駿河の国をwebで歩く(47)「府中・柚木村・南長沼村」 | れいんぼうの部屋

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釣りの記事をメインにしようと思っていましたが
釣り以外の記事の方が増えています。

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「東海道まちあるきweb」の古地図を使って現代の静岡をwebでバーチャル散歩。

 

***古地図は次のサイトを開いて見ている***
「東海道まちあるきweb」(https://tokaido-guide.jp/about)
は「静岡市観光・MICE推進課」と「藤枝市街道・文化課」が作成。

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上の古地図のリンクを開いて「府中宿」を選択して散歩する。
 
 
前回は「府中宿」の「曲金村」周辺を巡った。

 

今回は「柚木村」へ進む。

 

現在の旧東海道は「柚木地下道」を跨いだあたりで、JRの線路に分断されて一旦消滅する。

地下道をくぐり谷津山方面へ抜け旧東海道を探す。
 

JR線路北側の旧東海道は「マークイズ静岡」の下へ埋もれてしまったようだ。

 

国道1号線を渡ると旧東海道の痕跡が復活。

復活してすぐに旧東海道は長沼村に入ってしまうので柚木村の痕跡を探し護国神社方面へ戻る。

 

護国神社は昭和以降の神社なので古地図に描かれていない。

 

〇護国神社

護国神社の歴史は古くないが広い境内に荘厳な雰囲気を持っている。
終戦記念日には慰霊祭が盛大に行われ、8月22日から3日間、万灯みたま祭がおこなわれている。

「護国神社」は「静岡県共祭招魂社」が前身で静岡市葵区の厚生病院近くに跡地の碑が立っている。

 

静岡県共祭招魂社跡地の碑(葵区北番町)


明治のころに静岡県共祭招魂社として北番町に創設し、国のため殉じて靖国神社に祀られた静岡県下の英霊を分祀したが、第2次世界大戦時に現在地の柚木へ移転し、静岡護国神社と改称された。

 

古地図を見ても、護国神社のある場所の周辺は低湿地だったようで田園が広がっていた。
建造物は谷津山の麓にわずかに見られた。

東海大学短期大学部の隣の山際にある「君谷山 長泉寺」という曹洞宗の寺は現在もその姿を残す。
この辺りは「宮前町」という地名だが、これは護国神社が有ることから戦後に「柚木」から改称された地域だ。

もう一つ古地図に描かれていて現在も残る施設として「谷津山浅間神社」があるので行ってみる。

東海大学短期大学部から100mほど手前に鳥居がある。

〇谷津山浅間神社の鳥居


ハイキングコースのような参道を進む。
約400段を越える階段を登ると頂上に到着する。
標高108mの頂上近くにも鳥居が立っている。

〇頂上の鳥居

神社といっても社殿は建っていない。

 

浅間神社のある場所は実は古墳なのだ。
北東方向に少し下りた所から全体を見てみる。自然の地形を生かした前方後円墳の円の部分。
 

〇谷津山古墳(柚木山神古墳・ゆのき)


「谷津山古墳」は、古墳時代前期(4世紀)の前方後円墳。
この古墳は、静岡清水平野の古墳の中で最も古く、かつ最大(全長約110m・高さ10m以上)で後円部に竪穴式石室がつくられていた。
江戸時代や明治時代に掘り起こされていて詳細は不明。

銅鏡6面をはじめ、剣など披葬者の社会的地位の高さを示す副葬品が出土しているが、それらの多くは散逸している。

古墳の形態・規模・副葬品などから廬原国(いほはらのくに・古代の駿河国の前身)の墳墓ということができる。

 

南側の四阿の脇にも小さな円墳がある。

説明はないが2号墳か?

それならば前方後円墳なのだが?

 

〇四阿と円墳?

 

山から下りて旧東海道へ戻る。

 

「柚木村」の古地図を元に今の旧東海道を比べて探索したが一致する所が少なく残念だった。

 

護国神社を過ぎると旧東海道は「長沼町」に入る。

古地図の頃は「南長沼村」と「北長沼村」に分かれていた。

 

まずは「南長沼村」を進む。

 

旧東海道は静岡鉄道の線路に沿って進む。

 

〇旧東海道(長沼)

2006年に、長沼駅手前の線路の北側の日東紡静岡工場跡地にガンダムで有名なバンダイのホビーセンターが清水区から移転してきた。
静岡はタミヤ模型とこのバンダイが盛り立てて、模型の街として世界の中心になっている。

 

この写真の先の路地を右に曲がり、約500m。

古地図の東海道には関係ないが、東海道を知る上で興味深い遺跡があるので寄り道をする。

 

途中、国道1号線とJR東静岡駅を越える。

 

駅の南に出ると駅前広場の片隅に「曲金北遺跡」がある。

 

〇曲金北遺跡

遺跡の説明が書かれた碑がある。(概略)
<古代東海道>
平成6年、静岡県コンベンションアーツセンター「グランシップ」の建設に先立ち、曲金北遺跡を発掘調査した。

その結果、古代の都と地方を結ぶ重要な幹線道路である古代東海道が発見された。
発見された古代東海道は調査区を長さ約350mにわたって一直線に平行して延びる2本の溝という形で見つかっている。

この溝は道路の側溝であり、側溝の間の路面部分には砂利をたたき込んだ状況が見られた。
両側の側溝の中心間の距離は12~13mを測り、道路の幅としては約9m程と推定できる。
出土した遺物などから、この古代東海道は8世紀初頭~10世紀初頭の街道と考えられる。
一直線に延びる古代東海道の方向は、静岡・清水平野の条理の東西軸方向と一致し、本地域の条理が古代東海道を基準として施行された。

発見された古代東海道の遺構は約100mにわたって保存され、遺構は約1.5mのところに残された。


この古代東海道は安倍川付近から庵原川付近まで高低差も少なく、ほぼ一直線に整備された。

そしてこの道を中心に区画整理されて理想は高かった。

 

しかし、この地域は洪水などの災害も多い地域なので維持することが難しかったのだろう。

その後ほとんど跡も残されていなく、江戸時代に整備された東海道は維持管理がしやすい場所を通していたようだ。

 

旧東海道への帰路につく。

東静岡駅の北口に出て東へ400mほど行った所に、古地図の「南長沼村」に描かれている神社と寺がある。

 

「宝憧寺」という曹洞宗の寺と「高杉神社」だ。

 

〇「宝憧寺」

 

「高杉神社」は氏神だったのだろうか。

 

旧東海道に戻ると静岡鉄道の長沼駅がある。

 

 

次回は「南長沼村」「北長沼村」周辺を探索する。

 

 

 

*******参考*******
「駿河の国 東海道 (見て歩き)」(http://www7b.biglobe.ne.jp/~rainbowhp/tokaido/tokaido01.htm)
は私が10年ほど前に作った静岡市を中心に東海道周辺の写真を集めたまち歩きのサイトです。
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