駿河の国で寄り道(53)「新通・駿府96ケ町(11)」 | れいんぼうの部屋

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釣り以外の記事の方が増えています。

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今回のテーマは「駿河の国の見どころ」。

 

「駿河の国の見どころ」では「駿府96ケ町」を巡っている。

 

 

今回は「駿府96ケ町」の「新通」周辺を探索してみる。

 

大御所となった徳川家康が駿府城の改修と町づくりのために呼び寄せた職人や商人を区画ごとに住まわせた96区画の街並みを「駿府九十六ヶ町」と呼んだ。

 

 

「96ケ町」には静岡市の文化財課が、各町内へ「町名碑」の設置を進めている。

 

 

〇「新通」の町名碑

 

石碑は「新通三丁目」と書いてある。

 

説明書きを読む。

駿府96ケ町のうち
「新通一~七丁目」(しんとおり)
江戸時代のはじめに徳川家康公が駿府城下の町づくりを行った際、現在の本通り筋に替えて幅5間(約9m)の東海道の新しい道筋が設けられました。新しい通りに沿って町並みが形づくられ、「新通」という城下町のひとつが生まれたのです。
当時は、新通一丁目が一から五丁目に、そして新通二丁目が六、七丁目に分かれていました。
ここは、当時の新通二丁目にあたります。新通二丁目は、町づくりに伴って上大工町の大工が移り住んできたことから、新通大工町という別の町名でも呼ばれていたようです。
その他の町も一丁目は旅篭町、三、四丁目は馬喰町、五、六丁目は笠屋町、七丁目は大鋸町というそれぞれの町の特徴を示したもうひとつの町名を持っていました。

 

 

〇新通の説明文にある地図

 

旧東海道を整備するにあたって家康は、それまで「本通り」にあった往還道を100mほど南へ付け替え、

新しくできた道を、その名も「新通り」と名付けた。

 

新しく「新通り」沿いに栄えた町を「新通」と言い「96ケ町」の一つになった。

 

 

 

また、「新通り」と「本通り」に挟まれた裏道に「毛皮町」という町名があって「96ケ町」の一つになっている。

 

「新通」の町名碑の説明文にあった地図にも記されているが、新通五丁目のあるピンクの枠から出た所に「法栄寺」がある。

 

「法栄寺」の所在地は「毛皮町」だった。

 

 

〇毛皮町の町名碑は見つからなかった。

 

〇毛皮町(法栄寺)

 

〇毛皮町(中心になる道)

 

坤櫓前の中堀端にある古地図モニュメントに、毛皮町の文字を見ることが出来た。

 

〇古地図モニュメントの「毛皮町」部分

 

皮革を使った武具を作る職人が住んでいたから付けられた町名。

 

「毛皮町」があった区域は現在、路地裏の住宅地といった様子になっている。



 

次回は「安倍川町・川越町」周辺を訪ねる。