病院に着くと、どこに行けばいいのか分からず、救急センターの方に歩いていたら、昨夜対応して頂いた看護師さんがいました。



『昨夜はありがとうございました』と挨拶すると、駆け寄ってきて下さり、救急センターまで案内してくれました。


『泣いてたの?大丈夫?息子さんは大丈夫、ぐっすり寝てたよ』と言って下さいました。


センターのドアがあき、息子の部屋まで通されました。


個室に息子は心電図をつけて横になっていました。


別の看護師さんが、『しっかりしてたよー!疲れたからかぐっすり寝てたし、何も問題なかったよ』と声をかけてくれました。


息子に聞くと、痛みで5時頃起きて痛み止めをもらったこと、トイレもナースコールをおしてお願いし、1人でできたこと、点滴用の針を入れられたこと、コロナの検査をして陰性だったこと、水は手術前だから飲めないこと、手術前の注意事項などなど、色々な説明も1人で聞いて1人で対応していたようです。


全然大丈夫だったという息子に、また涙が出ました。


しばらくして、入院する部屋へ案内されました。


6階のナースセンターの目の前の個室でした。


そして、担当看護師を紹介され、麻酔の先生の説明を聞きました。


もちろんですが、最悪なケースを説明されました。

全身麻酔なので、意識が戻らない場合や障害が残るなど。滅多にないとは言われましたが、同意書にサインをするのは切なかったです。


昨夜、息子が心電図を取っている間にも手術の同意書を書かされたのですが、その時も最悪なケースを言われて、サインを書く手が震えたのを思い出しました。



親の手術の同意書ならまだしも、子供の手術の同意書を書くなんてとても辛かったです。


この同意書を書くということは、何かあっても納得しますという意味で、手を切ることを納得するということで。


手術してもらわなきゃいけないのはわかっていても、息子の腕にメスを入れることを許可するサインは重かったです。


複雑な気持ちと今後の不安を抱えながら、先生達の説明を聞いてまわり、手術室や院内案内をされ、病室で待ちました。

2021.9.17



翌日は、娘と旦那のお弁当を作り、二人を送り出しました。



昨夜、担当医から『明日手術したくて手術室予約したのですが、中に入れるボルトと金属が届くかどうかわかりません。もし明日届かなければ手術は土日祝日を挟むので火曜日になります。明日の朝連絡します』と言われていました。



火曜日まで四日間も曲がった手首でいさせるのは切なすぎると思っていました。



8時、病院からの電話を待ちながら、中学校にケガの話としばらく休む話をしました。



その後の約1時間は落ち着かない、長く感じる時間でした。



9時過ぎに病院から電話がきました。

まずは主治医からでした。

『無事に部品が届き手術できることになりました。もしかしたら針がねを入れるかもしれないのですが、おそらく昨夜の術式と変わりないとは思います。詳しくはまた術前説明で話します。』

と言われました。


やっぱり手を切るんだ。。。

また涙が出ました。



その後すぐ、病院の事務から電話があり、

『手術が本日に決まりました。検査や手術、麻酔の説明があるので今からすぐ来れますか?』と言われました。

私は二つ返事ですぐに電話を切り、昨夜から今朝にかけて準備しておいた、息子の入院バッグを持ち車に飛び乗りました。


途中、空手を一緒にやっていて息子の双子のように仲良しのお母さんから連絡がありました。

私はハンズフリーにし、運転しながら泣きながら話しました。


『手術する事になったの、今病院に向かってるとこ。やっぱり腕を切ってボルト入れるって。骨にボルト入れるって』


と言いました。泣きすぎて声もうまく出ていませんでした。


『そっか。落ち着いて。気をつけて行って』

とお友達のお母さんは言い、ありがとうと電話を切りました。



そして、無事に病院につきました。

家に着くと、心配した高校1年の娘はまだ起きていました。


私は出来るだけ普通に、『まだ起きてたの?明日テスト最終日だから早く寝な~』と言いました。


旦那は家の事をテキパキやり、明日も仕事なので寝る準備をしていました。


1人置いていかなければならなかった切なさや、手術の事を話しました。


旦那は、なってしまったものはしょうがない。大丈夫だろ。先生がちゃんとやってくれるよ。と言いました。



息子を可愛がっている旦那なので、心配はしているんだろうけど、グズグズしている私との温度差に冷たいなと思ってしまいました。



瞬間冷却アイスノンみたいな物を空手の道場で当てて冷やしてくれたのですが、病院で鞄に入れていたらその中身が漏れてしまい、鞄の中も液だらけになっていました。


エコバッグに移しかえましたが、全部濡れて白くなったので、洗濯しながらシャワーを浴びました。


意識があるのかないのかわからないまま、ただ、呆然と動いていました。



その日は眠れませんでした。

ベッドに入っても涙しか出ず、息子が痛くて泣いていないか、喉は渇いていないか、トイレに行きたくなったらどうしよう、ちゃんとナースコールはわかるかな、


骨折のため高熱があったので、一応コロナの疑いがあるとの事だったので、万が一コロナにかかっていて死んだらどうしよう、そしたらもうさっきのが最後になっちゃう、最後どんな顔してた、私は何て声掛けた、コロナなら遺体にも対面出来ず、骨になってからと聞いていたので、そうなったらどうやって生きていけばいいの、と、そんな事まで不安が膨らみブラックホールのような不安に襲われていました。



早く息子に会いたい、顔がみたい、泣かずにいてと、それだけを願っていました。