民の声新聞 -11ページ目

「自分の命は自分で決めさせて」~伊達市の19歳が語る「原発事故」と「被曝」と「避難」

被曝の危険性があることは分かっている。原発の危険性も学んだ。でも今の生活も壊したくない━。福島県伊達市の予備校生(19)が、福島第一原発事故から3年余が経過した今の本音を語ってくれた。甲状腺検査の結果は「A2」。一方で、3年経ったことで生じる「大丈夫かも」という安心感。「自分の命のことは自分で決めたい」という彼女は、伊達市での生活を続けながら宇宙工学エンジニアの夢へ向かって歩く。



【恐れていた「地震・津波・原子力」】

 2011年3月11日。あの日は中学校の卒業式だった。

 帰宅し、自宅2階で家族とくつろいでいたところ、激しい揺れが始まった。テーブルの下で身を守るのが精一杯。窓ガラスが割れてしまってはいけないとカーテンは閉めたが、何もできなかった。落ちてきた湯呑みがお尻に当たる。気付いたら、室内は壊滅状態だった。

 断続的な余震のなか、父親と一緒に弟を迎えに行った。6歳年下の弟は当時、小学3年生。その弟が、父と姉に並んで歩き出した途端、泣きだした。怖かった。怖くて怖くて泣きたかった。でも、クラスの友達が泣かないように、しっかりと手を握って励ましていたのだった。

 横になれる状態でない自宅。真冬の福島。雪も降ってきた。寒さが身に沁みる。結局、使っていないビニールハウスで二晩を明かした。電気や水道といったライフラインは不通のまま。案じた母親が、福島市飯坂町の実家に子どもたちを預けた。ようやく充電ができた携帯電話には、真偽不明のチェーンメールが何通も届いていた。「テレビは全然観られなかった。ラジオも時々つけた程度。浜通りが大変なことになっているなんて分からなかった。ましてや原発が爆発したなんて…」。

 事態を知ったのは、弟とサッカーボールで遊んでいた時だった。「原発がヤバいらしい」とおばさんに声をかけられた。

 「よく『地震・雷・火事・親父』って言うじゃないですか。私、考えたんです。どれが本当に一番怖いかって。雷も、火事も被害を未然に防ぐことはできる。お父さんは怒ると怖いけど(笑)。でも、地震や津波、そして原子力は一番怖いですよ」
 その「怖い」事態が実際に起きてしまった。ほどなく、伊達市内の放射線量は20μSv/hを超えた。

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2年半ぶりに受けた県立福島医大の甲状腺検査。

前回は「A2」判定だった


【早くに気付いた〝安全推し〟への疑問】

 小学生の頃から原発には関心があった。

 学校の教科書には、原発のメリットだけが記載されていたが「先生に恵まれました。きちんと原発のリスクも教えてくれたから」。当時、夏休みともなると、決まって福島市内で〝安全PR〟のためのイベントが開かれていた。毎年のように見に行ったが、鵜呑みにはしなかった。中学3年生の夏休み。宿題の一つに、新聞記事のまとめがあった。テーマを決め、関連する記事を集めてまとめる。テーマには「プルサーマル」を選んだ。再処理で回収されたウランとプルトニウムのリサイクル。本も読み、調べれば調べるほど、「安全性ばかり強調されている。〝安全推し〟はどうなのか」と疑問が生じたという。

 だから、自宅に戻ってから窓に目張りをし、父親から「そこまでやらなくても」と言われるほど防護に努めたのも必然だった。高校進学はⅠ期で決まっていたため、高線量下で強行された県立高校の合格発表を見に行くことはなかったが、それでも入学手続きが要る。合格した県立高校に行かなければならない。マスクやマフラーで肌の露出を抑え、帰宅後は入念に顔を洗った。それだけ気をつけていても、高校進学後の2012年1月に受けた甲状腺検査の結果は「A2」(5ミリ以下の結節や20ミリ以下ののう胞あり)だった。

 「将来、結婚して出産する時、子どもに悪影響が出ないか。心配ではあります」

 しかし、事故から3年余が経過した今も県外避難をしていない。大学進学が実現した後も、自宅から通うことを考えているという。なぜか。そこには、多くの福島県民が抱いていると思われる葛藤があった。
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阿武隈急行・保原駅前のモニタリングポスト。原発事

から3年以上が経過したが、放射線量は0.3μSv/h

を上回る=伊達市保原町東野崎


【自分の命は自分で決めたい】

 「放射線は無色で目に見えないから、自分の身体へのリスクと結びついていないのかも…。それに、原発事故直後、伊達市も20μSv/hあった。それで今のところ自分には健康被害が出ていない。だから大丈夫なんじゃないかと思っているところもあるのかもしれません」

 この3年間、両親は自分のために様々な被曝回避に取り組んでくれた。経済的な理由や親の介護などから県外避難が難しいことも知っている。でも、ここまで両親がやってくれているのだから、他の家よりは安全ではないかと考えているという。1人暮らしへの不安や寂しさもある。

 少し考え込んだ後で、力を込めて彼女は言った。「目指していた高校に合格して、その先にやりたいことがある。避難をすることで、今の生活が壊れてしまうのが怖いんです。それに自分の命のこと。自分で決めてもいいじゃないですか」

 夢は宇宙工学のエンジニア。「探査機のエンジンを開発したい」と笑顔で語る。一昨年には、JAXA(宇宙航空研究開発機構)の合宿型体験学習プログラムに参加。宇宙飛行士・山崎直子さんの話も聴いた。その夢に近づくため、東北大学工学部への入学を目指している。「でも、ダンサーの夢もあきらめたわけではないですよ。どちらも叶えたい」。今年の受験は体調を崩してしまったこともあり残念な結果に終わってしまったが、仙台市内の予備校に通いながら、来春の合格を狙う。

 「被曝や避難に対する考え方は白か黒かで二分できるものじゃないです。白に近いグレーも黒に近いグレーもある。もしかしたら他の色が混じるかもしれない。放射線を空気と同様にとらえている人も多いけど、リスクを減らそうと一生懸命に動いている人もいる。県外の人には、そういったことも分かってほしいな」

 約2年半ぶりに、福島県立医大の甲状腺検査を受けた。エコー検査を終え、「モニターの画面にはのう胞が映っていた」と振り返った。



(了)

「私は同意などしていない」~鮫川村・焼却炉建設の陰で偽造された同意署名と捺印

福島県東白川郡鮫川村青生野に環境省が設置した「仮設焼却炉」。放射性物質に汚染された牧草や稲わら、除染で生じた庭木などを燃やしているが、その焼却炉建設を巡り、建設に同意していない地権者の署名・捺印が偽造されていたことが分かった。地権者は「汚染物の最終処分場にされてしまう恐れがある。焼却炉建設には絶対に同意しない」と刑事・民事の両面から提訴。偽造の実態を明るみにし、焼却炉の操業停止を求めている。



【「あり得ない」賛成の署名・捺印】

 刑事・民事の両面から訴訟を起こしているのは、堀川宗則さん(59)。

 昨年9月、鮫川村宛ての焼却炉設置同意書が偽造されたことに対し、刑法159条に基づく有印私文書偽造の告訴状を福島県警棚倉警察署に提出(被告訴人は氏名不詳)。今年7月には、地権者に無断で焼却炉を建設し稼働させているとして、「所有権に基づく操業差し止めの仮処分」を福島地方裁判所に申し立てた。

