民の声新聞 -10ページ目

【鮫川村焼却炉】俺の土地を無断で使うな~地権者が大樂勝弘村長を不動産侵奪罪で刑事告発

環境省が福島県鮫川村に設置した除染廃棄物の焼却炉に関し、共有地権者の1人が17日、搬入路や埋設場所の整備に際して村と一切賃貸契約を取り交わしていないとして、大樂勝弘村長を刑法235条に基づく「不動産侵奪罪」で棚倉警察署に刑事告訴した。支援団体によると、自治体が不動産侵奪罪で訴えられるのは極めて異例。合意署名の偽造に端を発した焼却炉問題は、3期連続無投票当選を果たしてきたワンマン村長の刑事告訴にまで発展した。

【「公文書は存在しない」】

 大樂村長を刑事告訴したのは、鮫川村に住み、仮設焼却炉が稼働している土地の共有地権者である堀川宗則さん(59)。
 告訴状で堀川さんは、大楽村長が2012年5月から8月にかけ、堀川さんも組合員である農事組合法人「青生野協業和牛組合」が管理する土地の一部に、共有地権者らと賃貸契約書を取り交わすことなく除染で生じた汚染物の搬入路や埋設場所を整備。現在も「除染廃棄物保管場所」などと称して無断使用が続いているとして、「不動産侵奪罪」に該当すると訴えている

 堀川さんは今年9月、情報公開条例に基づき土地賃貸借契約書などの公文書の開示を村に請求した。それに対し、村の決定は「不開示」。理由は「開示請求に係る公文書については作成していない(契約をしていない)ため保有していない」だった。つまり、賃貸借契約そのものを取り交わしていないことを村が公式に認めたことになる。

 一方、環境省などが14日付で福島地裁郡山支部に提出した意見書(堀川さんが7月29日付で申し立てた「所有権に基づく操業差し止めの仮処分」に対する反論)で、国側は「鮫川村が、小中学校の運動場の除染によって排出された土壌を埋設するために土地内に埋設場所を定め、搬入路を整備した」と主張。村から同省に「地権者全員の合意が得られた」と2012年6月8日に連絡があり、焼却炉設置へ動き出したとしている。
 自治体が住民の土地を無断使用し、国に差し出した構図が浮き彫りになった形。刑法235条第二項は「他人の不動産を侵奪した者は、10年以下の懲役に処する」と定めている。

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ついに、鮫川村長の刑事告訴に発展した焼却炉問題。

共有地権者の堀川さん(右から2番目)は「土地を無断

で使われて、はらわたが煮えくり返る」と怒りを口にした

=郡山市役所


【「はらわたが煮えくり返る」】

 郡山市役所で記者会見をした堀川さんは「人の土地を無断で使って、はらわたが煮えくり返る。これじゃ、誰の土地も何もあったもんじゃない」と怒りをあらわにした。この日、福島地裁郡山支部で開かれた操業停止を求める民事訴訟の第二回審尋でも、国側は「期間が短く、安全な仮設焼却炉であり農地に影響はない」と民法上の「管理行為」(地権者の過半数の同意が必要)であるとの従来の主張を繰り返した。これに対し、代理人の坂本博之弁護士は「農地を転用している。アパートを工場に変えるようなもので、民法上の「処分行為」(地権者全員の同意が必要)に該当する。今後も強く訴えて行きたい」と反論した。

 昨年9月に被疑者不詳のまま刑事告訴した「同意署名偽造事件」は、検察の捜査が進行中。今年9月24日にも検察の事情聴取があり、堀川さんは「同意署名を取りまとめて村長に提出したのは誰か」、「誰が署名・捺印したのか」などとする質問書を検察に提出したが、進展はないという。

 「共有地を除染廃棄物のために使うなどという申し出は、今までに一切ない。許せないというか、それ以前に犯罪ですからね」と堀川さん。人口4000人足らずの小さな村で自治体や国を相手取って訴えを起こすのは容易ではないが「行動を起こさないと止められないんです。やられっ放しになってしまう。誰かがやらなきゃいけない。ただそれだけです。後押しをよろしくお願いします」と話した。第三回目の審尋は12月10日に開かれる予定。
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村が地権者と賃貸借契約を取り交わすことなく無断で

整備したことが分かった搬入路。この先に仮設焼却炉

や埋設場所がある=鮫川村青生野


【「市民に放射線を測らせて」】

 堀川さんの闘いは、「放射性廃棄物拡散阻止3・26政府交渉ネット」や「鮫川・汚染問題を考える会」などが支援している。
 会見に同席した「鮫川村焼却炉問題連絡会」の和田央子さん(43)=塙町=は「〝盗っ人猛々しい〟とはこのことだ。人様の土地を勝手に使っておいて、追及されると『使っていないのだから良いじゃないか』、『操業を止めると6億円もの損害が生じる』などと半ば脅しのような反論をしてくるなんてとんでもない」と話す。同会はこれまで、放射性廃棄物を燃やすことに関する公開討論会の実施や、市民による放射線量の測定を国に要望してきたが、実現していない。「国に都合の良いデータだけを出されても信用できない。市民に測らせて欲しい。住民帰還や復興のシンボルに位置付けている焼却炉に関して正当性があるのなら、国は住民の前で反論するべきだ」と訴えた。

 今回の刑事告訴について、鮫川村地域整備課は電話取材に対し「訴状を読んでいないので何とも言えない。仮設焼却炉の設置に関しては住民説明会を開き、同意を得ているはずだが…」と話した。


(了)

【福島県知事選】私に選挙権があるなら~わが子を守るための避難で投票権を失った人々の「争点」

26日投開票の福島県知事選。ふるさとから住民票を移して県外に避難した人々は、遠くから見守ることしかできません。福島を棄てて逃げて行ったお前たちが口を出すな?そうでしょうか。彼らはわが子を放射線被曝から守るために苦渋の選択を強いられたのです。原発事故さえなければ、今回の選挙で一票を投じる権利があったのです。不本意な県外避難で投票の権利を失った3人に、前副知事の圧勝ムード漂う県知事選について寄稿してもらいました。題して「私に選挙権があるなら」

【被曝回避が自由にできる福島を】

 未来を大事にする人に投票したい。

 何よりもまず、人間を大事にする先にしか福島の未来は存在しないと思う。産業も経済も、そこに人間がいなければ持続できない。大人も子どもも「ここまでなら放射線を被曝しても大丈夫」という目安は存在しないというのが、国際機関での合意だ。原発事故発生から3年半以上が過ぎて、ここから先は、「除染」では汚染を減らすのが難しいということも、国際的な合意だ。ならば「除染」以外の方法で、福島県民の命と未来を守る候補者に一票を投じたい。

 原発事故以降、福島県は一般住民への賠償に関して非協力的だった。県民が不安を抱くことを「不安になる方がおかしい」と抑え付けてきた。県内のメディアは県庁の顔色を意識した報道ばかりを流し、県民の目線での報道をしなかった。

 思ったこと、感じたことを互いに言い合える福島県をつくって欲しい。

 「不安だ」と自由に言えない状況と、家族を放射線被曝から守ることを許さない県庁。事実の一部しか報道しない県内メディア…。そういうものから逃れるために、私は県外避難を選んだ。

 今回の県知事選挙では、不安に思うことは自由に口にできて、被曝を防ぎたい人は避難も防護も自由にできて、原発事故と避難の実態が明らかにできるような、「本当がある福島県」をつくる人が選ばれることを願う。

(伊達市から北海道へ。男。56歳)
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副知事として佐藤雄平知事とともに原発事故後の県政

を担ってきた内堀候補が圧勝すると言われる福島県知

事選。わが子を守るために県外避難を選んだ人々の願

いはやはり、子どもたちを放射線被曝から守る県政だ


【今こそ一票の重みを感じて】

 原発事故直後から声高に「復興」が叫ばれてきたけれども、感じるのは福島県民を置き去りにした名ばかりの「復興」。「復興」という言葉だけが一人歩きしているように感じてならない。経済を取り戻さなければならない、その一心だけで県民を、またその未来をないがしろにしてはいないだろうか。果たしてそれは、真の復興といえるのだろうか。

 自宅の庭に置かれた真っ黒いフレコンバッグ。いったい誰が、汚染土の山と共に暮らしたいか。誰が好き好んで、すきま風が吹く壁薄い仮設住宅にいつまでも入居していたいか。誰が、我が子のこれからの健康を不安にさらすような生活を送りたいか。放射線の中で未来を見ることができるのか…。

