最新エッセイ | 伴に歩んで

伴に歩んで

ガンと闘った老夫婦の人生日記です。

  

久し振りに懐かしい南海電車の駅で降りた。

退職すると、電車やバスに乗る日常がなくなったうえに、コロナ禍で外出は控えてきたので、この駅に来ることはなかった。今日は所用のため久しぶりに利用したのだ。

数年前まで、駅舎横に熟年のご夫婦が営む小さな「粉もん屋」があった。

粉もん文化全盛の大阪、中でも南大阪にはよくある持ち帰り専門のお好み焼き、焼きそば、たこ焼きを焼く店だ。

優しそうなイケメンのご主人が焼き、「お使い」で来る子供たちには、美人の奥さんが笑顔でタコ焼きを一個添える。いいコンビだ。私も、妻に頼まれて買って帰るようになった。

ある日、私が持ち帰ったお好み焼きの入った袋にタコ焼きの小さなパックが入っていた。他の客のものと間違えたらしい。

「一個なら喜んで頂くけど、八個は多いよ」

 と冗談めかして電話した。翌日行き、代金を払おうとしたが受け取らない。でもそれがきっかけで仲良くなった。

何も買わなくてもときどき立ち寄ってご主人の釣りの自慢話を聞く。泉大津の波止場で釣った立派な太刀魚の刺身を頂くこともあった。釣りが唯一の趣味だと言う。

店横の狭い空き地には花桃の木があり、その根元にはアロエの鉢植えが置いてあった。

「主人がよく火傷をするので」と奥様は笑った。

「じゃ、これも可愛がってください。株分けすれば増えますよ」と、祖母が大切にしていた岩ヒバの鉢を持って行って置いた。冬は、枯れてしまったかのような焦げ茶色だが、春になると見事な緑色に衣替えして夏を迎える。故郷の乾いた山肌に自生していたので、わが家の庭にその子供たちがたくさん増えていた。子供のいないご夫婦だった。

ある日、奥様の姿が見えなかったので、「お二人、仲が良いですね」とご主人を冷やかすと

「そう見えるでしょう。みんなそう言うんです」

微妙な部分だ、と気づいたが遅かった。

ご主人が「私たちもうダメなんです。離婚するんです」と涙ぐんだ。

それでご主人は奥様をまだ愛していることが分かった。

「このお店どうします?」と聞くと、「私が一人で続けます」と寂しそうに言った。

一杯やりませんかと誘うと、下戸だからと断られた。私も彼に聞いてもらいたいことがあったのだ。

「釣りも、家内と心が離れてから覚えた逃避行動なんです」

それを聞くと、私は言葉を継げなかった。

ある日、店に奥さんひとりだったので、「あれ? ご主人は」

と聞くと、

「昨夜ケンカして、飲めないお酒をたくさん飲んで酔いつぶれているんです」と俯いた。

翌年の春、私が退職する日。

帰りに立ち寄った店はいつものようにお二人が忙しく働き、繁盛していた。

妻のリクエストでたこ焼きを少し買い、「近くに来たら必ず寄るね」

というと、

「待っていますよ。顔を見せてくれないとこっちから電話しますよ」と、二人が手を振って送ってくれた。

だが、暫くして立ち寄ると、シャッターが下り「閉店しました。ありがとうございました」という貼り紙があった。電話もなかったことに、私はショックを受けた。だがそれどころではなかったのだろう。夫婦で開いた店を、ご主人一人で続ける理由と気力を失ったのかもしれない。

私もガン闘病中の妻が厳しい状況になり、私が退職して看病することを話さないままになってしまった。ハッピーな定年退職ではなかったのだ。 

数年経った今も、そこはシャッターが閉まったままだった。店の横の空き地には、以前と同じように花桃の木が濃いピンクの花をつけ、根元には割れたアロエの植木鉢が置かれていた。あの岩ヒバはなかった。それだけが救いだった。

 大切な妻をガンで失った今、私に「買って来て」という人はいなくなっていた。店が開いていても、もう買う理由がなくなっていたのだ。お互いに約束は守れなかった。

 

人生にはいろんな出会いがある。

「おばちゃん、ありがと」

楊枝に刺したタコ焼きを口に入れ、お礼を言う子を見守る優しいご夫婦。その光景に入れてもらいたくて私は友人となったのかもしれない。

それ以外の余計なことは、あのとき冷めていくタコ焼きとともに飲み込んで忘れた。

「またね」

シャッターの前で呟くと、春風が花桃の花びらを散らして通り過ぎた。


 

 

 

 

 

上記は、今春、あるエッセイコンクールで入賞した、僕の最新作品です。