 堀川さんは、他の17人と焼却炉が設置された放牧地を共有している。1977年に亡くなった父親から土地を相続。当初は100頭ほどの和牛を飼育し、夏になると毎年、放牧していたが、最近は採算悪化や高齢化などで酪農から遠ざかっているという。

 民事訴訟の第一回審尋が開かれた22日、堀川さんは坂本博之弁護士とともに福島地検郡山支部を訪れ「事業計画に反対している自分が、なぜ賛成の署名をするのか?」、「告訴人である自分が国策に反する行動をとっているから、検察としては国策を擁護したいという心情を抱いているのかもしれない」などとする意見書を提出した。

 その後、地裁郡山支部で開かれた審尋には環境省や法務省の担当者が出席したが、10分ほどで終了。10月17日の第二回審尋で、国側が具体的な反論を提示する予定だ。

 「初めてのことで、何だかよく分からなかった」と緊張気味に振り返った堀川さん。「正式に依頼があったとしても賛成の署名をすることはあり得ない。焼却炉の先には(放射性汚染物の)最終処分場の話があるからです」と語った。
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(上)8月22日、福島地裁郡山支部での第一回審尋に

臨んだ堀川宗則さん(中央)。有印私文書偽造・行使

の刑事事件のほか、操業停止を求めた民事訴訟も起

こしている

(下)情報公開制度を使い鮫川村から入手した文書に

は堀川さんの署名・捺印があるが、地権者の1人が妻

に書かせたものであるという


【「不同意証明しろ」と迫る警察・検察】

 きっかけは、他の地権者からの電話だった。

 「堀川さんの名前が同意文書にあったよ」

 鮫川村に情報公開請求をして入手した「鮫川村仮置き場設置同意書」(2012年5月11日付)には、確かに堀川さんの氏名と捺印があった。「『青生野協業和牛組合』放牧地の一部に、除染土砂等を一時保管する仮置き場の設置及び落ち葉等を燃やす焼却炉の設置について同意します」と書かれ、大樂勝弘村長宛てに提出されていた。「筆跡も印鑑も自分のものではない」と堀川さんは憤る。
 堀川さんや坂本弁護士によると、告訴状の提出を受けた棚倉署は堀川さんに対し「あんたが署名して良いと携帯電話で聞いたと言っている人がいる。訴えが破たんしているんじゃないか」「あんたが同意していないと言うのなら、それを証明しなさい」などと迫り、5回も押し問答を繰り返した末にようやく受理したという。
送検先の地検でも、検察官は「あなたが不同意を証明しない限り成立しない」と同様のやり取りに終始。取り下げろと言わんばかりの取り調べは4時間にも及び、とうとう堀川さんが「俺が嘘をついていると言うのなら嘘発見器にでもかけてみろ」と怒ってしまったという。

 「不同意を堀川さんが証明することなんて、どうしてできるのか」と支援者の1人。これまでの棚倉署の調べでは、和牛組合の幹部が妻に堀川さんの氏名を書かせたことが分かっている。堀川さんも、意見書の中で「本人の署名ではなく、しかも本人の印鑑ではない印鑑を押捺して良しとする感覚は、既に社会人としての感覚ではない」と述べている。
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(上)稼働中の仮設焼却炉入口はかたく閉ざされてい

る。掲示された放射線量は0.12μSv/hだった

(下)焼却炉近くの牛舎。堀川さんも、夏になると和牛

を放牧していた


【国側は「地権者全員の同意不要」】

 民事訴訟の争点は、共有地への焼却炉建設が民法上の「処分行為」にあたるか「管理行為」か。

 坂本弁護士によると、国側は「仮設であり管理行為。地権者の過半数の同意が得られれば問題ない」と全面的に争う構え。これに対し、堀川さん側は「牧草地・放牧地という土地の性質を変えての賃貸契約であり、処分行為にあたる。その場合は、地権者全員の同意が必要になる」と主張している。

鮫川村の焼却炉は2012年9月、環境省が日立造船と契約を締結し11月に着工。2013年5月には一部地権者と環境省との間で土地賃貸契約書が結ばれ、8月に運転開始した。
 環境省などが第一回審尋の前日に福島地裁郡山支部に提出した答弁書で、国側は「本件施設を設置するに当たり、2012年6月8日に鮫川村から『地権者全員の合意を得た』との連絡を受けた」、「本件土地部分に何ら変更を加えるものではない」、「2012年8月29日に主灰コンベア部分の破損事故が起こったことは認める」、「事故の発生やその原因に関する事実を隠した事実はない」、「これまで、その操業によって健康への影響を生じ得る濃度の放射性物質が本件施設の周辺に排出された事実はない」などと述べている。



(了)

【福島県知事選】「子どもたちのために何でもしたい」~避難・移住も支援すると話す五十嵐義隆氏

福島県知事選(10月26日投開票)への出馬を表明している牧師で執筆家の五十嵐義隆さん(36)=いわき市=が22日、福島県庁で記者会見を開き、「涙が真珠に変わる場所 福島」と題した政策を発表した。「命をつなぐ福島」「家族をつなぐ福島」など7つのビジョンを提示した五十嵐さんは、「県外避難も移住も100%サポートしたい」と話し、わが子の被曝回避に努めるお母さんたちへの支援を約束した。震災後、愛娘を突然死で失っている五十嵐さん。「子どもたちの未来のためには何でもやりたい」と力強く語った。


【「原発がなくても電気は十分に確保できている」】

 答えは明快だった。

 「県外避難?もちろんアリです。個人的には寂しいですよ。でも、100%サポートします。もちろん、移住もです。僕の仲間も実際に2組、県外に避難しています。故郷を捨てたような、後ろめたい気持ちを抱きながら生活しています。娘の通う幼稚園でも、何組も県外に転居した。そういった人々の声も直結できるような県政を進めたいですね」

 「私は福島で子どもを産んで良かったと思っています」と言うように、個人的には放射性物質の拡散による被曝の危険性は認識していないという。「スピリチュアルケアという言葉があるが、社会的な心配、不安が病気を引き起こす。原爆が投下された広島も、必ずしも全員が癌になったわけではない。不安を煽ることで病気になるという側面もあるのです」とも。「被曝をどのように乗り越えていくか。マスコミの皆さんも、うまく表現して欲しい」と〝注文〟もつけた。

 それでも「南相馬市の帰路、飯館村や伊達市を通ったが、放射線量は高いですよね」「放射線量の高い所にどんどん住んでくださいとは言えない。住める所住めない所を調べて、生活再建を支援したい」。「不安に思っている人に寄り添って、最善の答えを見つけたい」と話した。

 原発政策に関しては「原発がなくても電気は十分に確保できている」とし「福島原発の廃炉を最短で処理する」と述べた。原子力基本法の条文を朗読し、「福島県民の痛みを無駄にしないためにも『民主・自主・公開』の三原則、原点に返る場所にするべきだ」とも話した。後援会に新潟県巻町の住民がいるとして「巻町はすごく勇気の要ることをした」と評価した。
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知事選挙の公約を発表した五十嵐義隆氏。被曝の

