総武緩行線で御茶ノ水へ。
雨の中を、「旅と鉄道増刊「種村直樹の鉄道旅行術」発刊記念スペシャルトークショー」を目指して書泉グランデにたどり着くのだが、壁に貼られた案内を見てみると、9Fイベントスペース、とある。さて、9階にはどう行けば良いのだろうか、と思ったところで、書泉グランデではなく、秋葉原にある書泉ブックタワーの方が会場だったことに気づく。
御茶ノ水駅へ戻って、総武緩行線で秋葉原へ。
書泉ブックタワーのエレベーターで9階に行くと、右側の方に案内があり、その前に二人が並んでいるように立っているので、その後ろへと続く。
しばらくして開場となった。10人程度しかおらず、大丈夫かと思っていたら、開演前には40人ほどで、座席がほぼ埋まった。客層を見ると、ほとんどが種村直樹友の会会員のように見えるのは気のせいか。
12時に開始。
第一部
ゲスト:伏見ひかり・辻聡
ひかり:家での種村は、うるさいが、仕事のことはあまり言わない
辻:出会いは「周遊券の旅」巻末の住所へ手紙を出したらすぐに返事があったのをきっかけに
辻:酒を飲んでもしゃきっとしていた
辻:一緒に風呂に入ったら、足の爪の切り方が悪いと言って、ペンチで切る爪切りをくれた
辻:種村は切符を煙草の箱に入れて、箱毎捨ててしまい、切符を無くすことがあった
辻:旅先で道などを地元の人に尋ねた時「ありがとうございます」の言葉が自然と出ていた
辻:大学の終わり頃にオイルショックがあったので、物書きへの道は諦めて、一般企業へ就職
ひかり:外周の旅で同行したのは病後の伊豆大島ぐらい
辻:種村からは、原稿用紙の使い方や、原稿は消えないペンで書いて文章は直さないようにする、電話の掛け方と言ったビジネスマナーを学んだ。若い人にも、そのような問題意識を持ってもらいたい
司会:1991年に起こった信楽鉄道事故の対する種村の記事には、鉄道ジャーナリストならではのものを感じた
第二部
ゲスト:富田康博・栗原景
栗原:仕事は規則正しく、原稿の執筆は早かった
富田:国鉄の運賃制度には詳しかった
富田:カップ酒「菊水」を勧められた
富田:新聞記者特有の速記のような文字
富田:事務所で原稿を渡され、その場で目を通すようになっていた。企画と違う部分があれば、書き直していた。
富田:オンオフのスイッチがきっちりしていた
栗原:5年アルバイトをしたうちの最初の2年は怒られることが多かった
栗原:「鉄道旅行術」の最長片道切符の距離を3回計算して合わなかった時には怒られた
栗原:読者からの手紙は、京大カードへ、住所と日付、返事の内容を書いた
富田:京大カードに、行程を書いていた。列車の時刻だけでなく、自宅からタクシーに乗った時刻や、列車番号なども
富田:種村と宮脇の両方と仕事をした(「旅客規定」を持っていたので、中央書院の社員だった模様)。種村は明るく、宮脇は、静かに、ぼそぼそと。
富田:種村ひかりと宮脇灯子が同じ年に就職活動をし、両方の親から、もし駄目だったら御社にと言われていた
富田:友の会の定例会は、替え歌「どん行列車」でお開き。その時点では酔っぱらっていて、カメラマンの山崎友也と取っ組み合いをしていたりした
司会:今後の鉄道ブームの方向性は?
栗原:鉄道の楽しさを広い層に分かりやすく
富田:鉄道を使った旅の楽しみを伝える
富田:長旅の終わり頃になると、持っていたビール缶をこぼしそうになるが、同行の編集者が押さえようとすると、手を引っ込める。慣れた編集者は、味見をさせてくださいと言って受け取る
栗原:長旅の終わり頃には、なんだか分からない鼻歌を歌っていた。バス停でバスが来ない時は「バスが来ない」というオリジナルソングを歌った
富田:機嫌が良い時、悪い時と、機嫌にあった感じの鼻歌だった
富田:駅前に郵便局を見つけて、列車本数が少ない路線なのに、突然降りると言い出すことがあった。予定より1本遅れることになったが、なんとかなった
富田:バス旅の本を出した時には、気まぐれの行程ではなかったので、タイトルを「気まぐれ「ず」」として欲しいと言われた
富田:福知山脱線事故では、献花をしに行き、肩を震わせていたのを見て、人間的な魅力を感じた
栗原:仕事は命令形で教えられたことはなく、筋の通った種村の行動を見て、そのスタイルから学んだ
第三部
ゲスト:伏見ひかり・岩野裕一(実業之日本社)
岩野:中学1年の時に、「鉄道旅行術」にあった住所へ手紙を出し、返事をもらった
岩野:種村の大学の同級生であるタマキがボランティアで友の会を始めた
岩野:種村を交えてのおしゃべり会なども開かれた
ひかり:中学の時に、友の会と奥多摩へバーベキューに行ったことがある。岩野は高校の制服でやってきた
岩野:友の会の中でも、交流は広まった
岩野:読者への手紙を書きつづけたことだけでも偉大
ひかり:自宅と仕事場は離れていたので、仕事の姿はあまり見なかった
岩野:就職活動に失敗し、そのことを明るめに種村に言ったところ、人生を舐めていると往復ビンタを食らった。実業之日本社を受けて筆記試験が通ったと種村に伝えたところ、種村は会社に行って、役員に岩野のことを頼むと頭を下げたと、後に会社の人から聞かされた
