それは昨年一月、私が三度目のコロナワクチンを打つ前日のこと。
妻を亡くし、会社勤めの娘と二人暮らしで、毎日私が朝夕の食事を用意する日々。おりしも世間はコロナ禍で大騒ぎだった。
その夜は帰宅した娘の様子が、いつもと少し違った。出勤前に「今夜はカレーうどんが食べたい」とリクエストしたので、熱々のカレーうどんを出してやると、ふうふうズルズルと何も言わずに啜り始めた。
いつもなら、テレビを見ながら何かと話しかけて来る娘だが、その夜は黙って麺を啜るだけ。目線がテレビを見ておらず、手元を見つめながら食べている。
何かあったな。そう思ったが、娘が自分で話すまで黙っていた。私も無言でビールを飲んでいた。だがいつまでも麺を啜る音だけ。
たまらず「なんかあったんか?」と聞く。
だが娘はひたすらカレーうどんをズルズルと啜るだけだ。
「ミスしたんか、それとも嫌なことでもあったんか?」
転職経験のある娘は、私から見て打たれ弱いところもある。私がそう聞くと、やっと顔をあげて
「あのな、私の左に先輩社員が座ってるんやんか(ズルズル)」
「どしたん、やなこと言われたんか?」
「ちゃう。いい人やわ(ズルズル)」
ようやく話す気になったようだ。
「その人な、お昼から熱があるみたいやと言うてな、早退しやはってん(ズルズル)」
「それで?」
「それだけや(ズルズル)」
「なんじゃそれ。お前に熱があるわけやないんやろ?」
「私はまだなんともない。でもな、その人がもしコロナ陽性やったら、私も感染してる可能性が高いやろ。それでお父さんに移したらえらいことになる。持病のある高齢者は命に係わるって、テレビで言うてたやんか」
今では危機感も多少薄れたが、当時は身近に発熱者が出ただけで大騒ぎになっていた。しかもこの時期、コロナに感染して全身状態が悪化し、コロナ以外の死因で亡くなる高齢者が増えたようだと専門家は語っていた。
「だからいま、お父さんとできるだけ会話せんようにしてんねん(ズルズル)」
そういうことかと、やっとわかった。しかもうどんを啜りながら、娘はなんと目を潤ませていた。「ズルズル」は零れ落ちようとする何かをごまかしていたのか。
三十歳を超えていても二人きりでも、娘は私に優しい言葉はかけない。それは彼女がシャイだからだ。私はわかっていた。
普段は私を「ハゲ」とか「ボケてんの?」とからかっていても、それは娘の愛情表現なのだ。そして今日は、高齢の父がとても心配だと初めて口にしたのだ。
「家族やから、もし感染してしもたらそれはそれでしゃあないやんか。お父さんは明日ワクチン打つし、大丈夫や」
「でも抗体できるまで一週間はかかるんやろ(ズルズル)」
娘はよく知っている。
「そやな。その間に移ったらしゃあないな。よく食べてよく寝て、免疫上げとかんと」
「うん。でも私が移したくはないから」
「お父さんはガンでもコロナでも怖くないで。いつでも覚悟はできてる」
妻はガンと壮絶に戦い、三年前に人生を終えていた。娘はその悲しみに耐え、口にはしないが寂しさを我慢していた。
「そんなん、いやや。(ズルズル)」
父にまで何かあるとどうしよう、と心配しているのだ。
「言うだけや。大丈夫や。そんな心配せんとしっかり食べなさい」
「わかった(ズルズル)。お父さん、カレーうどん美味しいわ」
「そやろ。それをはよ言え」
やっと娘に笑顔が戻った。母の闘病を思い出し怖くなったのだろう。だがそのとき、私は私で別の思いが沸いていた。
少し前、娘が旅行に出かけたとき、私も苦手な料理から解放されると喜んだ。だが一人になるとふと思った。娘がいないと、どれほど自堕落に暮らしていようが誰にも文句を言われない。朝寝坊して何もせず、昼酒を飲んで酔いつぶれていても構わない。しかしそれではすぐに体を壊すかボケてしまうだろう。
娘の存在が、ややもすればいい加減なほうに流れやすい私を引き留めてくれていることに気付いたのだった。私にも何か熱いものがこみ上げてきた。
「これが好きなんや」
そう言いながら娘は、箸でカレーの沁みたお揚げさんを摘まんで微笑んだ。