不安を抱きながら生活するお母さんたちの声も届く

県政を進めたいと語った=福島県庁


【「関連死は減らしたい」】

 1977年11月、新潟県三条市の生まれ。いわき市出身の妻と結婚し2010年3月、同市に転居。牧師の傍ら、執筆や講演活動を行っているという。2013年9月に実施されたいわき市長選挙に立候補したものの、3377票で落選した。得票数は3位の候補の1/10という惨敗だったが「軽はずみで立候補するわけではない。7年前から考えていたこと」と話した。

 「涙が真珠に変わる場所 福島」と題した政策は、7つの柱で構成されている。①命をつなぐ福島②家族をつなぐ福島③故郷をつなぐ福島④世界をつなぐ福島⑤未来をつなぐ福島⑥世代をつなぐ福島⑦希望をつなぐ福島。

 中でも「関連死はこれ以上、増えて欲しくない」と強調。「関連死が直接死を上回っている。状況が良くなっているのなら、自殺者も関連死も減っていくはずだ。もう、誰かがやってくれるという考え方では駄目なんです」と訴えた。当選した場合、退職金は放棄して子どもたちのために使うという。「復興予算消化のプロセスも透明化したい」とも話した。現職の佐藤雄平知事に関しては「僕はクリスチャンの端くれ。誰かを悪く言うことで選挙を闘いたくない」と明言を避けた。

 震災後の3年間を「自分たちの声、故郷を離れた人々の想いが届いているのだろうか」と振り返り、全員参加型の政治を目指すという。チェルノブイリを訪れた際、原発を半永久的に処理するためだけの雇用が継続している様子を目の当たりにしたとして「作業員の新しい雇用の場を確保したうえで、廃炉作業を最短で行えるよう、海外の英知も活用したい」と述べた。「福島のためなら応援する、という人は世界中に多いんです。中国、ブラジル、韓国でもそのような声を聴きました」とも話した。
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(上)JR常磐線・夜ノ森駅近くでは依然として2μSv/h

を超す
(下)郡山市・開成山公園近くの幹線道路は0.3μSv/h

超。子どもたちの被曝回避も県知事選挙の大きな争点

となる


【愛娘失って初めて知った痛み】

 実は震災直後の2011年5月、次女を突然死で失った。

 「それまで、津波で家族を失った人の気持ちをボランティア活動を通じて分かったつもりでいました。でも、自分が実際にその立場になってみて、誰の気持ちも分かっていなかったんだと思いました」

 政策発表をこの日に選んだのも、週明けから始まる二学期を意識したという。「普通の営みが大事にされる政治が行われるべきですよね」。

自分と同じ世代に対しては「子育て世代が興味ないと言っていないで欲しい。『じいちゃんばあちゃんが原発を持ってきた』なんて言わないで欲しい」と積極的な政治参加を求めた。

 「どこの政党の推薦も受けていない。右翼でも左翼でも無い。どちらかと言えば真ん中」と話す。「子どもたちの未来のために実行すると、それが翼となって福島は羽ばたく」とも。「原子力の日」に実施される今回の選挙は、本当に未来を変える選挙になる」と力をこめた。


(了)

【福島県知事選】「いまは勉強中」~元日銀福島支店長が出馬会見も、被曝回避などの具体策なし

自民党福島県連が推す鉢村健氏(55)が21日夕、福島市内で記者会見を開き、10月26日投開票の福島県知事選への立候補を正式に表明した。しかし、「具体的な政策は次回、提示する」と抽象的な話に終始し、「転居準備がある」と足早に神戸市へ戻って行った。肝心の子どもたちの被曝回避策も無し。「いまは勉強中」を連発する、異例ずくめの出馬会見となった。


【目指すは創造的復興】

 何を尋ねても「いまは勉強中」「もう少し時間をください」と繰り返すばかりだった。

 自民党県連との会合のため定刻より15分ほど遅れて始まった出馬会見。冒頭、深々と頭を下げて遅刻を詫びたが、実行を目指す政策をまとめた資料も無し。「今日の段階では口頭でご説明させてください」「私の考えはこの本(2008年刊、がんばっぺ!福島県-日銀支店長の経済教室)を読んでいただければ分かる」「具体的な政策は次回、改めて提示したい」と話し、日銀福島支店長時代の実績や福島県に対する想いを抽象的に語るにとどまった。

 政策の根底にあるのは「創造的復興」と「誇りを取り戻す」だという。

 「いま生まれる子どもたちが35歳になる頃、2050年に誇りをもって生きていかれるように、10年、20年、50年先の福島をつくっていきたい」と述べた。

 会見中、「復興のヒントを申し上げたい」とポケットから五円硬貨を取り出した。「五円玉には歯車、稲穂、横線がデザインされています。これは工業、農林業、水産業・海運業を表しています。福島県のGDPは約8兆円と大変に大きい。この3つをバランス良く根付かせていきたい」と話した。

 「福島県の出発を実のあるものにしていきたい」とも語ったが、最後まで具体策は無し。地元記者から「現職の佐藤雄平知事と何が違うのか」と問われても「現政権については云々できない」と答えるにとどまった。
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福島県知事選への出馬を正式に表明した鉢村健氏。

しかし「いまは勉強中」と具体的な政策提示はなく、

転居準備のため足早に神戸市へ戻った

=福島市・ホテル辰巳屋

【再稼働へのスタンス「留保したい」】

 会見が始まって45分が過ぎても、子どもたちの被曝回避や除染に関する言及は無し。集まった記者からも質問が出ないため、私は手を挙げた。

 「たまたま被曝に関する質問が出なかっただけ」と話す鉢村氏は「原発事故直後から最も大切な問題。お母さんたちは何が正しくて何が正しくないのか、重い十字架を背負わされている。一日たりとも、放射線の話をしない日は無かった」と話した。
 「低線量だから大丈夫、という考えではない。一般市民の方々が怖がっているのだから。私自身、放射線を視覚化するガンマカメラを福島に持ってくるなど、県民の方々と闘ったと自負している。想いはたくさんある」
 しかし、除染を今後も続けるのか、中通りも含めて被曝の危険性が存在することを認めるのか、子どもたちの被曝回避はどうするのか、まったく触れない。難航する中間貯蔵施設について質問されると「非常にデリケートな問題。相談したい人がたくさんいる。いまは勉強中。もう少し時間をください」と答えるにとどまった。また、安倍晋三首相が推進している原発再稼働に関しても「自民党だけでなく民主党とも他の団体とも様々な方々とお話をしている。どういうスタンスかということは留保させていただきたい」と述べた。

 福島県内の原発については「第二原発も含めて10基すべて廃炉にするということが県民の総意だろう。私も同意する」と語ったが、国のエネルギー政策に関しては「水素など新しいエネルギーをもっと考えるべきだ」としながらも「大変デリケートな問題もある」と明言を避けた。
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原発事故による汚染は20km圏内だけではない。41カ月

が過ぎても約60km離れた中通りには線源が点在する。

子どもたちの被曝回避は新しい県知事の大きな仕事と

なる=郡山市富久山町


【自民党県連の口説きで出馬決意】

 埼玉県浦和市生まれの鉢村氏は1982年、日本銀行に入行。その年の12月には福島支店に配属された。「2年間、福島県内を隈なく歩いた。様々な方にお会いし、育てていただいた」と振り返る。福島支店長に就任したのは45歳の時。3年後、ベトナムに赴任。「中央銀行のアドバイザーをしていた」。

