駿河の国をwebで歩く(35)「藤枝宿」 | れいんぼうの部屋

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釣りの記事をメインにしようと思っていましたが
釣り以外の記事の方が増えています。

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「東海道まちあるきweb」の古地図を使って現代の静岡をwebでバーチャル散歩。

 

***古地図は次のサイトを開いて見ている***
「東海道まちあるきweb」(https://tokaido-guide.jp/about)
は「静岡市観光・MICE推進課」と「藤枝市街道・文化課」が作成。

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上の古地図のリンクを開いて「藤枝宿」を選択して散歩する。
 
 
今回は「藤枝宿」の「上伝馬」周辺をめぐる。

 

前回は旧東海道の「千歳交差点」に、ほど近い「岡出山」周辺を巡った。

 
岡出山から戻った「千歳交差点」から旧東海道は県道32号と合流して西へ進む。
愛称「ちとせ通り」は間もなく「六間川」を渡ると「上伝馬通り」となる。
 
「上伝馬通り」となっても商店街が続く。
 
〇このあたりから上伝馬商店街(2009年)
8
現在は、歩道のアーケードは撤去され、スッキリした通りになって、商店街の雰囲気はなくなっている。

街道を西へ進むとすぐ、右側に小さな神社がある。

〇神明神社
神明神社の拝殿の隣に「今拝稲荷大明神」の社もある。
 
古地図にも「神明」と書かれた小さな神社が描かれていたので歴史は古い。
 
〇神明神社の奥に「明治天皇藤枝行在所址」と書かれた石柱が立っていた。
 
神明神社から旧東海道へと戻り、向かいの路地を入ったところに古地図にも描かれている「大慶寺」がある。

〇大慶寺

本堂を包むように「久遠の松」と言われる大木がそびえる。説明書きがあった。
松の前の塔が説明書きにも書かれていた「道圓・妙圓」の墓碑のようだ。
 
説明書きを読む。
<圓妙山 大慶寺の由来>
●日蓮聖人京都遊学往復お立寄りの霊跡
今を去る700余年前、鎌倉時代建長5年初春、(1253年) 日蓮聖人が京都比叡山へ遊学の折、往復お立寄りになって、道圓・妙圓の両夫婦を説法教化され、題目のご本尊と毘沙門天王を授與され、記念に一本の松をお手植えされました。この松は「久遠の松」と命名されました。
道圓・妙圓の名は、聖人より授けられた法号で、後年、両夫婦は自宅に法華堂を建立して、当山の基を開きました。両夫婦の墓碑は鎌倉時代の作で、大宝塔の下部に安置されています。圓妙山の山号は、道圓・妙圓両夫婦の法号よりとり、大慶寺は、法華経流布の大慶にちなんで寺号としました。
●境内の建築物
庫裡は相良城(田沼公)の御殿を天明8年(1788)に移築したものであり、境内には鐘楼堂・ 三光堂・弁天堂・淨行堂がある。
●当山は徳川期より明治前迄は、「さむらい寺」と称せられ、田中城主(4万石)姫君病気平癒の功により祈願寺とされました。境内には、田中城主太田摂津守、田中藩姫君、同藩漢学者石井縄斎先生(日知館創立者)、国学者熊沢惟興先生を初め、家老高瀬重富氏等の墓碑並に大塚亀石、荷渓、翠崖等地方文人の墓石があります。
●宝物・文化財
願満祖師御尊像・日蓮聖人御本尊・加藤清正公書。徳川綱条公書・田中藩士の書画・地方文人の古文書・文化財等。


 
〇静岡県指定天然記念物 久遠のマツ
説明 クロマツの大樹で、県下でも有数の樹勢を誇る美しい姿で、古くから「久遠のマツ」と呼ばれています。
樹高 25.0m 根廻 7.0m 目通 4.5m 枝張 東西 28.0m 南北 28.4m 推定樹齢 約700年
由来 寺の縁起によると、鎌倉時代、日蓮聖人は京都比叡山に学びに出掛けるときこの地に立ち寄り、12年後に帰郷する際に再び訪れました。法華経に教化された老夫婦が別れを惜しんで願い出たところ、日蓮聖人が1本のマツを植えていったと伝えています。

 
〇大慶寺の庫裡
 
〇大慶寺の鐘楼堂
 
 
旧東海道に戻ってすぐの所に「おたけせんべい」という店がある。
藤枝市民の「心の菓子」
江戸時代から続くせんべい屋。
 
「おたけせんべい」から100m足らずの向かい側の歩道に「下本陣跡」「上本陣跡」のタイルが埋め込まれている。
 
「上本陣跡」のすぐ先に交番があって「問屋場跡」の大きな看板が立っている。
慶長6年(1601年)徳川家康は宿を置き、旅人や荷物を次の宿場まで運ぶ継立(つぎたて)と通信業務のために人馬や飛脚をそろえました。
これを伝馬制といい、その業務を取り扱う場所を問屋場(といばや)といいました。
その後田中城の大手口にも問屋場が置かれたので、前者を上伝馬、後者を下伝馬といって区別していました。
 
「上伝馬」も「下伝馬」も共に「問屋場」の位置に交番が設置されているのが面白い。
 
 
 
旧東海道は、現在の「千歳交差点」から上伝馬通りが次の信号まで県道32号線の一部に指定されている。
 
県道32号線は次の信号で右に曲がり瀬戸川を上って峠を越え静岡市の清沢へ向かう。
 
この信号を曲がって県道32号線を進んだ所に灯籠があり、奥に西光寺がある。
 
〇西光寺
古地図にも西光寺は描かれている。
 
西光寺の裏に神社があって大きな楠がはえている。
 
〇月見里神社
この「月見里神社」も古地図に描かれている。
 
楠に説明があった。
藤枝市指定天然記念物 月見里神社のクス
神社本殿の後ろにあり二股になった幹が特徴的なクスノキは、市内でも有数の優れた大木のひとつ。
境内にはクスの大木が数本あり神社の森として残されている。
神社の名前は、周囲に山がなく月がよく見えるという意味で、「月見里」と書いて「やまなし」と読む。
 
 
旧東海道へ戻り、西へ100mほどの右へ入る路地があり、奥に正定寺がある。
街道沿いに石の門柱があって、脇に「本願のマツ」の説明看板が立っている。
 
〇山門から正面に立派な松が見える。

〇門を入った所に弁天わらべ地蔵があった。

〇本願の松

<本願の松>
藤枝市指定天然記念物 昭和61年10月指定
正定寺境内の本堂前にあるクロマツで、傘形に枝張りした美しい姿に整えられている。
この場所は江戸時代の東海道「藤枝宿」の宿場町の西木戸口近くにあたり、古図などに描かれている。
松は1730年に田中藩主であった土岐丹後守頼稔が大阪城代となった時に寄進されたものという由来が伝わっている。
 
 
旧東海道へ戻り、200mで瀬戸川に架かる「勝草橋」となる。
 
古地図では「歩行越」と書かれている。
瀬戸川は瀬切れがよくある川とはいえ、雨の多い時期は皆濡れて渡ったのだろうか?

 
 
次回は「藤枝宿」を後にして「志太村」「稲川村」へ入る。

 

 

 

*******参考*******
「駿河の国 東海道 (見て歩き)」(http://www7b.biglobe.ne.jp/~rainbowhp/tokaido/tokaido01.htm)
は私が10年ほど前に作った静岡市を中心に東海道周辺の写真を集めたまち歩きのサイトです。
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