駿河の国をwebで歩く(78)「蒲原宿その5」 | れいんぼうの部屋

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釣りの記事をメインにしようと思っていましたが
釣り以外の記事の方が増えています。

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「東海道まちあるきweb」の古地図を使って現代の静岡をwebでバーチャル散歩。

 

***古地図は次のサイトを開いて見ている***
「東海道まちあるきweb」(https://tokaido-guide.jp/about)
は「静岡市観光・MICE推進課」と「藤枝市街道・文化課」が作成。

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上の古地図のリンクを開いて、「蒲原宿編」を選択して散歩する。
 

 

前回は「蒲原宿」の「東木戸」まで散策した。

 

今回は「蒲原宿」から「御殿道」へ入ってみる。
 
 
「蒲原宿」の「柵町」に「御殿道」の道標が道路わきに立っていて、「御殿道跡」の看板がある。
「柵」は「しがらみ」と読み、現在「蒲原3丁目」の一部になる。

〇御殿道跡
写真を撮ってから10年以上経って、看板の立っている「柵町会館」の建物は現在、駐車場になっている。
説明看板を読む。(概略)
このあたりに「蒲原御殿」があった。
武田氏を攻めて帰る織田信長を慰労するために徳川家康が建てた。
二代将軍秀忠、三代将軍家光が東海道を往来するたびに拡張、整備され、規模も大きくなった。
御殿の正確な位置はわからないが、このあたり一帯の相当広い地域を占めていた。
背後の山を「御殿山」。ここから下る道を「御殿道」と呼んでいる。
1634年の家光上洛以降、「蒲原御殿」は使用されなくなった。
 
「御殿道」の道標から山側には道が無いのでここから山側に「蒲原御殿」があったのだろう。
御殿は1600年代に無くなって、1700年代に作成されたこの古地図では描かれていない。
 
 
旧東海道を東へ100m進んだ信号を山側に入ると「御殿山」「蒲原城址」へと行ける。

信号から150mほどで東名高速道路をくぐる。
城山配水場を大きく回り込みながら坂を登る。
 
信号から約800m。
坂を上り切った所に小さな駐車場がある所が入口だった。
 
駐車場から徒歩で登ると看板があった。


〇市指定史跡 蒲原城址の絵図
 
 

由来の説明を読む。(概略)
蒲原城は、蒲原丘陵から孤立した城山層を要塞化した山城で、築城時期は室町時代の前期。
特定の城主はなく、戦乱の折城代、城番が置かれた。
1441年但馬守範里から1569年北条新三郎まで本郭を守ってきたが、1569年武田氏の攻撃にあい落城、蒲原城は武田方に移る。
1582年徳川勢による落城まで武田氏の治下にあった。
1590年3月、小田原征伐の折徳川勢の着陣を最後に廃城となった。
 
所々に城の名残りが見られ、標示板があったりする。
 
〇大空掘


〇八幡宮道

「山城八幡宮道」と彫られた石碑が苔むしている。
城へ向かう道は八幡宮の参道となっている。
 
〇鳥居

頂上には八幡宮がある。
鳥居の脇には「史跡 蒲原城址」の石碑や「本郭 南曲輪」の標示板が立っていた。
 
城を建てるに適した広々した境内。
 
〇城山の布橋桜

お宮の前に桜の説明書きがあった。
蒲原城跡裏手の山肌にひっそり佇むこの桜は、幹周が胸高2.5m、樹高15m、推定年齢は200年。
蒲原で最も大きな桜と云われている。

 
本郭の周辺は1段下がった段が取り巻いている。
 
〇本郭

写真はお宮の西側から南方面を見たもの。
 
 
お宮は一段高い所にある。
城が建っていたのがここなのだろうか。

〇八幡宮 本殿

本殿のはるか向こうに富士が見える。
 
 
〇善福寺曲輪

広場は善福寺曲輪。
 
〇本郭
[本郭]

お宮の東側。


本郭を後にして善福寺曲輪へと向かうことにした。
櫓が正面に見える。
 
櫓は最近の建築だが、雰囲気が感じられて楽しい。
櫓の下の角には大きな石が転がっていた。
石積みが崩れたものだろうか。
本郭の急斜面と善福寺曲輪を分かつ「堀切」がはっきり残っている。
 
〇善福寺曲輪

善福寺曲輪も急傾斜面に囲まれている。
櫓の近くに説明板があったので読む。(概略)
本城(本曲輪)を守るための最後の曲輪として築かれた。
1569年に今川氏の要請でこの城を守っていた北条新三郎と駿河侵攻をねらう武田勝頼との間ではげしい戦いがあった。


蒲原城を後にして、通りまで戻り、北へ250mほど進むと善福寺の集落がある。
民家の玄関に「善福寺禅寺」と書かれた石碑が立っていた。

右に曲がり狼煙場へ向かう。
坂を登って行くと石碑と看板が立っている。

〇観音穴

観音穴の説明看板を読む。

〇観音穴

説明看板を読む。(概略)
観音穴は「カンカン穴」とも呼ばれている。
岩場を切り抜いたトンネルの入り口には1665年建立の「南無阿弥陀佛」という石碑がある。
トンネルの左手には三つの石窟とともに石仏が並ぶ。
トンネルの奥にも、同じように石窟があり、石仏がある。
山の登り口には、「奥の院これより5丁享保12丁未(1727)2月日建立」という道標があり、常楽寺の奥の院。
  
〇案内板

車道と山道の分岐点に蒲原保健休養林案内図が立っていた。
休養林の案内図なのに道の案内ばかりで、どこがその林なのか分からなかった。
 
 
〇御殿山遊歩道

東海自然歩道バイパスコース(蒲原コース)
 
狼煙場の広場のトイレの前に遊歩道の案内看板がある。
 
〇狼煙場
説明看板を読む。(概略)
この地は狼煙場と呼ばれ、昔より蒲原城の東北方面を補強するための物見台、危急を知らせる狼煙台が置かれた。
物見台に立つと蒲原城の全体が眼下に、遠く富士川河口から沼津、伊豆内浦方面、北は富士山麓一帯が展望でき、戦国時代の様子を思い描くことが出来る。  
 
狼煙場に物見台が立っているので登ってみる。
 
〇物見台

富士川の河口がよく見える。

〇物見台からの富士山
 
 
〇御殿山広場

狼煙場から少し下った所に広場がある。
この広場からも富士川の河口がよく見える。
広場から遊歩道がでていて桜の名所になっている。
 
〇八坂神社

御殿山遊歩道を下りていくと途中にアスレチック、すべり台、桜吊り橋があり、遊歩道は八坂神社へと向かうことができる。
桜の季節には花見客で賑わう。残念ながら訪れた時期は遅れて葉桜になった頃だった。
 
 
今回は「御殿道跡」を出発して、「蒲原城址」と「御殿山公園」を巡り西本陣近くの八坂神社まで戻るといった行程。

遊歩道が多いので距離はよくわからないが4kmほどの行程だ。
できたら桜の時期が楽しそうだが、人も多く賑やか過ぎるのかもしれない。
 
 

次回は「蒲原宿」の「東木戸」から旧東海道を進む。

 

 

 

 

*******参考*******
「駿河の国 東海道 (見て歩き)」(http://www7b.biglobe.ne.jp/~rainbowhp/tokaido/tokaido01.htm)
は私が10年ほど前に作った静岡市を中心に東海道周辺の写真を集めたまち歩きのサイトです。
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