 住民がいま、どんな想いで福島で暮らしているのか。それを真に分かろうとする候補者はいるのだろうか。現実に目の前にある様々な問題に取り組んでいかれる候補者はいるのか。

 恥ずかしながら、原発立地県に住みながら原子力発電について知識が無かった。事故直後も不安と恐怖を抱きながらテレビから流れる情報を与えられるまま信じていた。
 福島には全てがあった。全てが順調だった。できれば避難することなく暮らせたら…そう思っていた。

 しかし、時間の経過とともに少しずつ違和感を覚えるようになった。息子の通う小学校では、事故から1カ月も経たないうちに屋外活動が再開された。給食も始まった。担任に質問すると「県が安全と言っているから大丈夫」との答え。原発事故直後に配布された市の広報紙では、「このままの状態が1カ月続いたら妊婦さんや子どもは避難したほうがよい」という山下俊一氏の言葉を目にしたが、やがてそれも一変してしまった。

 心は決まった。「ここでは子どもは守れない」。縁もゆかりもない京都の里親さんの元に息子を単身疎開させたのは、2011年7月。しばらくして、私も京都に移り住んだ。

 有権者も託すだけの未来ではなく、一人ひとりが創りあげていく未来を考えて欲しい。一人ひとりが自分たちの暮らしを考え働きかけていく社会にこそ、自分たちの望む未来があるのではないだろうか。今こそ一票の重みを感じるべき時だろう。これは福島の選挙であって福島だけの選挙ではない。これからを生きる私たち一人ひとりの問題なのだと思う。今こそ答えを出すべきときなのだと思う。

(福島市から京都府へ。女。40歳)
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放射線防護も選挙の主要争点のひとつであるはず。

しかし、経済的な復興の陰に隠れてしまっている

=福島市松川町


【被曝不安の中にいる子どもを主人公に】

 妊娠中だった妻と5歳の長男を連れて自主避難した。郡山は妻が生まれ育った土地。不本意な避難で住民票を移すことには抵抗があったが、子どもの教育など避難先での生活においては、住民票を移した方が無難であることが少なくない。このことは後悔はしていない。

 時に「非国民」とさげすまれようが「裏切り者」と後ろ指をさされようが、そんなことではビクともしない生活が今、ここに揺らぎなく存在する。ただ、そうは言っても、福島県知事選に心が騒がないわけではない。「お前らのような福島を棄てた奴が口をはさむことではない」とお叱りを受けたとしても、私たちには私たちなりの「忘れ物」をたくさん、福島に残してきているのも事実だからだ。

 私は原発事故当時、息子の通う幼稚園のPTA会長を務めていた。長年、勤めた職場を退職するよりもつらかったのが、避難にあたってPTA会長職を辞することだった。「俺は自分の子どもだけを連れて逃げるのか」と悩み、苦しんだ。そんな中、福島を去るにあたって心に決めたことがある。それは、「いつか必ず、この理不尽にけじめをつけてみせる」、「いつかきっと、この子たちを助け出す」ということだ。

 もちろん、これは私の勝手な想い。残った人々にとっては大きなお世話かもしれない。しかし今、改めて伝えたい。「原発事故による大量の被曝の中で生きていかざるを得なかった子どもたちを、低線量被曝地帯という不安の中で生活せざるを得ない子どもたちを、常に主人公とした県政が行われますように」ということだ。

 もし、今回の選挙で「原発」が争点にならないのであれば、せめて「福島の子どもたちの未来を心から憂い、考えること」を何としても争点にしていただきたい。そう願うばかりだ。

(郡山市から静岡県へ。男。47歳)



(了)

【福島県知事選】与野党相乗りの選挙戦スタート~有権者の選択肢は「復興」?「被曝回避」?

原発事故後初となる福島県知事選挙が9日、告示され、6人が立候補を届け出た。放射性物質の拡散からまだ3年7カ月。子どもたちへの健康被害を懸念する声は依然として少なくないが、有力候補は「復興」を連呼し、争点隠しに躍起になっている。福島再興の最優先課題として、子どもたちの被曝回避に取り組むのは誰か。与野党相乗りで低投票率が懸念される中、160万有権者の選択に注目が集まる。投開票日は26日。



【代議士らは「最善尽くした」と高評価】

 与野党相乗りを象徴する光景だった。

 午前7時20分すぎ、必勝祈願のため車で福島市の福島稲荷神社に着いた内堀雅雄候補はさっそく、早朝から駆け付けた支援者一人一人と握手を始めた。根本匠前復興大臣(自民)、玄葉光一郎元外務大臣(民主)、佐藤雄平福島県知事、品川萬里郡山市長ら県内有力者らが続々と集まった。その合間を見計らって「公開討論会では、中通りには放射能汚染は存在しないかのような発言をしていたが…」と声をかけると、内堀候補は「汚染が無いということではなく、低線量被曝の観点から、除染も含めてしっかりとやっていくということです。では失礼」とだけ答えて、再び支援者との握手を始めた。
 「内堀さんは副知事として、出来得る限りのことは尽くしてきたと私は評価していますよ。放射線防護に対する批判って、どの時点のことを言っているのですか?『もっともっと』というのは、どんな事柄でもありますからね」

 そう話したのは玄葉氏。福島駅前での〝第一声〟ではマイクを握り、内堀候補の副知事としての仕事ぶりを「最も適切なタイミングで、最も適切な対応をしてきた」、「出馬表明後、表情が役人から政治家に脱皮してきた」と持ち上げてみせた。

 根本氏も「彼の一番良い所?行政能力だね」と評価した。「放射線防護に関しても、その時点その時点で最善と思われることはしてきた。低線量被曝に対する不安は、リスクコミュニケーションに時間をかけて取り組まないと解消できませんからね」。郡山市が計画している屋外遊び場について尋ねると、「運動不足などを考えると、子どもにとって屋外で伸び伸び身体を動かすことは大切ですよ。屋内、屋外両方あって良い」と語った。

 「あなたと私は意見が違うかも知れないが、屋外施設も大事ですよ。現在の郡山市の放射線量が危険かどうか、専門家に聞いてみたらいい」とも。郡山市を含む中通りでは、放射線被曝に対する心配は必要ないと暗に示唆した。笑顔ではあったが、明らかに不快感がにじみ出ていた。
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6人による選挙戦がスタートした福島県知事選挙。

161万を超す有権者が原発事故後の佐藤県政にどの

ような審判を下すのか注目が集まるが、与野党相乗り

で投票率の低下も危惧されている


【「被曝?ノーコメント」と逃げた県議】

 「被曝?放射線防護?それについてはノーコメント。ごめん、ここまで」。そう言って逃げるように去ったのは桜田葉子県議(自民)。トレードマークとなったピンクのスーツ姿。それまで笑顔で「内堀さんの挑戦し続ける姿勢が良い」などと語っていたが、被曝の話題になった途端に表情がこわばった。

 少子化・消費者担当大臣を務めた森雅子参院議員(自民)も関係者との談笑に忙しく、放射線防護に対する問いをする前に「ごめんなさい」と遮った。福島県町村会を代表して、湯川村の大塚節雄村長が「今回は投票率がぐっと下がるだろう。ぜひ絶対多数を獲得して欲しい」とエールを送った。JA福島女性部協議会に所属する玉川村の農家も「風評被害を払拭して欲しい。圧倒的な支持の下で当選して」とマイクを握ったが、放射線防護に触れることはなかった。

 双葉町の伊澤史朗町長は「これまでの経緯を知っている。副知事としての実績を買った」と支持の理由を語った。佐藤雄平知事の原発事故後の対応には批判が少なくないが「良いものは継承する、悪いものは刷新する。そういう風にとらえている」とも。「私達が一番心配しているのは放射線による子どもたちの健康被害。内堀さんはきちんと取り組んでくれると期待している」と話した。

 「放射線防護に関していろいろな意見があるのは分かっています。でも、佐藤知事が今後もやるわけではないのだから」。そう話したのは岩城光英参院議員(自民)。自民党福島県連会長として、一時は鉢村健元日銀福島支店長の擁立を模索したが「行政の継続性は大切。佐藤知事とは異なる独自のカラーを出してくれるだろうと期待している」と語った。

 応援演説では、坂本剛二代議士(自民)が中間貯蔵施設を「最終処分場」と言い間違え、聴衆がざわつく一幕もあった。関係者から指摘されると「あー言い間違えちゃった。訂正願います。まあ、このくらい大らかな気持ちで県政に臨まないとね」と苦笑した。間違いは誰にでも起こり得るが、断腸の思いで大切な土地を提供しようとしている地権者たちが「大らかな気持ち」で笑えるだろうか。
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(上)告示前から当選確実と言われる内堀候補

