レインボーエンジェルズの
鈴木トシロウです。
(猫が好き過ぎる)
ブログを休んでた1週間の間、
「存在価値」についてよく考えていました。
存在価値は
元々すべての人にあります。
子供の頃は
自分に存在価値があるか?ないか?
なんて考えません。
あるのが普通だからです。
「私はここに存在していい」が普通だから。
普通のことは意識すらしません。
しかし大人になるにつれて、
空気を読んだり
気を使ったり
親の不安を受け継いだり
自分と人を比べたりして
多くの場合、
「私はここに存在していい」
が普通では無くなってしまいます。
自分を認められなくなる
自分を責めるようになる
自己愛が低くなる
自己価値が低くなる
とも表現できますね。
結果を出さないと
お金を持ってないと
仕事ができないと
SNSでいいねをもらわないと
パートナーがいないと
結婚できないと
褒められないと
注目されないと
役立たないと
喜ばれないと
言われたことをちゃんとできないと
「私はここに存在してはいけない」
ということになってしまう・・・。
自分の存在価値を認めるために、
人の期待に応えて
パートナーの期待に応えて
家族の期待に応えて
会社の期待に応えて
親の期待に応えて
我慢して
自己犠牲して
自分をすり減らして
やっと
「私はここに存在していい」
と思える・・・。
そんな風に、
自分の存在価値を認めるために
心や体が壊れるまで
頑張ってしまう人もいます。
なぜ壊れてしまうのか?
というと
自分の存在価値を
証明するために頑張っても、
不足意識の先には
さらなる不足意識しか無いからです。
「私はここに存在していい」
とアファメーションを唱えてみました。
でも、何か違和感を覚えました。
何日か唱えてみて
その理由がわかりました。
いいも悪いもなく
「私はここに存在している」
という事実は変わらないからです。
肯定されようと
否定されようと
あなたは今ここに
存在してるわけだから、
「存在していい」も
「存在してはいけない」も無いのです。
他者から存在価値を
認められても
認められなくても、
自分自身が存在価値を
認められても
認められなくても、
「私はここに存在している」
という事実は変わらないのです。
「私はここに存在している」
というアファメーションにしたら
しっくりきました。
何かできるから
何か持っているから
あなたは「存在していい」のではありません。
何かできないから
何か持ってないから
あなたは「存在してはいけない」のではありません。
いいも悪いもなく、
あなたが「存在していること」は事実なのです。
そして
「存在していること」自体が
愛なのです。
「存在していること」が愛。
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