命の話と別居後の子供の様子と覚悟。 | モラハラ夫から離れ、別居しました。私はもう、戻らない。

モラハラ夫から離れ、別居しました。私はもう、戻らない。

未来の不安はなくならない。そう気づいて、5年間、お金を貯めて家を出ました。

3人の子供達、犬娘を連れて別居中です。(3年経過)

モラハラに対する心の変化。
本当の気持ちを取り戻していく日々。

自分なりの言葉で綴りたいと思います。

末っ子、明後日からやっとこさ


修学旅行に行ける。


お小遣いは、パパに貰いに行っていた。


あとはおばあちゃんからも貰って

今、楽しそうに小躍りしながら、準備をしている。



私も明日と明後日休みだから

小躍りしよう。





別居すると決めた日から

特に何のリアクションもなかった末っ子。





話はずれるけど



この子は、私の父(おじいちゃん)が、ガン宣告をされ、余命2ヶ月と言われた日から、亡くなった時まで涙を見せなかった。



私は弱っていく父の様子は、隠すことなく、きちんと子供達に教えていた。


余命を本人に伝えるかどうかも。



命の勉強と考えていたからだ。



小さい時から、おじいちゃん子で育った3人の子供達。



一緒に住んではいなかったが

自転車での探検や、山や、川、海の事、生き物のこと、できる限り、色んなことを祖父から孫へ、触れて、伝えてもらう。



今で言えば、私の母(おばあちゃん)もそう。




昔、私が子供だった時代は、田舎ということもあり、祖父母と同居している家がほとんどだった。




祖父母の事は大好きで、亡くなった時の悲しみと落ち込みは相当だった。




同時に、人が弱っていく姿も、亡くなる様子も目の当たりにしたし、それを温かく見守り、看病し、亡くなる悲しみも知ることが出来た。



まだ、目に焼き付いている。



子供をうみ育てるうちに、私はこれを、命の勉強だと思うようになった。



当たり前のことを書いてるかもしれないけど

私は本気でそう思う。



うちは、親と子だけの核家族だ。

祖父母の存在を、しっかり感じてほしくて、関わるように意識して育ててきた。




コロナ禍もあり、ほとんどお見舞いにも行けなかった子供達だったから余計、残酷だけど、父の姿や、余命、状況なども、ありのまま話していたし、子供たちの前でも、隠すことなく泣いた。




亡くなった日は、子供達3人とも、職場や、学校の協力もあり、病室へかけつけ、看取ることが出来た。


娘に関しては、亡くなる前の数日間、学校を早退して病室へ来ていた。




亡くなったあと、末っ子が病室の隅で

初めて泣いた。



ずっと泣きたかったけど、我慢していたんだね。



反抗期もあり、おじいちゃんが、うちに遊びに来ても、素っ気ない態度や返事をしていたのを自覚していて、じいちゃんに嫌な思いをさせちゃったのが、悔しいって。



ありがとう。



そうだね、それが、末っ子君だよね。


ごめんねって手紙書こう、そしたら、天国で読んでくれるから。



この子は、そういう性格。




話は戻って



その経緯があり、別居するのも、末っ子が、ノーリアクションなのは、なにか意味があるのだろうと思っていた。



別居生活がスタートし



末っ子が、別居に関して初めて口にした。



「ママ?俺はママが殴られたところを見てるし、別居までしないと反省できないパパがおかしいのはわかってる。けど、裁判になった時、パパの事を悪く言うのは嫌だ。俺の言葉で、パパが悪くなるのは嫌だからね。」



と。



もちろんだよ。

裁判なんてならないから大丈夫。



何があっても、子供達に負担がかかる様なことはしないから、安心して。



そう答えた。



その次だ。



「あーーーーー、やっとこれで、お風呂を好きな時に好きな時間だけ入れるわーーーー」



と言った。



そうだね、お風呂はいつも、パパがいると、そのタイミングにみんな惑わされてたもんね。



娘に関しては

女子だし、お風呂の時間が長くて当たり前なのに

そんなの容赦なく、早く出ろって怒鳴られていた。



モラハラ下にいて、私と子供達は、旦那の前で学んだ



平気なフリ

言うこと聞いてるフリ

行きたいフリ

やりたいフリ

反抗しない

口答えしない

怒った目でみない


etc…




色んなフリをせざるを得なかった。


子供達にはそれを学ばせてしまっていた。


自分の気持ちに「蓋をする」という事だ。




ただ、末っ子だけは


芯が残っている…というか


自分の感覚を忘れていない。


だから学ぶことが多い。



それぞれ、3人の子供たちには、学ばせて貰ってるし、尊敬しているけど


末っ子に関しては、そういう所が長けていると思う。

だが、本来の子供の姿だとも思う。



末っ子は、1番、パパの所に行きたがらない。


草むしりを手伝ったらお金をあげる


とか


修学旅行のお小遣いをあげる



とか、そういう時だけだ。



それが答えなんだと思う。



少し前のブログで


親権はどうでもいいと書いたのは



子供の判断力を信じるからだ。

これは子供たちがもう大きいからね。



もちろん、一緒にいられるのがいい。



だけど、子供達は、ちゃんと、目で見て、心で感じて、自分で判断し、選んでいる。



時に残酷だけど。



それを含めてそれを尊重したい。



損得、勝ち負け、上下で選ばないと信じている。




今は一緒に暮らしてるけど

私がどうしようもなくなったら、子供達は容赦なく、旦那の所へ行くでしょう。



嫌だったら、戻ってくるでしょう。



それでいい。



帰れる家が2つあると思ってればいい。



だから、私は私をちゃんと暮らして、子供たちに判断してもらっていい。



それだけ。



だから、焦点は私。



最近は、子供達と話をしている時も



自分の事を「ママ」ではなく、「私」というようになってしまっている。



正しいのか分からないけど



それは私はちょっと嬉しいのだ。





※私は親権について、ほとんど無知です。

気にしてなくて、調べてません。

籍を抜く必要なタイミングで詳しく調べます。


不愉快に思う方いたら申し訳ありません。