(下)根本前復興大臣(左)や玄葉元外務大臣は副知事

としての実績を高く評価した


【「今回ばかりは放射能」と女性】

 県民不在の選挙戦。「出来レース」「茶番劇」との声すら聞こえる。

 平出孝朗県会議長は「50人以上の県会議員が内堀さんを応援します」と胸を張った。開票作業が始まるのと同時に、メディアが当選確実を報じるとも言われている。原発事故後の放射線防護策に不満を抱く親たちの中には「結局、誰に投票しても死に票になるだけではないか」と空しさを口にする人もいる。投票率の伸び悩みを危惧する声は多いが、放射線防護を主要争点の一つに据えない地元メディアの責任も大きい。

 二本松市の50代女性は「今回ばかりは、放射能の問題が候補者選択のポイントになる」と話す。「原発事故で福島はめちゃくちゃになってしまった。家族もばらばらになってしまったし…」と涙を浮かべた。「二本松市も場所によってはまだまだ放射線量が高いから、秋田に住む孫を遊びに来させることもできない。口には出さないけど、福島のものを食べない人は少なくないんですよ。でも、毎日被曝の心配ばかりして暮らすわけにもいかないから、なるべく忘れるようにして過ごしているんです。そんな状態で復興も何もありますか。ハコものを建てて喜ぶのは誰ですか?まずはここに住んでいる私たちが安心して暮らせるようにして欲しいよね」。

 内堀候補は「未来を担う子どもたちのために何が出来るのか、それが問われている」と語って選挙カーに乗り込んだ。関係者が解散し、人通りが少なくなった福島駅前では、五十嵐義隆候補が「日本の未来を変える選挙。子どもたちの未来のために、一票を投じて欲しい」と訴えていた。熊坂義裕候補は「医師として、命の観点から施策に取り組む」と、福島市から中通りを南下した。井戸川克隆候補は仮設住宅を重点的に廻り、原発事故からの救済を訴えていく。


※立候補者は次の通り(届け出順、敬称略)


 ・内堀雅雄(50)

 ・井戸川克隆(68)

 ・五十嵐義隆(36)

 ・熊坂義裕(62)

 ・伊関明子(59)

 ・金子芳尚(58)




(了)

【福島県知事選】「放射線防護」「被曝回避」語らぬ〝後継者〟~福島市で公開討論会

告示前から当選確実とささやかれる〝後継者〟の口からは、最後まで子どもたちの「放射線防護」や「被曝回避」の言葉は出なかった。逆に「福島は安全に住める場所」「校庭やプールも安心して使えるようになった」と観光促進を政策の柱に掲げた━。2日夜、福島市内で開かれた公開討論会。福島県知事選(26日投開票)への立候補を予定している6人が出席したが、争点が無いどころか、被曝回避に対する姿勢の差がくっきり。子どもたちを放射線から守る県政にするのか、被曝の危険性は無いという前提に立った知事を選ぶのか、明確な選択肢が有権者に突き付けられた形になった。



【「福島県に来て、見て、食べて」】

 〝後継者〟へ質問が集中したのは当然だった。

 原発事故以降、佐藤雄平福島県知事の下で副知事を務めてきた内堀雅雄氏(50)が放射線防護、被曝回避に対してどのような考え方を持っているか、誰もが知りたいはずだからだ。

 口火を切ったのは前双葉町長、井戸川克隆氏(68)だった。

 「福島県の産業政策」をテーマに、立候補予定者が別の予定者を指名して質問できる自由討論。これに先立ち、観光について「福島県には、残念ながら原発事故のネガティブなイメージが残っている。これを払しょくするには、世界中の人々に福島県に来て、見て、食べてもらうことが必要」と発言した内堀氏に対し「放射能がある状態で福島への観光を呼びかけるということは、被曝させて帰すということであり、非常に失礼なことだ」と反論した。内堀氏は「私と井戸川さんとでは立場が異なる」と前置きしたうえで「(全町民が避難している浪江町や双葉町などの)被災地は別だが、今の福島は安全に住める環境にあり、観光に訪れても問題があるとは考えていない」と答えた。医師で前宮古市長の熊坂義裕氏(62)も「原発事故からの復興無しに産業再生は難しい」と迫ったが、これには「原子力災害を克服して全産業を構築しなければならない」と答えるにとどまった。

 「少子高齢化対策」をテーマにした討論でも、内堀氏への質問が続いた。

 熊坂氏が「子ども被災者支援法についてどう考えているか」と質したが、これにも「本当の意味で、子どもたちの役に立つ支援法になるように県も支援していきたい」と抽象的な回答。井戸川氏が「放射能とどう向き合うか整理しないままスポーツを振興するのは反対だ」と水を向けると、内堀氏は「校庭やプールが安心して使えるようになった。運動会も普通に行われている」と述べた。

 五十嵐義隆氏(36)も行政への不信感が募っていることなどについて内堀氏に質問。司会者が「ぜひ他の立候補予定者にも質問して」と促す場面もあったが、流れは止まらなかった。原発事故以降の佐藤県政を是認するのかしないのか。今回の知事選が「世界が注目する審判」(熊坂氏)、「日本の未来を変える選挙」(五十嵐氏)であることが一層、明確になった。
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佐藤雄平知事が後継指名。安倍政権も推薦する内堀

雅雄前副知事。他の立候補予定者から質問が相次い

だが、最後まで放射線防護に積極的な発言は出なか

った=福島県文化センター大ホール


【「陰ではしっかりやっている」強調】

 内堀氏は「子どもは福島の宝です。一丁目一番地政策だと考えています」と発言。「18歳以下の医療費無料は今後も継続する」と述べた。また、「国と対峙し、言うべきことは言う。『ならぬことはならぬ』です」とも。「佐藤雄平知事は激しく国とやり合いました。陰ではしっかりとやっております。森林除染をやらないと決めた時も、大臣とけんかしました」ともアピールした。

 だが、最後まで被曝の危険性に関する言及はゼロ。血の通った言葉は無かった。

 熊坂氏は「福島県内原発の廃炉は当然。他県の原発再稼働についても、福島県民こそNOと言わなければいけない」と語ったが、内堀氏は「光は、ある程度見えている。影を少しでも減らしたい」と経済面での復興を強調。井戸川氏は「『お前たちが原発を誘致したからこんなことになった』と批判されるが、確かに原発と共生したのは間違いだった。この場を借りてお詫びします」と頭を下げた。その上で、原発事故以降、県は双葉町を外した対応を続けてきたと批判したが、内堀氏は副知事として原発被災対応に直接、関わってきたにも関わらず、原発政策の是非や3年間の対応に関して触れなかった。反省も無かった。

 五十嵐氏は「震災関連死が増えてしまった」と話したが、内堀氏は高齢者施設を増やすことや医療人材の確保を掲げるにとどまった。除染については「もっと新しい手法を取り入れて、負担を少なくしたい」と語った。

 低投票率が予想されるが、北塩原村でコンビニエンスストアを経営する伊関明子氏(59)は「素人だが、私のような者が出ることによって少しでも知事選に関心をもってくれたら」と出馬の背景を話した。白河市の会社役員、金子芳尚氏(58)は「脱原発とか除染とか、福島にはマイナスのイメージばかりある。浜通り、中通り、会津と地域によって抱える問題は異なり、福島全体のことを考えたい」と述べた。
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(上)心配された雨も降らなかったが空席が目立った

公開討論会。
(下)福島市内を流れる荒川の河川敷は依然として

高濃度汚染が続く。しかし、内堀氏は「安全に住める

環境だ」と言い切った


【「本当に内堀氏で良いのか?」】

 「投開票日の26日は『原子力の日』。国が一方的に未来づくりをするのではなくて、私たちが決めていく。私たちが主体者になろう」と五十嵐氏。熊坂氏は「まずは原発対策をしっかりとやった上で夢のある福島をつくりたい。命という観点から施策を進めたい」と語った。井戸川氏は「復興の前に救済だ。佐藤知事には質問状を出し続けたが酷い回答だった。県民は人。モノや動物ではない」と訴えた。

立候補予定者が多いこともあり、2時間では消化不足は否めなかったが、会場からは「立候補予定者同士がやりあってくれたことで、考え方が良く分かった」との声も。与野党相乗り、安倍政権も内堀氏を支持していることから告示前から終戦ムードさえ漂うが、「本当に内堀氏で良いのか」、「SPEEDIを公表しなかった張本人だという噂は本当か、内堀氏に確かめたかった」、「放射線防護を第一に考えたい」という意見も聞かれた。

