駿河の国をwebで歩く(30)「藤枝宿」 | れいんぼうの部屋

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釣りの記事をメインにしようと思っていましたが
釣り以外の記事の方が増えています。

「仲間の釣行記録」の見出しURLです。カット&ペーストで
https://ameblo.jp/rai-trout/theme-10112228739.html

「東海道まちあるきweb」の古地図を使って現代の静岡をwebでバーチャル散歩。

 

***古地図は次のサイトを開いて見ている***
「東海道まちあるきweb」(https://tokaido-guide.jp/about)
は「静岡市観光・MICE推進課」と「藤枝市街道・文化課」が作成。

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上の古地図のリンクを開いて「藤枝宿」を選択して散歩する。
 
 
今回は「藤枝宿」に古地図も変えて旅を続ける。


前回は「水守村」の「須賀神社」を見た後、旧東海道がホームセンターのあたりで位置が曖昧になった所で終わった。

旧東海道とほぼ同じ位置を通っていた県道208号が「水守村」で終点となって県道381号と合流する。

この辺りは交差点改良によってややこしい道路になっている。

 

県道381号を西へ400m向かった信号を右に藤岡団地方面へ曲がり、100m先で旧東海道との交差点と出会う。
ここから落ち着いて旧東海道を「藤枝宿」の核心部へ進む。

旧東海道に入って100mほど進むと右手に成田山の門柱が立っている。

 

〇成田山の門

成田山は「新護寺(成田山)」という寺。

「成田さん」と呼ばれて親しまれている。看板に由来が書かれていた。
当山は今から約750年前の建長年間、照光院と云う名前の寺院であったが、後嵯峨上皇の子、 宗尊親王(十才)が6代将軍となる為、京都から鎌倉へ東海道を上る途中、ここ藤枝の宿で 親王の乗っておられた御所車の左輪が折れてしまった。
そこで御所車を修理する間照光院で 休息された。光栄ある休息にあづかった寺では、これを記念してそれ以来寺名を左車山休息寺と改めた。
又、この修復に当り破損した左輪や車軸を寺の裏の聖地を選んで埋めた後、その跡に 宮一宇を建立した。現在保存し、左車神社と名付けた。又、この地名をも「左車」と名付けて現在に至っている。
その当時境内には本堂、不動堂、大師堂、庫裡等の伽藍があったが、その後、今川氏から武田氏の戦国時代となり、文禄~慶長にわたっての二度の戦火に遇ったため焼失したのち、廃寺同様となっていたところ、千葉県大本山、成田山の御分身を勧請して皆様方の燃ゆるが如き旦つ不断の御熱誠によりまして、静岡県唯一つの成田山として明治初年落成し、未曾有の盛況裡に入佛大法会を終え、今日に至る。
 
由来看板にもあった「左車(さぐるま)神社」は「新護寺(成田山)」の裏に社があり今も祀られている。
 
古地図に描かれている「最勝院」「休息寺」の場所が「新護寺(成田山)」が建っている。
 
旧東海道を少し戻る。
成田さんの東隣りの天理教協会前の歩道に藤枝宿東木戸の標柱が立っている。
 

〇藤枝宿東木戸の標柱

古地図を見ると天理教協会のあたりに「番所」が描かれていて、この「東木戸」から「藤枝宿」が始まる。

 

「成田さん」前の向い側の歩道にも標柱が立っていて、焼津に通じる「浜小路」がここの路地から始まることが書かれている。

古地図にも「浜小路焼津湊道一里余」と書かれている。

 

浜小路に入ってみる。
 
浜小路へ入ってすぐの交差点を右に曲がると古地図にも描かれている「愛宕神社」がある。
 
〇愛宕神社
由緒が書いてあるので読む。(概略)
御祭神 伊邪那美命  迦具槌命
(御由緒)
愛宕神社は防火鎮火の神様。何事にも発展繁栄開運の神様。
当神社の創立年月日は不詳。境内の洗心石鉢に「宝永3年(1706年)5月施主下伝馬町」と刻まれている。
 
さらに南へ向かい県道381号を渡った所、藤枝北高の西隣に古地図にも描かれている「村岡山満願寺」が建っている。
この寺は廃寺となっていて有志によって観音堂が維持されている。
 
〇村岡山満願寺
由緒が書かれていたので読む。(概略)
駿河三十三観音 札所 第6番 天台宗「村岡山満願寺」 御本尊 聖観音。
満願寺の聖観音像は、弘法大師作といわれる。
鎌倉、村岡の郷の杉山寺に安置されていた聖観音が、新田義貞の鎌倉攻めの戦火に合い。
その時、持ち出された聖観音が、誤って滑川へ落ち、海に流れ、年経て焼津当目の浜の巨岩(この岩を観音岩という)の上にたどりつき、毎世光を放っていた。
時の郡司、一色佐衛門尉が小舟を出して聖観音像を拾い、時の太政大臣源義満の命で、尊像を安置する一宇を建立させ、供田を寄付された。
その後、田中城の城主は代々当観世音を、城の守護安鎮の祈願寺として尊崇し、祀ってきた。
今は有志の補助を得て修繕が施され、駿河33観音札所として、広く参拝者を迎えている。
 
「村岡山満福寺」の隣に、古地図にも描かれている「田中神社」が建っている。
 
〇田中神社
由緒が書かれていたので読む。(概略)
御祭神 宇迦之御魂神 徳川家康公
由緒
武田信玄が田中城を増築し守護神として山城の国から宇迦之御魂神を招請し祀ったと伝わる。
稲荷様として五穀豊穣、商売繁盛、家運隆盛の神として田中城の代々の城主も尊崇されてきた。
明治初年、江戸から転住して来た旧幕臣は宗家東照公を祭神として権現社に祀り後に稲荷舎に合祀して田中神社と称した。
神祠は大正2年現在地に遷座した。
 
浜小路を「成田山」前の旧東海道まで戻る。
 
現在、「新護寺(成田山)」の北側は藤岡団地が開発されてすっかり住宅地として建物が密集している。
古地図を見ると小さな神社の2社以外は田んぼしか描かれていない。
 
その神社の1つ「牛頭天王」は明治時代になって八坂神社と名を変えて存在している。
「牛頭天王社」は鎌倉時代の創建で、7月の祭りの日に「お天王さんの花火」が実施され親しまれていた。

今は蓮花寺公園で「藤枝花火大会」として引き継がれていると聞いた。

 

さらに古地図には「市部(いちべ)村」と「五十海(いかるみ)村」がある。

遠くに描かれているが両村とも「成田山」から1kmほどの距離しか離れていない。

 

古地図を田んぼの先に連なる山へ目を向けてみると「青山八幡宮」の左にひときわ高く「薮田山」が描かれている。
かつて「薮田富士」と言われていた「潮山」があるのでその山と思われる。
 
今回は「成田山」周辺を巡って終了とします。
 
 
次回は「藤枝宿」の続き。

 

 

 

*******参考*******
「駿河の国 東海道 (見て歩き)」(http://www7b.biglobe.ne.jp/~rainbowhp/tokaido/tokaido01.htm)
は私が10年ほど前に作った静岡市を中心に東海道周辺の写真を集めたまち歩きのサイトです。
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