駿河の国をwebで歩く(48)「府中・南長沼村・北長沼村」 | れいんぼうの部屋

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釣りの記事をメインにしようと思っていましたが
釣り以外の記事の方が増えています。

「仲間の釣行記録」の見出しURLです。カット&ペーストで
https://ameblo.jp/rai-trout/theme-10112228739.html

「東海道まちあるきweb」の古地図を使って現代の静岡をwebでバーチャル散歩。

 

***古地図は次のサイトを開いて見ている***
「東海道まちあるきweb」(https://tokaido-guide.jp/about)
は「静岡市観光・MICE推進課」と「藤枝市街道・文化課」が作成。

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上の古地図のリンクを開いて「府中宿」を選択して散歩する。
 

今回は「南長沼村」の続きと「北長沼村」へ進む。

 

前回は古地図にある「府中宿」の「柚木村」と「南長沼村」に入った周辺を巡った。

 

旧東海道を「柚木」から「長沼」へ進むと静岡鉄道の線路がすぐ隣を並行する。

400mほど進むと長沼駅がある。

 

長沼駅には車庫があって古い車両も置いてある。
この辺は高い建物がないので、天気の良い日には富士山も見ることができる。

 

〇長沼駅と車庫と富士山

 

旧東海道は長沼駅を越えると線路から離れ、急に車の通りも減って静かになる。
 

〇旧東海道

 

古地図には一里塚が描かれている。

 

10年前には民家の前に一里塚跡の石碑が立っていたが、今は長沼公民館の前に移設した。

 

〇一里塚跡の石碑

 

一里塚跡からすぐの向かい側に古地図にも描かれている曹洞宗の「久応院」がある。

「久応院」には「北長沼村」と書かれているので、この辺りから北と南の境があったのだろう。

 

〇長沼山 久應院(きゅうおういん)

この寺の墓地は本堂の敷地には無く300m北にある観音山の南麓にある。


〇花園慰霊観音が立っている観音山山頂

観音山はもともと谷津山の一部だったが愛宕霊園整備の際に切り離された。

 

〇観音山から見た愛宕霊園

愛宕霊園は戦災のあった静岡市の旧寺町から集団移転してきた10軒にもおよぶ寺院とともに市営墓地が整備されたものだ。

 

古地図では前山と描かれている丘が今の観音山のようだ。

 

観音山は「長沼古城跡」だそうだが名残りは全くない。

標高32.5mで、最近流行りの「低山」登山としては記録的な低さだ。

 

旧東海道に戻り進むとすぐに「県道74号(流通通り)」と「国道1号線長沼交差点」の脇に出て、200mほど一時消滅する。

 

〇長沼交差点のすぐ北側にぶつかる。

 

この先の旧東海道は「古庄村」に入る。

 

ということで、チョット寄り道。

 

「県道74号」を南下すると長沼大橋で「JR東海道線」を跨ぐ。

 

有度山の山麓には「池田村」「小鹿村」が続く。

 

古地図にも「池田村」の「本覚寺」、「小鹿村」の「七面社」が描かれている。

 

県道74号から有度山に向かって入ると山裾に東名高速道路が横切っている。

その「東名」の手前に「本覚寺」がある。

 

〇本覚寺

門前に説明書きがあるので読む。(一部抜粋)

本覚寺(青龍山本覚寺せいりゅうざんほんがくじ)
本覚寺は、日蓮聖人の直弟子、日位上人が1308年に創立した日蓮宗の寺。

徳川の時代、代々の将軍から幾たびか朱印状を受け、「駿河の身延」といわれていた。

 

本覚寺から東名を横切ると「小鹿病院」があって、裏山に「七面神社」がある。


池田との境に建っていて小鹿に位置する。
 

〇七面大明神

神社の脇には珍しい神社の墓地がある。
 

小鹿まで来たので、もう少し足を伸ばす。

「東名高速」の側道を南下すると「大谷街道」に交差する。

 

この交差した周辺に高速道路を整備した時に発掘調査された「片山廃寺跡」がある。

 

この辺りから、古地図には描かれていない「大谷村」に入る。

 

〇国指定史跡 片山廃寺跡

片山廃寺跡は、奈良時代後半に建てられ、平安時代前半まで存続したと考えられる古代の寺院跡。

寺院の敷地は、約160m四方の広大な面積であったと推測されている。

この寺院を駿河国の国分僧寺とする説と有渡郡の有力豪族の氏寺であるとする説がある。

1930年に大谷街道が造られたとき、畑の中から発見され、奈良時代の古代寺院跡として初めて確認された。

最初の調査は、1948年に登呂遺跡周辺調査の一環として行われ、1956年第2次発掘調査が、1966年には東名高速道路の建設工事に伴って第3・4次の発掘調査が行われた。

調査の結果、金堂、講堂、僧房の基壇の一部と礎石、寺院中心部分の伽藍の様子がわかってきた。
火災によって金堂・講堂・僧房が焼失し、その後復旧されなかったことも判明した。

 

 

片山廃寺跡から静岡大学にかけての地域には多くの古墳も発見されている。

 

〇諏訪神社古墳

代表的な古墳としては諏訪神社古墳がある。
鳥居の前に看板が立っているので読んでみる。(一部抜粋)
静岡市指定史跡 諏訪神社古墳(宮川古墳群4号墳)。

有度山西側山麓の丘陵上から南向き斜面にかけては数多くの古墳が築かれている。
宮川地区の丘陵上には「宮川古墳群」が形成され横穴式石室内に大型の家型石棺や豪華な副葬品が納められているなど、有力な人物の墓であると推定されている。

諏訪神社古墳は、発掘調査未実施のため、構造や築かれた時期などの詳細は不明だが、直径30m、高さ約5mの大規模な円墳で、宮川古墳群の中でも古い時期(5世紀~6世紀前半か)の有力者の墓であると考えられている。
元のかたちを良好に残す数少ない古墳のひとつであり、重要な文化財として保存されています。

 

 

他にもこの周辺にも見どころは多いが4kmほど離れてしまったので旧東海道へ戻る。

 

次回は「古庄村」へ入る。

 

 

 

*******参考*******
「駿河の国 東海道 (見て歩き)」(http://www7b.biglobe.ne.jp/~rainbowhp/tokaido/tokaido01.htm)
は私が10年ほど前に作った静岡市を中心に東海道周辺の写真を集めたまち歩きのサイトです。
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