 中通りの父親は言った。

 「私たちは毎日が闘いなんですよ。本当は県外に出たいけれど経済的な理由でできない。子どもたちへの食べ物も、数値を見て葛藤しながら選んでいます。そういう想いに、内堀さんが寄り添ってくれるとは思えないな」

 県知事選は9日に告示される。

 福島第一原発から60km離れている中通りでも、依然としてホットスポットが点在し、子どもたちの被曝の危険性が無くなったと言える状況ではない。汚染は20km圏内だけにとどまっているのではない。向こう4年間の県政を担う上で、放射線防護は重要な柱となるべきだ。有権者の賢明な選択を期待したい。


◆ ◆ ◆


 公開討論会を主催したのは、公益㈳法人日本青年会議所の東北地区福島ブロック協議会。会場からは、聴衆からの質疑応答の時間を設けなかったことに不満の声も聞かれたが、担当者は「日本青年会議所が主催する公開討論会では、全国どこでも質疑応答の時間を設けていない」と説明。立候補予定者への○☓形式での質問に放射線防護や被曝回避に関する設問が無かったことについては、「立候補予定者への質問を、事前にインタ-ネットで公募した。500人を超える方々から様々な質問が寄せられたが、放射線防護に関する質問はほとんどなかった。むしろ、除染や中間貯蔵施設に関するものが多かった」と話した。

 会場は1700人以上を収容できるが、空席が目立った。この点については「インターネットでの複数の生中継には合わせて3万5000を超えるアクセスがあり、関心は決して低くないと思う。『なぜ福島市だけなのか』というお叱りの声もあった。会津若松市やいわき市でも開くべきなのだろうが、予算の都合もあり難しい」と述べた。



(了)

「除染不要」と切り捨てられた伊達市の〝Cエリア〟~「心配過剰」「数秒通過するだけ」「税金の無駄」

伊達市は「Cエリア」を切り捨てた。そう印象づけさせる夜だった。「市内でも放射線量が低い」とされた「Cエリア」の宅地除染を巡り、市側と住民側で話し合いがもたれたが、議論は平行線。市側は除染に消極的な態度を変えず、果ては「心配過剰はかえって身体に悪い」と言い出す始末。福島第一原発事故直後は、市長コラムで放射線防護に意欲を示していた仁志田昇司市長(70)も、「恐れるばかりでなく、現実的な判断をしてもらうことを目標のひとつとしたい」と綴る。市民の不安に寄り添わない行政に、市民の不満は頂点に達している。

【どこへ行った?原発事故直後の情熱】

 こんな文章がある。

 「伊達市は原発地域から60kmも離れているので、当初放射能に対しては安全だと考えていましたが…残念ながら伊達市は『被曝』したのです」

 「伊達市では災害対策本部会議等でいろいろ議論してきました。その結果、『被曝したことを認識し、その対策に全力を傾けるしかない』というのが結論で…最終的には放射性物質をすべて取り除く『除染』を実施する、としたところです」

「我々は、何とかして伊達市全体の除染に取り組み、安心して住める伊達市にしなければなりません。そのために何年かかろうとも、市民みんなで取り組んでいきましょう」  

 筆者は誰あろう、伊達市の仁志田市長。原発事故から4カ月後の2011年7月に発行された市広報紙。そこに掲載された「市長日誌」には、汚染除去と放射線防護への意気込みが綴られていた。タイトルは、すばり「被曝」。読んだ市民は、仁志田市長が子どもたちの被曝回避に積極的に取り組んでくれると期待したに違いない。しかし…。

 市全体の70%を占める「Cエリア」(年間積算放射線量が5mSv以下と市が認定)の宅地除染は、「放射性物質をすべて取り除く」どころかホットスポット除染に転換。それも、地表真上で3μSv/hを実施基準に設定したため、多くの住宅が対象外となった。ある女性は昨夏、梁川地区にある実家に除染の順番が巡ってきたが、3μSv/hを上回った花壇を30㎝四方だけ除染したのみ。2.8μSv/hある個所は基準値以下であると断られたという。「何年かかろうとも」と綴った情熱はどこへやら。仁志田市政は除染に消極的で、かといって県外避難を促すこともしない。

 阿武隈急行・大泉駅や保原総合公園近くに設置された看板は、道行く人々に「市長!公約違反ですよ!」「早くCエリア全面除染を」と訴える。同様の看板は続々と建てられている。仁志田市長が三回目の当選を果たしてから8カ月。市民がいよいよ立ち上がった。
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保原総合公園近くに設置された抗議看板。「表面で3

μSv/h」が基準のため、2.9μSv/hの放射線が確認

できても、宅地除染は行わないのが伊達市の方針だ

【「10μSv/hでもただちに影響は出ない」】

 9月19日夜、公民館の一室で、伊達市職員と市民が対峙した。市側から出席したのは、市放射能対策政策監の半澤隆宏氏やNPO法人放射線安全フォーラム理事の多田順一郎氏(市政アドバイザー)ら4人。住民側は8人が集まった。昨年から住民側が要望し続け、ようやく実現した。

住民から「Cエリアの除染について不安を抱いている」「過剰な心配であっても、子孫を守ることは大事だ」との声があがると、半澤氏は「1mSv/年はしきい値ではない。『ねばならない』ではない」と反論。「線源から舞い上がった放射性物質を吸い込むことによる健康への影響はないと評価している」、「どこまでも心配は尽きない。過剰に心配なさらないで。リスクは他にもある」「10μSv/hでもただちに影響は出ない。ホットスポットも、子どもが数秒通過するだけ」などと語った。
 自治会長を務めているという男性が「Cエリアよりも放射線量の低い自治体も除染をしている」と問うと「やる必要はないと思う。他の市町村がやっているからといって、何でもやるわけにはいかない」と答えた。保原町に住む母親(41)が「わが家は0.6μSv/hもあるのに、なぜ除染をしてもらえないのか?Bエリアは0.5μSv/hでも除染してもらえたと聞く。ぜひ除染してもらいたい」と詰め寄ると、多田氏が「表面で3μSv/hを越えなければ1mSv/年にはならない。それに、そこに1年間寝ている人はいませんよ」と笑みを浮かべながら答えた。

 多田氏は、昨年9月に発行された「だて復興・再生ニュース」の中で「Cエリアの放射線の強さは1時間に0.5μSv程度で、このレベルの自然放射線を受ける地方は世界中のあちこちにあり、人々は健康に暮らしています。ですからこのまま除染をしなくても、Cエリアでは健康に影響を及ぼさないでしょう」と書いている。母親の除染要望に耳を貸すはずがなかった。

 この母親によると、自宅の放射線量は、もっとも高い時で雨どい直下で2.7μSv/h。庭の芝生は2.1μSv/hもあったという。すぐ隣に暮らす義父母の場合は、雨どい直下で6-8μSv/hもの数値が計測された。「教室へのエアコン設置など、いち早く放射線防護に取り組んでいると思っていたので、仁志田市長には期待していたんです。それなのにCエリアの除染は無くなってしまった。除染をして被曝の危険性を減らして欲しい、それだけなんです」と話す。

 「不安は分かるが、それだけを言われても…」(半澤氏)、「癌が増えたのは、日本人が長生きするようになったからだ」(多田氏)と、住民の不安に寄り添う市政のかけらもない行政。半澤氏からは、こんな〝本音〟も飛び出した。

 「市としての方針は固まっている。こちらの伝え方が悪いのかな。説明不足もあるかもしれないが、なぜそんな風に思っているのかな」

 住民の不安など、全く理解していないのだ。
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(上)「Cエリアの除染を考える会」が開いた伊達市職員

