駿河の国をwebで歩く(79)「蒲原宿その6」 | れいんぼうの部屋

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釣りの記事をメインにしようと思っていましたが
釣り以外の記事の方が増えています。

「仲間の釣行記録」の見出しURLです。カット&ペーストで
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「東海道まちあるきweb」の古地図を使って現代の静岡をwebでバーチャル散歩。

 

***古地図は次のサイトを開いて見ている***
「東海道まちあるきweb」(https://tokaido-guide.jp/about)
は「静岡市観光・MICE推進課」と「藤枝市街道・文化課」が作成。

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上の古地図のリンクを開いて、「蒲原宿編」を選択して散歩する。
 

 

前回は「蒲原宿」から「蒲原城」「御殿山」へ寄り道した。

 

今回は「蒲原宿」の「東木戸」から富士川方面へ進む。
 
 
日経金放水路の東にある「東木戸の跡」からスタート。
 
〇東木戸


東木戸の横に階段があって、登ると諏訪神社がある。
 
〇諏訪神社

由緒が書いてあったので読む。(概略)
諏訪神社は平安時代後期に前吹上の丘六本松附近に建てられた御宮に始まる。
当時五見坂附近は六本松の辺りまでなだらかな丘陵が続き、すぐ東側に富士川の本流が流れていた。
富士川の水害から逃れようとして、長野県上諏訪大明神の御分霊を勧請した。
その後も富士川の水害は度重なり、折角造営した御宮も流出の危険に迫られ、1621年現在の地に遷座。
1854年の安政の大地震による山崩れの為め押出され現在の場所に転座した。


急な階段を登ると社がある。

〇諏訪神社


100m足らず東に蒲原城主だった北条新三郎の墓がある。
 
〇北条新三郎の墓

入口を案内する看板が立っている。

〇北条新三郎の墓
細い道を登るとほどなく鬱蒼とした林の中に北条新三郎の墓があった。
蒲原城址の説明看板が立っているので読む。(概略)

蒲原城は、蒲原丘陵から孤立した城山層を要塞化した山城で、築城時期は室町時代の前期。
特定の城主はなく、戦乱の折城代、城番が置かれた。

1441年但馬守範里から1569年北条新三郎まで本郭を守ってきたが、1569年武田氏の攻撃にあい落城、蒲原城は武田方に移る。
1582年徳川勢による落城まで武田氏の治下にあった。

1590年3月、小田原征伐の折徳川勢の着陣を最後に廃城となった。


 
「北条新三郎の墓」の入口の向かいに祠が民家の脇に建っている。
「一里塚」があったことを記念した祠と石碑。
 
〇蒲原宿一里塚

説明看板を読む。(概略)
一里塚は、1699年の大津波で流出し、現在の一里塚は宿場の移転にともなって移された。
当時のおもかげはなく、今は小さな祠が残っている。


古地図を見ると「一里塚」を過ぎると間もなく「谷津沢」を越える。
 
名もない水路があったので「?」と、名前がわかる所を探して水路を下ってみるとJR東海道線の踏切の名に「八ツ沢踏切」の文字を発見。
「谷津沢」は、現在小さな水路になっていた。

 
旧東海道は一里塚から200m足らずで山側に左折する。
 
〇蒲原旧道

 
 
旧東海道を進む前に寄り道する。
 
 
直進して50m先で県道に出会う。
 
県道に出て100m。
 
左側に碑と五輪が並んでいる「義経硯水」という史跡。
 
〇義経硯水

石碑に説明が書かれているので読む。(概略)
1174年に源義経が東に下る時に菩提所の涌き水を使って蒲原神社へ奉納。
義経の文を読んだ愛知県矢作の長者の娘浄瑠璃姫は義経を慕い奥州へ向かう途中に病で倒れこの地で亡くなった。
その時以来涌き水が義経硯水と言われるようになった。
1654年に供養塔が建てられた。
その後1817年に地蔵尊が建てられ、「いぼ神様」として尊ばれた。
 
「義経硯水」から300mほど東進して右折。
「JR東海道線」の上を跨いで下った「新栄六本松公園」に「浄瑠璃姫の碑」がある。
 
古地図にも「浄瑠璃御前古跡、六本松」が当時の富士川の流れのそばに描かれている。
 

先ほどの「旧東海道」の交差点まで戻る。
 
旧東海道は90度北へ曲る。
間もなく「佛身山 海前院 光蓮寺」がある。
 
〇光蓮寺

 
光蓮寺は江戸時代の初期に開山した。
 
浄瑠璃姫を供養している寺。


〇旧道の坂

街道らしくない住宅地に入ったような急な坂を登る。


坂を登りきったところで道は東名高速道路の上を橋で渡る。
 
〇旧東海道
橋を渡って右に曲がる。
 
道は東名沿いに進んだ後、下りながら徐々に離れていく。
 
このあたりから蒲原から富士市へと入る。


 
今回は「蒲原宿」を出て東へ進み「静岡市」の東端まで来た。
この先は「富士市」になる。
 
「東海道まちあるきweb」の古地図も富士市はカバーしていないのでここでこの旅が完結する。

 

「蒲原宿」の古地図が終わったが、ここまで来たので富士川まで行ってみる。


次回は旧富士川町の「富士市岩淵」まで旧東海道を進む。

 

 

*******参考*******
「駿河の国 東海道 (見て歩き)」(http://www7b.biglobe.ne.jp/~rainbowhp/tokaido/tokaido01.htm)
は私が10年ほど前に作った静岡市を中心に東海道周辺の写真を集めたまち歩きのサイトです。
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