 東日本大震災後は日銀に休暇届を出し、福島県庁近くにアパートを借りてボランティア活動を続けていたという。内閣官房審議官、東京電力経営財務調査委員会事務局次長などを務め、2012年10月、日銀神戸支店長に就任した。「阪神大震災後、どのように神戸が復興してきたか学んだ。中に入ってみると光と影、両面ある。神戸と同じように、福島も復興特需の反動か早晩来る。その時の対策を今から考えておかなければならない」。

 「元々、知事選に出馬する考えは無かった」と話した鉢村氏。友人らに「頑張って立ってくれないか」と求められたというが、「考えを変えるきっかけを作ってくれたのは自民党県連」と認めた。しかし「私が目指しているのは〝県民党〟。特定の政党や団体からだけ支持を得たいということではない。すべての政党、団体に間口は開けている。幅広い層から支持をしていただきたい」と訴えた。
 「原発事故による分断」を強調し「父親は福島に残り、母親と子どもは県外に避難というケースも多い。家族がバラバラになってしまった」とも。「原発災害がなければ心の分断もなかっただろう」とも話したが、肝心の部分になると「これから勉強していきたい」と繰り返した。「神戸に戻って転居の準備をしなければいけない」と1時間ほどで会見を切り上げ、足早に福島駅に向かった。


◆   ◆   ◆


8月21日現在、福島県知事選への立候補を表明しているのは、いわき市の五十嵐義隆氏(36)と前宮古市長の熊坂義裕氏(62)の3人。民主党県連の支持する現職・佐藤雄平知事は、9月12日に開かれる県議会で態度を表明するとの見方もある。


(了)

【福島県知事選】前宮古市長が出馬表明~「命は絶対」「被曝の危険性から子どもたちを守る」

福島県知事選(10月26日投開票)に、原発再稼働反対、子どもたちの被曝回避を公言する候補者が立った。福島市出身で、岩手県宮古市の市長を12年間務めた医師・熊坂義裕さん(62)。15日、福島県庁で出馬会見を開いた。政党や団体の縛りは受けず、〝原発被災県〟の首長として国に強く物申す知事を目指すという。「経済は大事です。市長も経験したから現実味のないことは言わない。しかし私は医師。命は絶対なのです。命は守ります」


【「当然、被曝の危険性はある」】

 「被曝の危険性?あるに決まってるじゃないですか。中通りが汚染されていないなんて思っていません。福島だけじゃない。宮城も栃木も状況は同じだと思いますよ」
 出馬会見を終え、県政記者クラブ加盟記者の囲み取材や顔写真撮影からようやく解放された熊坂さんは、きっぱりと言った。「もちろん、健康被害の有無は分かりません。20年後、子どもたちの身体に何も悪影響は起きないかもしれない。でも、それは誰にも分からない。ていねいにていねいに健康診断を続けていくしかないんです。様々な事情で多くの子どもたちが福島に暮らしているのですから」。

 子どもたちの被曝回避策について、会見中は記者からの質問は皆無だったが、熊坂さんは「原発被害対策をすべて見直す。低線量被曝については、人類は経験がないから分かりません。放射線量は低い方が良いに決まっています」、「除染、特に山林除染はやっても仕方ない。無駄です」、「帰還の決め方は果たして適切だったのか。帰還一辺倒ではなく、もう一回見直します」、「たとえば浪江町のADR。和解案をなぜ東電は拒否したのか。国や東電は原点に立ち返るべきですよ。原発事故による被害を見て見ぬふりをしてはいけません」などと語った。2012年10月に郡山市で開かれた「原発事故子ども・被災者支援法福島フォーラム」の実行委員長を務めたこともある。

 現職の佐藤雄平知事については「被災県の首長はつらいと思う。でももう少し、国に対してはっきり物を言わなければいけないと思う。福島は〝原発被災県〟ですから。闘わなきゃ」と述べた。
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福島県知事選への出馬会見を開いた熊坂義裕さん。

「原発被害対策をすべて見直す」と語った

=15日、福島県庁

【待ったなしの少子高齢化対策】

 福島市出身。県立福島高校を卒業後、東北大学工学部を経て弘前大学医学部卒。1987年、岩手県宮古市内に内科医院を開業した。宮古市長は、1997年から2009年まで3期務めた。現在は医師の傍ら、24時間365日つながる電話相談窓口「よりそいホットライン」を運営する一般㈳法人・社会的包摂センターの代表理事も務める。
 「国の言う『復興』と、県民が考える『生活の復興』が乖離しています。ホットラインに寄せられる相談を聞くだけで涙が出ます。本当に深刻です」

 会見中、熊坂さんは何度も「私は医者」「医師として」という言葉を口にした。「少子高齢化対策も待ったなし。早く設計図を描かないと大変なことになる。世界のお手本になるような福祉行政を進めたい」と話した。現在、厚労省の社会保障審議会介護給付費分科会委員も務めており「ケアマネジャーの資格も持っている。政治の動かし方も知っている」と胸を張った。

 選挙にあたっては、特定の政党や団体からの推薦は受けない。「私の公約を理解して、何を話しても良いと言うのであればぜひ応援していただきたいが、支持や推薦を受けたり政策協定を結んだりすると縛りが出ます。縛られるのが一番困る。〝県民党〟として応援していただきたい」。
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福島市内にも点在する放射線の線源。原発事故から

3年5カ月が経過したが、子どもたちは今も被曝の危険

性に晒されている

【ありえない原発再稼働】

 会見では、国が進めている原発再稼働についても触れられた。

 「福島第二原発は廃炉にするのが当たり前です。しかし、それすら決まっていない。おかしいですよ」

 避難計画についても「道路を整備したって、地震で壊れてしまっては避難できないし、助けに行かれない。施設に入所している高齢者はどうやって助けるんですか?」と話し、原発再稼働には反対の姿勢だ。「福島第一原発がまったく収束していない中での再稼働なんてするべきでないし第一、核のゴミの最終処分場が決まっていないではないですか。再稼働できるはずがないですよ。経済活動に電気は必要だが、原発に依存しない経済社会づくりを目指します」。
 難航する中間貯蔵施設の建設については「難しい問題。しかし、他県のものを福島で受け入れるのが難しいように、県外の自治体にお願いするのはなかなか難しいのが現実です。根気よく(地権者らと)話し合っていくしかないでしょうね」と述べた。

 「私はバリバリの福島県人。福島県外の方が立候補するような話も聞いているが、福島の痛みが分かるのは福島県人だけです。ふるさと福島のために人生を捧げたい。誰もやらないのなら私がやります。分断を乗り越えて一つにまとまりましょう」と語る熊坂さん。近く、選挙事務所を開いて福島県内を廻り始めるという。

◆   ◆   ◆


8月15日現在、福島県知事選への立候補を表明しているのは、いわき市の五十嵐義隆氏(36)と熊坂氏の2人。自民党県連は日銀福島支店の元支店長・鉢村健氏(55)を擁立する方針。民主党県連の支持する現職・佐藤雄平知事は告示まで2カ月を切った今も態度を明らかにしていない。


(了)