との話し合い。出席した職員からは「心配しすぎる方が

よほど身体に悪い」との発言も

=9/19、大田地区交流館

(下)出席した主婦の自宅は昨年9月の測定で、雨どい

直下で1.2μSv/h超。高さ1mでも0.6μSv/hを超す個所

があったが、原発事故以来、除染は一度も行われてい

ないという

【「原発作業員もガン増えていない」】

 住民側がこだわっているのは、仁志田市長の言動だ。

 市長コラムで放射線防護に意欲的な姿勢を打ち出していたうえに、今年1月に実施された市長選挙では、「フォローアップ」などという分かりにくい表現を用いながらも「Cエリアの除染」を公約として掲げていた。この夜も、出席した男性から「フォローアップとは具体的に何を言っているのか。さっぱり分からない」と質したが、明確な回答は無し。別の母親は「全面除染をするというから(Aエリアの)小国から(比較線量の低いCエリアの)梁川に転居した。市長選でも『Cエリアやります』と言っていたではないか。それで投票した人は多いはず。仁志田市長は嘘をついているのか」と涙ながらに訴えたが、半澤氏は「選挙前も後も変わらない。全面的にCエリアを除染するという公約ではなかった」とかわした。
 最後まで除染に消極的な姿勢を崩さなかった市側。住民が多田氏に「以前、除染は税金でやるのだから少しは我慢しろという主旨の発言をしていたが、あなたにはずっと不信感を抱いている」と問うと、多田氏は「確かに言いました。今でも言っております。ただ、言い方は悪かった」と釈明した。だが一方で、「私は福島市内に畑を借りている。空間放射線量は0.35μSv/hほどあるが、収穫した野菜は孫にも食べさせている」とも。伊達市放射能相談センターの担当者も「心配が過剰。逆に身体に異常が出てしまうのではないかと心配している」、「マウスの実験でも放射線は身体に良いという報告はあるが、悪いという報告は出ていない。原発作業員を追跡調査をしても、癌は増えていない」などと話し、心配を抱いている住民の方が間違っているかのような言動に終始した。
 住民の一人は言った。「住民の不安は、科学的数値だけで割り切れるものではない」。別の男性は「『放射能対策課』は、『除染をやらないようにする組織』と名称を変えた方が良いのではないか」と怒りをあらわにした。これにも、市側は「100人100通りの要望すべてには応えられない」と突っぱねた。
 仁志田市長は「だて復興・再生ニュース」の最新号で、伊達市から青森県に避難し、再び戻ってきた母親を例に挙げ、次のように称賛している。

 「避難はしたものの、その後、家族が離れ離れに暮らすのは子どもにとって良いことではないと考え直し、自宅に戻って除染をしたというのです…放射能から子どもを守るために、実に積極的に行動されている…」

 「必死になって知識を集め、世の中にはいろいろのリスク(危険)があって、タバコの害や中国からのPM 2.5問題など、考えるとキリがない。そうすると放射能もその一つであると思うようになったとのことです」

 これでは部下が、住民の不安に寄り添うはずがない。

(了)

【屋外遊び場】チェック機能放棄しゴーサイン出した郡山市議会。「子ども」不在の政治論理

郡山市議会は18日、本会議を開き、市内4カ所に3つの屋外遊び場と1つの屋内遊び場を整備するための補正予算案を賛成多数で可決した。説明なき計画変更に、常任委員会では反対意見が相次いだものの、結局は多数の市議が賛成に回った。なりふり構わぬ行政に、チェック機能を果たせない市議会。最大会派からは「地元選出代議士の手前、反対できなかった」との声も。もはやこの街には、子どもたちを放射線被曝から守るという理念など存在しないのか。


【「被曝回避」棄てて「経済優先」】

 郡山市議会が、「子どもたちを放射線から守る」という理念を投げ捨てた瞬間だった。

 当初の「4カ所すべて屋内遊び場」から大きく軌道修正し、屋外3カ所、屋内1カ所として提出された議案に、ほとんどの議員が起立して賛意を示した。「起立多数」。議長の声が議場に響く。放射線被曝の心配なく子どもたちを遊ばせるための屋内施設は、1年半の時を経て、郡山市の安全性を対外的にPRするための道具に変わった。「子どもたちを守るという視点がなくなってしまった。経済優先そのものですね」。女性市議の1人は悔しそうにつぶやいた。

 議案の審議を付託された文教福祉常任委員会。討論に先立って行われた委員長報告が、12日に開かれた委員会の紛糾ぶりを物語っていた。他の委員長報告が軒並み「当局の説明を良とし、原案通り可決」だったのに対し、屋外遊び場計画に関しては、多くの時間を割いて反対意見や当局の答弁が報告された。委員会では「依然として放射線被曝を懸念する保護者は多く、当初計画に戻すべき」「計画地の一つである旧行建小学校跡地周辺には、既に公園が9カ所も整備されている。これ以上、屋外遊び場は要らない」などの反対意見が相次いだという。

 当局は、地域住民への説明会開催を約束。復興庁からの交付金措置が得られない場合には、計画そのものを見直すことまで口にした。結局、否定的な意見が相次いだものの賛成多数で原案は可決された。市議らはなぜ、本心では疑問を抱きながらも賛成に回ったのか。そこには、放射線防護からは大きくかけ離れた、義理人情の世界があった。
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18日に開かれた本会議で、起立して原案に賛意を示

す郡山市議たち。「子どもたちを放射線から守る」とい

う理念は完全に消え去った


【「前復興大臣の手前、否決できない」】

 「実はウラがあるんだよ」

 全40人のうち18人が所属する自民党系の最大会派「創風会」。ある議員は、本会議閉会後に苦笑交じりに語った。

 「地元選出の根本匠先生(前復興大臣)に頭を下げて予算措置をお願いし、大臣も交付金獲得のために汗を流すことを約束してくれた。それを今さら、地元議会が否決するわけにはいかないんだよ。根本先生に申し訳が立たない。いくら計画の中身が変わったとしても、ハシゴを外すことはできない。私だって根本先生のことがなければ反対なんだけど…」。総事業費15億円は国の交付金頼み。これまで複数の会派が根本大臣を訪ね、屋内遊び場整備も含めた復興予算に関して陳情してきた経緯がある。

 反対なのに賛成する。一般市民にはあまりにもわかりにくい政治の論理。この市議は取材中、「当局はNPO団体が実施した保護者アンケートを引用しているが、結果を都合よく解釈している」、「屋内遊び場を造らないのなら、既存の公園に少し手を加えるだけで十分」、「一番大変なのは市職員だろう。屋外遊び場を造る理由が無い」などと計画案に否定的な発言が相次いだ。本会議で反対討論を行った女性市議の意見に理解すら示した。それでも採決では起立して賛成した。

 子ども不在の義理人情。結果として子どもたちを利用した〝安全アピール〟に加担したという批判は免れまい。最終的に原案に賛成するにしても、本会議で会派としての意見を表明し、当局に釘をさすことくらいはできたはず。だが、それもせずに粛々と採決に加わったのは、議会としてのチェック機能を放棄したと言わざるを得ない。昨年8月に発行された「創風会だより」には、次のように記されている。「議会は市民から付託されたチェック機能や問題点の審査提言の任務があります。市民の立場に立ち、郡山市の将来を見据えてさらに議会での審議を進めていかなければなりません」。今こそ、この崇高な理念を思い出す時だ。

 「うーん…。政治っていうのはヤクザな世界だからさ」

 根本前復興相は、このような形で復興予算が消化されようとしていることをご存じか。
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(上)屋外遊び場整備候補地の一つ、大槻公園。「屋内

び場を造らないのなら、既存の公園に少し手を加え

る程度で良い」との声も

(下)郡山市内には、依然としてホットスポットが点在す

る。専門家は「放射性物質を吸い込むことによる内部

被曝を避ける取り組みはまだまだ必要」と指摘する


【「子どもを安全アピールの道具に使うな」】

 結局、本会議で明確に反対意見を述べたのは女性市議たちだけだった。

 岩崎真理子氏(日本共産党郡山市議団)は「今後、屋内遊び場を増やす意向がないことが明らかになった」「既存の屋内遊び場も順番待ちの状態。本来の子育てニーズを反映させるべき」などと反対意見を述べた。駒崎ゆき子氏(郡山の未来をつくる会)は「いつの間に子どもたちを守るという視点が無くなったのか」、「福島第一原発で何があってもおかしくない。子どもたちを守る取り組みは、注意しすぎるくらいやらないといけない」と批判。「北国にとって、全天候型の屋内施設は重要な施策」とも述べ、計画の全面的な見直しを求めた。「当局は住民説明会を開くと言うが、屋外遊び場を造るという方向性が決まってから住民の意見を聴いたって仕方ない」。

 「『屋内運動施設を4カ所整備することで、郡山は危険だから屋内の遊び場をつくったなどと間違った情報発信になる可能性がある』と挙げられているが、この意見に強い怒りを覚えた。これは、安全なのに放射線の影響を心配する方が悪い、風評被害になるから騒がないで欲しいということか。子どもを安全アピールの道具に使わないでいただきたい」

 そう強調したのは、滝田春奈氏(虹とみどりの会)。「将来どのような影響が出るか分からない中、不安を抱えながら子育てしている保護者や子どもたちの意見をしっかりと聞き、事業を再考するべきです」。

 別の女性市議は「(屋内遊び場では)国の帰還政策に反するから、復興庁から待ったがかかったのではないか」といぶかった。国の交付金措置が正式に決定するのは10月末だ。



(了)

