〝飯舘血統〟「までい牛」に込められた故郷への想い。「帰村を急ぐな」。村長に注文も~東大・五月祭 | 民の声新聞
2016-05-14 21:30:37

〝飯舘血統〟「までい牛」に込められた故郷への想い。「帰村を急ぐな」。村長に注文も~東大・五月祭

テーマ:被曝

14日に始まった東京大学の「五月祭」で、福島県飯舘村のブランド品「飯舘牛」の流れをくむ牛肉が販売されている。その名も「までい牛」。「心を込めて」、「ていねいに」という意味の飯舘村の方言だ。原発事故で移転を余儀なくされた畜産農家が、千葉県山武市で守り続けた「飯舘血統」。その肉を多くの人に食べて欲しいと汗を流す女性。2人に故郷への想いを尋ねた。放射性物質に汚染されてしまった土地。山積みのフレコンバッグ。そして何より、「までい」の精神を忘れた村政…。飯舘村から遠く離れた2人の言葉は重い。五月祭は15日まで。



【「村民が腹を割って話し合うべき」】

 真夏のような照り付ける陽射しに負けないように、大内彩加さん(22)は東大正門近くのブースで大きな声をあげていた。原発事故で故郷・飯舘村を離れて5年が過ぎた。高校生は役者になった。飯舘村にルーツを持つ牛肉を1人でも多くの人に食べてもらいたい─。いまだ帰れぬ故郷への想いが込められていた。

 原発事故が起きたのは高校3年になろうという時だった。福島県立原町高校(南相馬市)では放送部の部長として、部活動に青春のすべてを捧げていた。特に力を入れていたのが朗読。その年の夏には、全国高等学校総合文化祭(ふくしま総文)の地元開催が決まっており、相双地区の放送部のリーダーとして、前年の宮崎大会に視察に行くなど準備を進めてきた。そこに、無情にも放射性物質が降り注いだ。

 「全村避難が決まっても、どうしても避難したくなかった。いま離れてしまったら一生、村に帰って来られなくなるような気がしたんです」

 放送部長を全うして、友人と一緒に原町高校を卒業したかった。「私1人だけ村に残して欲しい」。そう懇願する娘に、母親は「そんな事出来ると思う?」とだけ語った。結局、親類の住む群馬県伊勢崎市内の市営住宅に家族と共に移り住んだ。「どこに行っても、朗読を続けなさい」。放送部顧問の言葉は今もはっきりと覚えている。転校先は放送部の活動が盛んな学校を探し、群馬県立伊勢崎清明高校に決めた。NHK杯高校放送コンテスト群馬大会では朗読部門で優秀賞を受賞し、全国大会にも出場した。夏の甲子園行きを争う全国高校野球選手権群馬大会では、開会式の司会を務めた。

 高校を卒業すると都内の専門学校に入学。「昔から役者になりたかった。一番演技の難しい声優の勉強をしよう」と、多くの声優を抱える青二プロダクションの養成所にも通った。「ど根性ガエル」(実写版、日本テレビ)や、南相馬市からの避難母子の葛藤を描いた舞台「愛、あるいは哀、それは相」(東京ハンバーグ)などに出演している。昨年6月には、村のPRを行う「までい大使」に任命された。

 自宅のある草野行政区は「居住制限区域」(年間積算線量が20mSv超50mSv未満)に指定されているが、2017年3月にも解除される見通し。「やっぱり戻りたい気持ちはありますよ。でも…」。自宅の裏には、除染土壌の入った黒いフレコンバッグが山積みされている。「私ね、部屋から見る景色が大好きだったんですよ。田んぼの稲穂、トマトやキュウリ、その向こう側の友達の家。それが今は黒い袋の山なんです」。もしフレコンバッグが全て片付き、以前と同じような景色に戻ったとしたら? 「うーん。一度、汚染されてしまった土地ですからね」。葛藤が続く。

 避難指示解除に向けて邁進する菅野典雄村長には「わがままですよ。もうちょっと村民の言葉に耳を傾けて欲しい」と厳しい。「村内の学校再開にしたって、子どもたちが戻らないと村が復興出来ないというのは分かるけど、早急すぎます。とにかく一度、村の復興について皆で腹を割って話し合って欲しいです。お金とかではなくて、本気で」。
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大内彩加さんは、原発事故で避難・転校を強いら

