【全国初の官民一体型避難受け入れ】ふくしま集団疎開裁判を経て「まつもと子ども留学」へ | 民の声新聞

【全国初の官民一体型避難受け入れ】ふくしま集団疎開裁判を経て「まつもと子ども留学」へ

安全な学習環境を求めて提訴した「ふくしま集団疎開裁判」が仙台高裁で却下されたのが今年4月。その後も支援団体は都心で街頭活動を行うなど地道な訴えを続けているが、「裁判だけを続けていても子どもたちを救えない」と、長野県松本市で官民一体となった避難受け入れ体制がスタートした。両者に共通するのは「一刻も早く子どもたちを福島県外へ」の願い。関係者は「今からでも遅くない」と避難を呼びかけている。


【ジレンマ抱えながら、それでも訴え続ける】

 「福島の子どもたちを国の責任で逃がしましょう」

 東京・銀座の数寄屋橋交差点。「ふくしま集団疎開裁判の会」ボランティアスタッフたちが、今でも福島県の汚染は解消されていないこと、一刻も早く子どもたちを逃がすべきだと道行く人々に訴えた。

 クリスマスソングが流れる。恋人たちが手をつないで通り過ぎて行く。三連休初日の土曜日とあってJR有楽町周辺は多くの人出でにぎわったが、ビラを受け取らない人も多い。

 「司法に訴えたって1人も救えていないじゃないか、と言われるとつらい」

 男性の一人は言った。「ふくしま集団疎開裁判」は2011年6月、福島県郡山市の小中学生14人が原告となり、郡山市を相手取って安全な学習環境を求めて仮処分申請を申し立てた。

福島地裁郡山支部は同年12月、申し立てを却下。地裁は被曝の存在などについてほとんど正面から取り上げることはなかった。原告らは仙台高裁に上告。しかし、高裁も今年4月24日、申し立てを却下した。決定文の中で、裁判長は「低線量の放射線に間断なく晒されているものと認められる」「その生命・身体・健康に対する被害の発生が危惧される」としながらも、最終的には行政による避難の求めは却下した。

 先の男性は「この裁判は、子どもたちを安全な線量の場所へとりあえず避難させてくれという訴えなんです」とマイクを握った。別の女性は「なぜ経済大国ニッポンに、子どもたちを避難させることができないのか」と強い口調で訴えた。「私たち関東の人間こそ、福島の子どもたちを逃がすべきでなんです。原発の電力という恩恵だけを受けて、被曝は福島に押し付けると言うことで良いのでしょうか」と行き交う人々に呼びかけた。通りでは再び、ジングルベルが流れ始めていた。
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東京・銀座の数寄屋橋交差点で行われた年内最

後のアピール。「今も年間1mSvを超す場所で子

どもたちは生活している」と訴えた

=東京都中央区


【「自由意思で逃げられる社会に」と母親】

 ビラ配りをしていた1人、36歳の女性は福島県白河市内の施設にわが子を残し単身、都内に避難してきた。8歳と10歳の子どもは障害を抱え、一緒に避難するのは難しい。でも、自身の被曝は避けたい。夫もいわき市内の職場を離れることができない…。苦渋の選択だった。数寄屋橋交差点でのアクションには今回、初めて参加した。反応無く通り過ぎる人々に、自然と声も小さくなる。慣れないビラ配りだが、一生懸命に配った。
 「母親として、何も働きかけないのはおかしいと思ったんです。うちの子と同じ施設を利用しているお母さんやお父さんたちも、安全な場所に疎開させたいと思っているはずです」
 白河市は「政府の指示による避難」の対象地域ではない。2011年冬から始まった“自主避難”も、早3年目。その間、福島では避難が加速するどころか行政は大々的な「帰還キャンペーン」を展開し、福島県外への避難者が年々減っているとの報道ばかりが目立つ。

 「国はもう福島は安全であるようなことを言っているけれど、果たしてそうでしょうか。福島の子どもたちには将来も未来もあります。住み慣れた土地を離れるのは嫌かも知れません。でも逃げたいという気持ちがあるのなら、自由意思で逃げられるようにする必要があると思うのです」

 女性は「自由意思」という言葉に力を込めて話した。そして再び、ビラ配りに戻って行った。
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クリスマスムード高まり銀座・数寄屋橋交差点。

多くの人が通り過ぎて行った。都心では福島原発

や被曝への関心は無くなってしまったのか


【「福島の子どもを守るのは国民の義務だ」】

 その「自由意思」を受け止める環境づくりに取り組んでいるのが、長野県松本市のNPO法人「まつもと子ども留学基金」(植木宏理事長)だ。集団疎開裁判弁護団の1人、柳原敏夫弁護士も理事に加わった。松本市の全面協力を得て、小学校3年生から中学校3年生までの子どもを対象に、ひとまず10人の受け入れるべく準備を進めている。

 「4月から準備を進めてきました。NPO法人と行政が一体となり、被曝回避のために福島の子どもたちを受け入れようとするのは、全国初の試みです。これを『松本モデル』として定着させ、全国に広めていきたいですね」と植木さん。自身、郡山市の出身。原発事故直後から妻子を松本市に避難させ、現在は家族全員で同市内で生活している。「僕がこちらに来たのは、受け入れ態勢を整えるためです」。

 受け入れた子どもたちは市内で寮生活を送り、小学生は四賀小学校(生徒数160人)へ、中学生は会田中学校(同120人)へ通う。寮費は月3万円。教員免許を持つ男性と、福島県内で養護教諭として勤める女性が専従スタッフとなることが決まっている。

 松本市の菅谷(すげのや)昭市長は17日に開かれた定例会見で、被曝回避のための避難受け入れを正式表明。「まさに国難。日本の子どもたちを、特に福島関連の子どもたちを皆で命を守ってあげるということは、国民の義務であり、大人の義務なんです」とし、「それぞれ皆さんお考えがありますから、こちらから強引にではなくて向こうからそういう気持ちがあれば、それを僕らがお受けするということ。(福島の)お母さん、お父さんたちが安心して子どもを預けられるという、そういう体制をきちんとしていきたい」と語った。

 原発事故から2年9月が経過したが、植木さんは「避難に〝今さら〟はありません」と強調する。「避難しづらい状況もあるでしょう。しかし、福島で被曝をし続けるのは肉体的にも精神的にも悪影響を及ぼします。ぜひお子さんだけでも、留学という形で松本市に避難させてほしい」と語る。


※NPO法人「まつもと子ども留学基金」のホームページはhttp://www.kodomoryugaku-matsumoto.net/



(了)