【浪江町ルポ】地域を家族をバラバラにした原発事故~募るふるさとへの想いと国や東電への怒り

華々しく全面開通した国道6号。しかし、約半年ぶりに訪れた浪江町には高濃度汚染が依然として残り、住民たちの怒りと哀しみが渦巻いていた。家族や親戚、地域の結びつきは破壊され、一時帰宅で少しでもわが家が朽ち果てるのを食い止めることくらいしかできない。そして、津波被害から見つかった泥だらけの品々たち。もう3年半。まだ3年半。「浪江町の3.11」はまだ続いている。



【復興住宅や自宅除染への葛藤】

 4月で還暦を迎えた男性は、葛藤が続いている。「復興住宅の案内が届くのだけれど、入居する気持ちになれないんだよ。命は二の次、経済優先で原発を稼働させ続けてきた結果がこれ。しかも原発事故後は国にも東電にも騙され続けてきた。なんだか彼らに尻尾を振る犬になるようでね…」。

 避難先となっている伊達市内のアパートは、借り上げ住宅としての「みなし仮設住宅」のため今のところは家賃は無料。しかし、いつ打ち切られるか分からない。この3年間で手にした賠償金は600万円ほど。90歳近くになった母親との二人暮らしでは、復興住宅に入った方が良いのではないかとの想いもある。

 知人の女性は、やむなく復興住宅への入居を決めた。県外避難した子どもたちが「一緒に住もう」と言ってくれたが、家族が1人増えれば少しでも広い部屋を借りなくてはならない。その家賃負担を考え、独りで復興住宅に暮らすことを選んだという。「家族をバラバラにしたのが原発事故」と男性は語気を強める。

 自宅の空間線量は依然として3-4μSv/hある。しかし、地区の分類は「居住制限区域」(20mSv/年超、50mSv/年以下。空間線量率が3.8μSv/h超、9.5μSv/h以下)。そのため、得られる賠償金も「帰還困難区域」の住民より少ない。査定では、自宅の評価額は137万円だった。「こちらの事情で売却するならともかく、原発事故で無理矢理わが家を追い出されてこれはないよ。どうやって新しい住まいを用意しろって言うんだ」と怒りをあらわにする。自宅の除染に関する通知が来たが「除染をしたって戻る気持ちが無いんだから無駄だ」と同意書類へのサインはせずにいる。

 「とにかく帰らせようという国や東電への反発があるんだよね。われわれ住民の健康なんて考えていないでしょ」と男性。「もちろん、浪江は大好きだよ。道路標識通りに車を走らせれば故郷も自宅もあるのに許可無しでは入れない。そんな哀しいことはないよ。つらいよ」と目に涙を浮かべた。
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津島地区など「帰還困難区域」に分類された国道114号

沿いは、今も高濃度汚染が続く。同行取材に協力してく

れた男性は「浪江町は好き。でも、これだけ汚染されて

は、除染しても戻る気持ちはない」と話す

【老舗旅館「移築したい」と涙】

 津島地区から本宮市に避難中の男性(67)は、妻とともに月1回の一時帰宅をしていた。老舗旅館の4代目。自宅や旅館は揺れによる損傷はほとんど無かったものの、地区全体が「帰還困難区域」(50mSv/年超、空間線量率が9.5μSv/h超)に指定されているため、営業再開どころか故郷での生活さえ見通しが立たない。「自宅は惜しくないんだ。でもね、この旅館だけは何とか残したい。移築したいんだけど、東電はそんなことは認めないからね」。それまで笑顔交じりに話していた男性も、この時ばかりは涙をぬぐった。

 区長も務めるため、原発事故後は区内の民家を廻り、定期的に放射線量を測ってきた。「うちで一番高かったのは雨どい直下で750μSv/hだなあ」。旅館の玄関前は、今でも高さ1㍍で1μSv/hを少し上回る。「地表真上だったら、10μSv/hなんていくらでもあるよ」と苦笑い。「政府の考え方は、住宅周辺と20㍍圏内の山林を除染したらもう大丈夫というものだけれど、見てごらん、ここは山に囲まれているんだよ。子どもたちは山で遊ぶし、キノコや山菜など山の幸もふんだんにある。自宅周辺だけで生活しろっていうのかね」と憤る。

 地域住民はバラバラになってしまった。「あの家は須賀川、こっちは福島市…。決して豊かではなかったが、協力し合って頑張って来たんだ。その生活を壊された」。茶飲み話に花が咲いた昼下がり。それが今や、車で1時間かけないと出来なくなってしまった。破壊された地域の結びつきをいかにして維持していくか。「浪江町には400以上続く『田植え踊り』という伝統文化があります。ただでさえ少子高齢化と過疎化で継承が課題だったところに原発事故。どうやって受け継いでいくか非常に心配ですよ」と話す。

 放射性物質の拡散で、家庭菜園も汚染されてしまった。「本宮で庭仕事をしていても気力がわかないんだよね。何をしているんだろうって」。一変した生活にため息ももれるが、損害賠償の話になるとひと際口調が強くなった。

 「原発事故のおかげで被災者が儲かっているかのような印象もあるかもしれません。でも、現実は財物賠償だけでは足りず、精神的賠償のお金をつぎ込んで避難先で家を建てている状態なんです。慰謝料を足さないと新しい生活が始められないなんておかしいでしょ」。

 妻は、自宅周辺に除草剤を撒いていた。いま出来ることは、住み慣れた我が家をせめて荒れ放題にしないことくらいだ。
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(上)津島地区の老舗旅館。経営者の男性は「自宅は

惜しくない。旅館だけでも移築して残したい」と涙をぬ

ぐった

(中)津島稲荷神社の西参道。手元の線量計は1.7

μSv/h前後だった

(下)浪江駅前の新聞専売所。2011年3月12日の朝刊

が積み上げられたまま3年半が経過した

【持ち主を待つ「思い出の品」】

 すっかり色が変わってしまったランドセル。泥だらけの携帯電話。汚れてしまったぬいぐるみ…。町中心部から国道6号を双葉町方面に少し向かった「双葉ギフト」で、津波の直撃を受けた建物跡などから見つかった「思い出の品」が展示されている。

 「先日、震災後初めて請戸地区を訪れたというご夫婦が、ここで娘の記念写真を収めたアルバムを見つけて、感激していました。この3年間、怖くて来られなかったそうです。あれだけの津波に襲われたんですからね」と株式会社安藤・間の担当者は話す。

 今も、日々のガレキ選別作業で次々と品物が見つかる。それらを少しでもきれいにし、名前が確認できるか所有者特定に結びつくメモや特徴などが無いか確認し、展示する。この1カ月で400人以上が訪れ、231点が引き取られていったという。

 小学生の名札やトロフィー、プリクラから、泥だらけになったカメラや漁船の名前が入った旗、掛け軸、野球のグローブや絵の具セット。静まり返った店内で引き取りに来てくれるのを待っているかのようだが、持ち主が亡くなっている可能性もあると思うと胸がつまる。「今のところ、来年3月末ではここで展示する予定です。一品でも多く持ち主の元に戻って欲しい」と担当者。原子力被災だけでない浪江町の現実が、ここにある。
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国道6号沿い、「双葉ギフト」の店舗を利用した「思い出

の品展示場」。これまでに231点の写真などが所有者

の手に戻ったが、依然として590点が持ち主の引き取り

を待っている

(了)

屋内遊び場を造るとイメージダウン?~子どもたちの被曝回避より「外遊び推進」を選択した郡山市

一度はめくったはずのカードを裏返し、別のカードに手をかけた。それも禁断のカードを…。そんな方針転換と言えよう。郡山市が、子どもたちの被曝回避から屋外活動推進にシフトチェンジ。屋外遊び場を複数整備することになった。依然として被曝の危険性が無くなっていないなかでの大転換。その裏には「屋内施設では、対外的に危険性をアピールすることになってしまう」との思惑が見え隠れする。市議からは「子どもを犠牲にしてシティセールスを進めるのか」との批判の声も上がっている。


【「3年経て状況が好転した」と市幹部】

 問題となっているのは、郡山市が市議会9月定例会に提出した「屋内遊び場等整備案」。大槻公園、郡山カルチャーパークなど計4カ所に屋内1カ所、屋外3カ所の遊び場を整備する。設計などの委託費用として約7000万円の補正予算を今議会に計上している。議会で承認されれば、国の復興予算を利用して整備工事に着工。2017年春の利用開始を予定している。