岩野:部署移動などもあって、一緒に仕事をしたのは入社10年目。書籍は出すことはなかった
ひかり:家族旅行はほとんどなく、京都への帰省ぐらい。新幹線の車内では、種村はマナーの悪い子がいると怒鳴っていたため、そうならないかと冷や冷やしていた
岩野:メモを取り続けていた
岩野:趣味と仕事を両立させ、オンもオフも一緒。鉄道がライフワーク
岩野:会員へは、厳しくも愛情があった。小うるさい。マナーや社会的常識に厳しい。コミュニティを作るためのマナー教育だった
ひかり:ひかりとの名前は、名前を覚えてもらいやすく、気に入っている
岩野:奥さんの存在なくしては、レールウェイライターは無かった
第四部
クイズ大会
1等:ワシントンホテル鉄道ルーム宿泊券、2等:友の会10周年記念Tシャツ(未開封)、株式会社赤い電車による京急グッズ7点
三択によるクイズ問題
1、種村が生まれた1936年に走っていた特急は?
2、出身大学と学部は?
3、レールウェイライターになる前の職業は(この問題は簡単過ぎるということで飛ばした)
4、最初の著書は?→「ミニ周遊券とお寺の旅」
5、国鉄完乗となった駅は→盛駅
6、その前の、完乗予定駅は→松葉駅
7、1983年に私鉄完乗に際しての失敗は→島原駅と島原外港駅を間違えた
8、一番多くの著書を出している出版社は→実業之日本社、24冊(ここで残り2名)
9、次のうち実在しない書名は?(両者外れ)
10、5日2万円18きっぷの旅の結論は?(両者外れ)
11、最長片道切符で、家からの緊急連絡をしてきた国鉄職員が、種村のよく場所が分かりましたね、との言葉に対して言ったことは?→これが組織というものです(これで優勝者決定)
残りの賞品を巡って、再度、全員で三択問題
12、辻聡が、種村から北海道気まぐれ旅の元となった話を聞いた時に乗っていた特急は?
雨の中を、「旅と鉄道増刊「種村直樹の鉄道旅行術」発刊記念スペシャルトークショー」を目指して書泉グランデにたどり着くのだが、壁に貼られた案内を見てみると、9Fイベントスペース、とある。さて、9階にはどう行けば良いのだろうか、と思ったところで、書泉グランデではなく、秋葉原にある書泉ブックタワーの方が会場だったことに気づく。
御茶ノ水駅へ戻って、総武緩行線で秋葉原へ。
書泉ブックタワーのエレベーターで9階に行くと、右側の方に案内があり、その前に二人が並んでいるように立っているので、その後ろへと続く。
しばらくして開場となった。10人程度しかおらず、大丈夫かと思っていたら、開演前には40人ほどで、座席がほぼ埋まった。客層を見ると、ほとんどが種村直樹友の会会員のように見えるのは気のせいか。
12時に開始。
第一部
ゲスト:伏見ひかり・辻聡
ひかり:家での種村は、うるさいが、仕事のことはあまり言わない
辻:出会いは「周遊券の旅」巻末の住所へ手紙を出したらすぐに返事があったのをきっかけに
辻:酒を飲んでもしゃきっとしていた
辻:一緒に風呂に入ったら、足の爪の切り方が悪いと言って、ペンチで切る爪切りをくれた
辻:種村は切符を煙草の箱に入れて、箱毎捨ててしまい、切符を無くすことがあった
辻:旅先で道などを地元の人に尋ねた時「ありがとうございます」の言葉が自然と出ていた
辻:大学の終わり頃にオイルショックがあったので、物書きへの道は諦めて、一般企業へ就職
ひかり:外周の旅で同行したのは病後の伊豆大島ぐらい
辻:種村からは、原稿用紙の使い方や、原稿は消えないペンで書いて文章は直さないようにする、電話の掛け方と言ったビジネスマナーを学んだ。若い人にも、そのような問題意識を持ってもらいたい
司会:1991年に起こった信楽鉄道事故の対する種村の記事には、鉄道ジャーナリストならではのものを感じた
第二部
ゲスト:富田康博・栗原景
栗原:仕事は規則正しく、原稿の執筆は早かった
富田:国鉄の運賃制度には詳しかった
富田:カップ酒「菊水」を勧められた
富田:新聞記者特有の速記のような文字
富田:事務所で原稿を渡され、その場で目を通すようになっていた。企画と違う部分があれば、書き直していた。
富田:オンオフのスイッチがきっちりしていた
栗原:5年アルバイトをしたうちの最初の2年は怒られることが多かった
栗原:「鉄道旅行術」の最長片道切符の距離を3回計算して合わなかった時には怒られた
栗原:読者からの手紙は、京大カードへ、住所と日付、返事の内容を書いた
富田:京大カードに、行程を書いていた。列車の時刻だけでなく、自宅からタクシーに乗った時刻や、列車番号なども
富田:種村と宮脇の両方と仕事をした(「旅客規定」を持っていたので、中央書院の社員だった模様)。種村は明るく、宮脇は、静かに、ぼそぼそと。
富田:種村ひかりと宮脇灯子が同じ年に就職活動をし、両方の親から、もし駄目だったら御社にと言われていた
富田:友の会の定例会は、替え歌「どん行列車」でお開き。その時点では酔っぱらっていて、カメラマンの山崎友也と取っ組み合いをしていたりした
司会:今後の鉄道ブームの方向性は?
