【42カ月目の石巻市はいま】「早く〝仮設〟解消を」「1歩進んで2歩後退」「五輪どころじゃない」
【「政治家には期待していません」】
電器店の若い女性が苦笑交じりにつぶやいた一言が、震災以降の住民たちの想いを象徴していた。
「私達はもう、政治家には期待していませんから。こんなタイミングで消費税率を上げられて、大打撃です」。
仙石線・石巻駅からほど近い仮設商店街「復興ふれあい商店街」。2011年12月、市内初の仮設商店街として駐車場に開設された。販売だけでなく、無料で自転車を貸し出して少しでも市内を巡ってもらおうと取り組んでいるが、各店舗の入居期限は来年いっぱい。「連名で期限延長を申し入れました。資金や体力のある若い人は新しい場所に移れるけれど…」と別の経営者は話した。
老舗の旅館では、津波で玄関がプールのようになった。70代の男性経営者が振り返る。「地震でもあちらこちらに亀裂が入って…。でも作業員が確保できなくてね。少し直しては休み、また少し直しては休み。結局、完全に修繕工事が終わったのは最近だよ。丸3年かかった。東京五輪どころじゃないよ、まったく」。そして、カウンターの半分ほどに手をやった。「ここまで水に浸かったんですよ」。
「復興?それは、仮設住宅での生活が続いている人々が、借家でも良いから自分の家で落ち着いた生活ができるようになったときに、ようやく実感できるんじゃないかな」
この経営者の言葉を、私は様々な場所で耳にすることになる。
(上)海に近い南浜町は、津波の直撃を受けた。一角
には亡くなった方々を慰霊する地蔵が建てられている
(中)「ここまで水に浸かったんですよ」。老舗旅館の経
営者はカウンターに手をやった
(下)市中心部に建てられた「津波襲来の地」の石碑
【仮設住宅がなくなったら復興】
今年6月から仮設商店街に加わり、たい焼きを売っている男性(72)は「安倍首相もゴルフばかりやっていないで、石巻に足を運んだら良いのに」と語った。あんこの代わりにチーズを入れ、さらに揚げたたい焼きが目玉商品。取材中も、学校帰りの学生らが買いに来ていた。「いま望んでいるのは、街中に人々が戻ってきてくれることかな」と笑顔を見せた。経営していた店舗は、北上川を逆流するように襲いかかってきた津波の直撃を受けたという。
男性の長男(34)は「もしも自由に予算を組めるなら、復興住宅を早く建設して、仮設住宅に住んでいる人々を普通の家に住まわせてあげたい」と話す。「仮設住宅が全部なくなったら、ようやく復興したと言えるのではないでしょうか」。
石巻市内では、依然として1万3732人(9月1日現在)が仮設住宅での生活を余儀なくされている。その約2割が生活する「開成団地」によく訪れるという長男は「隣人の声が完全に聴こえてしまうほど壁が薄い。中には〝ウナギの寝床〟のような縦長の部屋もある。窓がない部屋も。あれではストレスがたまるのは当然」と語気を強める。
「復興予算にしたって、きちんと使われていないわけでしょ。東京でオリンピックを開催しても石巻には何の関係もない。それよりも正しく予算を配分して、被災者の住環境を整備して欲しいですね」
(上)「ふれあい復興商店街」の入居期限は来年末
(中)たい焼き屋のご主人は「石巻の現状を見て」と
安倍首相に注文をつけた
(下)ようやく建設が始まった復興住宅
【放射能汚染無いだけ福島よりはマシ】
「一歩進んで二歩後退だよ」
1年前、話を聴かせていただいたCDショップの店主(70)は、この1年間を振り返った。「街に人がいない。商売にならないから店をたたむ。すると余計に人が郊外型の大型店舗に流れる。悪循環だね。確かに、震災前から斜陽ではあったけれど、震災を境に集客力はゼロになってしまった。さびしい通りになっちゃったよね」。
店主の怒りは、やがて福島の現状へと向かった。
「安倍首相は『アンダーコントロール』などと世界に向けて演説したけれど、どこがコントロール出来ているんだろうね。ちっとも復興が進まない。そりゃそうさ。放射性物質がばら撒かれてしまったんだから」
震災から3年余。しかし、復興の足音はちっとも聞こえてこない。精神的に病んでしまった知人も少なくないという。「だからね、僕らとしては『福島よりはまだマシだ』と自分に言い聞かせて慰めるしかないんだよ。福島の方々が故郷に帰れないのは放射性物質に汚染されてしまったからでしょう。こっちは放射能汚染の心配がないだけマシだってね」
自嘲気味に笑う店主。そうとでも考えなければ生きて行かれない。そして最後に、こうも話した。
「避難訓練の参加率が本当に低いね。あれだけの惨事があったのにね。のど元過ぎれば何とやらで…。これもまた、被災地の現実ですよ」
(了)