 被曝回避を視野に入れた遊び場整備に関しては、2013年3月に開かれた市議会本会議で当時の原正夫市長が「子どもたちが屋内グランド上で元気に体を動かしたり遊んだりできる屋内運動施設を市内4箇所に地域バランスを考慮しながら整備し、子どもたちの健全な育ちを支援してまいります」と発言していたが、今月1日に開かれた本会議では一転、品川萬里市長が「施設整備の具体的な内容については、郡山カルチャーパークに雨天時及び冬季にも利用できる屋内運動施設を整備するとともに、大安場史跡公園、大槻公園、旧行健第二小学校跡地には、屋外運動施設を基本とした施設整備の方針を固めたところであります」と説明。被曝回避から屋外活動推進へ大きくシフトしたことが表面化した。

 この案件を担当する郡山市役所の「こども部」が8月末、市議らに配布した資料によると、方針転換にあたっては今年3月以降、学識経験者や保育士らで構成する子どもの遊びと運動に関する検討会」を計4回開催。その中で、原発事故の影響で子どもたちの肥満や運動不足に拍車をかけたこと、屋内施設ばかりを整備することで、対外的に郡山市が被曝の危険性があるかのように間違った情報発信をする可能性があること━などの意見が委員から出されたという。

 委員名や議事録は市民に公表されていないが、独自に入手した名簿には、中村和彦山梨大教授や富樫正典郡山医師会事務局長、大木重雄市体育協会常任理事ら13人の外部委員の名前が記されている。中村教授は「子どものからだが危ない -今日からできるからだづくり-」などの著書があり、「郡山市震災後子どもの心のケアプロジェクト」のメンバーでもある。
 「昨春は、一刻も早く屋内施設を造る必要があるような危機的な状況だった」と市子ども部幹部。「しかし原発事故から3年以上が経過し、良い状況に変わってきている。そこで子どもたちの遊び場についてゼロから意見を聴こうと検討会を開いた」と話す。一部の市議から「結論ありきの人選ではないか」との批判があがっているが、「断じて結論ありきの検討会ではない」と反論している。

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8月末、市議らに配布された説明資料では「『郡山は

危険だから屋内の遊び場を作った』と間違った情報

発信になる」「放射線の影響を危惧する保護者の減

少」などと記されている



【80%の保護者が、放射線対策「重要」】

 検討会では、市内のNPO法人が実施したというアンケート調査の結果も提示された。昨夏、市内の3-15歳の子供を持つ保護者を対象に行われ、回答率は約89%。検討会で特に重視されたのが「放射線のために外出することを心配する」という設問。これに「ときどきある」「よくある」と回答した保護者はほとんどなかったという。これをもって、市側は「放射線の影響を危惧する保護者が減少した」との認識を議会向けの説明文書に記している。

 しかし、別の調査結果もある。市こども部が昨年11月から12月にかけて市内の就学前児童や小学生を持つ世帯を対象に実施された「子ども・子育てニーズ調査」だ。回答率は38%ほどだったが、この中で「子どもや親が安心して外出できる環境(子どもの遊び場や公園等)になっていると思いますか」との問いには、「どちらかというと思わない」「思わない」との回答が50.9%に達した。また、満足度を尋ねる設問では「放射線対策」について「どちらかといえば不満である」「不満である」が56.8%、さらに80.8%もの人が「今後、放射線対策が重要である」と答えた。

 ある市議は「やはり、子どもの放射線被曝について不安を抱く保護者は依然として多いのではないか。それに、NPO法人による調査では『この1カ月のお子様の様子を思い浮かべ、一番近いものを選んでください』と尋ねており、聞き方が悪い。幼い子どもが自ら、放射線による影響を危惧しないだろう」と指摘する。「当初の計画通り、屋内遊び場が造られるものと思っていた。計画を全面的に見直して欲しい」。
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屋外遊び場の整備予定地である大槻公園。手元の

線量計は0.25-0.3μSv/hだった=郡山市大槻町


【放射線はシティセールスの邪魔?】

 別の市議は、既存の屋内遊び場で実際に母親らから聞き取り調査をした経験から「保護者は放射線の影響を今でも気にしている。低線量被曝は避けなければいけない」と話す。「品川市長は郡山市の発展に力を入れており、シティセールスに放射線は邪魔なのだろう。子どもを犠牲にしたシティセールスは許せない」と語気を強めた。

 この市議が市当局から取り寄せた8月31日現在の資料では、郡山市内の屋内遊び場の利用者数が大きく減少しているような傾向は見られない。「ニコニコ子ども館」では、2012年度から2013年度にかけて約25万人から約20万人に減ったものの、今年度は2012年度並みの利用者数に戻っている。「ペップキッズ」に至っては、2012年度を上回る勢いだ。「これから冬になればさらに利用者は伸びる。放射線防護だけが理由でないにせよ、屋内遊び場のニーズが無ければ、利用者は激減するはずです」と指摘する。
 取材に応じた市の担当者は「子どもの本分は屋外で遊ぶこと」、「屋外で遊べるのが子どもたちにとって一番良い」、「放射線への不安をいつまでも抱いて屋外で遊べないのは良くない」などと繰り返し強調した。だがその正論が通用するのは、あくまで平時の場合。原発事故による汚染が懸念される状況下では、被曝回避が最優先されるべきだ。これに対し、この担当者はこう答えた。

 「屋内とか屋外とか、それが重要ではないのです。放射線被曝への不安を抱いている子どもも、楽しく遊べることが大事なのです」

 しかし、なぜ従来通り屋内遊び場ではいけないのか。これには最後まで明快な回答はなかった。

(了)

【42カ月目の石巻市はいま】「早く〝仮設〟解消を」「1歩進んで2歩後退」「五輪どころじゃない」

仮設暮らし解消を。それが住民の共通した想いだった。1年ぶりに訪れた宮城県石巻市で、未曽有の震災から3年半が経った現在の「復興」について話を聴いた。そこにあったのは、政治への失望であり、進まぬ復興への怒りであり、一日も早い住環境整備への願い。中には「放射能汚染がないだけ福島よりはマシ」と自分に言い聞かせているという人も。安倍首相は華々しく改造内閣を発足させたが、アベノミクスや復興とは縁遠い人々がまだ多くいることを認識して欲しい。


【「政治家には期待していません」】

 電器店の若い女性が苦笑交じりにつぶやいた一言が、震災以降の住民たちの想いを象徴していた。

 「私達はもう、政治家には期待していませんから。こんなタイミングで消費税率を上げられて、大打撃です」。

 仙石線・石巻駅からほど近い仮設商店街「復興ふれあい商店街」。2011年12月、市内初の仮設商店街として駐車場に開設された。販売だけでなく、無料で自転車を貸し出して少しでも市内を巡ってもらおうと取り組んでいるが、各店舗の入居期限は来年いっぱい。「連名で期限延長を申し入れました。資金や体力のある若い人は新しい場所に移れるけれど…」と別の経営者は話した。

 老舗の旅館では、津波で玄関がプールのようになった。70代の男性経営者が振り返る。「地震でもあちらこちらに亀裂が入って…。でも作業員が確保できなくてね。少し直しては休み、また少し直しては休み。結局、完全に修繕工事が終わったのは最近だよ。丸3年かかった。東京五輪どころじゃないよ、まったく」。そして、カウンターの半分ほどに手をやった。「ここまで水に浸かったんですよ」。

 「復興?それは、仮設住宅での生活が続いている人々が、借家でも良いから自分の家で落ち着いた生活ができるようになったときに、ようやく実感できるんじゃないかな」
 この経営者の言葉を、私は様々な場所で耳にすることになる。

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(上)海に近い南浜町は、津波の直撃を受けた。一角

には亡くなった方々を慰霊する地蔵が建てられている

(中)「ここまで水に浸かったんですよ」。老舗旅館の経

営者はカウンターに手をやった

(下)市中心部に建てられた「津波襲来の地」の石碑

【仮設住宅がなくなったら復興】

 今年6月から仮設商店街に加わり、たい焼きを売っている男性(72)は「安倍首相もゴルフばかりやっていないで、石巻に足を運んだら良いのに」と語った。あんこの代わりにチーズを入れ、さらに揚げたたい焼きが目玉商品。取材中も、学校帰りの学生らが買いに来ていた。「いま望んでいるのは、街中に人々が戻ってきてくれることかな」と笑顔を見せた。経営していた店舗は、北上川を逆流するように襲いかかってきた津波の直撃を受けたという。

 男性の長男(34)は「もしも自由に予算を組めるなら、復興住宅を早く建設して、仮設住宅に住んでいる人々を普通の家に住まわせてあげたい」と話す。「仮設住宅が全部なくなったら、ようやく復興したと言えるのではないでしょうか」。