れた。「戻りたい気持ちはあるけれど…」と複雑な

想いを口にした


【避難解除での〝難民〟を憂慮】

 牛肉を提供したのは、飯舘村から千葉県山武市に移転して畜産業を続けている小林将男さん(60)。1000食分、計80kgのばら肉ともも肉を用意した。「若者にパワーをもらったよ」。汗を流しながら肉を焼いて販売する東大生らの姿に、目を細めた。

 やはり居住制限区域となっている関沢行政区で、90頭を超える肉牛を管理していた。元号が昭和から平成に変わった頃、エンジニアとしての会社勤めを辞めて始めた畜産。「いずれは飯舘村で畜産をやりたいと考えていたんだ」。村内で生産された牛肉を村は「飯舘牛」とブランド化して売り出した。そして23年目の原発事故。村内での畜産は不可能となった。

 「あの頃の事は良く覚えていますよ。雨や雪が降ると顔がヒリヒリしたんだ。肌の露出している部分は赤くなるし、喉もいがらっぽくなった。ああ、被曝してるんだと思ったものさ」

 原発事故から1週間後には、移転先探しを始めていた。宮城、岩手…。だが候補地が見つかっても、やんわりと断られた。「口にはしないけど、福島の汚染した牛を連れて来て欲しくなかったんでしょうね。受け入れ出来ませんという返事が返ってきた」。もはや個人の力では限界だった。福島県から提示された候補地の中から、山武市の牛舎を選んだ。

 牛を連れての移転を始めたのが6月中旬。住民票も移した。現在の牛舎は、来月で5年契約が満了する。間もなく市内の別の土地に移る予定でいる。新しい牛舎は村の復興事業として建設中。「今度は8年契約。若手の育成に力を注ぎたい」と語る。牛は160頭にまで増えた。現在、生産している牛肉は「飯舘村生まれの母牛から千葉県で産まれた」仔牛。「飯舘牛」を名乗れる事は叶わないが村のルーツをくむ「飯舘血統」だ。

 原発事故直後は強制避難を拒み、わずか5年で帰村を目指す菅野村長。「子どもたちを戻して学校を再開しようというのも分からないね。除染したって山の汚染はそのまま。雨水と一緒に汚染が拡散される可能性だってある。村長はとにかく、村の名前を残したいのだろうね」。避難指示が解除されれば、村に戻らない飯舘村民も「自主避難者」と同じ位置付けになる。「戻らざるを得ない人もいるだろう。戻りたくなくて〝難民〟になってしまう人も出るんじゃないか」と心配する。

 「秋の村長選挙はどうなってしまうのかな」。

 遠く山武市の市民として、妻と故郷を見守る。
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生産者の小林将男さん。飯舘村から千葉県山武市

に移転して畜産を続けている。 「までい牛」は15日

も、東大正門近くで販売される。500円

=東京都文京区本郷


【「までい」の精神忘れた村政】

 「までい牛」の五月祭での販売は、佐藤聡太さん(東大農学生命科学研究科2年)が中心となり「までいラボ」というプロジェクトを発足。1年間の準備期間を経て実現させた。

 「初めて小林さんの生産した牛肉を食べた時、涙が出るほど美味しかった。あの味が忘れられません」と佐藤さんは振り返る。小林さんの牛舎で1日、働いたこともある。飯舘村の復興に貢献したい。そこで着目したのがブランド品「飯舘牛」だったという。五月祭では500円で販売。味を比較してもらおうとオージービーフを1枚加えたが、味の違いは明らか。特にばら肉はやわらかく、噛むほどに深みのある味わいが口の中に広がる。思わず御飯が欲しくなる美味しさだ。
 「心を込めて」、「ていねいに」という意味の「までい」。しかし、現在の村政に「までい」の精神は流れているだろうか。先日の住民懇談会で、菅野村長は「避難指示解除は村民のため」と繰り返したが「2017年3月の避難指示解除」はもはや決定事項。帰村ありきの村長からは「ていねいに村民の意見を聴く」という姿勢は見られない。

 五月祭は15日も開かれる。初夏の東大キャンパスで「までい牛」を味わいながら、村民の哀しみや怒りに思いを馳せてはどうだろう。汚染も避難も現在進行形だ。

(了)

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