【原発事故と障害者】バリアだらけの避難~田村市から京都に避難した鈴木絹江さんに聞く

想像してみよう。ヘルパーの介助が必要な人が、放射性物質の拡散から素早く逃れることができるだろうか。普段、やっとの思いでトイレを利用する人が、混乱渦巻く避難所で自分のペースで用を足すことができるだろうか…。自ら「ビタミンD抵抗性くる病」で車いす生活を続けながら、福島県田村市の特定非営利活動法人「ケアステーションゆうとぴあ」理事長を務める鈴木絹江さん(63)に、災害時の障害者ケアがいかに遅れているか、避難先の京都市で語ってもらった。


【「どこか大きな街に行ってください」】

 これまで、どれだけ多くの「バリア」にぶつかってきたことか。それは歩道と車道の段差であり、階段であり、トイレ。そして人の心。「旅館を利用する時、他の客に障害者が宿泊していることを悟られないためにわざと玄関から見えない部屋に通されたり、トイレの前の部屋にされたりすることは珍しくないですよ」と鈴木さん。そういった社会構造が如実に表れたのが、東日本大震災であり福島第一原発の事故だった。

 重度の障害を抱える3人を連れて昭和村を目指したのが2011年3月14日。その前日まで、原発事故を知らなかった。運営する自立支援施設のある田村市には、浜通りから続々と避難者が押し寄せていた。障害者や高齢者のためにトイレや風呂を提供したが、限界に達していた。行政ぐるみの支援を申し入れに市役所に赴くと、戦場のように混乱していた。「5000人もの人が体育館に来ると言われても…」。市幹部の愚痴が、準備不足を表していた。

 爆発事故の知らせとともに飛び込んできた雨予報。「一秒でも早く逃げなさい」。本来、給料日は毎月20日だが、前倒ししてスタッフに手渡し、そう告げた。出産間近のヘルパーもいた。「雨に濡れてはいけない。絶対に14日中に逃げよう」と数名のスタッフとともに事業所を出た。昭和村に着いた時、時計の針は午前零時を回っていた。
 国民宿舎が受け入れてくれたものの、バリアフリーどころか「バリアバリバリ」。通された大広間に行くにも階段が立ちはだかり、トイレや浴場を利用するにも一苦労だった。村役場に問い合わせに行くと、職員は迷惑そうな表情を受かべてこう、言ったという。「昭和村にはそんな施設はありません。どこか大きな街に行ってください」。結局、19日には新潟・月岡温泉のホテルに向かった。新潟を選んだのは「田舎には必ず食料の備蓄があるから」。観光協会で紹介されたホテルには、バリアも差別もなかったという。

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鈴木絹江さんの最近のテーマは「障害者の避難と防災」。

原子力災害時、障害者が避難にどれだけ苦労するか、

自身が一番良く分かっている=京都市西京区


【避難所に立ちはだかる〝トイレの壁〟】

 月岡温泉には、南相馬市小高区の女性を呼び寄せた。

 女性は震災後、市内の体育館や公民館に設けられた避難所で落ち着かない生活を送っていた。最大の課題はトイレ。元より、15分おきに薬を服用しないと尿が出ない。しかし、服用したら今度は頻繁にトイレに行くようになってしまい結局、避難所では1時間もトイレを〝占拠〟してしまうことになるという。周囲から受ける有形無形の圧力。自宅であれば自分のペースで利用できるトイレが苦痛の種となり、水分を摂らなくなってしまった。
 「自宅だからこそ、トイレも入浴も計算できるんです…。でも、重度の障害者はまだ良いです。車いすを利用していれば、誰が見ても障害者が避難所にいると認識してくれる。でも、知的障害者や精神障害者は外見では分からない。おとなしくじっと座っていることも多いから大人数の中に埋もれてしまう。避難所で無料で配られたお弁当をもらえなかったケースもあったようです」。
避難先でヘルパーを用意するにも、苦労があるという。「言語障害が重い場合、日頃から介助して慣れたヘルパーさんでないと言葉を聞き取れない」。

 原子力災害では「屋内退避」が指示される。しかし、当然ながらヘルパーも屋内退避の対象。介助なしには生活できない重度障害者にとっては、命にかかわる問題だ。「屋内退避が必要な事故が起きたということは、もはや重度障害者にとっては避難をするしか選択肢がないということなんです。それなのにどうやって避難するか、避難先でどうやって生活をするか、まったくこの社会では考慮されていないのです」。
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路線バスに乗るのは、ノンステップバスの開発もあって

以前と比べるとかなり楽になった。しかし、災害時の避

難はこうはいかない


【私たちは〝健常者の欠陥品〟ではない】

 「障害者のニーズは障害者が一番良く分かっている。障害者こそプロフェッショナルなんです」と始めた障害者の自立支援。原発事故による避難を機に、事業所を閉鎖しようと考えたこともあるという。「でもね、私がやめても利用者は福島に残るんです。立ち上げた責任もありますしね。それならば、福島県外に避難した障害者も残った障害者もどちらも支援しようと考えたのです」。

 避難先には沖縄県も候補に挙がったが、福島に定期的に通うことを考慮して京都を選んだ。「4号機に万が一のことがあっても、京都なら大丈夫だろう」。昨年10月、京都に移り住んだが、それまでは不眠が続くなど体調が悪化。もともと軽い体重が、23.5kgにまで減ってしまったという。「ここ(田村市)にいていいのか、皆をいさせていいのか、そればかり考えていました。発熱や下痢、喉や頭の痛みも続きました。5回も救急搬送されちゃった」。現在は体重は戻り、かわいらしい笑顔も戻ってきた。
 「今の社会は、高度成長期に20歳の男性を基準につくられました。でも、もはやそれでは生きづらいんです。駅のエレベーターを見てください。何十年も交渉してようやく設置が実現したら、実際に利用しているのはもっぱらお年寄りやベビーカーを押すお母さんたちですよ。世の中にはいろんな人がいるという前提で社会をつくらないといけません」
 原発再稼働へ邁進する安倍首相。鈴木さんは「人の命を犠牲にするエネルギーは問題です」と話す。今月下旬には、川内原発のある鹿児島県薩摩川内市へ赴き、講演する予定だ。

 「いま、お金や人の使い方も福祉のあり方も、障害者の幸せにはつながっていません。もちろん、原発事故時の避難計画もね。障害者は〝健常者の欠陥品〟ではないんです」

(了)

「仁志田市長はやりたい放題だ!」 住民の怒り噴出した市議会報告会~伊達市霊山町小国地区

「高線量の小国を差別するな」「市議会のチェック機能が働いていない」━。7月25日夜に開かれた福島県伊達市の市議会報告会で、住民の怒りが爆発した。原発事故以降、特定避難勧奨地点の戸別指定・早期解除、汚染の放置と、被曝回避に消極的な行政に翻弄され続けてきた霊山町小国地区。住民は怒号でなく、切実な危機感を市議らにぶつけた。「仁志田市長は言いたい放題、やりたい放題ではないか」

【2年間で8割超減額された予算】

 「われわれは、除染が完全に終わったとは思っていないですよ」

 それまで市議会側の報告を黙って聞いていた住民が、誰ともなく口を開いた。伊達市の2014年度一般会計予算のうち、「放射能対策事業」は41億1873万1000円。昨年度の164億5107万円と比べると75%の大幅減。一昨年度(238億9254万円)との比較では、実に83%近くも減額された。これは、放射線低減対策に対する行政の意思の表れであり、来年度はさらに規模が縮小されることが予想される。市議が淡々と報告書を読み上げたことが拍車をかけ、参加した住民らは堰を切ったように声をあげた。

