれることなく、傘の中身が覗ける。大丈夫、周りは人の群れでぎゅうぎゅうだし、誰も僕の動きなんかに気づきやしないさ。ケンタは異常に速まる胸の鼓動を感じつつ、スマホを摑んだ右手を唐傘小僧の傘の下までそっと持っていくと、そのまま撮影ボタンに指先を伸ばしました。その時です。

「おい、きみ、何をやってるんだ」

後ろから誰かが、ケンタの肩に手をかけました。慌てて振り返ると、背広を着たサラリーマンのおじさんが、じっと睨んでいるではありませんか。

「女性のスカートの中にケータイを突っ込んで、何をしとるんだね!!」

「えっ、女性!? 違いますよ、僕はこの唐傘を……」

ケンタが再び前を向くと、何ということでしょう、つい今まで立っていたはずの唐傘小僧の代わりに、そこにいたのはミニスカートの女子高生ではありませんか。

「きゃあ、あんた、何してんの!?」

そんなばかな!! 驚いたケンタがあたりをキョロキョロ見回すと、あの唐傘小僧がはるか向こうの電信柱の陰からこちらをじっと見つめていて、タカシと目が合うと、長い舌をペロリと出してニヤリと笑いました。

「おいおい、ガキが盗撮したらしいぞ」

すでにまわりは大騒ぎ。大人たちが一斉にケンタを取り囲みます。

「ち、違います、僕は女性の体なんか興味ありません!!」

「うるせえ!!」

「このマセガキ、警察に突き出してやる!!」

何本もの太い腕で首根っこを摑まれるケンタ。もうおしまいだ!! 彼は涙を流しながら、思わず、腹の底から大声で叫びました。

「僕は、僕はただ、大人のチンコが見てみたいだけなんだよおおおお!!!」

その瞬間、ケンタを摑んでいた何本もの腕がパッと消えました。えっと思ったケンタがまわりを見ると、今まで自分を取り囲んでいた大人たちの姿も、悲鳴を上げたあの女子高生も、さらにはバス停さえもが、跡形もありません。これは一体。ケンタが呆然としていると、唐傘小僧が電信柱の陰からひょっこり飛び出て、ケンタの前までぴょんぴょん跳ねてやってきました。

「きみの思いの強さは分かった」

「えっ!?」

「今のは全部俺が仕組んだ幻さ。俺はきみが、どれほどまでにこの傘の内側を見たいのか、それを試していたんだ。きみのあの盗撮行為、そしてその後の魂の叫びによって、俺はきみを見直した。そんなに見たいなら見せてやる」

「えっ、本当に見せてくれるのかい!?」

「もちろんさ。俺だって男だ、二言はないぜ。さあ、この大雨の中、思う存分俺を差して家まで帰るがいい!!」

唐傘小僧はそう言うと、ケンタの頭の上までパッと飛び上がりました。ケンタはその一本足を摑んで唐傘小僧の下に潜り込み、勇気を出して上を見上げ、ついに念願のモノを目の前で見ることができたのです。

「すごい、これが大人の男の、か……」

ケンタは思わず見とれてしまい、唐傘小僧を差したまま言葉の一つも発することなく数分間、ひたすら、そのモノをじっと見つめながら歩き続けました。

「どうだい、疑問が解けてすっきりしたかい」

「うん、これは、予想以上にすごいね。僕のも大人になったらこんなになるのかな」

「もちろんさ。きみはまだ毛も生えてないんだから、少し時間がかかるだろうが、必ずこういう強そうな形になる。男はみんなこうなるんだぜ」

「そうなんだね!! ありがとう、唐傘小僧!! 僕も早く一人前の男になれるよう頑張るよ!!」

嬉しくてたまらないケンタが、お礼を言ったその時です。

「さて、きみはもう気が済んだかな」

唐傘小僧の声が、いきなり別人のように低くなりました。

「うん、いろいろ分かったしね。もう家も近いから傘もいらないよ。ありがとう」

「じゃあ、今度は俺の番だな」

「えっ!? 何だい、そっちの番って……」

「何だいもクソもないだろ。俺が何の見返りもなく傘代わりになってやるような親切なお化けだと、本気で信じていたのかい?」

「ええっ!?」

「きみはもう、満足するまで俺を『差した』と言ったじゃないか。今度は俺が『挿す』番だ!!」

その声とともに、今まで大きく開いていた唐傘がすごい勢いでバッと閉じ、ケンタの全身はその中にすっぽり覆い包まれてしまいました。

 

 翌朝、家へと帰る道の途中の隅っこで、尻子玉を抜かれたケンタの遺体が発見されました。しかしその死に顔は、おりしも一晩中降り続いた雨もあがり、空にかかったばかりの美しい虹の下で雨の雫がキラキラと光る中、まるで天使のごとく神々しい笑顔を浮かべていたということです。