駿河の国で寄り道(8)駿河七観音「霊山寺」 | れいんぼうの部屋

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釣りの記事をメインにしようと思っていましたが
釣り以外の記事の方が増えています。

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2022年4月から駿府周辺の旧東海道を撮りためた写真で振り返った。

2月からは旧東海道にこだわらずに「駿河の国で寄り道」に趣向を変えている。
 

 

今回は「駿河七観音」の「霊山寺」を訪ねる。

 

「駿河七観音」は前回に訪ねた「葵区足久保」にある「法明寺」から物語が始まった。

718年(723年と書かれた資料もある)に聖武天皇が18歳の皇子だった頃、重病になった。

東国にある「楠の大木」を観音菩薩として刻み、これを7つの寺に安置し病気回復を祈願するようお告げがあった。

当時全国行脚の修行をしていた「行基」大僧正を駿河国へ向かわせ、法明寺境内の高さ50mを越えるクスノキの巨木から七体の観音菩薩像を彫った。

最初の1体を平澤寺に、他の6体を駿河国安倍郡の6つの寺(法明寺、増善寺、霊山寺、徳願寺、建穂寺、鉄舟寺)に安置し、王子の病気回復を祈願したところ皇子は快復した。

 

〇駿河七観音(安部七観音)

布袋山平沢寺  真言宗  駿河区 平沢
高福山法明寺  曹洞宗  葵区  足久保 (もと真言宗)
慈悲山増善寺  曹洞宗  葵区  慈悲尾 (もと真言宗 慈悲寺)

鷲峰山霊山寺  真言宗  清水区 大内

大窪山徳願寺  曹洞宗  駿河区 向敷地 (もと真言宗 大窪寺(だいあじ))
補陀落山鉄舟寺 臨済宗  清水区 村松  (もと駿河区根古屋の久能山にあった真言宗 久能寺)

瑞祥山建穂寺 (真言宗) 葵区  建穂


 

北街道を東に向かい「瀬名」「鳥坂」を抜けると山の中腹に「霊山寺」が見える。

 

〇霊山寺

 

北街道から500mほど入ると「霊山寺御朱印所」と書かれた看板が民家の前に掲げられている。

 

〇御朱印所

 

〇「霊山寺」の案内石柱を頼りに進む。

 

〇霊山寺周辺の案内看板が立っている。

説明文も書かれていたので読む。(概略)

鷲峰山霊山寺は、奈良時代に創建された古刹。

仁王門の創建は1516年。

今川氏親の家臣朝比奈氏によって作られたと推察される。

霊山寺は昔から雨乞観音といわれている。

本堂の再建は1756年。

 

 

霊山寺の本堂は標高150mの山の中腹にある。

 

〇登り口

案内板を読みます。
霊山寺(登り約15分)
行基の開山で、仁王門は1516年に建てられ国の重要文化財で仁王は江戸時代の作。
本堂の鰐口は県文化財。千手観音は行基の作で安置されている

 

 

「一丁目」から始まる石柱が登る苦労から参拝者を励ましてくれる。
 

〇一丁目の石柱

 

10分ほどがんばって登ると仁王門が見えてくる。
あともう少し。

 

〇仁王門

 

「重要文化財 霊山寺仁王門」と彫られた石碑が立っている。
「五丁目」の石柱も立っていた。

 

 

霊山寺仁王門の説明看板を読む。
<国指定重要文化財>

この仁王門は1516年2月に建立された。

柱は、法隆寺金堂の如く、中央に膨らみを持たせ上部がやや細くしている。
中央通路上部の蛙股は、日本に3つしかないと言う特異な型。

 

〇鐘楼・梵鐘

鐘楼に説明書きがあった。
この鐘楼は明治21年に再建されたもので梵鐘は1691年山麓の鐘鋳場で作られた。

太平洋戦争の際供出されて、現存の梵鐘は昭和54年3月檀家・篤志家により新鋳奉納されたもの。

 

〇本堂

本堂には拝殿のようなスペースがあった。

説明看板を読む。(概略)
霊山寺本堂・天井龍図
鷲峰山霊山寺は749年の開山、駿河7観音の1寺。
幾度か改築再建され、1756年の再建。

上部の「虹梁」「梁桁」「束柱」等の彫刻に丹碧の彩色の跡も見られる。

本堂天井には、雄渾な筆致で墨絵の龍が描かれており、1819年山梨鶴山39歳の作。

本尊開帳は15年毎

 

〇仮の千手観音?

 

 

〇本堂の裏に「霊山寺 本坊」があった。

普段は無人の様子。

 

 

今回は「駿河七観音」の「霊山寺」を訪ねた。

 

次回「駿河の国で寄り道(9)」では「徳願寺」を訪ねる。