 「いまだに放射線量が高いのに、なぜ75%も減額したのか不思議でならない。むしろ増額しても良いくらい。いったい何を考えているのか」「仁志田(昇司)市長は、市内の放射線量を0.23μSv/h以下にするのはキツいと考えているようだ。その5-6倍でも健康には影響ないとまで言っていると聞くが、われわれ住民はこういう放射線量の高い地域に住んでいるだけでも苦痛なんですよ。低線量被曝について良く分かっていないのではないか」

 相次ぐ声に、市議の一人は「議会は0.23μSv/hを(除染の基準として)堅持するべきだと考えています。Cエリア(年間積算放射線量1mSv超)のみならずBエリア(同5mSv超)も除染を行うよう、7月23日に執行部に申し入れました」と答えるのが精一杯。「除染に終わりはないというのがわれわれ市議会の考えです」。
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住民の怒りや不満が噴出した議会報告会。「仁志田

市長は言いたい放題、やりたい放題。市議会のチェッ

ク機能が働いていないからではないか」という住民の

言葉に、市議らは汗を拭うしかなかった

=小国地区交流館

【「小国をのけ者にしないで」】

 議会報告会は7月24、25の二日間にわたり、市内10カ所で開催。伊達市でも特に汚染の酷い小国地区(市の除染区分ではAエリア)では、各会派から5人の議員が出席した。

 2月に開かれた臨時市議会から3月定例会で可決された予算の概要、条例改正、人事。6月定例会で可決された補正予算の概要や人事案件などが報告された。6月議会で可決された一般会計補正予算(総額約339億円)のうち、放射能対策事業としては、あんぽ柿の生産者が実施するモニタリング検査費用を補助するための391万円、風評被害対策事業として、生産者と消費者の交流などを行うための675万円、首都圏に住んでいる消費者を招こうと「だてな暮らし体験ツアー」に224万円が計上された。
 会場となった小国地区交流館(霊山町上小国字腰巻)の敷地内に設置されていたモニタリングポストは、0.3μSv/h前後を示していたが、近くの県道51号線沿いでは手元の線量計は0.4μSv/hを超し、上小国川の遊歩道では0.7μSv/hを超す個所もあった。報告会でも、出席した市議から「市当局は『A、Bエリアの除染は終了した』とのスタンスだが、自主的測った数値を見ても、まだまだ放射線量が高いですね」という声が漏れたほどだ。
 上小国川には、震災前から浚渫(しゅんせつ)工事を行う計画があった。川底の土砂が大量に堆積し、台風などの際に増水して危険だからだ。しかし、原発事故により工事は無期限の延期。高濃度に汚染された土砂は放置されたままだ。「軽く1万ベクレルは超しているのではないか」と住民の1人は、河川の氾濫で汚染が拡散されることを憂慮する。
 小国地区は上水道の整備が遅れており、井戸水を飲み水として使っている世帯が少なくない。唯一、参加した女性が「井戸水が汚染されているのではないかという不安がある。平等に上水道を整備して欲しい」と、当たり前の願いを口にしたが、現段階では地区の全戸に上水道が整備される目途は立っていない。内部被曝の不安を抱えたまま、井戸水を飲み続けざるを得ないのが実情なのだ。

「差別しないで欲しい。なぜ小国地区だけをのけ者にするんですか」

女性の言葉に、市中心部ばかりに目を向ける仁志田市長はどう答えるのか。
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伊達市が「除染は終わった」と公言する小国地区。

1.0μSv/hを超す個所も珍しくない

【市議会はチェック機能を果たせ】

 報告会に参加した住民は15人程度にとどまった。しかし、これは無関心ではなく住民の怒りの表れだという。「何人か一緒に行こうと誘ったんだ。何て言われたと思う?『あんな奴らに何を言っても無駄だ。一番大変な時に小国に来なかったじゃないか』ですよ。特定避難勧奨地点の指定や解除も、丁寧な説明はなかった。俺たちは宅配便の荷物じゃないんだ。紙切れ一枚であっち行けこっち行けはないだろう。今後はもっと地域の声を聴いて欲しい」。参加者の一人が市議らに怒りをぶつけるように言った。

 別の男性も続いた。

 「仁志田市長の『年間数mSvでも大丈夫』なんて、とんでもない発言ですよ。本来なら議会が荒れるような事態。市長が言いたい放題、やりたい放題できているのは、市議会が持つチェック機能が果たされていないからではないですか」
 ある農家は「遊びに来た孫に言われたよ。『じいちゃん、毒の入ったものを作っているのかい?』ってね。市役所はきれいごとばかりだ」。別の生産者も「うちの農地は1万8000ベクレル。向こう30年間、作付けさせないよう指示を出すべきだったんだ。それを作り続けないと補償されないなんて…。そういったことを追及するのが市議会じゃないのか」と市議らに迫った。
 21時を過ぎ、発言の止まらない住民らをなだめるようにして報告会は終了した。冷房のない、1台の扇風機だけが回る室内。市議らが流した汗の量だけ、住民の怒りや不安がある。原発事故から3年。高濃度汚染の中での暮らしを強いられている人々にとって、原発事故は現在進行形なのだ。


(了)

「無駄な除染せず生活再建支援を!」~〝帰らない宣言〟まとめた大熊町野上1区の木幡仁区長

国と行政による「帰還政策」が激しくなるなか、福島県双葉郡大熊町から避難している住民らが「帰らない宣言」を発表した。20-30μSv/hもの放射線量が珍しくない町内の除染は無駄だと指摘。新しい土地での生活再建支援を求めている。帰りたいけど帰らない。苦渋の宣言文をとりまとめた野上1区の木幡仁区長(63)に、住民たちの想いを聴いた。


【宣言文に住民からの異論ゼロ】

 「私達、野上1区住民は、中間貯蔵施設の建設に際して、帰らないということを宣言します」

 6月上旬、大熊町野上1区の住民たちの避難先に、一枚の宣言文が届いた。
 「無駄な除染はやってくれるなということですよ。一向にはかどらないではないですか。放射線は、遠くから自然減衰を見守るのが一番です。そんなことに税金を使うのなら、新しい土地で新しい生活を始めることを支援して欲しい」
 会津若松市内の仮設住宅。集会所で木幡区長は静かに語った。「もし異論や意見があれば」と、提案理由に自身の携帯電話番号を記したが、約60世帯の住民から反対意見はなかった。逆に「木幡さん、どうぞ頑張ってください」と激励の電話があったという。
 「誰だって逃げたくないですよ。帰還したいですよ。でも帰らない。それはただ一点、放射能です。今こそ危険を煽らないでどうするんですか。将来、子や孫に言われたくないですよ。何であの時騒いでくれなかったんだって」

 自宅周辺は4-5μSv/h。杉林のある裏手では20-30μSv/hと依然として高濃度汚染が解消されていない。かつて湿疹などできたことのなかった妻が、ここ1年ほど湿疹に悩まされている。近所の男の子も似たような症状が出ている。鼻血を出したケースも実際にあった。

 「鼻血と湿疹は、いろいろな場所で耳にします。もう3年と言う人がいますが、まだ3年ですよ。チェルノブイリでは原発事故から数年経って甲状腺異常が出始めた。これからですよ。私たち大熊町民の前には低線量被曝がぶら下がっているのです。心配し過ぎくらいがちょうど良い」
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「帰らない宣言」をした、大熊町野上1区長の木幡仁

