駿河の国をwebで歩く(20)「丸子路 その6」 | れいんぼうの部屋

れいんぼうの部屋

釣りの記事をメインにしようと思っていましたが
釣り以外の記事の方が増えています。

「仲間の釣行記録」の見出しURLです。カット&ペーストで
https://ameblo.jp/rai-trout/theme-10112228739.html

「東海道まちあるきweb」の古地図を使って現代の静岡をwebでバーチャル散歩。

 

***古地図は次のサイトを開いて見ている***
「東海道まちあるきweb」(https://tokaido-guide.jp/about)
は「静岡市観光・MICE推進課」と「藤枝市街道・文化課」が作成。

**********************************

上の古地図のリンクを開いて「丸子宿」を選択して散歩する。
 
 
今回は街道に戻り「二軒屋」と「大鈩不動尊」周辺を巡る。
 

まずはとろろ汁の「丁子屋」前にある丸子橋を渡り高札場跡を右に見て旧東海道の「丸子元宿」と呼ばれる地域を進む。

 

200mほど進むと左手の山裾に古地図にも描かれている「天白大明神」の社が見える。

 

更に進むと旧東海道は丸子川沿いの道になり、間もなく国道1号線にぶつかる。

 

このあたりは旧東海道の「二軒屋」と呼ばれる地域になり「二軒屋観音堂」が国道へ出る手前に建っている。

敷地内には庚申さんも祀られていた。

 

〇二軒屋観音堂

 

〇庚申さん


 

国道1号線の信号を渡り、大鈩のお不動さんへ向かう。

 

この谷へ入るとすぐに「大鈩山 誓願寺」がある。

古地図を見ても誓願寺が描かれていて、谷の奥には大鈩山という山も描かれている。

 

〇「大鈩山 誓願寺」

 

 

誓願寺は、1190年ころ、源頼朝両親追善のため建立された。

1540年ころ丸子城の戦火で類焼したが1570年ころ武田信玄が再建した。
本堂右側にある古池には、珍しい産卵法で知られる「モリアオガエル」が生息している。

 

誓願寺のすぐ近くに丸子城への登り口がある。
 

〇丸子城入口

静風苑と書かれた看板の脇に丸子の里自然歩道に通じる小道があった。

ここを登ると丸子城址へ行ける。

 

古地図に「古城」と書かれた場所が丸子城址で、三角山に愛宕神社の鳥居が描かれていてる場所が本丸の跡地と思われる。

現在の三角山には神社が見当たらなかった。

 

〇丸子城址本丸址

 

〇看板


説明看板が立っていたので読んでみる。
丸子城は室町期の初めから戦国動乱の終わりまで約150年間、東海道の大動脈だった駿府の西の防衛拠点として要城でした。

別名を宇津ノ谷城、三角山城ともいわれ今川、武田両戦国大名によって標高136mの三角山を中心に尾根沿いに南北約500mにわたって多くの曲輪が階段状に築かれた。

 

〇三角山

大鈩不動尊へ行く途中から丸子城がある三角山が見える。
 

残念ながら古地図を見ると「誓願寺」の奥には何も描かれていないが「大鈩不動尊」まで行ってみる。

 

三角山を見た後、すぐに鳥居が見える。
 

〇丸子大鈩十二神社


静岡市から発行された「こども生涯学習体験ガイドマップ」に次のように紹介されている。
鎮座地の大鈩は、古くより鉄を産出し、製鉄の盛んな土地で、神社の主神も製鉄と関わりの深いイザナミノミコトである。
この地では古墳五基が発見発掘され、神社の創立は相当古い時代と思われる。 

 

 

国道から1.5kmほど奥にお不動さんがある。
 

〇大鈩不動尊

 

静岡市から発行された「こども生涯学習体験ガイドマップ」に次のように紹介されている。
誓願寺より先の坂道の奥に、静かな杉林に囲まれた不動明王堂が安座されている。
その下には不動の滝があり、両側には十六羅漢像が安座されている。

 

 

お不動さんの帰りに、チョット手前にある「ハシムコウ」という喫茶店へ寄る。

この店は丸子紅茶の村松二六さんの紅茶を飲ませてくれる珈琲とケーキの美味しい店。

 

丸子紅茶については「赤目ケ谷」を通った時に立ち寄る予定。

 

 

次回は街道に戻り「赤目ケ谷」周辺を巡ってみる。

 

 

「東海道まちあるきweb」の古地図は見どころが多く少しずつしか前へ進めない・・・<次回へ続く>

 

*******参考*******
「駿河の国 東海道 (見て歩き)」(http://www7b.biglobe.ne.jp/~rainbowhp/tokaido/tokaido01.htm)
は私が10年ほど前に作った静岡市を中心に東海道周辺の写真を集めたまち歩きのサイトです。
*****************