 石巻市内では、依然として1万3732人(9月1日現在)が仮設住宅での生活を余儀なくされている。その約2割が生活する「開成団地」によく訪れるという長男は「隣人の声が完全に聴こえてしまうほど壁が薄い。中には〝ウナギの寝床〟のような縦長の部屋もある。窓がない部屋も。あれではストレスがたまるのは当然」と語気を強める。

「復興予算にしたって、きちんと使われていないわけでしょ。東京でオリンピックを開催しても石巻には何の関係もない。それよりも正しく予算を配分して、被災者の住環境を整備して欲しいですね」
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(上)「ふれあい復興商店街」の入居期限は来年末

(中)たい焼き屋のご主人は「石巻の現状を見て」と

安倍首相に注文をつけた

(下)ようやく建設が始まった復興住宅


【放射能汚染無いだけ福島よりはマシ】

 「一歩進んで二歩後退だよ」

 1年前、話を聴かせていただいたCDショップの店主(70)は、この1年間を振り返った。「街に人がいない。商売にならないから店をたたむ。すると余計に人が郊外型の大型店舗に流れる。悪循環だね。確かに、震災前から斜陽ではあったけれど、震災を境に集客力はゼロになってしまった。さびしい通りになっちゃったよね」。

 店主の怒りは、やがて福島の現状へと向かった。

 「安倍首相は『アンダーコントロール』などと世界に向けて演説したけれど、どこがコントロール出来ているんだろうね。ちっとも復興が進まない。そりゃそうさ。放射性物質がばら撒かれてしまったんだから」
震災から3年余。しかし、復興の足音はちっとも聞こえてこない。精神的に病んでしまった知人も少なくないという。「だからね、僕らとしては『福島よりはまだマシだ』と自分に言い聞かせて慰めるしかないんだよ。福島の方々が故郷に帰れないのは放射性物質に汚染されてしまったからでしょう。こっちは放射能汚染の心配がないだけマシだってね」
 自嘲気味に笑う店主。そうとでも考えなければ生きて行かれない。そして最後に、こうも話した。

 「避難訓練の参加率が本当に低いね。あれだけの惨事があったのにね。のど元過ぎれば何とやらで…。これもまた、被災地の現実ですよ」

(了)

【42カ月目の東松島市はいま】それでも野蒜に暮らす~「津波の恐怖を忘れないと生きて行かれない」

今も鮮明に残る津波への恐怖。水の冷たさ、勢いは忘れない。だが一方で、3年の月日は少しずつ恐怖心を薄れさせていった。生きて行くために。女性は言う。「忘れなければ、生きて行かれないのよ」。仙石線・野蒜駅(宮城県東松島市)を1年ぶりに訪れた。被災の爪痕生々しい中に、ポツンと建つ真新しいコンビニ。永田町に飛び交う「復興」がいかに空虚か、実感させられた


【コンビニが開店した野蒜駅】

 仙石線・松島海岸駅から乗った代行バスを降りる。1年ぶりに訪れた東松島市・野蒜駅は明るかった。正確に言えば、駅「だけが」明るかったのだ。1年前、津波で激しく破壊され尽くした「ヤマザキデイリーストア」は取り壊され更地になり、変わって「ファミリーマート」が東松島市の要請を受ける形で今年5月28日に開店した。「午前7時から午後8時までの変則営業です」と男性店員は話した。

 客の多くは復興工事の作業員だ。朝からニッカポッカ姿の作業員たちが行き交う。駅周辺では、仙石線の敷設工事を始め、多くの作業員が汗を流す。運河を挟んだ海側には敷設工事で生じた土砂がベルトコンベアで運ばれうず高く盛られている。70台ものダンプカーが行き交い、警備員が忙しそうに交通整理をしている。「昼時はお弁当を買う作業員の方たちで店内がにぎわいます」と店員は笑った。

 店舗に併設されたカフェコーナーには、未曽有の津波被害を語り継ごうと写真が展示されている。円いテーブルがいくつも置かれているが、のんびり座っているのは私と休憩中の店員だけ。店舗の裏手に廻れば、利用されることのなくなったホームが震災直後の姿のままで遺されている。傾いた看板やひびの入ったホーム。途中で途切れた線路には雑草が生えている。ここだけ時間が止まったかのようだ。幼稚園の送迎バスが駅前に停まり、園児を1人、乗せた。

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今年5月、ファミリーマートが開店した仙石線・野蒜駅。

利用者の多くは復興工事に携わる作業員。カフェコー

ナーには大地震と津波による被害を語り継ぐため写真

が展示されている=東松島市野蒜


【濁流の勢いに身がすくんだ女性】

 「身体が動かなくなっちゃったの。水の高さは膝くらいだったかしら。でも怖くて怖くて、手すりにつかまったまま動けなかった。消防の人に放り投げるように階段の方に動かしてもらって、ようやく我に返ったわ」

 野蒜駅からほど近くに暮らす女性(67)は時折、目に涙を浮かべて津波の恐怖を振り返った。
 経験したことのない激しい揺れに、直感的に「津波が来る」と考えた。そこに「女川で6mの津波」というカーラジオからの声が耳に届いた。「まさか、(仙石線と並行する)東名運河を越えることはないだろう」と思いながら、野蒜小学校の体育館に向かった。近くの老人ホームから、車いすのお年寄りたちが続々と避難してくる。体育館に着いた頃には、ここまでやって来るはずのない波が、足元まで来ていた。

 教室に逃げよう━。そう思った時には、両膝が水に浸かっていた。階段までわずか2m。しかし、濁流の勢いは思いのほか強い。恐怖のあまり、気を失っていたのかもしれない。やっとの思いで3階の教室にたどり着き、児童の体操着を借りて着替えた。下着までびっしょりだった。30分ほど経ったろうか。ふと窓の外を見ると、見慣れた景色が一変していた。

 「一旦、水が引き、流された乗用車やガレキが散乱していたわ。うちも5台の車はすべて流されちゃった」。自宅の2階は、いつのまにか臨時避難所になっていた。

 女性の友人は、つい数時間ほど前まで談笑していた知人の死を目の当たりにした。近所の女性は、夫が家財道具に埋もれるように流されていくのを、ただ呆然と眺めるしかなかった。自分だけが助かったという自責の念。「目の前にいたってどうすることもできないのよね。思い出すとつらいわ」。津波が落ち着くと、車いすでベルトをしたままのお年寄り、マイカーの運転席の男性など、多くの遺体が見つかった。自宅2階で、3人もの遺体が発見された人もいるという。

 あれだけの恐怖を経験し、それでも移り住むことなく自宅に再び暮らしている。一部損壊で済んだ自宅は、真新しい木材で補修されている。すぐ隣に暮らしていた子ども夫婦は高台に移り住むことになった。

 「もちろん、震災直後はこんな所に住みたくないって思ったわ。でもね、人間って3年も経つと忘れてしまうのね。結局、ここで暮らして行くことにした。そうね、忘れないと生きて行かれないのかしれないわね」

 女性は野蒜小学校の校舎に目をやった。多くの命が奪われた体育館は、もう無い。


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(上)津波で大きく損傷した民家

(中)住民の間では、津波が東名運河を越えることは

無いと言われていたという

(下)野蒜小学校のさらに奥、高台に建設中の仙石線。

来年6月には開通予定だ


【重い移転費用、甘くない再出発】

 野蒜小学校裏の高台に建設中の新しい仙石線。2015年6月にも代行バスが終わり、仙台~石巻が開通する予定だ。運転士は「来年の今ごろは乗っていただけますよ」とうれしそうに話した。
 少しずつ復興へ前進しているように見えるが、野蒜小学校近くで店舗を営む男性は「うちは高台で津波の被害はなかったから良い。でも、平地の家は軒並み津波でやられてしまった。被害に遭った人々は当時よりもっと悲惨な状態だよ。時間が経つにつれて現実的な問題が出てくるからね」と語る。別の女性は「被災地ってたくさんのお金をもらえると思っている人がいるかもしれないけれど、違うよ。確かに義援金はいただいたし、大変ありがたかったです。感謝しています。自宅を高台に移転するにしても、土地は30年間無償で借りられるけれど新築費用はほとんど自己負担。甘くないですよ」と強調した。

 先の女性は震災以降、津波注意報が発令されるたびに高台に逃げているという。「結局、大した波が来ないから大げさなのかも知れないけれど、水の怖さは身に染みていますからね。東京の人たちも、50cmの津波だからといって馬鹿にしてはいけませんよ」。


(了)