さん。住民から異論はなく、逆に「頑張って」と激励の

電話があったという=会津若松市一箕町松長


【「金目発言」に怒る地権者たち】

 双葉高校に通っていた頃、「東電がここに来る」と原発の建設予定地を見学した。「雇用や交付金、町が〝原発景気〟で潤ったのは事実です。しかし、本来は首都圏のための原発は東京湾に建設するべきだったんです」。
 札束で原発政策を推し進めてきた国が、今度は住民たちを愚弄する発言をした。石原伸晃環境相の「最後は金目でしょ?」発言だ。「そりゃ、強いて言えば金目ですよ。ふるさとを原発事故で汚染地にされ、強制的に追い出されたんです。そうしたら、『土地をいくらで買ってくれるのか』となるのは当然じゃないですか」
 JAふたばの役員も務めており、地権者と話をする機会が多い。国との話し合いを経て、地権者たちが「中間貯蔵施設の建設もやむを得ない」と徐々に軟化していく様子を見守ってきた。その矢先の「金目発言」。地権者たちの態度は一気に硬化したという。「汚染物質は出した所におさめるしかないだろうと思います。中通りの方々が、除染で生じた汚染土を大熊町に持って行けという気持ちも分かる。でもね、あの発言で地権者たちは『もう土地を貸さない』と言っていますよ。人を馬鹿にするな、と言いたいね」。

 そもそも、国の条件提示に不満はあった。水面下でささやかれる金額は、土地一反歩(300坪)当たり120-130万円。実勢価格の倍ほどの金額だが、他の公共事業と比べると格段に安い単価だと知り「完全に棄民政策に乗っかっている」と怒る。

 「ダムや高速道路の建設などで土地を追われる人々が得る金は、その5-6倍だと聞きます。なぜ私達だけ安く買い叩かれなければならないのか。正式に金額が提示されたら、地権者はプッツンしますよ」
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「やすらぎの郷 会津村」には、大熊町の復興を願い

祈願桜が植えられた=会津若松市河東町


【帰りたい、だけど帰らない】

 大熊町では、東電への就職はステータスシンボルだった。結婚式で新郎の東電入社を自慢する光景がどこでも見られた。それが3.11以後、一変したという。

 「かつては『東電さまさま』。今は『東電のせいで』。社員は身を細くして生きていますよ。悪いのは現場の社員じゃない。上部構造がいかれているんだ。原発周辺で働くこと自体が危険なのに…」
 被曝の危険性は、町内だけにとどまらない。郡山市内に住む甥っ子は大学進学を機に京都へ移り住んだが、甲状腺に無数ののう胞が見つかった。放射線から遠ざかったのは良かったが「一度、損傷してしまったDNAは修復されない」と表情を曇らせる。

 7月3日、町役場に提出した宣言文には、「年間1ミリシーベルトにはほど遠い値」「家は荒れ放題、田畑は雑草や雑木が生い茂り、もはや復旧が困難」「安心して住めるのにはあと何年かかるかわかりません」などと、住民たちの本音が並ぶ。

 一方で木幡さんは、別添の提案理由に「もちろん墓参にも行くことができるし、家の様子を見に行くこともできます」という一文を加えた。

 帰りたい。だけど帰らない。4年目の苦渋の選択が込められた「帰らない宣言」なのだ。

(了)

「0.6μSv/h超のどこが安全なんだ!」~住民無視の帰還政策に怒り収まらぬ田村市都路地区の父親

3人のわが子を被曝の危険から守るため、ふるさとに帰らないと決めた。国が「もはや避難の必要なし」と宣言した福島県田村市都路地区。しかし、依然として高濃度汚染が解消されない自宅周辺の状況に、父親(54)は「これのどこが安全なんだ」と怒る。打ち切られた賠償に苦しい三重家計。放射性物質の拡散に平穏な生活を乱された家族。父親は言う。「政治家よ、都路に住んでみろ」


【「政治家は都路に住んでみろ」】

 福島第一原発から西に約24kmの閑静な山村。モニタリングポストの数値は依然として0.3-0.4μSv/hを示すが、年老いた両親だけが暮らす自宅の汚染は、さらに深刻だった。

 「自宅の裏側が山でしてね、除染をしてもまだ高いんですよ」。男性に導かれて裏手に回ると、手元の線量計は0.6μSv/hを超えた。先ごろ、市職員が測定した際には、さらに高い数値だったという。除染は昨年11月に完了したのに、だ。「0.6μSv/hを超えると、放射線管理区域として立ち入りが禁じられますよね。そういう汚染区域に『もう安全だから帰れ』と国も行政も言う。法律って何なのでしょうか」。怒りで男性の唇が震える。

 さらに気がかりなのは、斜面の麓にある井戸。水は、飲み水などとして両親が利用している。海や川と同様、水そのものからは放射性物質が検出されないが、底の土壌が高濃度に汚染していることは想像に難くない。「泥をすくって汚染を測って欲しいと市役所にお願いしたんです。でも、出来ないと言われた。そういう測定のための予算措置はしていないということでした」。

 挙げ句、市幹部が「除染してやったのに、なぜ都路に戻らないんだ」という趣旨の発言をしたという話を耳にし、国や行政への不信感は募る一方。地区内の小学校が再開される際、市教委の職員は「表土除去などを行ったのでもう大丈夫」と胸を張った。しかし男性らが昨秋、独自に学校周辺の放射線量を測定すると依然として0.6μSv/h前後もあった。当初、耳を貸さなかった市教委も、男性らの強い申し入れにようやく、除染を行ったという。

 「この状況はヤバいですよ。どこが安全なのか説明して欲しいですね。戻った人もどんな想いでここに住んでいるか…。政治家には『ここに住んでみろ』と言いたいですよ。市職員も、宅地の放射線量が低い個所ばかり測定しようとする。高濃度汚染を見つけるのが彼らの本来の仕事だと思いますがね」
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自宅の裏山は除染済みだが、手元の線量計は0.6-0.7

μSv/h。男性は「これのどこが安全ですか?」と怒りを

あらわにした=田村市都路町岩井沢

【帰らないのは3人のわが子を守るため】

 都路地区は、福島第一原発1号機の建屋が水素爆発を起こした2011年3月12日、全域に避難指示が出された。同年4月には「警戒区域」(福島第一原発から20km圏内)や「緊急時避難準備区域」(同20km超-30km以内)に設定。男性も郡山市内に避難した。しかし、原発事故からわずか半年後の2011年9月30日、まず「緊急時避難準備区域」が解除された。翌2012年4月1日には、放射線の年間積算線量が20mSvであることが確認されたとして「警戒区域」も解除され、「避難指示解除準備区域」に再編。今年4月1日、「避難指示解除準備区域」も解除された。「避難の必要ない安全な土地」と国が宣言したのだ。
 「えっ?」。解除を高らかに宣言する記者会見をテレビで見て、男性は呆然としたという。「こんな状況で解除して良いのか」。東電にも問い合わせたが、回答は木で鼻を括ったものだった。「行政がOKをしましたから…」。