栗原:鉄道の楽しさを広い層に分かりやすく
富田:鉄道を使った旅の楽しみを伝える
富田:長旅の終わり頃になると、持っていたビール缶をこぼしそうになるが、同行の編集者が押さえようとすると、手を引っ込める。慣れた編集者は、味見をさせてくださいと言って受け取る
栗原:長旅の終わり頃には、なんだか分からない鼻歌を歌っていた。バス停でバスが来ない時は「バスが来ない」というオリジナルソングを歌った
富田:機嫌が良い時、悪い時と、機嫌にあった感じの鼻歌だった
富田:駅前に郵便局を見つけて、列車本数が少ない路線なのに、突然降りると言い出すことがあった。予定より1本遅れることになったが、なんとかなった
富田:バス旅の本を出した時には、気まぐれの行程ではなかったので、タイトルを「気まぐれ「ず」」として欲しいと言われた
富田:福知山脱線事故では、献花をしに行き、肩を震わせていたのを見て、人間的な魅力を感じた
栗原:仕事は命令形で教えられたことはなく、筋の通った種村の行動を見て、そのスタイルから学んだ
第三部
ゲスト:伏見ひかり・岩野裕一(実業之日本社)
岩野:中学1年の時に、「鉄道旅行術」にあった住所へ手紙を出し、返事をもらった
岩野:種村の大学の同級生であるタマキがボランティアで友の会を始めた
岩野:種村を交えてのおしゃべり会なども開かれた
ひかり:中学の時に、友の会と奥多摩へバーベキューに行ったことがある。岩野は高校の制服でやってきた
岩野:友の会の中でも、交流は広まった
岩野:読者への手紙を書きつづけたことだけでも偉大
ひかり:自宅と仕事場は離れていたので、仕事の姿はあまり見なかった
岩野:就職活動に失敗し、そのことを明るめに種村に言ったところ、人生を舐めていると往復ビンタを食らった。実業之日本社を受けて筆記試験が通ったと種村に伝えたところ、種村は会社に行って、役員に岩野のことを頼むと頭を下げたと、後に会社の人から聞かされた
岩野:部署移動などもあって、一緒に仕事をしたのは入社10年目。書籍は出すことはなかった
ひかり:家族旅行はほとんどなく、京都への帰省ぐらい。新幹線の車内では、種村はマナーの悪い子がいると怒鳴っていたため、そうならないかと冷や冷やしていた
岩野:メモを取り続けていた
岩野:趣味と仕事を両立させ、オンもオフも一緒。鉄道がライフワーク
岩野:会員へは、厳しくも愛情があった。小うるさい。マナーや社会的常識に厳しい。コミュニティを作るためのマナー教育だった
ひかり:ひかりとの名前は、名前を覚えてもらいやすく、気に入っている
岩野:奥さんの存在なくしては、レールウェイライターは無かった
第四部
クイズ大会
1等:ワシントンホテル鉄道ルーム宿泊券、2等:友の会10周年記念Tシャツ(未開封)、株式会社赤い電車による京急グッズ7点
三択によるクイズ問題
1、種村が生まれた1936年に走っていた特急は?
2、出身大学と学部は?
3、レールウェイライターになる前の職業は(この問題は簡単過ぎるということで飛ばした)
4、最初の著書は?→「ミニ周遊券とお寺の旅」
5、国鉄完乗となった駅は→盛駅
6、その前の、完乗予定駅は→松葉駅
7、1983年に私鉄完乗に際しての失敗は→島原駅と島原外港駅を間違えた
8、一番多くの著書を出している出版社は→実業之日本社、24冊(ここで残り2名)
9、次のうち実在しない書名は?(両者外れ)
10、5日2万円18きっぷの旅の結論は?(両者外れ)
11、最長片道切符で、家からの緊急連絡をしてきた国鉄職員が、種村のよく場所が分かりましたね、との言葉に対して言ったことは?→これが組織というものです(これで優勝者決定)
残りの賞品を巡って、再度、全員で三択問題
12、辻聡が、種村から北海道気まぐれ旅の元となった話を聞いた時に乗っていた特急は?