 住民の健康を本当に心配する関係者などいない。男性には18歳、19歳の姉妹と中学2年生になる息子の3人の子どもがいる。俺がこの子らを被曝の危険から守らなければ━。男性の選択肢から帰還が消えた。両親を自宅に残し、民間借り上げ住宅を2軒借りての三重家計が始まった。損害賠償は早々に打ち切られ、家賃以外はすべて自己負担。職場が変わり、給料は以前の半分以下に減った。貯金を取り崩して何とかしのいでいる。
 「自宅周辺の放射線量が0.23μSv/hぐらいにまで下がったら(帰還を)考えても良いけれど…」。持病の糖尿病が悪化し体力的にも苦しいが「せめて息子が高校を卒業するまではね、頑張りますよ」。〝親父の目〟は力強さを失っていない。

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年老いた両親だけが暮らす男性の自宅は薪風呂。

自宅周辺の木を活用しているが、灰を測定したら0.6

μSv/hを超えていたという。「薪風呂を続けると放射

性物質を撒き散らすことになるのか」と男性は複雑な

想いだ

【薪の焼却灰も0.6μSv/h超】

 心苦しさもある。

 自宅に暮らす両親は自宅周辺で伐採した木を燃やして薪風呂に入っているが、残った灰を測定したところ0.6μSv/hを上回った。「このまま燃やし続けて良いのか」と市職員に質すと、職員は言葉に詰まったという。「煙突から汚染を撒き散らしているようで…。でも、灯油に替えると燃料費が高くなる。しかし、それを国も東電も面倒は見てくれない。今の家計では薪を燃やさざるを得ないのです」。
 原発事故が壊した平穏な生活。矛盾だらけの〝安全〟と〝賠償〟。

 「井戸水を飲み続けて平気なのかい?大丈夫なのかい?」。取材の様子を見守っていた祖母(78)が、顔をくしゃくしゃにして言った。2年間の避難生活で血圧は180を超した。「郡山は街すぎて合わない…」。

 「息子とも孫とも離れ離れで…。切ないというか何というか。この胸の想いを抜き取って、みんなに見せてあげたいよ。誰かにもらって欲しいよ」

 おばあは、手のひらを左胸に当てて下を向いた。


(了)

【40カ月目の福島はいま】4度目の夏休み迎えた二本松市。今なお子どもたちを取り巻く被曝の危険性

原発事故から4度目の夏休み。街から子どもたちの姿が消えた2011年と異なり、歓声が響く2014年の夏。福島第一原発から約60km離れた二本松市でも、依然として汚染と被曝の危険が点在するが、川遊びを楽しむ子どもたちに被曝回避の危機感は無い。犯罪や事故からわが子を守るように、放射線から子どもたちを遠ざける義務が大人にはある。「街中に放射線量を貼り出して欲しい」。そう願う保育士の言葉は重い。



【〝危険の見える化〟望む保育士】

 東北本線・安達駅からほど近い保育園。梅雨明けを思わせるような強い陽射しの下、園庭で子どもたちが遊んでいる。

 「放射線量ですか?どのくらいありますか?」

 フェンス脇で線量計をのぞいていると、若い女性保育士が声をかけてきた。「0.35μSv/hくらい?うーん、そうですか…」。保育士は表情を曇らせ、ため息をついた。

 保育園から安達駅に向かう道は、場所によっては0.4μSv/hを超す。身体の小さい園児たちは大人より線源からの距離が短いため、被曝の危険性は高くなる。「街中のあちらこちらに放射線量を貼り出して欲しいくらいですよね。数値が見えれば、子どもたちだって数字の大小は分かります。放射線量の高い道は歩かないようになりますよね」。

 時間の経過とともに、被曝への危機感が薄れつつある。中には、被曝の話題を口にするなと怒り出す人さえいる。「でもね、放射線量のことは決して忘れてはいけないんですよ。大人がきちんと放射線量を把握していなければ、子どもたちに伝えたり、遠ざけたりすることができませんから」。

 行政は広報紙などを通じて市内の放射線量を周知しているが、保育士は「自分の住んでいる地域以外は、なかなか目が行かない」と打ち明ける。だからこそ、必要な放射線量の〝見える化〟。

 「先生、のど乾いた~」

 1人の言葉を合図に、子どもたちは園舎に入って行った。
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(上)JR安達駅近くの水田。手元の線量計は1.2μSv/h

を超した

(下)保育園の園庭脇は0.3μSv/hを上回る。保育士

はため息をついた=二本松市油井


【0.6μSv/hでの川遊び】

 「ここは放射線量が高いから危ないよ」

 そう声をかけると一瞬、子どもたちの歓声が止まった。「ここは放射線が高いってさ」。1人の男の子が仲間に言うが返事は無い。そして、再びの歓声。手元の線量計は0.6μSv/hに達していたが、川遊びを楽しむ子どもたちには野暮なおじさんにしか映らなかったようだ。

 JR二本松駅前の六角川。遊んでいたのは、小学6年生の男女8人。真っ赤なザリガニを捕まえては歓声を上げ、川水を掛け合っては歓声を上げる。どこにでもある夏休みの風景。しかし他の地域と違うのは、ここには被曝の危険性が点在しているということだ。

 雑草が刈り取られるなど水遊びができるように整備されたことで以前のように1.0μSv/hを上回ることはなくなったが、それでも安全に川遊びができるとは到底思えない数値。「放射線は気にならない?」と尋ねると、男の子は「うん。まあね」と小さくうなずいた。
 川に面する市民交流センターに設置されたモニタリングポストの数値は0.280μSv/h。これだけを見れば、この3年で放射線量は下がった。しかし、ほんの数メートル移動して川に近づくと0.5-0.6μSv/h。河川法で川の除染が進められないのであれば、せめて数値を掲示して欲しい。

 子どもたちはひとしきり川遊びを満喫すると、冷房の効いた市民交流センターに向かった。夏休みの宿題をするという。真っ赤なザリガニは、再び川面に放たれた。川の向こう側では、智恵子像が空を指さしていた。
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二本松駅前を流れる六角川は、依然として0.6μSv/h

を超す高線量。だが注意を促す掲示もなく、小学生が

川遊びを楽しむ。並行する車道でも数値は下がらない

=二本松市本町


【早く終わらせたい汚染土との〝同居〟】

 「周囲の家がすべて除染されなければ、本当に意味での安全とは言えないんですけどね…」

 二本松市油井の女性(50)は、自宅の除染が完了して1年。かつてのように庭で10μSv/hを超すようなこともなくなり、穏やかな生活を送る。だが、完全に払しょくされたとは言えない不安。3年間の約束で庭の一角に埋められたフレコンバッグ。それまでに破れたりしないか、本当に2年後に掘り返して仮置き場に移動させてくれるのか…。「早く仮置き場を整備して移して欲しいのですが、仮置き場に反対する方の気持ちも分かりますし」。想いは複雑だ。

 東京都内で就職した長男が先日、恋人を連れて帰郷した。結婚が具体化しているわけではないため口にはしなかったが、母親として心配している事があるという。「本人たちは前向きに考えたとしても、あちらの親御さんや親戚が何と言うか。福島出身ということで反対されなければ良いのですが…」。

 世間がどれだけ原発事故を昔話にしようとも、女性にとっては放射線の話題が日常であることには変わりない。

 「福島での事故はもう終わりましたか?完全に収束しましたか?福島が収束できていないのに、なぜ再稼働の話が持ち上がるのでしょうか?そんなことをしていないで、もっと福島の再生や復興に力を入れて欲しいです」



(了)